表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
プロレスラーの誇り  作者: 赤井"CRUX"錠之介


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/13

琴岩竜

琴岩竜コトガンリュウ


 かつては将来を有望視されていた力士だったが、大麻を吸い角界を追放された。日本の次世代エースとして期待されていたが、ナークにKO負けした。





 元司が扉を開けると、そこには黒崎と草太の二人しかいなかった。


「おい、他の連中はどうしたんだ?」


「中田さんは、来るのが遅れるってさ。ラジャさんも店があるから、ちょっと遅れるみたい」


 とぼけた表情で草太が答える。


「そうか……それにしても、何もこんなところで集まらなくてもいいだろうに」


 呆れたような表情で、元司は言った。

 彼がいるのは、普段トレーニングに使っている古い倉庫跡だ。ラジャと草太が金を出し合い、元司のために借りたらしい……もっとも普段は、黒崎の住居であるようだが。


 真・国際プロレスによる祝勝会が行われたのは昨日だった。そして今日は、ラジャに呼び出されてここに来たのである。いったい何をする気なのか……と尋ねてみたら、今後の作戦会議を開きたいと言ってきたのだ。


「次は、大晦日の決戦でしょ……アタシ、どんな格好で行こうかしら。今から楽しみだわ」


 コスプレか何かと勘違いしているようだが……客も喜んでくれているようだし、こちらとしても試合前の緊張がほぐれてくれて助かる。




 そんなわけで来てみたのだが、ラジャがいないのでは仕方ない。元司は、その場に座り込んだ。黒崎や草太も床に座り、コンビニの弁当やお惣菜などを食べている。


「あの琴岩竜ってのは、見かけ倒しだったんだね。あれなら、モッさんの敵じゃなかったろうけど」


 草太が軽口を叩くと、黒崎が首を振る。


「いや、あれは運が良かったんだ。仮に、琴岩竜が勝ち上がっていたら……荒川は負けていたかもしれん」


「えっ、どういうこと?」


 黒崎の発言に、すかさず草太が食いついた。


「ナークとの試合の時、琴岩竜の動きは堅かった。久しぶりの試合からくる緊張感だろうな……実力の半分も出せぬままナークのペースに巻き込まれ、肘で流血させられた挙げ句にハイキックで倒された」


 静かな口調で、分かりやすく話す黒崎。横で聞いている元司は、改めて感心していた。かつて鬼の黒崎と恐れられた男に、こんな一面があろうとは。


「もし琴岩竜が勝っていれば、荒川との試合では全力でぶつかって来ただろう。緊張もほぐれ、体も温まり、本来の実力を発揮できたはず。そうなった時の琴岩竜は、ナークより厄介な敵となっていたはずだ」


「へえ、そうなのかあ。格闘技って、難しいもんだねえ」


 言いながら、草太は難しい顔つきでうんうんと頷いた。元司は苦笑しつつも、黒崎の言葉に心の中で拍手を送っていた。確かに黒崎の言うことにも一理ある。ナークとの試合で琴岩竜が勝っていれば、勢い付いていたかもしれない。もともとの体格、さらに相撲で培われたパワーをフルに活かせば、ナークをも凌ぐ難敵になっていただろう。


(あのタイ人が勝ってくれた方が、セコンドに付く俺としてはありがたい)


 あの時、黒崎はそう言っていた。初めから、こんな展開になることも想定していたのだろう。

 草太も言っていたが、格闘技とは難しいものだ。実力が上だからといって、必ず勝てるとは限らない。特にナークのような試合巧者は、自身のペースに相手を引きずり込むのが本当に上手いのだ。

 しかも肘打ちにより流血させ、視界を不自由にさせてからのハイキック……もちろん、ナークとて全てを計算していたわけではないだろう。だが、状況に応じて戦法を変えられるのは、百戦近いキャリアのなせる業だ。

 そんなナークに勝てたのは、単純に体格差および寝技のテクニックの差でしかない。


「だがな、次回はそうはいかんぞ。はっきり言うが、お前に勝ち目は――」


 その時、倉庫の扉が開いた。入って来た者を見た瞬間、皆の表情は凍りつく――

 なぜなら、入って来たのは……空手団体・道心会館の館長にしてDー1の最高責任者、石川和治であった。普段は数人の取り巻きを連れているが、今日はたった独りである。

 皆が唖然となっている中、石川は苦々しい表情で黒崎を見つめた。


「黒崎、久しぶりだな。まさか、お前がDー1に出てくるとは思わなかったよ」


 石川は、呟くように言った。その顔からは、普段の傲慢そうな態度は微塵も感じられない。


「こんな所に何しに来たのだ? 荒川を激励するために来たのか?」


 一方の黒崎は、普段と全く変わらない態度である。鋭い目付きで、じっと石川を見据えていた。


「お前は、本当に変わらないな。お前のせいで、大勢の人間が迷惑したんだよ」


 直後、石川の表情が変わる。露骨な憎しみのこもった目付きで、黒崎を睨みつけた。


「お前を破門するよう、館長に進言したのは俺だ。それだけじゃない……あちこちの支部長に声をかけた。お前を復帰させたら、武想館は潰れる。だから破門させるべきだってな」


「ちょっと待てよ。それ、どういうことだ? あんたは事情を知りながら、おっちゃんの味方をしなかったのかよ?」


 声を発したのは黒崎ではなく、草太であった。彼は立ち上がり、体を震わせながら石川を睨んでいる。今にも殴りかかっていきそうな気配すら感じる。

 草太の態度に異様なものを感じ、元司はさりげなく草太の横に付く。草太がバカをやりそうになったら、すぐさま止めるためだ。

 そんな草太を見て、石川は小馬鹿にしたようにクスリと笑った。


「黒崎、こいつはお前の弟子か?」


「ああ、弟子みたいなものだ」


「なるほど。こんなろくでもない小僧が弟子とは、今のお前にふさわしい――」


 その瞬間、黒崎が動いた。だが彼が何をしたか、はっきりと見た者はいない。それほど黒崎の動きは速く、また滑らかであった。

 元司に分かったのは、黒崎の指が、石川の左側の眼球すれすれの位置に突きつけられていたことだった。

 しかも、その手の形は鶴嘴拳である……人差し指と中指さらに親指を、鳥のクチバシの形にすぼめて突き刺す技だ。人の目くらい、簡単に潰せる。

 黒崎は、石川の目を潰す気なのか――


「便利屋は、俺の弟子だ。その弟子を侮辱するのは、俺を侮辱するのと同じだ」


 極めて冷静な口調で、黒崎は言った。だが、その冷静な口調が黒崎の秘めた意思を伝えてくれている。もし何かあれば、冷静にその指を突き入れるであろう。


「な、何をする気だ……お前、下手なことすれば刑務所に逆戻りだぞ」


 石川の声は震えていた。


「だから何だ。刑務所には、既に一度行っている。過ごしにくい場所でもない。なんなら、もう一度行っても構わんぞ」


 黒崎の言葉からは、嘘やハッタリは感じられない。石川の顔がひきつった。だが、草太が止めに入る。


「おっちゃん! やめてくれよ!」


 同時に、元司も動いた。石川の肩をポンポンと叩き、その場から連れ出す。


「石川さん、こんな奴とやり合っても仕方ないですよ。金持ち、喧嘩せず……ですから」


 そう言いながら、元司は扉を開ける。半ば無理やりに、石川を外に連れ出した。すると、石川はフウとため息を吐く。


「あいつは、本当に変わらん……昔も今も、損得を無視して噛みついていく。あの性分だけは、どうしようもないな。なぜ、賢く生きられない……」


 言いながら、石川は元司を見上げる。先ほどの黒崎の行動に、憤慨している様子はない。むしろ、悲しんでいるような表情だ。

 元司は唖然となりながら、石川を見つめる。この男に、いったい何があったのだろう。さっきまでは、ヒールそのものといった態度だった。B級映画に登場する悪党のような雰囲気すら漂わせていた石川。

 しかし今の石川は、世の中のしがらみに疲れはて、うちのめされた中年サラリーマン……のようにしか見えない。これが、一代でDー1を作り上げた傑物なのだろうか。

 ややあって、石川は弱々しい口調で語り出した。


「俺はな、黒崎と同じ時期に黒帯になった。けどな、ずっと奴に憧れてたんだよ。黒崎は、本物の空手家だった。本当に強かった……俺は、奴のようになりたかった。だがな、黒崎はあまりにも不器用だった。あの事件だってそうだ。女を助けたいなら、警察に任せればよかったものを……」


 最後の言葉は、聞き逃せないものだった。元司は、思わず石川の肩を掴む。


「それ、どういうことですか?」


「お前、知らんのか。だったら、本人に聞けよ。あいつは、嘘は言わないからな……いや、嘘を吐けない馬鹿な男だ」


 そう言うと、石川は乾いた笑みを浮かべる。


「荒川、次の試合だけどな……派手に散ってくれよ。お前には百パーセント勝ち目は無いだろうが、観客は楽しませてくれ。お前もプロレスラーなら、そこんとこは分かるだろ。今日は、それを言いに来たんだ」




 一回り小さくなったように見える石川を見送った後、元司は倉庫に入る。

 黒崎は、冷静な表情で立っている。しかし、草太は怒りが収まらない様子だ。入ってきた元司を見るなり、顔を歪めて迫っていく。


「モッさん、マルコをぶっ倒してくれよ」


「えっ……」


 戸惑う元司に向かい、草太はなおも言い続ける。


「あの石川の野郎、許せねえよ! モッさんがマルコをぶっ倒せば――」


「その前に、ひとつ聞きたい。おっさん、女って何のことだ?」


 言いながら、元司は黒崎に視線を移す。だが、黒崎は目を逸らす。


「別に、大したことではない」


「まだ隠す気なのかよ、おっちゃん! いい加減、モッさんにもちゃんと話そうよ!」


 草太の振り絞るような言葉に、黒崎は黙ったまま下を向いた。

 やがて、ぽつりぽつりと語り出す――


 ・・・


 それは、二十年以上前のことだった。


 当時、まだ現役の空手家だった黒崎。彼は空手の稽古を終えると、自宅に帰るため川原を走っていた。トレーニングも兼ねて、走って帰るのが黒崎の日課だったのだ。


 その日も、いつも通り川原を走っていた黒崎。その時、彼はとんでもない光景を目撃する。チンピラ風の若い男たちが、数人がかりでひとりの女を襲っているのだ。女はまだ若く、衣服を破かれた上に顔に怪我もしていた。どう見ても、仲間内で遊んでいる風景ではない。

 それを見た瞬間、黒崎は気合いと共に飛びかかって行った――


 チンピラは、黒崎の敵ではなかった。あっという間に全員が叩きのめされる。黒崎は警官を呼び、女を警察に保護させる。

 この事実だけを見れば、黒崎に裁かれる要素は何もない。あるいは、正義の味方として新聞に載ってもおかしくはなかっただろう。

だが翌日になり、警察に逮捕されたのは……なんと黒崎の方であった。

 その容疑は、傷害と殺人未遂である。


 相手の五人が、みな病院送りにされたこと。

 うち二人は内臓破裂、残りの三人は数ヶ所を骨折させられていたこと。

 空手の有段者が、素人を相手に技を用いたこと。

 闘いの最中、黒崎は「貴様ら、全員殺してやる!」と口走っていたこと。


 などなど、黒崎にとって不利な条件があまりにも多かった。だが何よりも大きかったのは、襲われていた女性が訴えを取り下げたことである。

 当時、性犯罪に関する裁判は酷いものだった。被害者の女性は裁判所で、言いたくもないことを衆人環視の中で言わなくてはならなかったのだ。

 そのため、女は被害届を出さず……結果、黒崎だけが殺人未遂と傷害で逮捕されたのだ。

 しかも、判決は懲役十年である。襲われていた女性を助けた報いとしては……あまりにも重く、理不尽な刑であった。




 その後、黒崎は十年に渡る刑務所での生活に耐え、晴れて出所した。

 だが黒崎には、もはや何物も残されていなかった。両親は他界しており、兄弟はない。僅かな財産は、被害者への弁済で全て消えてしまった。事件以来、友人知人はみな彼との交流を絶ってしまっている。空手の組織も破門された。

 かつて、最強の格闘家と謳われた男。だが、今の彼には何も残されていなかった。









評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ