森からの脱出
上級クエスト、ゴブリン討伐。ゴブリンは、個々の力は下級冒険者数人で倒せる。しかし異常な繁殖力から、群れで行動するため、多対一の戦闘になりがちで、上級クエストという扱いになる。
今回のクエストは、最近動きが沈静化しているゴブリンの様子を見て、数を増やしているようだったら討伐せよというもの。難易度としては、そこまで高くないものだ。
その道は暗い森の中で、そこを進んでいった。
「――あれ?」
隣から唐突に声が上がった。何かあったのだろうか。
「どうしたの? なんかいた?」
「さっきそこに……うーん、なんでもない。…………気のせいかな?」
何もないと言うなら、これ以上聞いても仕方ない。――いや、でも、ここで聞かなければ後悔してしまう。そう思った。
「気になったことがあったなら、教えて。ここは、敵地であることは確かなんだから」
「なんかね……この森って暗いけど、緑色は変わらないでしょ? でもなんか色がおかしい部分がある気がするんだよね。ほら、見てみて」
さっき確認したときは何も違和感はなかったはずだ。何かがあるってことは……いや、ここはリネの言葉を信じよう。こういう時のリネは、鋭い。
チラチラ、少しずつ、全体を見る。
視界の端に、動く緑があった。森の自然では出しえないような、濁った、緑が。
それが見つかると、連鎖的に周りに広がる緑までもが、濁っていった。
そこら中に、敵はいる。
「見つけた。敵がいたよ、リネ。だけど多すぎて倒しきれないと思う」
「そ、そんなにいるの?」
「じっくり見るんだ。そうしたら、薄汚れた緑が動いているのが見えるはず」
リネは目を凝らし、周りを見つめる。しばらくすると、小さく「あっ」と口にし、俺のほうへと向きなおった。
お互いにうなずいて、身を寄せ合う。
「どうする? 思ったより敵が多いよ」
「もしかしたら、変異種がいるかもしれない。ううん、絶対にいると思う。私たちの対応できる範囲を超えてるよ」
「今は、誘い込まれている期間かもしれない。ここは、急いで戻って、ギルドに知らせないと」
リネの手を引いて、来た道を走って戻る。
木々が揺れ動いている。こちらが戻っていることに気が付いたゴブリンが、動いているのだろう。
ダガーを構え、敵の襲撃に備えつつ、走る。
「障壁の準備、よろしく」
「りょーかい!」
障壁魔法の詠唱が終わった直後、ゴブリンが茂みから飛び出し、襲い掛かってきた。
展開される障壁。ゴブリンの攻撃は障壁と衝突し、跳ね返された。
障壁がぎりぎりのところで踏みとどまり、耐えたのがひびが入っているところを見てわかる。
離散し、再構成しようととどまる粒子を見て、ゴブリンたちは、一斉にとびかかってきた。
障壁が展開される。ゴブリンの爪が突き刺さり、割れた。
障壁を突破し、やってくるゴブリンたちはリネの方向へと、手を伸ばした。
「させるかっ!」
リネに最も近いゴブリンの攻撃をダガーで受け止め、弾き飛ばす。すぐさま懐からナイフを三本取り出し、敵の喉元へと投げつける。
ゴブリンはナイフが突き刺さった喉をかきむしり、かすれた声を上げている。
逃げるには、絶好の機会。
「行くよ!」
「――っはあ、はあ……もう、走れないよ、ワイス!」
リネは上がった息の間で、必死そうに声を出した。
「だったら、もう走らなくていいから、魔法だけに集中してて!」
すぐ左を走るリネの腹を片手で持ち上げ、肩に担ぐ。リネは驚いたのか声を上げていたが、無視して、そのまま走り出した。
「ちょっと、いきなりすぎるよ! もっと丁寧にやってよお」
「まあまあ、急いでるんだから仕方ないでしょ」
「それはそうだと思うけど」
怒りの声を上げるリネをあしらいながら後ろを確認する。
爪に麻痺毒が塗ってあったのか、数体のゴブリンが倒れていた。
この敵の無力化の方法は、使えるかもしれない。
後続で追ってきたゴブリンが、近づいてきている。
一体は弓を持っていて、それに矢をつがえて引き絞っている。
「あのゴブリン、撃ってくるよ!」
「わかってる!」
声に合わせ、避ける。
矢が左を通り過ぎて行った。すれ違いざま、横目に矢を見ると、赤い炎が先に灯されていた。
「あついよお!」
リネが叫んだ。
火炎魔法の特徴である、炎の色に関わらず温度の高い炎。それがすぐ横を通り過ぎ、リネはあまりの熱に声を上げたのだろう。
だけど、この熱は始まりにしか過ぎなかったらしい。気が付けば杖を構え、全身に魔力をみなぎらせるゴブリン――おそらく感じられる魔力量からしてウィザードゴブリンが、炎を放ってきた。
俺の攻撃では、魔法を打ち消すことはできない。リネの障壁に頼るしかない。
「障壁おねがい!」
「わかった! ――うっ、数が多すぎるよお!」
四方八方から撃ちだされる火炎魔法。
リネは何度も障壁を展開し、攻撃を受け止め続けるが、それももう限界。
障壁は割られ、その光はどんどん弱っていく。
ついに光は消え去り、障壁はなくなった。
魔法はそれを見計らっていたかのように殺到する。
「うぐっ――あああっ!」
「きゃあっ!」
リネを守るように覆いかぶさり、俺は炎を受けた。
熱が俺の身体を支配している。全身の血液が沸騰する。
魔力で強化した肉体が悲鳴を上げているのがわかる。
「ワイス? ねえ、ワイス!」
声が聞こえた後、全身が焼き切れた音が聞こえた。
ああ、時よ戻ってくれ――
『さっきよりはマシだから。このままいけば、大丈夫』
声は、俺を先へ進める。
四方八方から撃ちだされる火炎魔法。
リネは何度も障壁を展開し、攻撃を受け止め続けるが、それももう限界。
障壁は割られ、その光はどんどん弱っていく。
ついに光は消え去り、障壁はなくなった。
――今だ。敵が攻撃を集中させようと隙ができるこの一瞬。今なら、この包囲を突破することができる。
足に、全魔力を集中させ、足を踏み出す。景色が移り変わり、ゴブリンを抜き去った。
後ろで轟音が響いた。さっきまで俺がいた場所に、火炎魔法が殺到したのだろう。
「やった! そろそろ森から出られるよ!」
リネの言葉通り、遥か遠くに、ではあるが、暗闇に染まった森の中、かすかに光が見えた。
これで、どうにかして冒険者ギルドへと、この事態を報告しなければ。
「あっ」
「どうしたの?」
「森が、森が燃えてるよ!」
リネの言葉に反応して後ろを見ると、ゴブリンの放った火炎魔法が森の木へと移り、火柱が立ち上っていた。
火はすごい勢いで燃え移り、森は今すぐにでもこちらへやってきそうだ。
ゴブリンは流水魔法を使い、必死に消火をしているが、火の勢いのほうが強い。
「この火、異変を察知した冒険者が来る可能性もある。運がよかったと考えていいかもしれないね」
「ゴブリンの勢いも減らせてるしね!」
それでもまだ終わりじゃない、とばかりにゴブリンは現れる。
攻撃を避け、ダガーを突き刺す。
ナイフを投げ、それがゴブリンの首に突き刺さる。
アブゾーブゴブリンやレジストゴブリンも現れたが、瞬時に判断し、リネの魔法、俺の攻撃と使い分ける。
光が強くなっていくにつれ、ゴブリンは数を減らしていく。
先へ、先へと全速力で進む。
「やった! やっと、出れた」
「長かったあ」
障壁が何かを弾く音とともに、俺たちは脱出した。
長い、長い道のりだった。
ゴブリンは森から出ることを嫌がってか、追ってこない。しばらくすると、森の中へと消えていった。
「おい! お前ら、大丈夫かー?」
出た先で、上級冒険者のヴァイスさんに声をかけられた。「大丈夫です。ただ、ゴブリンが大量発生していて」と返すと、悪い顔をして、俺たちをからかおうとした。
「実は、お前らの実力が足りなくて逃げてきただけじゃねえのかあ? そんで、どのくらい大量なんだ?」
「変異種がそこら中にいるくらいには」
「ほんとに、いっぱいいたんですよ!」
ゴブリンの異常な大量発生。その規模を聞いて、ヴァイスさんもことの重大さに気が付いたらしい。
「それは本当か、ワイス」
「はい。冗談じゃありません」
「ギルマスに報告するぞ。戻れるか? 今すぐに。無理なら、テレポートを使って行くが」
「すみません、お願いします。ちょっともう魔力が限界で」
疲れからか、俺は倒れたらしい。視界が黒に染まった。足が動かない。
「お、おい。大丈夫か? ま、麻痺毒とかじゃねえよな?」
「ああ、はい。ただ疲れただけだと思います」
「ならいいけどよ。それじゃあテレポートするぞ」
慌てふためくリネを他所に、ヴァイスさんは詠唱を始めた。
「リネ、僕は大丈夫だから。君が障壁で守ってくれたんだから、ね?」
「でも、心配なものは……」
心配するリネをなだめ、ヴァイスさんの詠唱が終わるのを待つ。
倒れたままなだめていたから、リネの目には、かなり不格好に映っていることだろう。
「終わったぞー。いつでも発動できるからなー」
「わかりました。ごめんリネ、僕をヴァイスさんのところへ連れてって」
「わ、わかった。ふんっ……お、重い」
顔を真っ赤にするリネに立たせてもらい、そのまま肩を借りて歩く。
ヴァイスさんは俺たちのことを見て、ニヤニヤ笑っている。悪趣味な人だ。
魔法の効果範囲に入り、俺は仰向けに倒れこんだ。
空が青くて、光がまぶしかった。
「それじゃあ、お願いします」
「わかった。転移酔いに気をつけろよー」
その言葉が発せられるとともに、視界が暗転した。