第五話 憎しみに染まる亜眼
「あれ、岸野じゃん。」
病院を後にした来矢に犬を連れた一人の女が話しかける。
「お前は…ああ。今村か。」
今村詩音。
来矢や真島が通っている"普通"の大学、弥斗大学の同級生だ。
特に喋る訳でもなく、仲もそんなに良いわけではなく、お互いに好意もない。
"普通"の関係である。
どちらにせよ、詩音には沢見哲という彼氏がいるのだ。
…いや、先日までいたのだ。
「どうしたの?ケガでもした?」
「ちょっとな。転んだんだ。」
「まじで?岸野って意外とドジだな~」
つい数分前にも同じ言葉を言われた。
完全にドジキャラが定着してしまったようである。
…その二人の会話を…
一人木の後ろから覗いている男がいた。
「おい…誰かがこちらを見ている。」
来矢にはすぐに気がついた。
男は見られていることに気づき、すぐに去っていった。
いや違う。『消えた。』
「え?どこ?」
詩音が見た頃には、もうすでに男は消えていた。
「気のせいじゃない?
目に隈ができてるし…寝不足なんだよ。」
来矢は昨晩から今朝まで、つきっきりで一睡もせずに真島の看病をしていた。
隈ができるのも無理はない。
「…アイツは沢見哲だ。しっかり見えていなかったが…確かにそうだった。」
来矢にはその一瞬ですぐに分かった。
その男が、沢見哲であるということに。
その男の右眼が、緑色に輝いていたのことに。
「え?沢見くん?
沢見くんとなら昨日別れたけど…
そんな覗くなんてことしないと思う。
沢見くんそんなキャラじゃないし…」
間違いない。これは亜眼が絡んでいる。
「おい、沢見には気を付けろ。
絶対にだ。」
強い口調で警告する。
「え…?岸野?やっぱりおかしいよ…?」
なかなか信じてもらえない。当然だ。
来矢は普段はこんな感じではない。
「絶対だぞ!分かっているな?」
そう一言伝えると、来矢は歩いて帰っていった。
「ただいま。」
来矢は一人でちょっとしたマンションに暮らしている。
家には誰もいないのに、ただいまと言ってしまうのが癖になっている。
冷蔵庫をあけると、食材をいくつか取りだし、料
理を始める。
実は、この男…
料理が上手いのである。
慣れた手つきで料理が進み、美味しい香りが漂う。
本日の朝食はスクランブルエッグ、レタスとキュウリのサラダ、かつおの振りかけをかけたご飯
だ。
「いただきます」と一人で呟き、ゆっくり口を動かす。音も立てず、静かに食べていく。
「ごちそうさま」と箸を置くと、風呂に直行し、衣服を脱いで入浴を始める。
来矢は、朝晩二回も入浴をするが、亜能力の問題
もあるため、なかなか外では風呂に入らない。
入浴中、来矢は先程の男の事を考えていた。
沢見哲…
彼はまじめで、人望も厚く、性格もいい。評判の高い男だった。
だが、最近は様子がおかしく、大学にもあまり来ていなかった。
その事と亜眼、何かしらの関係があるということは間違いないであろうと、来矢はふんでいた。
風呂からでると、服を替えて、歯を磨いた後、そのままベッドで眠りについた。
目覚まし時計の設定時間は午後6時。現在の時間は午前10時。
この男、朝から夕方までずっと寝ているつもりだ…
その頃、詩音は来矢の言葉など忘れ、家でゆっくりとくつろいでいた。
「ははは!面白すぎ!!こんなの笑っちゃうよ~」
その後ろから、悪夢の足音が迫る。
大音量で動画サイトを見ていた彼女は、全く気がつかなかった。
「さーて、次何見よっかな~」
「詩音…」
「え?沢見くん?…気のせいか。誰もいない…」
「詩…音…」
「……沢見くん…いるの?」
「いるさ………
お前の後ろにな…」
「…沢見くん!?どうしてこ…こ……あっ…」
血塗られたナイフが、詩音の背中をかき切る。
そして、追い討ちをかける様にメッタ刺しにする。
詩音は来矢の言葉を思い出した。
「「沢見には気を付けろ」」
まだ僅かに意識が残っている詩音は、最後の力を振り絞り、来矢の携帯電話にメッセージを送る。
「とめて」
その一言だけを送り、詩音は力尽きた。
「…これで憎かった奴がまた一人消えた…ヒヒヒヒッ…こいつはすごい…本当に気づかれないなんてな…」
沢見は、名前のかかれたリストを取り出すと、「今村詩音」の名前を黒く塗り潰した。
そのリストには、「真島淳」の名前も含まれていた。