サユリ玉ネギ
生ドラマ『めんちゃも屋』をオンエアした、
Gスタジオでは、
盛大な打ち上げが行われようとしていた。
『哉イチ』が駐輪されている、
ノーマルスタジオでは・・
照明の落とされたブース内に、
ポツンと汐のシルエットが見える。
ポワ━ン状態の彼女は、
マイクの前に腰かけたまま動かないでいた。
スタッフは全員、
打ち上げ会場へ移動していた。
副調整室には・・乙骨P・・一人だけ。
スマートフォンを切ると、
Pは胸に手を置き、深く息をついた。
放心したようすの、
DJアイドルを包みこむように見つめる。
スーツの内ポケットに手を入れて、
静かに 辞表 を引き抜いた。
感慨深げに封筒に目を落とすと、
「とりあえずは、保留だな」
そう、
つぶやき、
再び元へ戻した。
ドアを開いて、
スタジオへ入って行く。
「汐坊!
ユッPが、
早産ながら、
無事出産したそうだ。
元気な男の子を授かった!」
汐は・・
ひとすじの涙を流して、
ホッと息をついた。
ユッPには大きな借りを作ってしまった。
彼女の、
捨て身の演技によって、
私は、
求める感覚に触れることができた。
あそこまで追い込まないと、
未知の「なにものか」を・・
結晶化させ・・
掴み取ることはできない!
努力を形にするのは、
継続と・・あるタイミングでの発火を必要とする!
ポジティブに命懸けな行為なんだ!
それを・・
ユッPは、
身を以て、
私に教えてくれた!
出産・・心からおめでとう・・ユッP!
「汐坊・・
そろそろ行こうぜ!
・・みんな待っている」
「乙骨さん・・ありがとう!」
「なにを言うか。
職務を遂行しただけさ。
組織の犬なりに、な」
「ひどいこと言って・・ゴメンなさい!」
「よせよ・・感傷は・・オレの好みじゃない」
Pと汐のあいだに、
微妙な 間 があいた。
いつもの汐なら、
持ち前の機転スコップで、
空隙を
易々と埋めてしまえるのだが、
・・そうはしなかった。
こんな 間も ときには悪くないではないか。
乙骨Pは、
そんな 間 を嫌い、
空気を切り裂くように、
DJアイドルの手を取り・・
Gスタ方面へ(首で)進路を示し、グイと力を込め・・引いた。
温かくて・・大きな・・/手/ !?
汐は、
視線をサングラス越しへ直射させ、
懸命に、
Pの心理反応を探ろうとする。
乙骨は、
心をクローズさせ、
さっと顔をそむけ、
まとわりつこうとする視線を切り離した。
汐は、
手の力を逆進させ、
脚を踏ん張り、
なにがなんでも、
目的を遂げようと頑張る。
双方の緊張がキリキリ音を立てて絞り上げられてゆく!
「グ━━ッ!!」
ふたりのお腹の虫が・・同時に鳴った!
緊張の糸は、見る見る、ほつれた。
プーと吹き出してしまった・・PとDJ。
にわかに噴出した、
ふたりの葛藤は、
空腹クラクションにより、
路肩へ追いやられてしまった。
「あーあ、腹減った!
タコ焼き喰いに行こうぜ!」
「うん!」
返事をした汐は、
立ち乗り姿勢で、
『哉イチ』の後部に乗り、
ドライバーの分厚い肩に両手を乗せた。
「Gスタまでワンメーターでぶっ飛ばすゾ!
しっかり掴まってろよ・・汐 坊!」
「アイアイサ━!」
「さあさあ皆さん。
事件もぶじ解決したことですし、
そろそろディナーを召しあがって下さいな!」
設楽 涼の復帰祝いが催されている、
ビジネスホテル二階の喫茶室では、
奥さんが、
ポンポンと手を叩いて提案した。
「Yes ma’am!」
興梠警部が、
ローストビーフに手を伸ばした。
里見は、
温め直されたトーストサンドを、
取り皿に乗せた。
「あらまあ!」
奥さんが微笑んだ。
これだけのご馳走の中から、
セレクションした里見のセンスが、
ある人物を連想させたからだ。
サユリは、
南平の取り皿にバランスよく料理を乗せていく。
ちょっとした世話女房だ。
涼の目が止まる。
(オレが留守にしていた あいだに・・)
(二人の関係はここまで進展していたのか)
(サユリちゃんと南平は・・)
(合いそうで合わない)
(あやうい微妙性の上に立っていた)
(女と男の結びつきというのは)
(不思議なものだ)
「はい、召し上がれ」
サユリがカレシの前にお皿を置いた。
マリネに箸を伸ばした南平。
ヴィネガーの利いた白身フライを、
頬ばろうと口を開けたとたん、顔をしかめた。
「どうしたの?」と・・サユリ。
「いやさ。
実験のときに、
何度も歯ぎしりをしただろう・・
あのときの後遺症が、まだ残っているんだよ。
おーっ痛ッ!」
南平は、
両手を使い、
ほっぺたの上から、
奥歯のあたりをマッサージする。
カレシから方向転換。
サユリは、
探偵の方へ顔を寄せると、
こっそり・・耳打ちした。
「大学のデータベースにアクセスして調べてみたんですが・・
三昧と同様の効果を持つ『試薬』というのが、
どうしても見つからないんですよ。
一応薬学部ですから・・私。
専門的な情報も取れる立場にあるんですけど。
実験に使用した・・
例の『薬物』というのは・・
ひょっとして・・?」
里見は、
人さし指をスッ!と垂直に立てた。
サユリの唇すれすれまで持ってゆくと、
ミステリアスな笑みを浮かべた。
ディナーは品よく進行した。
話題の中心は、
快刀乱麻を断つ活躍を見せた里見であった。
警部と弁護士を交え、
事件の感想戦を行っている。
奥さんは席を立ち、
キッチンへ移動して、
住み込みの女性のヘルプにまわっていた。
料理の温度と鮮度に心を配る。
主賓であるにもかかわらず、
どこか孤独感の漂う涼を、
なんとか盛り立てようとするサユリと南平。
「主任、
娑婆の感想はいかがですか?」
サユリは、
いたずらっぽい表情を浮かべ、
マイクを差し出すポーズでたずねた。
「まだ、宙ぶらりんではあるが・・やはりイイ気分さ!
こうして皆とも再会できたわけだし・・」
「で・・いつ、
逢いにいかれるんですか?
彼女には?」
「こればっかりは・・
京都の実家に戻っているらしいから。
もうダメかもしれない」
「鈍感っ!」
サユリは、
チカラを込めてテーブルをひっぱたいた。
「あんな、
薄情な女のことなんか訊いてやしません! しっかりなさい!」
サユリの剣幕に、
目を白黒させる涼。
喫茶室の視線を独占してしまった。
「まあまあ、サユリちゃん。
主任はまだ現状認識ができていないんだから。
あまり急きたてるのは良くないって。
それよりも・・ほら!」
南平は、
サユリの肩をやんわり突ついて合図する。
感情のバランスを整えると、
サユリはバッグから、
あるものを取り出した。
そして・・
芝居がかったセリフ回しで言った。
「親分、オツトメご苦労さんでした。
これは、
舎弟の南平さんと私からの出所祝いです。
どうぞ受け取ってやっておくんなさい!」
「うむ、ご苦労。
縄張りの方もぶじで何より。
どれどれ・・」
巧みにリアクトした涼は、
包装を解き、
小箱を開いた。
中には、
葉巻専用ナイフが収まっていた。
柄の色は赤ではなく、
渋い光沢を放つシルバー。
南平が、
『真夏の雪』の収まった、
木製の箱を差し出した。
「さあ、
ゲン直しの一服といきましょう」
葉巻を一本抜きとる。
新しいナイフで喫い口を切り落とした。
素晴らしい切れ味!
ナイフを、
上着の内ポケットにしまおうとして・・苦笑い。
小箱に戻した。
長い柄のマッチを擦り、
シガーの先端を回転させ炎を当てる。
一服喫って・・まぶたを閉じる涼。
全員が注視している。
しばらくして、
まぶたを開き、繊細なケムリを、吐きだした。
「主任、感想を一言」
エアマイクを向けるサユリ。
「おぼろげだが・・
分かりかけてきた気がする。
オレにとって・・
なにが・・もっとも大切なのか」
復帰祝いは、
そろそろお開きを迎えようとしていた。
鈴木サユリは、
信じがたい手腕を発揮した里見を、
尊敬のまなざしで見つめた。
南平も右へ倣え。
自己の手柄を自慢げに語らず、
控えめなのが 尚 ポイント高い。
それにしても、もう少し、喜んでもいいのにな?
憂いを宿した目は 果たして なにを意味するのだろう?
オーナーからの提案。
ビジネスホテル「設楽」のセキュリティー顧問への就任要請を、
固辞したのも、
さもありなん・・里見らしかった。
しかし、オーナーも然る者。
簡単には引き下がらず、
非常勤のアドバイザーという形でも結構ですからと、
交渉を重ね、
交換条件をチラつかせ、
渋る探偵の口から内諾を土俵際で取り付けた。
これはこれでたいしたものだ。
粘り腰の強さは、わがオーナーの真骨頂。
小なりとも経営者たる者には、必要不可欠な資質なのだろう。
サユリの社会勉強感性が、
またもや刺激された格好だ。
グラスを揺らして、
(手の平の熱を伝え)
残りブランデーを飲みほすサユリ。
頬をほんのりと染め、物思いにふけった。
充実していた探偵助手の日々が蘇る。
なにか、
抗いがたい重力に引っぱられていくようなスリリングさ、
熱に浮かされたような時間、
のめり込み深度、
ワクワク感、
マルティプラィ ・・ 素晴らしいチームワーク。
まぎれもなく冒険!
あんな 経験は かつてなかった。
鈴木サユリ。
レールから外れることなく堅実に歩んできた・・二十年。
あのとき・・
彼氏の南平に発した、
『どこか冷めている!』との苦言は、
彼氏の中にサユリ自身を視たからである。
微妙距離を隔て、
現実にアプローチしていくある種の賢さが、
皮一枚分のめり込みを拒絶してしまう、
自身のどうしょうもなさが、たまらなくイヤになる時があるのだ。
サユリ玉ネギを慎重に剥いていくと、
最後に顔を顕すのは、
・・『平凡』・・という、
哀しい自画像。
何度チャレンジしても結果は・・一緒!
どうしても突き抜けられない壁の存在。
自分はこちら側の人間なんだ、、と。
汐坊や里見さんのような、
あちら側の人間では残念ながらないんだな、、と。
内なる流星が軌跡を描いて・・消えた・・
理性が溶解して 涙が こぼれ落ちてくる。
自己の 無力さに 泣いてしまう。
ビックリした南平が、
ふり返る。
「どうしたの、サユリちゃん?」
里見探偵も 「なにごとか?」 とサユリを見る。
号泣というより慟哭だった!
泣き声には間違いなく心の叫びが鏤刻されていた。
興梠警部が立ち上がって、
サユリの頭を優しく撫でた。
「(里見さん・・)
(アナタには・・)
(このムスメさんのナミダの意味は・・)
(理解できマセン) 」
興梠には、
サユリの気持ちが痛いほどよく伝わってきた。
なぜなら・・
警部も・・
こちら側の人だったからだ。




