里見からの報告
里見は、
コップを置くと・・開口一番。
「事件は解決しました!」
汐は、
椅子から、
60センチあまり飛び上がった。
「ほ、ほ、ほ、ほ、ほ、ほ、本当に?」
「もちろんです。
弓削 敦子の刺殺と門脇 陽一の変死。
両方の事件の謎は・・ほぼ解明できました」
「涼にいちゃんは・・犯人なのですか?」
「違います。彼は無実です」
「証拠は・・ありますか?」
「当然です。
それが私の仕事ですから」
「真犯人の目星はついたのですね?」
里見は、
依頼人を真っすぐに見つめる。
そして、
穏やかな口調で言った。
「意外と近くにいました」
「どういう意味でしょうか?」
「いまは、申し上げられません」
汐は、
少し考えこんだあと、質問を続けた。
「里見さんは、
二つの事件とおっしゃいました。
こだわりをお持ちの・・
予備校生の方は、
確か・・病死で、
事件性はなかったと記憶していますが?」
「警察発表ではそうでした。
しかし・・真相は違ったのです」
「自殺もしくは、
他殺ということですか?」
「私は 他殺 だと考えております。
明日、ある実験を行います。
それで最終結果が出るでしょう。
いの一番で、
あなたへ御報告いたします」
「承知しました。
もう、経費のことはとやかくいいません。
実験なり検証なり、
お好きなようにやって下さい」
「ありがとうございます」
「もう一度、お聞きします。
涼にいちゃんは、
殺人犯ではないのですね」
「はい。
設楽 涼氏は無実です。
じき、釈放されるでしょう」
里見の表情や態度は、
揺るぎなかった。
汐は、
深い息をつくと、
椅子にもたれかかった。
睡魔と仲良く手を取り合って、
たっぷり熟睡した汐は、
久方ぶりに爽やかな朝を迎えた。
フロントにタクシーの手配を依頼。
乙骨Pあてにメールを送信。
用事をすませると、わき目もふらず、バスルームへダッシュ!
ゆったり朝風呂に浸る ♨
α波、
ときおり・・θ波を・・ホワホワ放射しながら、
『déjà-vu』(’70) を繰り返しハミングする。
涼にいちゃん経由で、お近づきになった曲だ。
ミステリアスなメロディーと複雑過ぎるハーモニーは、
汐のハートを 虜 にした。
以来、
お気に入りの曲となっている。
湯気の立ちのぼるピンク色の素肌を、
ローブに包み、
冷えたオレンジジュースを飲む。
「ああ、美味しい!」
汐は、
迎車表示のタクシーに乗りこんだ。
途中でマーメイド・カフェに寄り、
差し入れのコーヒーやパンをどっさり買った。
タクシーは、
地下駐車場へ、
すべりこんでいく。
黒山のようなマスコミ軍団をかき分け、
迎えに出たADと付き人に防波堤となってもらい、
専用エレベーターでスタジオ入りした。
午前九時をまわったところで、
スタジオ入り。
乙骨P以下、
スタッフ、共演者は顔をそろえ、
主演女優の到着を待っていた。
その中に・・
禁煙であるはずの副調整室で、
タバコの煙をモクモクさせている人物がいた。
「お嬢ちゃん、お早う!」
『お手伝いさんは見た!』
の老監督が、
ニコやかな顔で迎えてくれた。
「おはようございます。
わざわざ、
陣中見舞いに来ていただいて。
ありがとうございます。とっても嬉しいです」
汐は、
コーヒーとパンを老監督に差し出す。
残りはADにまかせた。
ADは、
キャストとスタッフに、
もれなくコーヒーとパンを配って歩いた。
「きょうはね、お嬢ちゃん。
プロデューサーさんに頼まれて、
演出の助っ人に来たのじゃよ」
汐の頭の中に、
「?」マークが浮遊する・・
視線を、
乙骨Pの方へ向けた。
「汐坊が悩んでいる・・
演技面でのご指導を、
大先輩にお願いしたというわけだ」
恬淡と、
乙骨Pは語った。
Pの背後で、
ゆず季がピースサインを作っていた。
(プライドの高い・・あの乙骨さんが・・わざわざ!)
汐は、
なにやら、
申し訳なく思った。
全員、
超特急で朝食をすませ、
Gスタへ、
急ぎ足で降りて行く。
台本を手に持ちスタンバる出演者。
スタッフは さっと 持ち場へ散った。
「本日のファースト・リハいきます。
いいか、汐坊!
歩と先輩の絡みのシーンからだ」
乙骨Pの声が、
スタジオ内に響き渡る。
「よーい、スタート!」
先輩とモーレツに 売 を競いながら、
同時に魅かれてもいく、微妙な乙女心。
攻めと守り・・摩擦の狭隘から生まれ出る・・恋。
それを声だけで表現する・・やっぱりムズカシイ。
哀しいかな、
恋愛に関する 「引き出し」 を、
(憧れ・・以外)
汐は、
ほとんど持ち合わせていなかった。
いままで・・
恋心を表現する際には、
涼にいちゃんのことを想い浮かべれば、
なんとかなった。
しかし・・
今度はそうはいかない。
脚本家チームが、
追加執筆してよこした恋模様は、
一筋縄ではいかない代物だったからだ。
押したり引いたりの応酬 合戦。
意地悪かと思えば・・優しさをのぞかせたり・・
駆け引きの 「受け」 は難なく演じられた。
けれど・・
想いを寄せる異性に対する、
「攻め」 の方は、お手上げ状態。
とっかかりになるフック(リアルさ)が、
内面のどこを探しても見当たらない・・
台本を手にした汐は、
マイクの前で、
しきりと首をヒネる。
それらしく感じさせるテクニカルな演技から、
一歩でも、
踏み出したかった!
同期の懊悩を、
息を殺すように、
見つめる・・ゆず季。
乙骨Pの隣で、
そのようすを見守っていた老監督は、
副調を飛び出し、
スタジオに入った。
汐の目の前に立つ。
「お嬢ちゃん、
うまくいかないのはなぜだろう?」
「私の・・チカラ不足・・でしょう」
「いいや。
芝居にはね、
想像力とテクニックだけでは、
いかんともしがたいところがある。
たぶん、
お嬢ちゃんは、
一途に相手を想い続けるタイプじゃな。
己の内に存在しない、
魂 を引き寄せるにはコツがいる。
〈盗む〉んじゃよ!
ハリウッド映画の王道である、
ぶつかり合いながら魅かれていくという・・アレを」
「・・ ? ・・」
「いいかい。
ワシの演じる通りにやってごらん」
老監督は、
グラスホルダーの付いた
度の強いメガネをサッとはずし、
胸の前で ぶらつかせた。
舌をペロリと出すと、
翁は、
節くれだった指に唾をつけ、
鼻を鳴らし、
もどかしそうに、
台本の当該ページを開いた。
次いで、
不思議な息つぎを始め、
肩を上下動・・
脱力した瞬間を狙い澄まし、
阿吽の呼吸!
集中を絞り上げた。
ゾーンに入るや、
「口立て」方式で、演出を始めた。
乙女のような品をつくり、
シワの寄ったまぶたの奥に、
仄かな恋心を・・灯した。
親鳥がヒナに餌づけするように、
紡ぐがごとくセリフを唄う。
その所作は、なんとも意地らしく、可愛い。
ときおり覗かせる、
伝法肌に鉄火な口調!
メリハリの付け具合も堂に入っていた。
とても、
七十過ぎには見えない。
芝居の夢現力により、
年齢はキレイに消え去っていた。
汐の・・
時が・・
伸び・・
デフォルメ・・されていった!
目は潤み、
性的な興奮を内包したような、
表情を浮かべ、
口は、
うっとり・・半開き。
いくつかの感覚プロセス・・
(意識の縮小)
(クリアな寝入りばな)
(奇妙な快感)
(無意識の拡大)
・・を経て、
感覚の境界線の溶融が、
開始された。
ほどなく、
トランス状態へ。
演技の幽体は、
しだいに・・
彼女から離脱、
老監督に・・シンクロを開始した。
勝気でありながらも、
切ない恋心が、
汐のセリフに、
脈打ち始めた。
繰り返すたびに、
(役の魂を掴まえたまま)
汐の主観は優勢になっていく。
「すげえ!」
副調整室の乙骨Pや、
ディレクターは目をむいて、
身を乗り出した。
共演者たちも、
老監督と主演女優の姿に、
我を忘れ、
ため息を漏らした。
ゆず季は、
ボー然と・・
エスパーと呼ばれる、
同期の力量に、
・・魅入っていた。
(うちには・・とうてい・・できない芸当!)
本番 二日前、
汐は、
ようやく、
役の全体像を・・
掌中に収めた。




