進展
夜勤明けの熱いシャワーを浴び終え、
南平は、
エレベーターで二階に降りて来た。
昼番のサユリが喫茶室を指さした。
以心伝心・・
南平は、右手をヒョイと上げ、応じる。
静けさ漂う喫茶室。
モーニングサービスは、すでに、終了していた。
窓際の席に、ポツンと座っている、里見。
極力サイレント・・
音を立てないようにして探偵に近づいていく。
真正面に立つも、気付くようすは、なし。
探偵は、
放心した様子で窓の外を眺めている。
トーストサンドとコーヒーは冷めてしまっていた。
「トントン!」
ドアに見立て、テーブルをノックする。
「ああ・・お早う・・」
うつろな表情。
依然、
立ったままの南平。
「失敬した・・かけてくれたまえ」
一段と落ちくぼんだ目を向けて言った。
腰かけると、
南平は、
ディバックから金属製のファイルを取り出し、
挟んであった封筒を一通抜き、
差し出した。
「お預かりした12枚のプリント画像をお返しします。
写された場所と目的を特定するミッションを、
サユリちゃんと手分けして当たってみました。
そのうち二カ所は札幌と福岡のホテルでしたので、
直接足を運べず、
電話と、
念のため、
同じ内容をメールで、二重の確認を取りました。
相馬院長の行き先は、
いずれも心理学会系のシンポジウムや会合でした。
収穫は得られず・・です」
「そうか、
そんなことだろうとは思っていたよ。
ごくろうさん」
南平は、
目の前にある、
手つかずのトーストサンドとコーヒーの入った紙コップを持ち、
立ち上がると、キッチンへ消えた。
前者はオーブントースターで火を入れ、
後者は紙コップごと捨て、
モーニングサービス用のカップとソーサーを出し、
サイフォンから(フロント係用の)コーヒーを注いだ。
次いで自分の分も。
スプーン×2、ミルクとシュガー、おまけに氷水と。
「さあ・・里見さん、
温かいうちに・・どーぞ。
少しは食べないとカラダに毒です。
それと・・これはサユリちゃんから」
南平は、
ポケットからカロリーメイトを取り出した。
探偵の顔に、淡く、生気が甦る。
お冷をあおる。
トーストサンドをがつがつ食べ、
ミルクと砂糖を放りこんでコーヒーをぐびりと飲み、
カロリーメイトもきれいに平らげた。
食後のパイプを旨そうにくゆらす探偵。
助手は、
さっきとは別の封筒を、
一通・・差し出してよこした。
「なんだね?」
「弓削さんと門脇 氏のカルテのコピーです。
もちろん・・相馬セラピーのですよ」
里見は、
電撃の動作で、
パイプを置き、
封筒の中身を引っぱりだした。
「ど・・どうして・・これを?」
「里見さんと訪問したあと、
個人的に、
さりげなくしつこく『相馬セラピー』へ通いました。
へへへ、
あの受付嬢、
どうやらぼくに気があるみたいでして、
無理を言ってコピーしてもらったと・・こういうわけです」
「明らかに法律違反だが、
今回にかぎり目をつぶろう。
でかしたぞ、南平くん!」
カルテを読みこんでいく、里見。
数秒後には、
助手のいることなど忘れ・・没入してしまった。
翌日のランチタイム。
里見は、
高級レストランの予約席についていた。
向かいの席には南平、
その横に『相馬セラピー』の受付嬢が腰かけていた。
盛装したウェイターによって、
オードブル料理が運ばれる。
「まずこれだけは言わせててください。
わたくし、
相馬院長のことを尊敬しております」
清楚で童顔、
どこか儚さを漂わせた受付嬢は、
どぎまぎしながらも、
凛と言葉を発した。
南平は、
物理学の法則を無視するような首の動きで、
彼女の瞳を正面からとらえ、
ジッと見つめ言った。
「頼むよハニー!
二~三 質問に答えてくれれば、
それで万事OKなんだから」
受付嬢の小さな手を握って勇気づける。
タイミングをはかり、
話しかける・・里見。
「珍しいタイプですね、あなたは。
おどおどした外見に似ず、
御自分に自信を持っておられる」
「いえ・・そんな・・」
「その上、とてもチャーミングだ」
お世辞と理解しつつ、
女性の表情は微妙に緩んだ。
「仮に、
ちょっぴりでも私に自信が感じられるとしたら、
それは相馬先生のお陰です。
いまのセラピーを開業する以前ですけど、
相馬教授のクライアントでした・・私。
大学病院時代です」
「ほう、なるほどねえ」
「どうぞ・・里見さん、
お訊ねになってください。
心の準備は整いました」
「うむ。
唐突な質問になりますが、
ここ数カ月の間にですね・・
もっとさかのぼってもいいのですが・・
相馬先生の腕や足に、
傷や内出血の跡を見かけたことはありませんか?」
「はあ?」
けげんな表情の受付嬢。
南平も同調。
「つまり・・最近、
相馬先生がケガをされたことなど、
ご記憶にありませんかね?」
受付嬢は、
うつむき加減で、
しばし考えこみ、
やがて・・顔を起こし、
良く通る声で言った。
「そういえば、四ヶ月くらい前でしょうか、
Yシャツの袖をまくりあげたとき、
肘を支点にして、
上下の二箇所に、
包帯が巻かれているのを見た記憶があります。
その後もたしか、
膝下にも包帯が巻かれていました。
先生には子供っぽい一面がありまして、
負けず嫌いなんです。
照れくさそうに・・
『ゴルフが上達したくてね』・・とおっしやっていました」
「ほーう。
それから、セラピーのときに飲むハーブティー。
あれは・・あなたが淹れるんですか」
「だいたい私です。
必ずしもハーブティーとは決まっていません。
ノンカフェイン・コーヒーの方もいれば、
紅茶の方もいらっしゃいます。
基本、ホットドリンクです。
個人差はありますが、
身体を温めると緊張が和らぎますから。
カウンセリングをスムースにする狙いもあるのです。
運ばれるのはいつも先生ですけどね」
「最後の質問になります。
亡くなられた門脇さんと、
相馬先生の関係はどんなものでしたか」
「うーん・・
門脇さんは、難しいクライアントでした。
気分の波が激しく、
負の意味で・・攻撃的だったり、
かと思えば、
内向して自分の殻に閉じこもったりと。
先生も相当ご苦労なされたんではないでしょうか」
「なるほど」
「そのことが、
門脇さんの死と『何か』関係あるのでしょうか?」
「質問はこれで終了です。
どうぞ、南平くんと素敵なランチを楽しんでください。
郷里のお母様の手術が上手くいくといいですね」
里見はスーツの内ポケットから封筒を取り出して、
受付嬢に手渡した。
コースには手を付けないで、店を去る。
去り際に探偵は、
こんなふうに・・つぶやいた。
「やはり、予行演習は済んでいたのだ!」
その言葉は、南平の耳に、いつまでも残った。
リハーサルは順調に進んでいた。
「チャプター・リハ」の重点的 洗い出し、
いわゆる〈トリートメント〉は、
50パーセントがた通過した。
トンネルの彼方には、
仄かに、明かりが見えるようだ。
汐の演技はここまで、
一瞬 揺るがせにしないまま、推移してきている。
「食事休憩いれまーす!」とディレクター。
その声を聞くと、
共演の声優たちは、
緊張の束縛から解放された。
ホッとした表情を見せ、
三々五々
別室へ引き上げていく。
いつもは、お弁当とお茶。
ただし、
レイティングのときはデリバリーのバイキング料理であった。
これを楽しみにしている声優もいるくらい、
質量ともに申しぶんなかった。
逆にレイティングのときにお声がかからないと、
悔しい思いをすることになる。
『哉カナ』の現場は拘束時間が長い。
その上、
下手を打つとサンドバック状態にされる。
そんなこんなで、
敬遠する声優も少なからずいた。
けれども、
番組の注目度は高く、
クリエイティブなので、
向上心や冒険心を持つ者にとっては、
刺激に溢れた職場 兼 学び舎であった。
刺激に満ち溢れたGスタ。
その・・副調整室へ、
ゆず季が、
姿を見せた。




