ビスケン
十二月に入り、一週間が過ぎた。
落ち葉の最終 段階である、
TOKYOのシンボル、
銀杏の葉も・・ほぼ散った。
季節は・・確実に・・冬へ突入していた。
里見は、
新宿のシネコンで、
リバイバル上映されていた、
『小さな太陽』を見たあと、
U駅でタクシーを降り、
散歩がてら、
20分ほどかけて、
目的地まで歩いた。
日陰は寒いので、
なるべく日向を選んで歩く。
谷中の墓地を抜け、
乾いた空気にクツ音をこつこつ響かせ、
長い石段を降りた。
路地を一本抜け、
また、少し歩くと、
目当ての場所が視界に入ってきた。
喫茶室・・『エトランゼ』
会見の相手はすでに来ており、レモンティーをすすっていた。
サユリによれば、
フリーライターの 「ビスケン」は・・本名・・ 非公開。
一流大卒の三十歳。
ペンネームの由来は・・
ビスをねじ込むような、エグイ記事を書くことからきている。
ドラッグカルチャーを中心に、
実体験を基に(という噂!)、
豊富な知識を駆使し、
中身の濃い、
ほとんど犯罪幇助ともいえる内容を
特異なセンスの文体で執筆しているライターであった。
カルト的な人気を博している。
編集者としても有能で・・
いくつかのムック本をヒット&ロングセラーに導いていた。
ライターは、
繊細な雰囲気を漂わせており、
ブランドの服をラフな感じに着こなしていた。
白いシャツの袖には、
さりげなく ピースマークが 金の糸で 刺繍されていた。
少しばかり痩せの見える顔をあげて、名刺を差し出した。
そして・・おもむろに・・アゴに手を当て、
細長い指で、両頬をはさむと、
下顎のあたりを念入りにマッサージする。
・・終えると、うで組みをし・・里見に懐疑まじりの視線を向けた。
名刺交換を済ませた里見は、
コーヒーを注文した。
やおら・・
スーツの内ポケットに手を入れ、
封筒を出し・・テーブルの上に置く。
「おっと!
そいつは話のあとだ」
手を伸ばそうとしたライター氏を、
牽制する。
「あなたが、
週刊誌に『三昧』の記事を寄稿した方だね?」
「断っておくけど、情報ソースは明かせないよ」
「結構。
ストリートネームで、
『三昧』と呼ばれているドラッグのことが知りたいだけだ」
「これからする話は・・あくまでも・・伝聞だ!
そのつもりで聞いてほしい。
━ 三昧を決めるとだな、
十分から遅くとも二十分で、
発汗や歯ぎしりをともない、愛の波動がワナワナとあふれ出てくる。
音は最新鋭のオーディオ並みに聴こえ、
対象物と素晴らしい一体感を得ることができるんだ」
「異性に服ませて、
その気にさせる惚れ薬にもなるわけだ」
「ケッ!」
ビスケンは軽蔑の色を露わにした。
「そんなのは少数のゲス野郎どもだ!
第一、
効いている最中はかんじんのモノが役に立たない・・
借りて来たネコみたいになっちまうのさ。
三昧は極めてパーソナルなドラッグなんだ。
トレンドは、ブツを決めてのDVD鑑賞!
ゲームでも・・構わない」
「DVDを?」
「そのとおり・・決めるだろう。
効きが顕われるや否や、
映画やアニメーションのキャラクターに、
感情移入どころではなく・・「そのもの」・・になりきれてしまう。
ここに、
このドラッグの持つ、類マレな特性がある。
ダイナミックな映像世界の中で、
自分自身が、
主人公になりきって活躍する。
こいつは・・「見る」・・という行為を超越した、
まぎれもない体験=エクスペリエンス!
時代は、ついに、ここまで来たんだ!」
ビスケンは、
夢見るような目つきで語った。
「まさに、
三昧の境地というわけだ」
「ああ、
一部では、
それ専用のDVDやゲームも製作されている」
「ドラッグの効きのピークは?」
「短い!
60分から80分ってところだ。
抜けが素晴らしくいいのも三昧の特徴で、
ボディダメージも極小だ!」
興奮した気分をクールダウンさせるように、
ビスケンは、
ハイスピードでタバコを喫い喫い、話した。
「マイナス面も当然あるのだろう?
フラッシュバックや、めまい、無気力感、依存症など」
「ほとんどない!
微量の・・疲労を・・感じる程度だ。
━ 三昧のユニークな点は、連用するとさっぱり効かなくなるコト。
最低でも・・四~五日間のインターバルは必要だ。
見事なまでに中毒にならないように設計されている。
新世紀のドラッグと呼ばれるゆえんだ!
MUDE = 三昧を設計した、
ドラッグデザイナーに栄光あれ!」
ビスケンは勝利の笑みを浮かべ、
灰皿にタバコをキュッキュと押しつけ、
封筒をつかむと・・
中身の確認を始めた。
丸々八時間が過ぎた。
汐は、
食事はおろかトイレにも立たず、
屋台に腰かけたまま、
台本に目を落とし、
ぶつぶつ独り言をつぶやき、
時おり・・お面を手にしては・・眺めた。
さらに・・二時間経過。
汐の・・「時」は・・依然止まったまま。
見守る乙骨Pとスタッフ、
そして・・共演者。
その・・
間隙を縫うかのごとく、
スタジオ内に、
ある人物が現れた。
彼は、
乙骨Pが・・普通のヒトに見えてしまううほどの、
威容を放っていた。
主演女優の目の前を、
ワイプさせるように、
あるものを・・差し出した。




