相馬セラピー
なめらかなハンドルさばきで、
車を走らせる南平。
後部座席には、里見探偵が座っていた。
助手の仕事の、
一発目は、専属ドライバーだった。
サユリには、
別の仕事が振られていた。
里見所有のBMWは、ゴキゲンな乗り心地。
メカ好き、車好きの南平には、こたえられない。
サユリちゃんを、
助手席に乗せて、ドライブしてみたい。
女性を、
その気にさせるには、
なんといってもムード作りが、かんじんである。
スピードに身をまかせていると、
いつの間にか、
意識が変成し、
シンクロ率がハネ上がり、
複雑な組み合わせの、
金庫の鍵のような構造を持つ、
心の扉が開かれやすくなる。
知性の方向から攻めても、
難攻不落な城が、
感性方面から、
ウマいこと攻めると、
さほど困難をともなわず落城してしまう。
身持ちの固い、
『サユリ城』を落とすには、BMWは必殺のアイテム。
果たして・・
里見さんは、マイカーを貸してくれるだろうか?
相馬セラピーの専用駐車場へ、車を止める。
冬の光に照らされた、
三階建ての白い院内に入る。
一歩、
足を踏み入れると、
外観とは、
およそ異なる雰囲気に包囲された。
寺社を訪れたときに、
肌身を包みこみ、
意識に、
ある種の、働き掛けをしてくる・・空気。
それを、
もう少し濃厚にした感じだった。
ちょっとした・・異空間。
プラス・・独特の匂い。
「アロマの香りだ」
鼻をひくつかせて、南平が言った。
受付嬢が、小窓を開いた。
里見は、名刺を差し出し、
訪問の用向きを伝えると、
清楚なたたずまいの受付嬢は、
承知顔を向け、
助手と紹介された南平を、
チラチラと見やりながら、
内線電話でドクターに連絡した。
「里見様、
奥の先生の部屋へどうぞ。
お連れの方は、
申し訳ございませんが、
こちらで、お待ちいただくようにとのことです」
南平は、悪びれずに従った。
「どうぞおかけ下さい」
相馬医師は、
自分のデスクから離れ、
ソファーへ移動して、
向かい側の席を、
里見にすすめた。
テーブルの上に乗っている、
二つのティーカップから湯気が上がっていた。
度の強いメガネの奥の目を細め、
珍しそうに、名刺を眺めている。
「本物の探偵さんに、
会うのは初めてだ。
小説や映画にしか、
存在しない、
フィクショナルな人物だと思っていました。
ぶしつけな質問で、
申し訳ありませんが、
儲かる職業ですかな?」
里見は慎み深く、
左右に、
頭を振った。
「ハーブティーをどうぞ、
心が安らぎますぞ」
五十代の相馬医師は、
見かけとはまるで違っていた。
口を開くと、驚くほど飄々としている。
一般の人の持つ、
心のカベが (まるで) 見当たらなかった。
里見の人生で、
初めてお目にかかる、ユニークな個性であった。
作為なのか?
天然のものなのか?
計りかねるが・・
こういった 個性は、
カウンセリングの際に、
かなりの効力を発揮するに違いない。
クライアントの「構え」も、
相馬医師を目の前にすれば、
和らいでしまうことだろう。
「先般、
電話で、お話しした件でうかがいました。
断るまでもないですが、
私は警察関係者ではありません。
従って強制力はゼロです。
お答えになりたくないことは、
おっしゃらなくて結構ですから」
「里見さん、時は金なりです。
本題にいきませんか?
亡くなった弓削 敦子さんと、
門脇 陽一さんの事を、
お訊きになりたいのでしょう?」
「恐縮です・・
では早速。
弓削 敦子さんのことからうかがいます。
彼女はいつ頃から、
この、相馬セラピーへ通院されていたのでしょうか?」
「二年ほどになりますか。
私が以前、籍を置いていた、
大学病院からの紹介で、
こちらへ通院するようになりました。
彼女の病名は、
理解しやすく単純にいえば、
妄想型のパラノイアです。
平常は、
普通の人となんら変わらないが、
妄想が降りてくると、
ヒステリックになり、人格まで変容してしまう。
社会生活を営むには、
いささか、支障のあるタイプですな」
「回復の見込みは、
・・あったのでしょうか?」
「なければ、引き受けませんな。
・・カウンセリングなど」
「同じホテルに、
滞在していて、傍観したにすぎないのですが、
妄想の度合いは、
進行していた印象を受けました」
「ああ見えて、弓削さんは、
論理的な頭脳を持っていましたよ。
IQも水準レベルにありました。
直感力も相当に鋭かった。
里見さん・・
心の病を治すという行為はですな、
外科的な意味での医療行為とは、
・・わけが違う。
一歩、
いや、半歩ずつ、
辛抱強く、
慎重細心に、
推し進めていく必要があります。
ある時には前進、
ある時は後退もするでしょう。
根気がいるのです。
新しい治療法を、
導入しようとしていた矢先でした。
刺殺されるなんて無念でなりません」
相馬医師の、
驚くほど真摯なようすに、
畏敬の念を覚えた・・里見であった。




