三昧(サマディー)
興梠警部は、
一拍置いてから、
視線をタブレットへ戻した。
「じつは・・
サトミさん・・
事件とは直接関係のないネタが、ひとつ、あるのです!」
上物のアルコールと場慣れしてきたせいで、
イイ感じで緊張もほぐれ、
警部のイントネーションが、母国語に寄りになった。
「死因とは無関係なのですが、
門脇 陽一の・・・血液と尿から
『 M U D E (エム・ユー・ディー・イー) 』という麻薬成分が検出されました。
ストリートネームは・・『三昧 (サマディー)』。
近年、欧米を席巻している、新種のDrugで・・錠剤タイプのブツだそうデス。
粉砕しての・・炙りや・・吸引、
静脈注射などではなく・・経口で摂取するドラッグらしい。
海外からトラベラーが持ち込み、
日本のブラックマーケットや、クラブシーンに出回りはじめていマス。
門脇の毛髪検査の結果・・
ホトケはドラッグを、継続的に使用していました。
入手経路は・・不明!?
門脇の部屋や、予備校のロッカー、
借りていたトランクルーム等々を捜索したのですが・・
麻薬は発見できなかった。
『ドラッグ』と『発作を抑える薬』との、
服み合わせは・・特段悪くはないそう・・デス。
バッド・ケミカル(=服み合わせ)による・・死ではなかった。
自然 発生的に、発作の悪魔がやってきて、
気道と心臓に、極度の負担をもたらし、
若い門脇の生命を奪い去った。
こう考えて・・不自然はないでしょう。
一人息子を亡くした両親の落胆ぶりたるや、大変なもので、
とくに、母親の方は、半狂乱だったそうデス。
まったく・・やりきれない話だ。
ワタシも子を持つ・・・親ですから。
あとは、
設楽が『完落ち』すれば、
今回の事件は終了。
そう長くは、かからんでしょう。
これで・・オシマイ。
ワタシの手持ちのカードは全部オープンにしました」
座敷の外へ向けて、
合図の手を叩こうとする・・里見。
興梠警部は・・
厳しい表情で、
それを・・制した。
ポケットから、
和風芸者嬢が忍ばせた、
手書きのメールアドレスを抜き出すと、
卓上へ、叩きつけるように置いた。
「ゲイシャはカンベンしてください!
小芝居はタクサンです!
そろそろ引き上げることにシマス。
どうも、こういうところは、落ち着きマセン」
腰を浮かせかけた警部の厳しい表情が、
突如、
仕事の人から・・
家庭人の・・それへと変化した。
「聞いてください・・
里見さん・・
円香に三人目ができて・・安定期に入りました。
初めての女の子です。
うちは、ボーイが二人。
ボーイも・(オフコース)・ワンダフル!
でも・・わたしは、
ワイフの D N A を、
(ルックスもココロネも)
そっくり受け継いだベイビーが生まれてくるのを望んでいマス。
ノロケではなく・円香みたいな素晴らしい女性は・いません。
縁結びのアナタには足を向けて寝られない」
再び、仕事人の表情へチェンジ。
「だからこそ!
情報漏洩のリスクを承知で!
ここへ来ました!!」
「・・・ ・・・」
里見は、
黙ったまま、同調するよう、うなずき返した。
「ミスター・サトミ。たまには、遊びに来てください。」
海の向こうのヒト(ブルー・アイズ)特有の、
チャーミングなスマイルを浮かべて。
「高いお酒はアリマセンが、積もる話、山ほどアリマス。
アナタの顔を見れば、円香もヨロコブ。
それと・・
コレハ・・言ってもセン(栓)ナイことだが、
あの事件は、きっぱり忘れることです!
あれは、
神風でも吹かない限り ━━ 解決不可能!
トビッキリの難事件です。
お宮入りは・・里見サンのせいでは・・まったくない」
興梠は、
中腰のまま、
元同僚の肩をポンポンと叩いた。
それから、
封筒をつかみ、
素速くスーツの内ポケットにしまうと、立ちあがった。
ふすまを開けながら、
興梠警部は、振り向いて・・・
意味ありげに、笑い。そして言った。
「トコロデ・・
ズーッと気になっていましが・・ユーのタイピン?
スタイリストのアナタにしては、なんだか、しっくりこないセンスですねェ」
襖をピシャリと閉め、出て行った。
里見の端正な顔に、苦い笑いが、浮かぶ。
完敗で、あった!
興梠は人として深みを増し、
ひと回りも、ふた回りも大きくなった。
規律の厳しい組織での切磋琢磨。
それを・・
温かい家庭が支えている。
人生の・・ある種・・理想形だ。
里見はネクタイピンをはずした。
タイピンからは、ワイヤが伸び、
内ポケットの、
ICレコーダー(録音機)につながっていた。
U駅で山手線を降りた。
ターミナル駅だけあって、人の流動が激しい。
腕時計を見る。
午後9時08分。
里見の脳内には、数多の想念が、うごめいていた。
散歩がてら・・
頭の中を整理すべく、
ホテルとは距離のある、反対側の改札から降りた。
ビュン!と音を上げ、木枯らしが吹いた。
体感温度が、一挙に下がる。
コートの襟を立て、ポケットに手を入れる。
繁華街の雑踏にまぎれて、歩いた。
扇情的なネオンやサウンド、
そして、夜の住人たちの営為の数々が、
目の前を、通り過ぎていく。
現実感は希薄だ。
自身の靴音だけが、メトロノームのように耳に響く。
猛烈な勢いで考えを処理しているため・・夜の世界の営みが、
なにか、
別世界の出来事のように映った。
薄皮一枚 通して見ている感じだった。
倉庫のような外観をした、
雑居ビルの前で、ふいに、足を止めた。
コートのポケットに手を入れたまま、
狭い階段を足早にのぼる。
3階で足を止め、
レンタル・ビデオ店
『Riot』の自動ドアをくぐった。
ここは・・
マニア御用達の店だ。
入手困難なDVDやVHSビデオ
(輸入物も多数)が、マニアックなこだわりを持って揃えてある。
どーゆーわけか、セル専用の作品も、一部レンタルされていた。
入会金やレンタル料は、高額に設定されていた。
しかし・・
それでも・・なお・・好事家には、ありがりがたい店なのだ。
店主は、すこぶるマニアックな人物で、
己のセンスに絶対の基準を置き、
情熱をかたむけ、
作品を選択・蒐集していた。
里見探偵の趣味の一つは、映画鑑賞である。
店内を歩き、
作品のパッケージを眺め、
手書きのポップ情報を読んでいると、ついつい、時間を忘れてしまう。
迷路のような店内の奥に、
黒バックに紅蓮で文字を描いた のれん が見える。
そこには、
この店最大の売りである、
【18禁ゾーン】が、控えていた。




