謎の密室
警部の盃に、
トロっとした極上の日本酒を注ぐ、里見。
「行方知れずの、703号室の 『幻』 さん、
偽名であれ、
宿泊カードが残されていたということは、
チェックインの際に姿を見せているわけだな。
そのときに、
フロント業務についていた者の、目撃証言はないのか?」
「(ウインクして)
あいかわらず冴えてますねェ・・サトミさん!
もちろん、あります!
チェックインは17時37分。
宿泊カードに、
時刻がパンチ刻印されていたし、レジの記録も そうでした。
ホテルとしては、
比較的 忙しい時間帯ですね。
フロント応対したのは、オーナー。
昼番の鈴木サユリは、
急きょ、
チェックアウトした客室の清掃と、ベッドメイクで席をはずしていました。
常勤である清掃 係の女性三名は、
定時の15時で退館していマス」
日本酒で喉を湿らせると、
興梠警部は、
盃を木卓の上に静かに置いた。
「マボロシの客のことを、
オーナーは覚えていました」
「ほう!」
「身長は160センチ未満。
痩せ型。
ベースボール・キャップを目深にかぶり、
大きめのマスクをして、
終始、うつむき加減だったそうデス」
「声から・・受けた感じ・・
それについて、オーナーは何か言っていたか?」
「NO!
オーナーは、トシのせいか、少ーし、耳が遠いです。
ただ・・『お客の年齢は若かった』・・と証言している。
ボールペンを動かす指や手にツヤがあったというのが、
その根拠らしいです。
宿泊カードからは、オーナーの『指紋』しか、検出されなかった。
ボールペンからは、重なり合った複数の指紋が出た。
なにぶん、不特定 多数の人が、使うものですからね。
ルーム・キーやドアノブもまたしかり。
足跡も特定できず、空振りでした」
「703号室内から、
『幻』さんを、
特定するような指紋は?」
「・・・ ・・・」
両手を広げ、
肩をすくめる興梠警部。
「防犯キャメラの録画映像は、どうだ?」
「あれは、ダミーとまでは言いませんが、
まあ・・それに近い。
死角ポイントがいくつかありますし、
廊下の照明も、
震災以降の節電対策で、
基準よりルックが落としてあった。
なにぶん・・
小規模なビジネスホテルだから、
過去・・
重犯罪とは無縁だったのでしょう。
エレベーター内にキャメラの設置もなし。
防犯対策もノンビリしたものデスね。
『設楽』のオーナーには、
防犯課から、
厳しいお達しが行くハズだ」
「万事休すか!(プカプカ)」
パイプをくゆらせる里見。
「もう一つの事件に移りましょう。
メディアが 『密室殺人』と色めき立った、
同日、
705号室で死亡した男性の件の方へ。
ホトケの名は ━ 門脇 陽一。
20歳。
予備校生。
医大を目指していた。
実家は裕福。
地方で、個人病院を経営している、そこの一人息子デス。
死亡推定時刻は・・午後8時(20時)50分以降。
死体の発見は、
翌日の正午12時20分過ぎ。
これまた、かなりのタイムラグですナ。
ホトケさんは、ツインルームに一人で宿泊していました。
これは、いつものことで・・
『705号室』がお気に入りだったそうデス。
当日の経緯は・・
(早番勤務のフロント係)鈴木サユリによると、
事前に連泊や、オーバーチャージの申告がない場合は、
チェックアウト時間の午前10時より前に、
必ず、内線電話を入れて、
『延長ですか? 連泊でしょうか?』の確認を、
うかがう決まりだが、
門脇は常連客なので、
申告はなかったが、あえて、連絡を入れなかったそうです。
それに、
弓削敦子の死体が発見され、
警察がやってきて、
バタバタしていたという事情も重なったようです。
昼になっても、
門脇から連絡が入らないので、
清掃係の女性からの催促もあり、
数回にわたって、
内線電話を入れるも・・応答なし。
不安になって、オーナーに報告。
オーナーは、
マスターキーを持ってエレベーターで、
7階へ上がった。
705号のドアを繰り返しノックしたが、反応はなく。
仕方ないのでオーナーは、
清掃係の女性の立ち合いのもと、
マスターキーを使い、電子ロックを解除。
しかし・・
ドアガードが掛かっていて、室内に入れず。
それでも・・ドアを目いっぱい開いて、
スキ間から室内を覗くと、
床に倒れた、
門脇 陽一(の変死体らしきもの)を発見。
すぐに、警察に通報した。
ちょうど、
同フロアの701号室で、
『弓削敦子刺殺事件』を、
一課の刑事やら鑑識班が、
現場検証していた最中だったから、
110番通報の手間がはぶけたのは、
不幸中の幸いと、言えるかもしれませんネェ」
警察 内部には、
異常な緊張が走りました。
同じ日に、
同じホテルで、
二つの死体。
しかも・・
片やミステリー小説を、
地で行くような密室内での事件です。
自殺でなければ、
他殺の可能性も出てくる。
慎重を期して、
捜査は行われました。
ドアガードの切断には、ひどく手間取った。
頑丈なしろもので、
電動式のボルトクリッパーで切断しなければならなかった。
密室事件は、
結論からいえば、
竜頭 蛇尾に終わりました。
検死解剖の所見によれば、
門脇 陽一は、
持病の発作を発症し、ショック死に至った。
外的要因は、一切認められず。
死因は・・『病死』デス!
ホトケさんは、
ふだんから、
発作を押さえる、
強い薬を常用していたのです。
病院から、
カルテを取り寄せて、確認もしました。
当夜、
門脇を、強い発作が襲い、急死するに至った。
味気ないが・・コレが・・真相デス。
事件性は ━ ナッシング!!
ドアガード及び、
窓に、
カギが掛かっていた『密室内』で死んでいて、当然なのデス。
こうして密室の方は、あっさり幕が下りた。
メディアの側も、一挙にトーンダウン。
ただし・・
おかしな符号があったのも事実デス。
亡くなった、
〈弓削 敦子〉と〈門脇 陽一〉の二名は、
共に、
『相馬セラピー』へ通院していました。
いろいろ調べてみたが、
二人のホトケさんをつなぐ横の線というのは、出てこなかった。
単なる偶然だったようです。
セラピーへの通院に便利なので、
近場のホテルに、
宿泊していたというのが、おそらく真相でしょう。
亡くなった二人とも・・通院するには、
若干距離のあるところに、住んでいる。
それともう一点・・
門脇 陽一の死体のそばには、スマートフォンが落ちていた。
通話記録を調べてみると、
午後8時35分ごろ。
つまり、
死の少し前に、着信があったのだ。
発信者は、
『相馬セラピー』の院長
━ 相馬 純男 医師(53)━
通話時間は・・15分程度。
門脇が、
生前最後に話をした相手が、
精神科(便宜上、そう呼んでおきます)の主治医だった。
通話を終えた、
すぐ後か、
あるいは、
通話の最中に、
発作に襲われた可能性が・・アル。
検死解剖の結果が出る、
前段階だったから、
うちの担当刑事は、
相馬医師を、
密室事件のカギを握る、重要人物としてマークしました。
『相馬セラピー』を訪れ、
門脇の死亡直前の、電話での声のようすや、
会話の内容を、突っこんで訊ねましたが、
さしたる収穫は、得られずじまい。
通話中に、発作の気配は、なかったそうデス。
そして・・
解剖報告が上がってきた。
この一件は、
急転直下で終了。
・・以上です。
落ちていたスマートフォンについては、
強度の発作に襲われた門脇が、
とっさに、
救急車を呼ぼうとしたものの、
間に合わなかった・・というのが・・警察の解釈デス」
「・・・ ・・・」
沈思 黙考している里見に、
興梠警部は・・
元同僚としての、視線を向け、
なんともいえない笑いを、浮かべた。
(里見さんと一緒に事件を追っていたとき)
(ワタシはいつもワトソン役だった)
(NO!)
(ワトソン役でしかなかった! )




