取調べ室パートⅢ
取り調べ担当の刑事は、
涼を・・一瞥すると、
尋問を再開した。
「いいか・・設楽!
もう一度訊くぞ。
事件当夜、
被害者の弓削 敦子(26)が、
刺殺されたと推定される・・『午後10時前』
お前は、
別のお客に、
内線電話で呼び出され、
そのルームで、
30分ほどかけて、
空調の修理をしていたんだよな。
ここまでは、間違いないか?」
「はい、
その通りです」
「件の703号室。
シングルルームだがな、
調べてみたら、
宿泊カードに書かれた氏名は偽名、
住所と電話番号はデタラメだった。
つまり、
お前のアリバイを証明できる人物は、
『幻』のような存在なわけだ」
「・・ ・・」
「人相風体を、詳しく言ってみろ!
男か? 女か? 年齢は?」
「先般も申し上げましたとおり、女性でした。
疲れていたようすで、
こちらに背を向ける形でベッドに横たわっていました。
照明は落とされており、
枕もとのスタンドが点灯しているだけでした。
私は懐中電灯を使用し、修理を行いました」
「女性の年齢は?
若かったか? 中年?
それとも老人か?
おおまかでいいから、言ってみろ。
まさか、
赤ん坊ってことはないだろう?」
「さあ?
なにぶん、照明が充分でなかった上に、
私のほうへ背を向けていましたもので。
お年寄りや赤ん坊でなかったことは、確かです。
答えられるのは、ここまでです。
憶測で証言することは、控えさせていただきます」
「専門家に依頼して、
部屋を調べさせてもらった。
空調設備を修理したらしい形跡は、
なかったという報告が上がってきているんだがなァ」
「ええ。
修理というよりは、
微調整の類でしたから。
いかんせん、
うちのホテルは設備が老朽化しているもので」
「チッ!」
刑事は、
小さく舌打ちした。
ここのところ、
取調べのようすが変化してきていた。
刑事のいらだちが、
どこか、シンプル化しているのだ。
涼の方も、
少しばかり、やり易くなった。
余計な思考をひねくり回さずにすむ。
たぶん、
事件を構成する複雑な要素(夾雑物)が、
ふるいにかけられ、
全体像がクリアになってきたのだろう。
『完落ち』させるのだけが目的になってきている。
これはこれで・・
・・すこぶるやっかいなのだが。
「おい、設楽よ!
なにを、隠してる?
お前の、
その頑なな態度は、
アリ地獄へ通ずる一本道だぞ!
事実関係を話してみろ。
悪いようにはしないから・・なあ。
早いとこ、話すことが、
お前自身のためでもあり、
妙齢で亡くなられた、
ホトケの女性の供養にもなるんだから」
━○━○━
事件当夜は、
楠 南平が、
公休日のため、
フロント業務に就いていたのは、
涼であった。
チェックイン状況はスムース。
良好日と思われた。
涼が、
最初の内線電話を受けたのは、
━ 午後8時23分 ━
フロント専用の電話機の、
液晶モニターには、
常時、
日付と時刻が表示されている。
着信時には、
その時刻が点滅する仕組みだ。
取り乱した声の、
弓削さんから呼び出され、
オーナーにフロントをあずけ、701号室に向かった。
いつもの ストーカー・パラノイア を発症しており、
極度の興奮を示していた。
苦慮しながらも、
彼女の話を真摯に聞き、
やや落ち着きを取り戻したところで、
処方薬の、
「安定剤」を与え、
ベッドへ、
彼女を横たわらせ、
安静状態に入ったのを、見届けてから退室した。
午後9時27分。
疲労を覚えながら、フロント業務に戻った。
今度は
━ 午後9時54分 ━
703号室から内線電話が入った。
受話器を取る前に、
習慣で客室パネルに目をやり、
宿泊カードを確認する。
『高木 結』 ━ 東京在住。
初めて見る名前で、
常連さんではなかった。
「はい、フロントでございます」
電話の相手は、
うかがうような気配で、
少しの間・・
声を発しなかった。
重ねて涼・・「もしもし、フロントでございますが?」
703号のお客は、
小声で言った。
「涼にいちゃん?
わたし・・汐 坊。
ロケの合間に、
ラジオのリハがあって、
東京に戻ってきたの。
ちょっと精神的に下がっちやって。
お願い、顔を見せて。
ミスター・トランキライザー!」
「しょうがないなあ・・
いま行くから、待っといで」
「703号室の空調に、
不具合が生じましたので」
涼は、
オーナーに伝え、
懐中電灯と工具箱をたずさえ、
エレベーターに乗った。
[703]
と表示された、
臙脂色の鉄扉をノックする。
「フロントの者でございます」
返事がない。
今度は強めにノック!
すると、
パタパタっと軽やかな足音がして、
扉が開いた。
上目使いの、
小さな顔が覗く。
涼は、
包みこむような笑みを浮かべた。
視線を、なにげなく、下へ移動させる。
彼女は、
薄いベージュのキャミソール姿であった。
その内側に、
ピンクのブラと同色のショーツが透けて見えた。
速いまばたきを、繰り返す・・涼。
「キャッ!」
キャミソール子が、
小声で悲鳴を上げる。
キャミ子嬢は、
すかさず、
うしろを向いて、
相手の視線を切断!
照明スイッチをパチンと落とした。
涼は、
バツが悪そうに、
工具箱を持ったまま、まわれ右する。
背中と背中で・・ご対面。
以前より、
ふっくらした彼女の胸が、
涼の脳裏にチラついて、
なかなか・・離れてくれなかった。
・・ズイブン・・
・・大人に・・
・・なったもんだ・・
「ゴメンなさい!
疲れちゃって・・
ベッドで休んでいたものだから。
遠慮しないで入ってちょうだい」
そう言うと、
すばしっこい動きで、ベッドにもぐりこんだ。
それから、
スタンドを点灯させる。
シーツをすっぽり被っている。
小刻みに震えるシーツ。
布一枚通して、
押し殺したような泣き声が漏れてきた。
「 ・・怖くて・・怖くて・・
・・とっても・・・とっても・・不安なの!
・・胸が・・
・・締めつけられるみたいに・・苦しい!!」
「そうだよなあ・・
ラジオドラマのリハと、
テレビドラマを両立させるというのは、
確かにキツイわな。
しかも、
ハードスケジュールを縫ってだものな。
控えし、
ラジオドラマは生放送。
二重三重のバイアスとプレスだ!」
「ゴメンね!
他の人の前には、
こんなみっともない姿さらけ出せないから。
これでもいちおう・・主演女優だから。
ねえ、涼にいちゃん、
ちょっとの間、
なにか お話し してくれる」
懐中電灯と、
工具箱を、テーブルに置くと・・涼は肩をすくめた。
「困った、汐 坊だ!」
そうつぶやくと、
シーツからはみ出している黒髪を、
優しくなでてやる。
高級リンスのとても好い香りがした。
芸能界に入る前に、
使用していた、
市販のリンスとは、
香りの質が格段に違っていた。
ちょっとした・・
時の移ろいを感じてしまう。
バディに、
昔話を ひとくさりして、
疲れた心のマッサージをはかるが、
反応は、
芳しいとはいえなかった。
突如として、
涼の脳内へ、
どーゆー訳か、
辺鄙な方向から、
アイディアが降ってきた。
抗しがたい、
アイディアであった!!




