サングラスの奥
汐の眼前に、
鮮烈なイメージが広がる。
初めて、スタジオ入りした際に、
汐が挨拶をしたとき、
乙骨Pから・・頭を相当強く・・小突かれた!
文句を言ってやろうかと・・
口を開きかけた瞬間・・
サングラスの奥から発せられる 「謎の波動」 に触れた。
とたん・・
口を・・つぐまざるを得なかった。
あの波動の正体が・・「いま」・・理解できた。
━ 「優しさ」 ━ だったのだ!
「おやすみなさい。
涼にいちゃん」
ミルクティーを飲みほすと、
汐は、キッパリとした表情で、
事務室を出ていった。
まっすぐ前を向き、エレベーターに乗りこむ。
汐の身体には、気が満ちていた。
彼女のうしろ姿を見て、
主任へのリスペクトを、
新たにした・・南平であった。
三十分ほど経つと、
ポイント変装をほどこし、
ホテルをあとにする・・汐(であろう人物)を、
南平は、瞬間、見た。
なるほど・・
サユリの言ったとおり、巧みな変装だった。
なにより・・
笹森 汐の気配を感じさせない、
内面の偽装が・・効いていた。
彼女の部屋のルームキーは、
翌朝、
付き人がフロントまで持ってきた。
━○━○━
『笹森汐のラジオ哉カナ☆』は、
相変わらず、好調の波に乗っていた。
ラジオドラマ部門 ⇨ 『火の接吻』と、
DJパーソナリティー部門 ⇨ 『笹森 汐』で、
二個のギャラクシー賞にノミネートされていた。
汐のDJスキルは、
長足の進歩を遂げており、
課題だったフリートークも、
難なく・・こなせるようになっていた。
たてまえとして・・
仏頂面の乙骨Pだったが、
じっさい・・
巧い!と・・ヒザを叩くことも少なくなかった。
滑舌のよい、
シャープでテンポの速い語り口は、
内容を、
よりいっそう際立たせた。
DJ汐 坊は、
また・・インタビュアーとしても並々ならぬところを見せ、
リスナーを喜ばせた。
『哉カナ☆』は、
月一回の割合で、
(40分の長丁場)、
各界 〈政治家・財界人・芸人・職人・・等々〉 の著名人をゲストに招く、
「なにを聞こうカナ☆」 というコーナーを設けていた。
汐は・・
その準備段階で、
スタッフの作成してくれた、
『手際よくまとめられた、過不足のない資料』だけに・・頼ることなく、
左近マネが、
学生アルバイトを雇い入れ、
独自に調査した詳細な資料を持参して・・インタビューに臨んだ。
DJアイドルが、大物ゲストに、どう切りこんでいくか?
必要なのは、データではなく 「フック」 だった。
ときに・・汐は、
少ない睡眠時間を削ってまで、
資料を査読し、
映像や音声情報のある場合には、
それも視聴して、
効果的な フック を探り出すことに注力した。
それさえ見つかれば、
汐の持つ「天性の間」と「アドリブ能力」と「旬のアイドルの魅力」でもって、
インタビューは・・うまいこと転がってくれた。
これには・・
辛口の乙骨P、そしてスタッフ達も・・目を瞠った。
━○━○━
汐と激突した日の・・真夜中。
行きつけの高級クラブのカウンターでバーボンを舐めながら、
乙骨Pはヒリヒリと思考を巡らせていた。
汐との小競り合いは、
Pにとっては、ディスカッションに毛の生えたようなものだった。
マネージャーの配慮もあり、ラジオ局とプロダクションの関係にヒビが入ることはなかった。
生放送でラジオドラマをオンエアする。
これは、P としての悲願であった。
『火の接吻』は予算と時間をかけたわりに、
数字は、さほど上がらなかった。
そのことを思い出すと、好物のウォールナッツが苦虫に変わる。
Pの眉間に深いシワが刻まれた。
ヘヴィーリスナーや批評家からの受けは良かった。
ただし・・
一般のリスナーからは、
「話の内容が混み入り過ぎていて、わかりにくい」という声が多数寄せられた。
━ 『五歳の子供の格言』は、いまだに生きていたのだ! ━
常勝番組の P として、
前回のレイティングのマイナスを取り戻したいという意地も、
もちろん・・あった。
しかし・・
番組が賞金付きで公募した脚本の中に、
生放送するに足る内容を持った作品が現れたのだ。
汐坊の演ずるキャラが (生き生きと) 立っており、脇もイイ。
なにより・・
感情に強く訴えかけてくるストーリーは、
『哉カナ』 = 汐向きであった。
ついさっきまで・・
左近マネージャーと会談し、
ひざ詰め談判で頼んだのだが、
返事は・・つれなかった。
「乙骨さん、とても良い脚本だ!
笹森の代表作になる可能性を秘めている。
生放送より、練り上げた録音で行くべきだと・・私は思いますが?
いま一度・・お考えください。
現在・・汐坊のスケジュールは、
前回のレイティングのシワ寄せもあり、
調整不可能な状態のところまできている!
ここだけの話ですけど・・
笹森はアジア圏・・
特に中国での人気が高く・・
うちの社長は、そちらへの進出を目論んでいるのです。
市場の規模が、日本とは比べ物にならない。
年明け早々、
私はプロジェクトの代表として、中国に赴任することが内定しています」
ということで・・
生放送は「NO!」であった。
左近は、
タブレットを起動させ、証拠を見せてくれた、
汐のスケジュール表は・・
どうにもならないレヴェルまでに埋まっていた。
午前一時をまわった。
南平は、事務室をノックして、
中に入り、
満室を報告する。
「ご苦労さま、レジを締めよう。
きょうは、なんだか、疲れた!」
眠たそうな目をしばたかせながら・・涼は言った。
いつものことではあるけれど、
主任の言葉に、安堵をおぼえる。
レジ締めさえ終了すれば、
あとは・・こっちのものだ。
いつものように、フロントのデスクにつく、主任。
レジのお金を数え、客室管理票をチェックする。
すぐそばで、スタンドアップしている南平。
「おい、南平!
里見さんのルームチャージが入っていないじゃないか。
何回言ったらわかるんだ!
うちは、部屋の『掛け売り』をしないのが、
大原則だ。
口を酸っぱくして言ってるだろう!」
南平は姿勢をただすと、きっぱりと応じた。
「二日後の19時に支払う、という事なので、
担保をとらずに、
わたしの判断で、許可しました。
万が一、夜逃げでもされたら、
わたしの給料から、差し引いていただいて結構です!」
主任は・・
しばらくの間、部下を睨みつけていた。
やがて・・
「分かった。今の言葉に、二言はないな」
「ありません!」
「よーし!この件は、これで、終了」
素早く頭を切りかえ、レジの精算に戻る。
売り上げを、
事務室の大型金庫に納める。
釣銭用のお札と小銭、
新しい客室管理票を、
南平へ手渡した。
レジ締め完了。
残務を手早く処理すると、
南平は
コンビニへ・・買い出しにいく。
日付変更線は、とっくに、過ぎている。
楽しみにしている、
週刊マンガ誌の発売日なので、
うまいことタイミングが合えば、買い求めることができるのだ。
ひと息ついた涼は、
いつもの儀式の準備にとりかかった。
・・葉巻タイム。
木箱から、中細のお気に入りを、
一本抜きとる。
包装を剝くと、
鼻に軽く当て、香りを楽しんだ。
喫い口を切り取るために、
ナイフを取り出そうと、
上着の内ポケットに・・手を入れた。
「おや?」
ポケットにナイフがない。
別のポケットをさぐる。
やはり・・見つからない。
仕方がないので、
カッターナイフを使った。
高価な葉巻に、申し訳なく思った。
葉巻を喫い終えた頃、
コンビニの袋をさげて・・南平が戻ってきた。
「それじゃ、あとを頼んだよ」
事務室から退出する、主任。
南平は、
背面跳びの要領でピョーン!と跳ね、
ソファーに飛び乗った。
「ああー、終わった!」




