ミスター・トランキライザー
「お帰り、涼にいちゃん」
ハッ!とする南平。
いつのまにか、
彼の真横に、
汐が・・立っていたからだ!
「やあ、汐坊。
ちょうど良かった。
話があったんだ。
部屋をたずてゆく手間が省けた」
「なに?・・話って?」
涼は、
フロントの背後を指さした。
「中で話そうや、事務所へどうぞ」
ドアマンよろしく、
フロントカウンター外側の扉を開いて、
・・DJアイドルを導きいれる。
汐の好きなミルクティーを、
喫茶室で買い求め、
事務室に入っていく・・主任。
南平は、シヤットアウトされた感で・・いっぱいだ!
背後の扉に、聞き耳を・・立てる。
ソファーに腰を落ち着ける、汐。
差し向かい腰かける二人。
涼は、テーブルの上に、
湯気の立ちのぼる、紙コップを置くと、
上体をスイと近づけて、
汐の目を・・のぞきこむ。
アゴに軽く指をかけ、
小さな顔を・・クイと・・持ち上げた。
「きょう・・大泣きしたね。
なにがあったのか・・話してごらん」
汐の顔が、変化した。
表情のバリアが消え去り、
哀しみが浮かび上がる。
・・ベソをかき・・
・・大粒の涙をこぼして・・
・・しゃくりあげる・・
昔と、
少しも変わっていない。
涼は、
自分のハンカチで涙を拭ってやる。
「乙骨プロデューサーと衝突しちゃって・・」
ヒクヒクしながら、
「『火の接吻』の数字がイマイチだったから・・
今度のレイティングでは、
ラジオドラマを・・生放送で・・オンエアするというわけ。
スケジュールがぎっしりで・・とても・・ムリだもん。
初ライブのリハもあるし、
テレビの単発ドラマの収録ともダブる。
現状では、
台本を頭に入れるので精いっぱい!
録り直しの・・きかない・・ぶっつけは、
いまの私には・・到底・・不可能。
だから・・
強硬に反対したの!
そうしたら・・
モノ凄い剣幕で・・『お前なんかヤメちまえ!』って。
カチンと来て・・
汐も・・台本を投げつけて・・言ってやったの、
『こんな番組なんか、降りてやる!』って。
スタッフはボー然としてた。
私・・ワケわかんなくなちゃって・・スタジオを飛びだしたの。
マネージャーは真っ青になって、
関係の修復に躍起になってる。
もーう・・最悪・・どうにもならない」
小さな顔を、左右に振り振り、泣きじゃくる。
涼は、
悩めるアイドルの横にポジショニングを移し、
背中をさすってやる。
「うん、うん」 と、うなずき、
「分かっているさ」 と、あいづちを打つ。
どしゃぶり泣きから・・普通泣きへ。
雨量が・・落ち着きを示してきた。
「乙骨さんのことだから、
どんなリスクを負っても、
生放送を敢行するだろうし、
また・・そういう人でなければ、
とても・・
『哉カナ』という番組を立ち上げ、
軌道に乗せることは・・できなかった!
飼い犬に手を咬まれたぐらいに思ってるよ・・きっと。
あの人・・私のこと・・
所有物ぐらいに・・思ってるから。
有能なチームと・・
離れ離れになってしまうのは、本当にツライ!
もう少し、
仕事量を、
抑えられたら、
ラジオに・・力を注げるのに・・」
「いっそ、
入院休暇でもとっちまったら、どーだい?
バディ?」
「・・ ・・」曇天。
「経験則を言わせてもらうよ。
困難な状況にあるときこそ、
前向きに、ぶつかっていくべきだな。
予期しない方角から、道が開けてくるものだ。
いまの・・汐坊に、
負の感情を捨てろ!
というのは・・酷かもしれん。
しかし、
限界を超えようと尽力して、
それで倒れたら名誉の負傷さ。
誰も文句は、言わない。
ほら・・
題名は・・ド忘れしたけど、
先週・・放送された・・ラジオドラマ」
━○━○━
(あらすじ)
ある好天の日・・
小型船で、単身 漁に出た・・船乗り(=汐の役)。
ここのところオケラ続きだったので、
射幸心を起こし、
一か八かの賭けに出て・・禁漁海域へ向かう。
思惑通りの大漁で・・ほくそ笑む・・船乗り。
悠々・・帰船の途中。
不意に!
ツバメ突風が襲いかかり!
マストを真っ二つに・・折った!
瞬く間に、月が雲に隠れた。 漆黒の闇。
ボー然とする・・船乗り!
天候が・・見る見る間に・・激変!!
小型船は強風に押し流されるように・・
凄ざまじいスピードで、
黒檀の漏斗を想起させる、
巨大な渦巻きへ・・直進してゆく。
抗う術は、ない!
大渦巻きへ・・まともに・・突入する・・小型船。
怒号を上げる、
大渦巻きから、
生還した者は、
かつて・・一人もいない!
恐怖のあまり・・
正気を失い・・
慟哭する・・主人公!
(この場面での、汐の演技は、圧巻!)
(素晴らしい想像力を発揮してみせた!)
船は、
凄ざまじい速度で回転し、
遠心力を保ちながら、
船体を傾け、
漏斗の底へ(奈落の底へ)、
・・滑落・・降下してゆく!
━ 死と背中合わせ ━
その時!!
━ 潜在力が発動された ━
主人公は、
いまわの際に・・諦めること・・を止める!
勇気を奮い起こし、
閉じていたマブタを開き、
大渦巻きの性質を、
コンマ単位の秒数で、
冷静に観察して・・見究めてゆく。
極限状態の中、
冷静な判断を下し、
いざ・・行動・・開始。
自分の身体を、樽に縛りつけ、
小型船を捨て・・海へ・・飛び込む!
直後、
小型船は、
船体を激しく傾け、
大渦巻きの漏斗の底へ呑みこまれ、
・・海の藻屑となった。
大渦巻きは・・止んだ。
広大な海。
月灯り。
そして・・静寂。
小型船の残骸が・・
そこかしこに・・浮かんでいる。
樽と共に、
大海原に、
プカリと浮かんでいる・・主人公。
黒々とした、船乗りの髪の毛は、
真っ白に・・変わって・・いた。
━○━○━
「絶対絶命のピンチに、
目を閉じるか・・開くかで、 結果は・・天と地ほども違った。
正念場を・・乗り越えるという行為・・
そいつは・・ある意味・・紙一重なのでは?」
涼は、一息つき、
親指をグイと立てると・・口を開いた。
「バディ!
先週のラジオドラマは、心に刺さった!
演技やサウンド、
すべてが・・迫真性に富んでいた」
「うん!
『モスケン・シュトレームに呑まれて!』の収録はノッたな!
サウンドクリエイターが、
飛びっ切りの音を、作ってくれたの!
ファースト視聴会のとき・・
スタッフ一同とバンザイしちやった!」
涙は・・止まり、
汐の・・顔に、
少しばかりの・・晴れ間が・・のぞいた。
「エヘヘ。
なんか・・涼にいちゃんと・・話したら、
落ち着いちゃった。
ありがとう! ミスター・トランキライザー◎」
冷めたミルクティーを、コクコク飲む。
「ようやく、思い出したよ!」
深くうなずいて、涼。
「なにを?」
「以前どこかで、
乙骨さんを、
見た覚えがあると・・言ったろう?
そう、あれは、
汐坊のオーディションのときだ。
審査員の一人に、
サングラスをかけた、感じの悪い男がいた。
彼は、公開審査で、
ボーダーすれすれの・・『笹森 汐』・・とかいう名前の子を、
強引に・・推薦していたっけな」




