サウンド・クリエイター
素材にエフェクトやミキシング処理を加えるべき、か?
乙骨Pは・・結論を・・保留とした。
「彼に相談してみよう」
独り言をつぶやき、スマートフォンを取り上げた。
「どうしたものかねえ・・瞬さん?」
珍しく、
乙骨は、へりくだった口調でたずねた。
瞬さんと呼ばれた人物は、
ラジオ局内の副調整室で、ミキサー卓の前に腰かけ、
目の玉の飛び出るような値段のマイ・ヘッドフォンを耳に当てて、
レイティング用の・・なんの編集も、エフェクトも施されていない・・音声ドラマを聴いていた。
《久世 瞬》
乙骨より、
遥かに年長の瞬さんは、大学の先輩にあたる。
乙骨Pの・・
岩をも動かす情熱と、
執念ともいえる、
夜討ち朝駆け攻勢に、折れる格好で、
『哉カナ』のサウンドクリエーターを、匿名を条件に、引き受けてくれていた。
『哉カナ』が、
他のラジオドラマと一線を画す秘訣(要因のひとつ)が、
瞬さんのセンスに負っていることは・・スタッフ全員の認めるところであった。
瞬さんと呼ばれる・・彼は、
ノイズ・ミュージック界では ━知る人ぞ知る━ 存在で、
一部では ━音のカリスマと━ 崇められていた。
定職を持たず、
親の遺してくれた巨額の財産を管理しながら暮らしていた。
日がな一日・・
自身の所有するスタジオにこもり、
3~4年に一度の割合で・・アルバムを発表していた。
こういう、
ジョーカーのような人物を、
引っ張り出してこれるところに、
乙骨の、
プロデューサーとしての才腕が、あった。
デモテープみたいな・・音声ドラマを聴き終えると、
久世は、
ヘッドフォンをゆっくりとはずして・・一呼吸置き・・言った。
「このままでいい。
ミキシング加工は必要ない」
「しかし・・
瞬さん・・
汐坊の演じ分けは、あまりに、微妙ライン過ぎて・・
プロならともかく、
一般のリスナーに ◆『二人の彼女』◆ を聴き分けするのは・・
厳しくないスかね」
「そいつは、杞憂ってやつだ。
ものごとは、蟻の一穴から、瓦解しちまうぜ。
リスナーの感性に・・委ねちまいなよ」
「番組は・・
一部の好事家だけの・・ものじゃないですよ」
「・・昔昔さ・・
『観客は五歳の子供だと思え!何度も繰り返せ!』と、
のたもうたハリウッドの大プロデューサーがいたが・・いまの時代は違うぜ。
コンテンツは、ネットなどを通じて、
いつでも自由に手に入る時代だ。
気の利いたリスナーなら、繰り返し聴くだろう。
過保護ほど、胸クソのわるいもんは、ねエよ。
第一・・
ここまでの芝居をした・・汐坊に・・失礼にあたるわな。
結局のところ、
俺らの心に残っている・・音なり・・映画なりってのは、
ギリギリのバランスで表現されたやつだ。
違うかい?・・乙骨っちゃん?」
「・・ ・・ ・・」
「あんたの秘蔵っ子・・汐坊の、
大ヒット映画にしてからが、
説明的なショットは・・ほぼ皆無じゃないか。
以上は・・オレの意見。
決めるのは、
乙骨っちゃん・・プロデューサーの、あんただ!」
「・・ ・・ ・・」
乙骨Pはみけんにシワを寄せ・・黙りこくってしまった。
沈黙 の 間。
焦燥の時間が刻まれていく。
「こう考えてみたらどうだい?
今回は・・『率より質』・・だと」
乙骨は、
しばらく逡巡していたが、
瞬さんから放たれた・・『言葉』で・・態度を決めた。
「うむ・・
リスナーに勝負を・・賭けてみるか!」
「おう、その意気だ」
「ええ!
オンエア・・期待していてください」
乙骨Pの表情から硬さが取りはらわれた。
「ところで・・つかぬことを訊くが、
汐坊は・・板ァ・・踏んだことはあるのかい?」
「板?
・・ああ・・・舞台のこと。
ないはずですよ。
彼女は、音と映像の、申し子みたいなものですから」
「板は、役者の基本でありゴールだ。
汐坊は・・まぎれもなく・・高次の才能に恵まれている。
しかし・・
なにかが・・
決定的に・・欠けても・・いる。
『鉄は熱いうちに打て!』の格言にもある通り、
いま、やっておかないと手遅れになるかもしれない・・な」
乙骨Pは、背中に、
多量の冷や汗を、かいていた。
「(見巧者にかかると、
汐坊の弱点など・・自明であるのか・・)」




