芸能界へ
このあとが・・ひと苦労だった。
予想通り、
汐の母親は、
芸能界入りに、
大反対したのだ。
汐自身が、
ねばり強い説得を、
重ねていった。
━「単なる憧れではなく、本気なのだ」━と!
火付け役である、
涼は、
立場上、
汐をサポートしたが、
(オーディションにエントリーしたことを)
無責任で、
軽率な行為だったと後悔した。
痛いほどに、
母親の気持ちが、
斟酌できたからだ。
どの世界でも
『成功者』になれるのは、
ほんのひと握り。
ほとんどの者が失敗し、
挫折を味わう。
「グランプリ」や「準グランプリ」受賞での、
芸能界入りならともかく、
補欠合格 なのだ。
プロ志望者たちのレヴェルは、
「高い」と言わざるをえない。
不安が、
楽観を駆逐した。
芸能界というキビシイ世界に入って、
汐坊は、
本当に大丈夫だろうか?
オレだって、
ミュージシャンの夢破れた挫折組だ。
涼の後悔をよそに、
事態は、
どんどん進行していった。
汐は、
とうとう
実力行使に、
踏み切った。
ハンストを決行したのだ!
五日後に、
母親は折れた。
母親と涼の心配(質は違うけれど)を背に、
汐は、
中学二年の秋、
芸能界入りするため、
プロダクションの寮へ入った。
その後しばらく・・
涼は、
汐の母から、
恨みを買うことになった。
入寮した、
補欠合格の汐。
すぐに・・彼女は・・
苦い現実を知ることになる。
プロダクションからは、
まったくと言っていいほど、
期待されていなかったのだ。
一週間も過ぎると、
誰もチヤホヤしてくれなくなった。
グランプリ受賞者の、
一歳上の女の子とは、
待遇の違いにおいて、
歴然とした差があった。
グランプリの彼女は、
出世部屋といわれる・・個室。
汐は、
相部屋であった。
グランプリ嬢が、
主演女優なら、
汐は、
エキストラ扱いだ。
見習い期間の半年は、
学校から帰ると、
歌とダンスと芝居のレッスン、
あとは事務所でのお茶くみ。
グランプリ嬢は・・お茶くみ免除。
月給制ではなく、
インセンティブ契約のため、
給料は、
寮費を引かれると、
限りなく・・ゼロに近かった。
食と住の心配はなかったが、
最小限の衣料品や、
身の回りの物をそろえるための、
お金は必要だったので、
母親からの仕送りでまかなった。
ATMでお金をおろすときに、
懸命に働く、
お母さんの姿が、
目の前に浮かび上がった。
・・心が痛んだ。
プロダクションに所属することが決まったときに、
自分名義の通帳とカードを、
初めて作った。
大人への階段を、
一段のぼったようで嬉しかった。
ATMが・・
哀しい気分を、
呼び起こす場所になるなんて、
想像もしなかった。
エキストラの仕事は、
掃いて捨てるほどあったので、
給料の手取りを、
少しでも増やそうと、
近場遠方を問わず、
事務所の許可をもらい、
積極的に、
仕出しへ参加した。
遠目に有名人を見るのは、
楽しかったし、
やる気をかき立てられた。
スターのパブリックイメージと、
素とのギャップには、
ちょっとビックリさせられたけれど、
(いい意味でも・・悪い意味でも)
その結果として、
学業を犠牲にすることになってしまったが、
やむをえない。
背に腹は、代えられなかった。
このことが、
のちに 母親に知れ、
母娘関係はフリーズした。
━「芸能界に入っても、
勉強だけは、怠らない!」━
涙の誓いを、
あっさり・・破ってしまったのだから。
翌月から、
仕送りはストップされた。
困ったなァ・・と嘆息していると、
心当たりのない個人名で、
現金書留が届いた。
(定規を使って書いたような筆跡であった)
以降、
定期的に、
同じ額が、
現金書留で、
送られてくるようになった。
汐には、
なんとなく、
送り主の見当がついた。
(涼にいちゃんが)
(縁もゆかりもない私なんかを)
(気にかけて 送金してくれる・・)
元々ムダ遣いを、
しないタイプの汐ではあったが、
よりいっそう、
倹約を心がけるようになった。
(絶対に)
(有名になって)
(恩返しをしなくっちゃ!)
汐は、強く思った!
信念になるほど、
固く ━ 強く。