バトン・タッチ
午後十時。
予約客は、すべてチェックインした。
急用のできたため、
中途チェックアウトするお客が出るも、
南平は、素早く清掃を済ませ、
新規のお客を光速ブッキング!
ホテルにささやかな利益をもたらした。
きょうは・・快調なペースである。
南平は、
ホテルの看板ライトを落とし、
一階入り口の、
立て看板を裏返し、
『空室あり』から『満室』へと・・チェンジした。
フロントに戻ると、
女の子の母親が待っていて、
娘の世話のお礼を言い、
部屋代を小銭混じりで、
恥ずかしそうに・・支払った。
南平は、
その表情には、
気づかぬふうを装い・・受け取った。
ふと、頭をよぎった疑問を、口にしてみる南平。
「娘さん・・
昼間は・・なにをしているんですか?」
「楠さんの・・いらっしゃらないときは・・
部屋の窓から・・外を眺めています。
飽きることなく・・ずーっと。
いつもご迷惑をおかけしてしまって・・申し訳ありません。
おかげで・・私も、
主人の行方を探すことができます」
「見つかるといいですね、ご主人」
「根はマジメ、仕事にも熱心だったんです。
この子が生まれて、
しばらく経つと、
まるで人が変わったようになってしまいました」
母親は、
わが娘を見て、
化粧の落ちた、
やつれた顔に、
弱々しい笑みを浮かべた。
南平は黙ったままでいた。
気休めの言葉など、
なんの役にも立ちゃしない。
母親が合図すると、
女の子はフロントから出て、エレベーターへ向かう。
親子は、
部屋に引き取って行った。
エレベーター待ちのさい、
母親はフロントに、深々と頭を下げた。
客室管理用紙と、
レジのお金を照合している南平。
「ピッタリ一致したぞ。よしよし!」
フロントまわりに誰もいないこと、
エレベーターが動く気配のないことを、
確かめると、
レジの鍵を閉め、キーをポケットに入れ、
・・フロントから離れた。
息抜きタイムだ。
喫茶室へ行き、夜景を眺める。
明るいフロントから、
ほとんど照明の落とされた、
ほの暗い喫茶室に来ると、安堵感を覚える。
幸い、いまの時間、
喫茶室に、お客は誰もいない。
短いけれど・・貴重なひととき。
背中や後頭部から、
幽体のように、
ストレス邪気が、モワモワ抜けていく。
販売機でアイスコーヒーを買い。
手の中の紙コップをゆっくり回す、
細かい氷が、ぶつかり合い、
快にして涼な音を立てる。
心のざわめきが静まっていく。
パチンコ店の煌々たるネオンが、
一斉に消えた。
街の一角が、
一瞬にして、闇へのみ込まれる。
カタン!
エレベーターの開く音が聞こえた。
紙コップを持ったまま、フロントまで駆けもどる。
降りて来たのは・・なんと・・弓削さん。
周りをうかがうように、
視線を巡らせ、
深刻な顔つきで・・近づいてくる。
「あのォ・・まだ誰か、
わたくしの後を尾けている人が、いるんですの、」
今夜は、本当にメモを取り、
真剣に話を聞くふりをする。
この関門さえ、
通過してしまえば、
・・あとは自由が待っている。
そう、
自分に言い聞かせて。
南平の接客テクニックでは、
弓削さんには、歯がたたない。
彼女は・・
華奢な見かけに似合わず・・
恐るべきパワーの持ち主なのだから。
われながら、芸のないコトよ、と思いつつも、
オーソドックスな応対で臨む・・しかない。
【誠実に勝る接客なし】
オーナーの口癖である。
弓削さん相手に、
当たらずさわらずの応対を続けていると、
ビリビリッ!と・・
静電気が発生した。
パチン!
不穏な音を立て、
弓削さんスイッチが入った!
彼女の眉間にシワが寄る。
顔色が、みるみる、変わる。
周囲の空気が・・ミシミシきしむ。
両肩がブルブルっと震え、
怒りが・・脳天から・・つま先に急降下。
そして、急上昇。
「(来るぞ、マイナス・ロケット!)」
身構える南平。
「どぉ━━━━うして?!」
ズドーン!
南平を直撃した。
今夜は、
いつもに輪をかけて、
激しく・・強引だ。
あつかいにくいったら・・ありゃしない!
「フロントさん!
先日、張り込んでいた刑事さんは、
どぉ━━━うしたのですか?
事後の説明は、してくれないのですか?
いったい、ことの顛末は、ど━うなったのですか?
ストーカーはつかまったのですか?
ど━うして! ど━━うして!! ど━━━うして!!!」
刑事だと?
さっぱりワケが分らん。
妄想の度合いは、
いよいよ危険水域に達したようだ。
しかたがない・・
主任にヘルプしてもらおう。
複数対応に、
切り替えた方がよさそうだ。
事務室のドアをノックしようとした・・とき。
カタン!
エレベーターのドアが開いた。
南平は、
さっと、正面に向きなおる。
一拍置いて、出て来たのは、
パイプをくわえた里見であった。
探偵は、
フロントをチラッと見やると、
事情を察したらしく、
弓削さんに近づいて、名刺を差しだした。
「こんばんは!
里見というものです。
防犯についてのお話は、
そちらのロビーでうかがいますよ。お譲さん」
里見の、
アルファー波をたっぷり含んだ口調は、
弓削さんの怒気を・・しぼませていった。
彼女はキョトン!とした表情で、
ロビーの椅子にちょこんと・・腰を落ち着ける。
さっきまでとは・・うって変わって、
おとなしくなったノーマル弓削さんは、
探偵の前で・・かしこまっていた。
弓削さんの背中越しから、
片手で拝むポーズをして、
無言の感謝を、送信する南平
お安いご用さ!
と、
里見は・・軽くうなずいてみせた。




