車いすの女の子
九月も中旬に入った。
汐の主演した、
『小さな太陽』は、大ヒット。
興行収入は、50億円を突破した。
どうやら・・「化けた」・・ようだ。
現時点で、
今年の実写の邦画では・・ナンバーワン。
今夜もまた、
フロント業務に就いている、南平。
客室状況は申し分なく、
午後八時現在、
滞在と予約で満室であった。
電話での当日予約は、ていねいに断った。
PC並びケータイのサイトの表示を、
【No vacancy(満室)】に変え、
飛びこみのお客には、
近場のホテルへ、電話を入れ、
空室状況を確認して、
空きがあれば、そちらを紹介、
ない場合は、
割引券を渡して、カプセルサウナへ行ってもらった。
ここ・・
一週間ばかり・・
南平の表情は・・
いささか、精彩を欠いていた。
理由は簡単。
『車いすの少女』のせいである。
フロント内で、
隣の場所に、
陣取っている、
満七歳になる女の子が、
どーゆーわけか、
南平のそばから、離れないのだ。
八月の終わり頃、
六階のツインルームにチェックインした夫婦の子供なのだが、
父親が蒸発してしまい、
現在は、
母親とふたりきりで、宿泊していた。
この娘は、
南平のことを、気に入ったみたいで、
六階から・・車いすを操って・・やって来ては、
フロント内に、勝手に、入りこんでくるのだ。
母親が注意しても、
その場から、動こうとしなかった。
女の子は、
「あー、うー」ぐらいしか、
言葉を発することができない。
かなり、ひんぱんにヨダレを垂らすので、
南平は、
保護者よろしく・・ティッシュで拭いてやる。
こういうコトは、大の苦手であった。
イヤでイヤでしょうがない。
しかし・・
仕事という枠内に嵌めこむことによって、
かろうじてこなすことが、できた。
近くで見ると、よく分かるのだが、
この娘の目には・・光がない。
・・ただ闇があるだけだ・・
・・底の知れない・・闇・・
はじめのうちこそ・・母親も、
娘を、
部屋に連れ戻そうと尽力したが、
しまいには、あきらめて、南平まかせに、してしまっていた。
まかされた方としては、
エライ迷惑なのだが、
母親の腰が低いこと、
なにより、
娘を心から思っているようすが、
伝わってきたので、
文句を言わず・・子守り役を引き受けていた。
母親は、
旦那が消えてしまったあと、
金策には、
そうとう苦労しているようで、
宿泊代に・・小銭が混ざることがあり、
受け取る方としても、心苦しかった。
母娘二人で、シングルルームへ移ることを、
主任は、すすめたが・・
「主人は、必ず、帰ってきますから」
母親は、拒否した。
ヨダレ掛けをして、
車いすに座っている女の子を見ていると、
やりきれない気持ちになる・・。
お世辞にも・・可愛いとはいえないルックスだし。
養護学校にも、通っていない。
この娘の未来というものが・・まったく視えてこないのだ。
妻子を置き去りにして、
蒸発した男の気持ちも・・分からなくはない。
子育てというものが、
大変であろうことは、
若い南平にも、想像はついた。
ましてや、この娘を育て上げるのには、
二倍三倍の苦労が伴うはずだ。
どこに希望を・・見出せばいいのだろう。
父親は、
わが娘の目に、
絶望を見たに違いない。
人生・・どこかに、
希望の光がなければ・・苦しいばかりだ。
行方をくらましてしまったことを、
無責任な行為だと、
いちがいには・・責めるコトはできない。
残された母娘は、
この先・・どうなっていくのか?
女の子は、
足に比べて、
手は、
比較的自由に使えるようで、
南平が、
自販機でコーラ買ってあげると、
缶を、
変に細い両手で持ち、コクコクと飲んだ。
発育不全のアンバランスな肉体、
表情のない顔というのは、
いささか不気味であったが、
まあ、おとなしく飲んでいるのは・・よろしきことである。
お客の中には、
趣味の悪い冗談を言う者がいて、
━「よう、きみの隠し子かい?」ー
━「子守りのアルバイトと、かけ持ちとは感心だ」ー
━「お似合いだヨ、お二人さん」ー
などと・・南平を冷やかすのだ。
オーナーの奥さんも、顔をほころばせ、
「ホホホ、そうやってふたり並んでいると、
かつての、
涼さんと汐ちゃんを想い出すわ」
なつかしそうに、目を細めた。
「(冗談じゃないぜ!
主任には笹森汐で、
オレには・・
ロクに口もきけないこの子かい!)」
背後のドアが、不意に開いた。
ピョイ!と顔を出した、
涼は、
女の子にウェハースチョコを進呈すると、
南平を見て、
ニヤニヤ笑い、
後輩の肩を、ポン!ポン!叩いた。
そして・・
奇術のヘビみたいに、
素早く、
事務室へ引っ込んだ。
歴史は繰り返す。
ただし・・
いささか・・歪んだ形で。
主任の横には今をときめくDJアイドルが・・いた。
南平の横には・・・




