サユリと南平
お盆が過ぎ去り・・
八月も第四週になると、
ホテルはいつもの活気を、取り戻した。
午前八時。
「ありがとうございました。またお越しくださいませ!」
チェックアウトの精算を済ませ、
きびきびとした口調で、お客を送り出す南平。
喫茶室では、
早朝出勤の鈴木サユリが、
奥さんを手伝い、
朝食サービスの調理補助と、
ウエイトレスをしていた。
住み込みの女性・・(阿久津さん)・・が、
帰省のための、休暇を取ったからである。
トースト&タマゴ焼き&サラダ。
飲みものは、コーヒーか紅茶かミルク。
シンプルな一品メニュー。
500円の朝食サービスを、
平均して、
毎日十人は利用した。
奥さんの、こしらえるタマゴ焼きは好評だ。
撹拌したタマゴに、
少量の生クリームとマヨネーズを混ぜ、
塩・コショーして、バターを使い、
強火で、一気に焼き上げる。
ふっくらとして、中身ジューシー。
コーヒーも、
ありきたりを避けるべく、
毎朝 豆を挽き、
新鮮な味と香りを提供していた。
コーヒー豆は月ごとにチェンジして、マンネリ感を遠ざけていた。
朝の事務室には、誰もいない。
フロントの者は、
事務室内に用意された、
サービスと同じメニューの、朝食を食べながら、
チェックアウト業務を行う。
一見、
大変そうに見えるけれど、
慣れれば、どうという事はない。
毎度のことだが、
仮眠明けのコーヒーは、
胃に、しみ入るようだった。
午前九時三十分。
朝食サービスの手伝いを終えたサユリは、
南平から、フロントを引き継ぐ。
レジの中身を確認。
連絡事項が、
箇条書きされたノートを見ながら、
○宿泊代未収室。
○オーバーチャージ発生室。
○ルーム・チエンジ。
○宅配便サービス。
○クレームの有無。
○クリーニングサービスの依頼・・等々。
仔細な、申し送りが行われる。
南平は、退勤の十時までに、
残された時間内で、ルーム・チエンジ等をすませる。
あとは、
シャワーを浴びて、帰るだけ。
私服に着替えた南平は、
さっぱりした顔で、フロント階へ、降りて来た。
サユリは、
丁寧な電話の応対をしている。
L字型に区切られたカウンターを持つフロントへ、
近づいていく。
L字の短い側から、
サユリの、
色白の横顔を眺める。
電話を切ると、
ふんわりとしたブラウンの長い髪の持ち主である彼女は、
こちらを向き、
ゼロ円ではありませんよという・・笑顔を浮かべる。
「南平さん、お疲れさまでした!」
「サユリちゃん。
今度・・二人きりで、
飲みに行くというのは・・あり?」
「えーっ、南平さんとですか?」
「『えーっ?』というリアクションは、どーゆー含み?」
「主任とだったら、喜んで行っちゃうんだけどな」
サユリがメガネの奥から、
意味深な、視線を向けてくる。
「主任とぼくとでは、
そんなに差があるワケ?
・・サユリちゃんの中では?」
ショックを隠せない南平(けっこう、モテる方だった)。
「いまは・・ともかく・・
婚約前の主任は、
とても魅力があったと思います」
「ほーっ、そういうことね。
婚約後は、手の平返し!
怖いなー・・女性は・・」
「短絡しないで下さい!
以前の主任には・・核があった。
南平さんには、ソレが感じられない。
内面から、
にじみ出るサムシングこそ、重要なんです。
・・私にとっては!」
ニコやかで柔らかい口調、
しかし・・
内容は辛らつ。
「サユリちゃんの基準に立つと、
ぼくに、可能性なしってわけ?」
サユリは相手から目をそらし、
ちょっぴり唇をとがらせて、
「だって、南平さんには、
れっきとした彼女が、いるじゃないですか」
「ああ、教育実習生のね・・
少し前に別れたよ。
関係が、煮詰まっちまってね。
長く付き合っていくのは難しいよ。
男女間のエゴの相克というのは、
・・永遠の課題だから」
「そこを、乗り越えてこそ、
関係は・・本物になるんですよ!
南平さんは、
なにかにつけて器用だから、
ものごとを・・比較的簡単にこなせてしまう。
そのせいか、どうも淡白で、冷めた感じ。
・・歯痒くって、もどかしい」
「サユリとちゃんだったら、長続きしそう。
だから・・お願い!
いい返事・・聞かせて。
二次会のカラオケ代も持つからさあ」
手を合わせ、
拝みたおす・・南平。
「知らない!」
困ったように、
相手に背を向ける、サユリ。
エレベーターのドアが開いた。
「おはようございます、オーナー」
サユリの声に、
ハッ!とふり返る、南平。
オーナーにあいさつを済ませると、
逃げるように、ホテルを出た。
男女関係には、
厳しいモラルを持っている人なのだ・・オーナーは。
主任が、
意外なほどスピーディーに婚約を交わしたのは、
オーナーの存在が影を落としているというのが、
南平の見解であった。




