ウォッカ・ボンボン
あわててウェイターがやってきた。
ワイン溜りのできたテーブル上を、
すみやかに片づけ、
テーブルクロスの交換を済ませる。
短時間で、テーブルは、もと通りになった。
「どうかしたン?」
心配そうな表情で、
彼氏に・・見入る冴子。
「いや・・
なにやら、
おかしな気配を、感じたものだから・・」
首を伸ばして、
涼の背後周辺をうかがう、冴子。
「なにを、怪談みたいなこと言ってはるの?
変わったことなど・・なにも、あらへんよ」
「(この人、見かけによらず、怖がりなのかな?)」
冴子は、
婚約者の意外な一面を、
見た気がした。
包みこむような笑顔をつくり、
安心へと、
彼氏を、導いてあげる。
ふたりのテーブルの、
死角に位置する場所に、
腰かけた人物は、
撮影したばかりのスマホを、テーブル上に置いた。
カメラのモニターには、
涼の姿と、
冴子の顔が・・ 写っていた。
ふたりはレストランを出ると、
タクシーに乗り、
予約していたシティホテルへ向かった。
八月の半ば。
お盆である。
出張してくるビジネスマンは、いない。
この時期・・ホテルはヒマなのです。
全客室の、
三分の一以上は、空室だった。
お盆どきは、フロントも、のんびりしている。
いつものピーンと張つめた、
待ちの緊張感というものはない。
浜辺で、
のんびり、
寝そべっているような雰囲気だった。
午後六時四十五分。
主任が、エレベーターで降りて来た。
緩みのうかがえる南平の表情で、
涼には、
客室状況が把握できた。
「ぜんぜんダメか?」
「はい。まったく動きがありません」
あくびをこらえて・・南平は言う。
「そうだろうな。
お盆の時期・・
東京は、ガラ空きだ」
「弓削さんすら、降りてきません」
フロント前のロビーから、
スポーツ新聞を拝借して、
事務室へ入っていく、涼。
ソファーに腰をおろし、
バインダーから新聞をはずして、紙面を読んでいく。
高校野球の結果をチェック。
競馬欄を入念に読み、
最後に、芸能面へと・・たどり着いた。
映画の興行成績が載っていた。
汐の主演した、
『小さな太陽』は、ランキング3位。
快調なすべり出しだ。
「ほー、やるな。たいしたもんじゃないか」
首位は、
ハリウッドの超大作 ━ これはしかたがないだろう。
2位は、国産のアニメ映画だった。
興行を分析した記事は、
以下のように、結ばれていた。
━ 〈『小さな太陽』は、
観客を、発熱させるポテンシャルを備えている。
化ける可能性あり!〉 ━
汐坊は、
映画のキャンペーンで、
日本全国を飛びまわっている。
暑い中、ご苦労さんだ。
新聞を読み終えると、
郵便物の整理に取りかかる。
大きな包みが、
涼のデスクの横に立てかけてあった。
包装を解く。
試写会のときに撮影した、パネル写真であった。
やや緊張気味な表情の涼の、
左隣に、
可憐でありながらも、
華のある、
・・汐の姿があった。
パネル写真から、
あの時の、あの時間、
汐の腕から伝わってきた、
体温までもが、想起される。
・・・・・・・・・・・・
汐坊は、
湯たんぽのように温かい。
以前・・二人で、
高尾山へ、
ハイキングに出かけたことがあった。
新鮮な空気、美しい自然、
涼の母の手作りのお弁当を、
満喫した汐は、
帰りの電車に乗るころには、ぐったりしてしまった。
汐坊というヒトは、
楽しむ時は、
一粒たりとも、残さず、
徹底的に、
楽しみ切ってしまうタイプであった。
ホテルまでの道のり、
汐坊を、
おぶって、帰って来た。
肩越しに覗く、
安心しきった小さな顔や、
背中に感じるポカポカした温かさ。
いまでも記憶に鮮やかだ。
このハイキングで、
汐の本質が、
理解できた。
一見、
遠慮がちで、
引っ込み思案のように見えるけれど、
とんでもない!
内面には、
燃えたぎるような、情熱を宿していた。
涼は、
そんな小さな相棒を、
ウイスキー・ボンボンならぬ ━『ウォッカ・ボンボン』━ と命名した。
ウイスキーより、
度数の強いアルコール ━〈内面〉━ を、
チョコレートでコーティングしているさまは、
まさに、
汐坊そのものではないか。
そう呼ばれて、はじめはキョトン!としていた汐だったが、
このニックネームは気に入ったと見え、
のちに・・
彼女の『ファン倶楽部』の名称となった。
・・・・・・・・・・・・
パネルを眺めていると、スマートフォンが鳴った。
発信者は、婚約者の冴子。
涼は、
パネルを裏側にして、ソファーに立てかけると、
電話に出た。
特段、用事があるわけではない。
いわゆるラブコールだ。
涼は、必要以外、
あまり・・メールも電話もしないタイプで、
冴子には、それが不服らしい。
しかし、朴念仁ではないから、
彼女からコールがあれば、嬉しくないはずはない。
三〇分でも四〇分でも、たわいない話をしてしまう。
会話が五〇分に達しようという頃、
突然パネルが、
ストン!と床に落ちた。
「おやっ?」
パネルをひろいあげる。
パネル写真の汐坊と・・目があった。
再び裏にして、ソファーに立てかける。
なにごともなかったように、ラブトークに戻った。
しばらくすると、またもやパネルが、ストン!と落ちた。
「おっかしいな・・
地震でもないのに?」
涼は、
仕事を理由に、
婚約者との話を切りあげた。




