鈴木サユリ
翌日の午前10時過ぎ。
涼は急ぎ足で、
ペントハウスを出てエレベーターに乗りこんだ。
きょうは、
オーナーが組合の会合で、
不在のため、
昼夜通しで、
事務室に入らなければならないのだ。
フロント階で停止。
エレベーターの扉が開く。
昼番の鈴木サユリが、
お客に、
深々と頭を下げて、
謝罪している姿が目に入ってきた。
「たいへん申し訳ございません!
連絡の行き違いがございまして。
本当に、ご迷惑をおかけいたしました。
重ねてゴメンなさい」
カップルのお客は、
激しく腹を立てていたが、
サユリの真摯な応対に、
しだいに、態度を軟化させていった。
「ホテルの評判を落としたくなかったら、
以後・・同様のことがないよう、気をつけなさいよ!
あっという間に広がるよ。ネット社会は!」
そう言って、カップルは矛先をおさめると、
チェックアウトしていった。
サユリは、
もう一度、深く頭を下げる。
別名・・「火消しのサユリ」
ボヤ程度のクレームなら、
訳なくおさめてしまう。
自身の持つ、
アンビアンスを理解し、
上手に利用していた。
自己主張を感じさせない外見と、
ブラウンのふんわりした長い髪の毛が、
見る者に、
とても柔らかい印象を与えた。
どことなく・・
ルノアールの絵画を思わせる。
ひとに、不快感を与えないところ、
頭の回転の速さ、
身の処し方などは、
サービス業に向いているといえる。
接客の腕は、
南平と比べても、見劣りはしなかった。
標準体型。
タマゴ型の色白な顔に、
ドンピシャリのメガネルック。
薬学部に通う大学生。
ルノアール嬢に、
声を掛ける涼。
「なにがあったんだい、サユリちゃん?」
「清掃のおばさんが、勘違いしたんです。
チェックアウトのまだ済んでいない客室を、
うっかり、マスターキーで開けてしまって。
昨日、
シングルルームをダブル使用で売ったでしょう。
カップルは・・その・・
男女のデリケートな時間を邪魔されて・・
恥ずかしかったみたいです」
目をふせる、サユリ。
「またか!
ステイ・アウトのチェックシートを、
よく確認するようにと、
先日も言ったばかりだ」
「主任!
週に一回は、
同じようなミステークが起きています。
清掃の人の不注意を責めるより、
事態を未然に防ぐ、
措置を講ずるほうが先決では?
さきほどのお客様からも言われましたが、
やはり・・
ドアガードをつけるべきではないでしょうか?」
「うーむ。
ツインルームは全室設置したんだが、
予算や、
管理の問題を考えると・・」
「いまのところ、ツインルームでは、
特段 問題は起きていません。
リスクヘッジも大切ですが、
お客様に、
快適な空間を売るという、
『設楽』本来のコンセプトを、
壊さないためにも、
早急に検討をお願いします」
素のサユリ嬢は、
わりあい自己主張がハッキリしているのです。
外見や物腰から、
くみしやすいタイプに見られがちだが・・そうではない。
芯がしっかりしており、
性格を読まれにくいタイプである。
まわれ右をして、
早足で、
喫茶室へ向かう、
設楽主任であった。




