手紙
ビジネスホテル『設楽』
午前十時。
「昨晩は参ったよ!
大雪の影響で、
最終チェックインが、
午前 四時 過ぎだったからね。
完全寝不足だ。
それじゃ・・サユリちゃん。
あとをよろしく」
「お疲れさまでした主任!
パラダイスへGOですネ!」
遅番明けの涼は、
早番の鈴木サユリに引き継ぎを済ませると、
エレベーターへ乗り、
8階のペントハウスに上がった。
私服に着替えてから、
ロングコートに身を包み、
長靴を履いて、
10センチばかり降り積もった雪に、
足跡をつけながら、
いつものサウナへ徒歩で向かった。
夜勤明けの特効薬はなんといってもサウナ!
という信条は、
現在もまったく変わっていない。
サウナでガマよろしく、
限界近くまで汗を流し、
頭ごとザブン!
水風呂に浸かった。
現実の音が遮断され、
水中音に切り替わる。
意識に・・いくばくかの・・変化が起こる。
疲れのしこりがジンワリほぐれ、
水に溶けだしていくようだ・・
なんとも気持ちがイイ!
快感のさざ波が全身にサワサワと広がってゆく。
「ふーっ!」
水風呂から上がり、
手首に付けたロッカーキーのマジックシールを確認する。
しっかり貼り付いていた ━ 「うむ、合格!」
洗い場へ。
ミラーの前に腰かけ、ていねいにヒゲを剃り、全身を流す。
ロッカー室で浴衣に着替え、
休憩室へ移動。
お気に入りの場所で、
ボディーソニック搭載のリクライニングシートに身体をあずけ、
生ビールと枝豆を注文した。
伝票にサインをして、
生ビールの泡を舐め、
ひと口ばかりゴクリ飲み、
浴衣のポケットに手を入れると、慎重に、手紙を抜き出した。
まだ、
封の切られていない、
配達記録郵便だった。
封筒の裏をしばらく見つめる。
差し出し人は・・中邑 冴子・・元フィアンセ。
中邑家は第三者(弁護士)を立てて、
正式な婚約解消を申し出てきた。
『本人同士で、じっくり一度、話し合いさせて欲しい』
という、
涼の願いは叶わなかった。
「しかたがない・・縁がなかったのだ」
オーナーは、
諦めきれぬ表情で言った。
婚約は、
先方の望み通り、
解消の運びとなった。
涼が拘留された ちょうどその頃、
冴子の実家である中邑家にも、
地殻変動が起こっていた。
長患いの父が亡くなったのだ。
三人兄妹の末っ子である冴子は、
家業とは距離を置いた生活を送っていた。
急転・・事情が変わった。
長男は学者志望で、
早い時期から家業を拒否。
家を出てしまっていた。
長女は家業を継ぐべく、若女将として働いていた。
さる外交官からのプロポーズも、
家業に専念するため、
断った。
されど・・
度重なる男性からの誠実なアプローチに、
ついに根負け・・結婚を承諾した。
この先 数年は、
外国暮らしになってしまう。
家族会議の結果、
当然のごとく、
白羽の矢は冴子に立った。
父は、
幼少の頃から、
愛娘の素質を見抜き、
末っ子の冴子こそが、
旅館の女将兼経営者にふさわしいと、
口にして憚らなかった。
現女将の母親は、
旦那の考えに異を唱えはしたものの、
内心では首肯していた。
ただ、
冴子 自身には、
そんな気持ちはさらさらなく、
父親の愛情を一身に受け、
ワガママいっぱいに育ち、
青春を謳歌していた。
高校・大学時代は、
大好きな演劇に打ちこんだ。
長女は美人で気立ても良かったが、
いささか受け身な性格で、
地味な印象は否めない。
父は、
冴子の「華」と「才」を愛した。
末娘が望めば、
ブランド物の服だろうが、
高級車だろうが、
先行投資という名目で、
家族のひんしゅくなど顧みずに買い与えた。
冴子に家業を継ぐ気がなければ、
土地を代表する老舗の旅館は、
現女将である母の代をもって幕を閉じ、
売却に出されことになる。
母親は、
持病の関節炎と闘いながらも、
気丈に旅館を切り盛りしていた。
・・あとは冴子の気持ちひとつ・・
涼は、
深呼吸をして、
封を切った。
手紙は直筆で書かれており、
達筆で、
便せんの枠線から、
時おりはみ出すような文字が綴られていた。
イントロダクションは短く、
すぐに本題に切り込んでいた。
━○━○━
拘留中の涼さんのことが心配で、
夜も眠れませんでした(嘘ではありません)。
しかし、
私は家業を継ぐことを選択したのです。
冷酷な女と思われても仕方ありません。
どのみち、私には家業を捨てることはできないのです。
旅館を継ぐことは、運命のいたずらなんかではなく、
宿命づけられていた必然だったように、
いま、ふり返ってみて思います。
涼さんは、私を、許すことができないでしょう。
拘留された婚約者を非情にも見捨てた女。
世間体を優先させた卑怯な女。
たぶんこんなふうに考えていらっしゃるでしょうね。
あなたは、私を、許せないかもしれない。
ですが・・
私もあなたを許すことができません。
ひどい辱めを、あなたから受けました。
あの苦い思いは、いまだに消え去りません。
婚約解消は、
言ってみれば、
涼さんの優柔不断が招いた結果なのです。
覚えていらっしゃるでしょうか?
ホテルで汐 坊の歓迎会を催したときのことを?
私が したたか 酔って、涼さんに送ってもらった、あの晩のことです。
ご承知のとおり私はアルコールには強い体質です。
では、なぜ、正体を失う寸前まで酔ったのか?
お分かりにはなりますまい?
久しぶりに会った汐 坊を見つめる、
あなたの目は、
昔なじみの女の子を見る目でも、
有名になった知り合いを見る目でもなかった!
あの目は、まぎれもなく男が、求める女を見る目でした。
打ちのめされました!
私の女としてのプライドが砕け散ったのです。
あの場で泣き叫びたかった!
なにもかもメチャクチャにしてやりたかった!
しかし汐 坊を見ていると、不思議と優しい気持ちにさせられてしまう。
あの卓越した才能と煌めき。
演劇を多少かじったことのある私には良くわかる。
あの子の才能の質が。
嫌いになれない・・
汐 坊のことを恨むことができたら、どんなに楽か。
よくある失恋話として無理にでも着地できるのに。
ジェラシーさえ、あの子には封じ込められてしまう。
もしかすると、
涼さんは、ご自身の本当の気持ちを、自覚していないのかもしれませんね。
それならば、なおさら、許せない!
その鈍感さを、私は、激しく嫌悪します。
彼女が発信している恋心を、間違いなくあなたは、感じ取っているはずだから。
ご自分の気持ちと照らし合わせたことは、ただの一度もなかったのでしょうか?
if・・を使った話を私は好みません。
けれども、涼さんの愛する対象が汐 坊でなく、
私(冴子)であったならば、
あなたに付いて行ったことでしょう。
たとえ、未来に、
二人を別れさせる運命が待ちうけていてもです。
あなたが、犯罪に手を染めるタイプではないことは、私には分かっていました。
夜も眠れなかったのは、
冤罪のまま、月日が経ってしまうことの恐ろしさの方でした。
ありえないことではないでしょう?
結局、行動を起こし、
あなたを救ったのは(自身、どん底状態にあった)汐 坊だった。
私は、あの子に、連続で敗北したことになるんですね。
敵わンなあ・・あの子には。
復帰第一弾の『哉カナ』のフリートークには涙が止まらんかった。
番組終了後には、なんだかサバサバした気持ちになりました。
いろいろ障害はあるとは思いますが、
一途な汐 坊を逃げずに受け止めてあげて下さい。
さもなきゃ、私が、承知せーへんでぇ。
お二人の幸せを、西の都から祈っています!
さようなら、中邑 冴子。
━○━○━
手紙を読み終えた涼は、生ビールを一気飲みした。
それから、ウイスキーの水割りをダブルで注文。
意識がドロドロになるまでお代わりを重ねた。
泥酔・睡魔にからめ取られる寸前、
ロッカーキーに右手を回し、握りしめ、盗難防止をはかった。
ビジネスホテル『設楽』。
午後八時過ぎ。
フロントには遅番専門の南平が入っていた。
早番のサユリから引継ぎを受けた時点で、
予約状況は、平日にもかかわらずスカスカであった。
積雪の影響により、当日キャンセルが続出したらしい。
どうなることかと思ったが、
あれよあれよという間に、
電話予約や飛びこみのお客で満室リーチである。
逆ドミノ倒しのような夜だ。
事務室には誰もいない。
オーナーは心労のため、現在 入院中。
定刻になっても主任が姿を見せないので、
スマートフォンに連絡を入れ、伝言を残した。
たぶん・・聞いているとは思う・・が。
めったにないことではあるけれど、
サウナで寝過ごしたのかもしれない。
最悪の場合、
8階のペントハウスにいる奥さんに事務室へ入ってもらわなければなるまい。
奥さんは、朝食サービスがあるので、いつも早めに床につく。
昨晩は、オーナーの代理で事務室に入ったことでもあるし、
なるべくゆっくり寝かせておいてあげたいのだが・・
一階の自動ドアの開く音。
ほぼ同時に立ち上がる南平。
階段をのぼってくる、
ゴム底の足音をキャッチ。
よたよたを通り越し、
ドタンドタンした、
危ない足取りである。
「酔客だな!」
南平は身構えつつ、
接客モードへ。
足音の主は涼であった。
「どうしたんですか?
そんなに酔っぱらって」
「うーん、ひどい気分だ。
うっぷ、気持ち悪い!」
涼は、
口もとを押さえながら、
フロント横の洗面所に駆け込んだ。
ゲーゲー派手に嘔吐している。
「珍しいな。
主任があそこまで酔うなんて。
ここんとこ・・
いろいろあり過ぎたからなぁ」
午前一時(25時)を回った。
予約客もすべてチェックイン、満室である。
事務室から、
延々響いていた深い寝息も、
今はおさまっている。
深夜の静けさがフロントを支配していた。
「もう少し寝かしておくかな」
南平は、
事務室をノックしようと思ったが、
考えを改め・・
ディバックから小冊子を取り出した。
☠『ビショップの宿』☠
サユリの所属するサークル、
「ミステリー研究会」が、
定期的に出している会報である。
拾い読みする。
けっこう中身が濃い。
未解決事件を、
独自に調査した記事などは、
とても素人芸とは思えない。
サユリの処女小説、
『ラハイナ・ヌーンの密室』(第一回)も掲載されていた。
このホテルで起こった二つの事件をベースにしたものであろう。
文章には並々ならぬ気迫がこもっており、
読みごたえがあった。
主人公となる探偵コンビは、
サユリを思わせるしっかり者の女子大生と、
南平を思わせる(なぜか?)フリーターのコンビだ!
「トン!トン!」
背後の扉からノックの音がした。
ハッとして振り向く!




