第09話 探査
マヌエルス王国の最北の地にバーナルス領はある。
バーナルス領の北部、辺境と呼ばれる場所に幾つもの存在している開拓村の一つがカイロス村だ。辺境の開拓村と言っても孤立しているわけではない。バーナルス領の領都ラヴァベの街がカロイス村を流れる川の下流にあり、近くにある複数の開拓村とは細いながらも道が繋がってする。
大陸の人類圏の最北であるそのさらに北は、未だに人の手が届いていない巨大な森が広がっている。
カイロス村より北の森は人の住まう場所ではない。けれど森はすぐに人の侵入を拒むわけではない。村の近くの森ならば、人に対しても多くの恵みをもたらしている。木材、山菜、薬草、草食動物の肉などだ。
危険な野生動物や魔物も多少は姿を見せる。だが彼らも人に関わろうとはしない。人間が危険な相手だと理解しているのだ。
よほど相手が弱っているか、もしくはか弱い子供相手でもなければ、すぐに姿を消してしまう。
そんな子供にとっては危険な森に、小さな子供であるアリティアが迷子になっている。
その迷子の祖父であるグレンは森の中に居るであろう孫を早急に探すため、カイロス村と森の境に立っていた。
グレンは呼びかける。
森の中に居るであろう孫へ向けて、大声を上げて呼びかけたのではない。
目をつむり、心の奥底、精神の更にその奥。全ての生き物の根源とも言われる、全ての者の意識の元となるそこに。
呼びかける。声がそこに届くように。
同時に己の意識の手を伸ばす。深く、長く、天空から落ちる物のように勢い良く。
意識の一部をそこに伸ばす。けれど、伸ばしすぎても行けない。
根源たるそこは、この世全ての生き物の意識の奥底と繋がっている、情報の大海と呼ばれる場所だ。
普通の人間はこの場所にくることは無い。すべての生き物はこの場所と繋がっている。けれどすべての生き物は生まれついて情報の大海が危険な場所だと知りえている。
意識の手を伸ばしすぎれば、あっという間に引きずり込まれ、二度と肉体に己の意識が戻ることは無くなる。
僅かに危険域を踏み越えれば、命の危険があるそこに何故意識の手を伸ばすのか。それは他の方法では知り得ない事を知る事が可能だからだ。
意識の大海に、指先のみが触れるように自らの意識を通わせる。
その瞬間。
細い糸のような繋がりにもかかわらず、津波のような膨大な情報が濁流となってグレンの意識に流れ込んでくる。
この時、大量の情報全てを理解しようしてはいけない。そんな事をすれば、あっという間に情報の流れに呑み込まれる。
受け流し、静かな心境で己の意識を流れ過ぎるそれらを見つめるのだ。注意するべきは、流れ過ぎるそれら一つ一つの生き物の意識に囚われないことだ。
混沌としたエネルギー(情報)の塊から目的の情報だけをすくい取る。そのための意識の方向付けは、此処に来る前にすでに行っている。
探す先は己の孫であるアリティアの存在だ。
他の者ならば髪の毛などの個人を特定するための触媒が必要となる。しかし血縁であるからこそ、そのようなものを触媒にする必要がない。
それでも情報の大海の中ではか細い糸のような繋がりに過ぎない。
そのたよりない繋がりを途切れないように手繰り寄せる。
膨大な今は必要としていない情報の中に紛れるように一つ目的の情報をすくい取る。
アリティアはどうやら無事のようだ。繋がりの手応えを通じて、まず知る。
命を失っていたならば、繋がり自体が空虚な反応しか返してこない。
情報の大海の中では物理的な距離など大した意味はない。触媒が方向性を整えて何の情報を手に入れるかをあらかじめ確定させておけば、手に入る情報は遠近を問わずに一定だ。
今グレンが求めている情報はアリティアの現在位置だ。
孫の現在位置はそれほど離れては居ない。そしてその方向は森の奥だ。
孫の姿が見え無くなってから、森の奥へは行っていない事を願っていたがどうやら危惧は当たってしまったようだ。
「後でしっかりと叱っておかねばな」
孫のひとまずの無事にホッとしながら、心のなかでぼやく。
己の意識を情報の大海から己の肉体へと戻す。
色とりどりの意識の情報に、後ろ髪を引かれる思いを懐きかけるが、すっぱりと振り切る。此処での誘惑はごく当たり前に存在している事だ。ここでこの誘惑にのってしまえば、いずれこの情報の大海から帰ってくること無く、溺れ死ぬだろう。誘惑に負けない者だけが、この魔法を正しく使う事ができるのだ。
ただグレンには一つ、気になることがあった。アリティアの意識のすぐ近くに人の存在があったのだ。
情報の大海の中であって他者の現在位置を知るのは、魂の存在を認識する事によって行われる。
対象者の魂を見つける事によってその者との位置関係を知るのだ。
その時に周囲に存在している生き物の魂も目に入る。
アリティアのすぐ近くに人が居るというのが判ったのはこのためだ。
グレンはその魂が見えた時、人のものにしては妙だと思った。
どこがおかしいのか具体的にはわからなかった。
しかし、知ろうとはしなかった。大海の中からその違和感を探ろうとすれば、いつ呑まれてもおかしくはないからだ。すでに孫の位置を見つけるという目的は果たしているのだから、危険な情報の大海に何時まで長居はできない。
一つ安心する材料があるとするならば、その人はアリティアに危害を加えるような人物ではないということだろう。
人であることは分かるが、年齢性別を知ることはできない。
情報の大海で認識する魂は、そのものの本質が素直に表れる。わずかに見えたそのものの魂は、子供であるアリティアを傷つける様な魂には見えない。
おそらくその人物に保護されているのだろう。グレンはわずかながらも安心できた。
けれど見覚えの無い魂だ。おそらく村の者ではない。実際に行ってみないことには確認できない。
グレンは早く迎えに行ってやらねばと、焦る気持ちを抑えて意識を肉体に戻す。
その際に孫の居場所を指し示し続ける情報を、手にしている羅針盤に刷り込む。
これでこの羅針盤は一時的に、目的の存在の方向を指し示し続ける『導きの羅針盤』という魔法の成果物と成る。
精神を肉体に戻したグレンは、手の中の羅針盤に目を向ける。
光を放つ針が回る。やがて針が止まった方向を見やった。
グレンは厳しい表情を浮かべていた顔をさらに歪める。
「やはり森の中か。間違いであって欲しかったのだが……。
まったく、アリティアは何をしているのだ。森の奥深くには入ってはイカンと言っておったろうに……。
仕方がない。後で辛くなるが使うしかあるまいか」
距離はそれほど離れては居ないが、その場所は人の手の入っていない森に当たる。
長時間、危険な森のなかに孫を居させない為に、反動を覚悟して身体強化の魔法を使用する。
そしてグレンは森の中へ、針の示す方角へと走りだした。
◇ ◇ ◇
導きの針の示すままに森を駆け抜けた末に、グレン老はようやく孫を見つける事ができた。しかしアリティアだけではなく、彼女を背負った少女の姿があった。
「あ……。おじいちゃん!」
アリティアは元気な様子で手を振る。
「おー、無事だったかアリティア。その子に助けられたの……か?」
声をかけつつ、グレンの声はしりすぼみになる。
背負っている少女は戸惑った様子でアリティアに注意をしている。
「ア、コラ。けが人のなんだからそんなに動くな」
「? けど今はあまり痛くないから大丈夫だよ?」
「大丈夫じゃない。今痛みが小さいのはマヒしているからだ。薬の効果が切れたらよけい痛い思いをすることになるんだから、おとなしくしていろ」
「えー?!」
「えー、じゃありません。余計に痛い思いをしたくはないだろう?」
「ハーイ」
アリティアは素直にうなずき、少女は軽く溜息をついた。
そんな一見、アリティアを一人の少女が背負い、微笑ましいやり取りをしているようにしか見えない光景に、グレンは奇妙な違和感を覚えていた。
少女はアリティアに似ていた。髪の色も瞳の色もアリティアとは違う色だ。しかし、その顔の造形は瓜二つだ。
それだけならばこんな違和感は覚えてはいない。孫に似ている子供が居るということは珍しいが有りうる話だ。
違和感を覚えたのはその髪のわずかな質感だ。その質感には覚えがあった。
違和感は何がその違和感を呼び起こしているのかはわからなかった。けれど、そのわずかな違和感を元に警戒心を呼び起こすのには十分だった。
「……そなた……何者だ……!?」
わずかに身構え、同時にアリティアに似た少女を観察する。
こちらが警戒心を出したことに、戸惑っている様子が見られる。
それにしては表情が乏しい。それにあまりにも作り物めいた顔立ちだ。そっくりなアリティアと並んでいるとそれがよく分かる。
それに少女の瞳がこちらを向いているが、その目からの視線の圧力を感じられない。
瞳からの視線は感じられないにもかかわらず、少女の全身からは、こちらを観察する視線の圧力を感じた。
その奇妙な視線から伝わる感情は、戸惑いと、怯え、それに諦念だろうか。
視線とは実際に感じられる代物だ。特に魂の魔法に精通しているグレンにとっては更に敏感に感じることができる。魂の情報を伝える経路の内、視線は強力な経路の一つだからだ。
長年、魂を扱う魔法に触れてきた経験から、視線から感情を読むことができた。
瞳からの視線からは感じることの出来ない感情が、目のない場所である少女の全身からむけられる視線から感じるという、ちぐはぐな状態にグレンは戸惑っていた。
こんなことは初めての経験だ。普通ならばただの勘違い。気のせいとして流してしまうだろう。しかし、魂の魔法を使う者としての感覚は、それが決して気のせいなんかではないと、訴えかけていた。
警戒するべき相手だと更に警戒心を強め、少女を観察する。
問題なのはアリティアがその背に背負われていることだ。戦いとなるならば、何よりもまず、孫の安全を確保しなければならない。
アリティアの様子を警戒と同時に確認する。
孫の額や手足には硬質化した軟膏のようなものが張り付いている。怪我をしている様子から、治療の跡だとわかる。彼女の怪我の程度も気になる所だが、一番重傷なのは足らしいことが、足にまとわり付いた大量の硬質化した軟膏によってわかった。
しかし、そんな硬質化するような膏薬の存在など、グレンは知らない。
だが、アリティアの傷を塞ぐそれには、どこかで見たことがあると思った。
アリティアは怪我をしたようだが、非常に元気な様子だ。
その事自体には安堵したが、一つ疑問も浮かんだ。アレほどの怪我をしているというのに、痛みに苦しんでいる様子もなく、そんなに元気でいられるだろうか?
痛み止めの薬でも飲んだのかと考え、ふいに、アリティアの身体につけられた硬質化した膏薬のようなモノの正体に気がついた。
それはスライムの粘液ではないのか?
そこに気づくと、孫を背負う少女の正体にある予測が建った。
彼女はスライムではないのかという予測だ。
そしてその予測が正鵠を射ているのならば、孫はそれに捕らわれて、逃げられないように拘束されているのではないかと思った。
最悪の状況を想像してグレンは覚悟を決める。
戦い、おのれの身が滅んだとしても必ず孫を無事に帰すという覚悟だ。
その時グレンは一つの事を思い出す。
人に化けたスライムには、発声する能力など持ち合わせていない。
正しくは、声に似た音を出すことは可能だが、その音を意味のある言葉として発するだけの知能をスライムは持ち合わせはいない。
ならば彼女がスライムだということはありえない。しかし……。
「そなたは、いったい何者だ?」
一度目のような警戒心の篭った問いかけではない。脳裏に浮かぶ疑問のままに、グレンは再び少女に問いかけていた。
それに対してわずかに警戒をゆるめた少女は答える。
アリティアは祖父の様子に目を丸くしていた。
「ただの通りすがりの者だよ。
崖から落ちた子供がいたから助けただけだ。
あなたがこの子のおじいちゃんですか ?」
「ああ、そうだ。わしの名前はグレンという。孫を助けていただき、感謝いたします」
「ああ、私の名前は……」
一度ためらった後、名乗る。
「私の名前はライムだ。助けたのは当然のことをしたまでだ」
「エヘヘ……」
アリティアはライムという名前を名乗ったことに、誇らしげに笑顔を浮かべ、ライムの首に力強くしがみつく。恥ずかしそうに、笑顔で崩れた己の顔をライムの背に隠す。
ライムの方も、アリティアの様子にまんざらでもない様子だ。
はて、どうするべきかとグレンは悩んだ。ライムと名乗った不審な存在は、孫からかなりの信頼を得ているらしい。それにこちらから見ても、襲い掛かってくるような短絡的な判断をする存在とは思えない。
そこで、情報の大海の中で見かけたアリティアのすぐ側に居た魂の事を思い出す。
ライムがあの魂の持ち主だとすると、危険な存在だとみなした自分の判断が誤りであることになる。
確認の為にライムの魂を見据えた。そこで見えた人の魂の存在に戸惑い半分とともに納得する。
離れた場所で情報の大海越しに見えた人物の魂と、同じ魂だ。
魂の性質はその者の本質が現れる。またそれを偽る事はほぼ不可能である。
自分の考えすぎだったかと、グレンは毒気を抜かれてため息をもらした。
最低限の警戒以上は必要が無いだろうと思った。
「アリティア、森の中に一人で行ってはいかんと言っておいただろう」
「う……。ごめんなさい。おじいちゃん」
「まあ、後でのバツは覚悟しておくんじゃな」
「え……」
アリティアは呆然とした表情になった。グレンはライムへと視線を向ける。少女は一瞬おびえたように身構える。
「孫はわしが担く」
アリティアを背負おうとグレンは申し出る。
だが、荷物となる当の本人はライムに強くしがみつく。グレンに背負われたら、お説教から逃げられないとでも思ったのだろうか。
ライムはそんな少女にすこし困ったような様子で、彼の申し出を断った。
「あー……。大丈夫ですよ。私はこれでも力も体力もあるから。アリティア程度なら余裕で運べます」
「いや、そうではなくてだな……」
グレンは善意からの言葉であろう申し出に口ごもる。孫を自然とライムから引きはがそうとする試みは失敗だ。
「? まあ、村に向かいましょう。アリティアの怪我も応急処置しかしてませんし」
ライムは歩き出す。同じ体格の少女を背負っているのにもかかわらす、その足取りはしっかりとしたものだ。
アリティアの方は祖父の思いとは裏腹に、ライムの背に乗っていることが楽しくて仕方がないらしい。
彼女はお話しを続ける。
「村のすぐ近くには川があるから。そこで遊ぼうね。
そこはお魚もたくさんとれるし、お花もいっぱい咲いてるんだよ?」
「それはいいが、お前は怪我をしてるんだ。しばらくは大人しくしていろよ?」
「はーい」
たしなめる言葉にグレンはアリティアが負った怪我の様子をライムに尋ねる。
「アリティアの怪我の具合はどうなんじゃ?」
「一番大きな怪我は足の骨折です。今は添え木を当てて固定してある。他はいくつかの擦り傷と打撲程度だと思う。
いまは応急処置だけしかしていないから、ちゃんと手当した方がいい」
「いまはあまり痛くなんだけど?」
アリティアの言葉に、グレンは深刻な表情を浮かべる。怪我をしているのに痛みが無くなるというのはあまり良い傾向ではない。が、その不安はライムの次の言葉で氷解する。
「それは固めてある粘液のおかげだ。軽い麻痺効果があるから痛みを感じないだけだ。
あまり長い時間つけておいていいものじゃない。――と思う」
ボソリとつけ加える。
「なんでダメなの?」
「よくわからないものだからだ。麻痺させる効果は知ってるけど、どんな副作用があるかわからない」
「へんなの。ライムが自分の体から出したものなのに、ライムは分からないの?」
「元々は治療用のものじゃないからな、応急処置以外には使えないと思う」
「ふーんそうなんだ……」
アリティアとライムの会話に、グレンはやはりという思いを懐きながら、ライムを改めて観察する。
孫娘に似ている少女にしか見えないし、魂のそれも人間のものだという事も確認できた。けれど、その肉体が人間のものだということは、確認できていない。
アリティアの怪我を固めているのは、ライムの体から出したものだという。しかし骨折を固定できるほどの硬化ができる粘液など、人間の体から出せはしない。
そして、そんな性質を持った物質は、スライムの粘液以外に心当たりなど無い。
グレンは確信する。
やはり、ライムはスライムなのだと。
グレンの視線に気がついたのだろう。ライムはわずかに身構えた。