第71話 誓いと報い
グレンをペテンにかける形で逃げる事に成功したライムは、カイロス村から離れるべく空を飛んで居た。
「もう師匠の所には戻れないな……」
ライムはつぶやく。
あの時グレンから逃れる事ができたのは、ライムが空を飛べる事と、反動制御の部位を削った『風の放射』の存在をグレンが知らなかったからだ。
ライムとグレンの間には、絶対的な力量差が広がっている。ペテンの種であるその二つを知られた今、もう二度とグレンを出し抜く事は不可能だ。
もう二度とグレンと会うことはできない。なぜならグレンと会ってしまえば、アリティアの魂を開放しなければならなくなる。
それは、それだけは受け入れる事はできない。そんなことをすればアリティアが本当の意味で死んでしまう。
なんで、師匠はアリティアを殺そうとするのだろう。
薄々とは判っている。アリティアはあの時に死んだのだ。魂が体から剥がれ落ちてたあの時に。
その死を人が覆すことなどできない。地球ではない異世界であるこの世界であろうとも、その権限は人の手にはない。
わかってはいるのだ。アリティアの魂をこの世界に束縛しているのは、ただの自分のわがままであることは。
それでもアリティアに死んで欲しくはない。あの子はまだ子供なんだ。まだまだこれから先、幸せに生きるべきだった。
アリティアは泣きながら言っていた。死にたくないと。
それよりも何よりも、ライム自身が彼女と共に生きたいと望んでいた。
死んで欲しくない。少女の魂を霧散させたくはない。その願いがライム自身に個別魔法を発現させて『魂の鳥籠』を手に入れた。
『魂の鳥籠』の能力は捕えた魂の捕獲と保護だ。
この小さな鳥かごの中にアリティアの魂が入っている限り、アリティアの魂が霧散することも何処かへ行ってしまうこともない。
もしも『魂の鳥籠』を発現していなければ――アリティアの魂を捕獲し、霧散を防ぐ方法が無かったとしたのならば、空へと昇ってしまった魂はライムの手の届かない場所へと行ってしまっただろう。
そうなれば、ライムは悲しみと共に諦める事ができただろう。
けれどライムは『魂の鳥籠』を手に入れた。
もしもその能力の持続時間が数日程度の短いものだったのならば、徐々に心の整理をつけてアリティアの死と別れを受け入れる事ができただろう。
しかし『魂の鳥籠』の能力の持続時間は術者の寿命と同じ期間であった。その間、収めた魂を保護し守り続ける。
そして、術者であるライムはスライムであり。そしてスライムに寿命というモノは存在していない。
つまりライムは、アリティアの魂を永遠に保存する事のできる力を手に入れてしまったのだ。
ならば諦める事などできない。
ライムは知っている。
迷宮の最深に存在するという至宝は、ありとあらゆる願いを叶える事ができるのだと。人を神へと至らせたその至宝には、死者蘇生の力もあるのだと。セリカがティクトイシィの神像の前で言っていた。
迷宮の至宝に触れれば、アリティアを生き返らせるという願いは叶うのだ。
至宝に触れる事がムリでも、ライムが生き続ける限りアリティアの魂は保存され続ける。
ならば永い時間、機会を待ち続ける事ができるのだ。
神は十数年に一度は、降臨と奇跡の顕現を行うという。
もしも神の奇跡を受ける事ができたのならば、ライムは己が人に戻る事を願うつもりだった。
しかし、今となってはそれよりも強く願う事がある。
神の奇跡ならば、死者蘇生などきっと容易いことだろう。魂の存在を確保しているならば、その難易度はもっと下がるはずだ。
ならばきっと、神の奇跡を得る機会がきっと巡ってくるはずだとライムは決意を固める。
けれど、できるのならば早くに願いを叶えたい。数十年単位の時間がかかれば、生き返ったアリティアがグレンに会えることはなくなるのだから。
「アリティア。アリティアは必ず師匠にもう一度会わせてやるからね……」
空を飛び、空からの景色を見ながら、ライムは鳥かごの中の魂へと呼びかける。
「ゴメンな。空からの風景を見せる約束がこんな形になっちゃった……」
行商隊の鳥かごの前で、じゃれ合いのように交わした約束は、こんな形で破ってしまった。
一緒に空を飛べれば楽しそうとアリティアは言っていた。鳥かごの中じゃなくて大空を飛んでいたいかなとも言っていた。
それなのに、今はアリティアを小さな鳥かごの中に閉じ込めて、楽しむどころか悲しみを抱えて空を飛んでいる。
ライムが一緒だったら危険も無いと、アリティアは満面の笑みで言ってくれた。けれど実際は、目の前に居たアリティアを守ることはできなかった。
共に自由に大空を飛んで、色々な場所へ行ってみたい。
アリティアはそんな、無邪気な願いを口にしていた。
『その時はずっとわたしを守ってね? 騎士サマ?』
『その時は、御身をお守りいたしましょう? 姫サマ?』
そんなお芝居の様な約束をライムは思い出した。
「あの時の約束は守れなかったけど、これから先は絶対に守るからね……」
ライムは鳥かごの中の魂へと向けて、そう誓いを口にした。
『風の放射』によって推力を得て、空を飛ぶライムはこのまま村を離れようと思っていた。
グレンにもう二度と会うわけにはいかないからだ。
しかしその時に、ライムは眼下の森の中にゴブリンの集団が居るのを見つけてしまった。
カイロス村からは距離はあるが、村を襲おうとするならば数時間で村へと到達できる距離だ。
森の中に居るのが、木陰の隙間から見て取れた。
アリティアの直接の死因は、村に逃がしてしまった弓矢ゴブリンが射った矢だ。
けれど、もしも掃討戦に参加していたのなら。もしも土塁を直した後にすぐに独自に捜索をしてゴブリンを掃討していたのら。あんなことは起きなかったかもしれない。
ライムはアリティアが死んだのは自分のせいなのかも知れないと考える。
だが、そもそもの話、ゴブリンがカイロス村を襲って来なければアリティアが死ぬ事は無かったのだ。
「……お前らが来なければ……!」
怒りが込み上げる。アリティアに矢を放ったゴブリンはドミニクに始末されている。直接の仇はすでに居ない。
ならばこのこみ上げてくる怒りをぶつける相手は、眼下のゴブリン集団しか居ない。
ライムは怒りにかられて特攻するのではなく、確実にゴブリン集団を殲滅できる方法を素早く練り上げ、実行に移す。
『風の放射』の出力を最大まで上げて、旋回しながら遥か上空を目指す。強引な上昇に、これから行う行動に十分な高度までたどり着くのに時間はかからなかった。
遥か上空まで上昇した所で、『風の放射』を停止する。ライムは緩かやな滑空で旋回しながら、ゆっくりと高度を落とすことになった。
その高度からでも森の中のゴブリン集団の位置は、遠視能力を持ち合わせているライムにはなんの問題もなく把握できる。
そして、『風の放射』と停止したことにより、別の魔法を行使できるようになる。
ライムはゴブリン集団を睨みつけるながら『火の大玉』の魔法陣を構築する。
「くたばりやがれゴブリンども……!」
今、飛んでいる高度から地上までの距離は、『火の大玉』の射程距離をとうに越えている。
しかしそれは何の問題もない。『火の大玉』の射程距離とは水平方向での話だ。
上空から地上へ打ち下ろすならば、重力に従って落としていくだけなので射程距離など関係ない。
『火の大玉』を降らせる。
ゴブリン集団が逃げ出した結果、村に近付く事がないように、初弾は村に近い場所へと落とした。
突如として起きた爆撃に、ゴブリンたちは悲鳴を上げて逃げ出した。
「一匹たりとも逃がしてたりはしない」
ゴブリン集団がバラけぬように囲い込むように、大量の『火の大玉』を落としていく。
木々の陰になっていてゴブリン姿は見つけづらい。
けれど『質量感知』を己にかければ、ゴブリンの位置を正確に把握できるようになる。
全く動いていないゴブリンは木石と区別がつかないが、僅かでも動いているならば、その場所は正確に捉えられる。
ライムは怒りにまかせて大量の『火の大玉』を落としていく。
けれど、その怒りは激しく燃え盛る赤い炎ではない。
静かに、けれど高温で燃える青い炎だ。淡々とゴブリンを一箇所に追い込み、密集した場所に殲滅するため一撃を叩き込む事を繰り返す。
森の木々に延焼が起きそうになったら『水の大玉』での消火を行うだけの冷静さも持ち合わせていた。
『火の大玉』を降らせるために上空を旋回しているが、高度が落ち始めると、再び『風の放射』で上空を行う。
高度が下がると矢を射掛けられた。
飛んでいる場所まで届くことはなかったが、その時ばかりはライムは冷静さを失ってゴブリン集団がバラけてしまうことも気にせずに『火の大玉』を叩き込んだ。
けれど、矢を射掛けられたのは爆撃が始まった頃の二度だけだ。ライムはすぐに冷静さを取り戻し、ゴブリンの殲滅を実行した。
やがて、ゴブリン集団の中で動いている存在はいなくなる。しかし、すべてのゴブリンを殺せたわけでもない。ゴブリンは死んだら肉体が魔力として霧散する。にもかかわらず地面に転がったまま動かないのは、気絶しているか動けなくなってはいるが生きてる証でもある。
上空から『質量感知』を頼りに攻撃をしていると、見逃す可能性があると考えて、ライムは地面に降りる事を決めた。
翼を使った綺麗な滑空を行った末の着陸ではない。『風の放射』を地面に向けて放って速度を殺し、全身を岩石状に硬化させた上の乱暴な着陸だ。
その着陸は墜落に近い。
翼ごと体を丸めて、樹の枝にぶつからぬようにする。避けきれず衝突した樹の枝をバキバキとへし折りって、地面に着陸する。
ライムは激しく地面を転がり、停止する。その際『魂の鳥籠』は胸に抱いて、一切の衝撃が来ないように守った。
ライムは特に怪我をした様子を見せずに立ち上がる。
その表情には一切の感情は見えず、その腕には静かに光る魂を収めた『魂の鳥籠』を大切に抱きしめていた。
ライムは周囲を見回す。森の中は『火の大玉』の影響で所々燻り、火が出ているところもある。
そして何匹ものゴブリンが地面に倒れ伏し、うめき声が上がっていた。
ライムは火が出ている落ちた枯れ枝に、消火の為に『水の大玉』を叩き込む。
水を伴った爆発に近くで倒れていたゴブリンも吹き飛んだ。
ライムは消火を優先して、ゴブリンのトドメ刺しを行う。森が燃えてしまえばカイロス村に迷惑がかかる。
ある程度『水の大玉』での消火を済めば、後は『風の矢』でのトドメ刺しを淡々と行う。
爆発と、ゴブリン集団の移動によって荒れた森の中を見て歩きながら、倒れたゴブリンを見つけては矢を撃ち込んでいく。
光を放つ玉を収めた小さな鳥かごを胸に抱きしめ、腰から生やした白と黒の色をした翼を小さく畳み、人にあらざる薄緑色の髪を持った少女が無表情のまま森の中を歩く。
視線を動かす事無く倒れ伏すゴブリンを見つけ、発見されたゴブリンにはガラスの様な矢が放たれる。
淡々とゴブリンの命を処理していくその姿は、まさに化け物だと表現するのに相応しい。
その場でそのライムの姿を見る者は、死にかけているゴブリンしかいなかった。
ゴブリンたちはその姿に死神の姿を幻視した。
その認識は正しく、ライムはゴブリン達にとっての死神だった。
気絶していたゴブリンがいた。抵抗することもできずにガラスの様な矢を受けて絶命した。
ろくに動かぬ体で逃げ出そうとしたゴブリンがいた。けれど背中に矢を背中に生やして絶命した。
剣を手に襲い掛かったゴブリンがいた。けれど剣を振る前に、体の前面に数本の矢を生やして絶命した。
文字通り一矢報いようと、物陰から矢を放ったゴブリンがいた。その矢はライムの頭に命中したが、硬い物に当たったかのように弾かれた。矢を射ったゴブリンは炎の玉による反撃を受けて、隠れていた物陰ごと爆炎に吹き飛ばされて、絶命した。
ライムは淡々と処理を続け、やがて探し出せる限りのゴブリンのトドメ刺しが終了した。
とどめをさしたゴブリンの数は五十匹ほどだった。
ゴブリン集団の数は全部で五百匹ほどだったろうか。
村の防衛線の内側に入り込んだゴブリンよりも数は多かっただろうが、苦労自体はこちらの方が少なかった。
周囲の被害をあまり考えてなかった事と、上空から爆撃できたことが大きいだろう。距離があり一方的な爆撃だったために、反撃を受けてその対応に追われる事が無かった。
ただ、上昇するための時間が必要だったために、こちらの方が時間はかかっただろう。
ライムはため息をもらす。
「こんなに簡単に殲滅できるのに……。なんで……守れなかったんだろう……」
けれどこれで仇は取れたのだと思う。
けれどすぐに、まだ仇は取れてないだろうと思い直す。
村からの距離から考えて、ここに居たゴブリン集団とカイロス村を襲ったゴブリン集団が同じであるとは到底思えなかった。
襲撃してきたゴブリン集団は、まだカイロス村の近くに残っているはずだ。村を取り囲むように襲ってきたゴブリンの集団は、一つの集団だけでは無かった。途中で撤退した集団がいくつか残っているはずだ。
カイロス村を襲ってきたすべてのゴブリンを殺さなければ。
いやそれだけでは気が済まない。村を襲う可能性のあるゴブリンはすべて殺さなければならないとライムは思う。
わずかでも残しておけば、再びカイロス村が危機に晒される。
ライムは『風の放射』の魔法陣を己の足元に構築する。魔法陣に一気に大量の魔力を注ぎ込み、それに比例した暴風を発生させ己の体を打ち上げる。
途中で樹の枝に当たったライムは気にしない。
人間であれば、発射の衝撃だけで死にかねない衝撃だったろう。その速度で枝にぶつかれば裂傷を負いかねない。
だが、全身を岩石状に硬化しているライムにはどうということない。
『魂の鳥籠』にさえぶつからなければ何の問題も無い。ライムはしっかりと『魂の鳥籠』を胸に抱いて、梢の天井を突き破る。
大きく翼を広げて、上昇しながら徐々に水平飛行に移っていく。目的地はカイロス村の周辺の森の上空だ。
先ほど森の中のゴブリン集団を見つけたのは偶然だった。しかし今度はそれを目的とした偵察飛行だ。
そしてライムは森の中に潜む複数のゴブリン集団を発見した。
「アリティアを殺した事、絶対に後悔させてやる……!」
そして再び、森に炎の雨が降り始めた。




