第66話 危機
北の防衛線から村の中央を突っ切り、教会に警告を発した。
到底、人には出せぬ速度で駆け抜けたライムは、やがて、襲われているだろう南側の防衛線が見える位置までやって来た。
そこでライムは顔をしかめる。
防衛線を突破されている。
人々が盾としているのは防衛線の土塁ではなかった。その手前の道に設置している、大きな木の柵だった。木の柵に取り付くゴブリンに、乗り越えられまいと、人々は必死になって武器を振るっている。
しかし、ここでゴブリンは魔物であり、死んでも死体を残さないという性質が問題を産んでいた。
柵に取り付くゴブリンを殺しても死体が残らないせいで、死体が障害物とならないのだ。
いくらゴブリンを倒しても次々と元気いっぱいの新しいゴブリンが木の柵に取り付く。逆に、人々の方は疲労を溜める一方だ。
必死に戦う人々の背後から近づく形になったライムにはその事が見て取れた。
しかし、駆け寄りながら遠距離攻撃で人々を援護しようにも、必死に戦う彼らの体が射線を遮ってしまい、それはままならない。
このまま直接戦線に参加しても、多くの人々の戦いに邪魔になるばかりで、ライムではあまり役に立ちそうにない。
また、最前線を飛び越えて、直接ゴブリンたちに接近戦を挑んだとしても、周囲をゴブリンに囲まれる事になる。そうなってしまってはさすがのライムも生き残れる自信はなかった。
どうすれば自分の力が最大限活かされるのか。必死なって思考を巡らす。
出てきた結論は、ごく単純な事だった。
魔法使いであるライムが最大の戦果を上げる方法は、ゴブリンしか居ない場所に多くを巻き込む魔法をブチ込む事しかない。
周囲の地形を見て、ライムは決断する。道の両脇には他建物が立ち並んでいる。所々ある横道は浸透されないように柵で塞がれている。
ライムは道の脇に有る家へ向かい、地面の一蹴りで飛び上がり屋根に降り立つ。
そこから戦線の先を見た。
高い位置から見ることにより、今の戦況のマズさを改めて思い知らされる。
防衛線の土塁はすでに突破され、大量のゴブリンが内側へと雪崩れ込んでいる。一つ下がった木の柵を新たな防衛線として、激しい戦闘が行われている。
だというのに、未だすべてのゴブリンが土塁の内側へと入り込んでいるわけでない。
土塁の内側と柵の間にはゴブリンたち溢れかえっていて、柵の防衛によって行く場所がないゴブリンは、横方向へと広がっている。
このまま柵の後ろで防衛を続けられたとしても、いずれ脇道からもゴブリンが溢れ出て、背後からのみこまれる事になる。
そんな未来が容易に想像できる戦況だ。
「そんな事はさせない!」
ライムは叫んで魔法陣を構築する。
「これから! 『火の大玉』をぶっ放すっ! 爆発が起きても怯んだりしないで防衛を続けてッ!」
ライムの警告の声に、一瞬こちらの姿を確認した人も居た。その人物が騎士ルパートであることには気がついたけれど、かまっては居られない。
ライムは速やかに魔法陣を構築し終えると『火の大玉』を放つ。
「『火の大玉』っ!」
目標は、崩された土塁へと殺到し、一番ゴブリンたちが密集している地点だ。炎の玉は高速で宙を走り目的の場所に着弾し、爆発を起こして炎を撒き散らした。
爆発に巻き込まれて大量のゴブリンが吹き飛ばされ、炎に巻かれる。
攻撃の直撃を受けなかったとしても、その一撃がもたらした間接的な影響は絶大だった。
土塁の内側へと入り込もうと殺到していたゴブリンたちは、目の前で上がった爆炎に集団としての動きを止める。
そして背後で起こった爆炎に、内側に入り込んだゴブリンたちにも動揺が走る。
柵に取り付いていたゴブリンの中にも、動揺して動きを止めたモノがいた。
「今だ! 打ち倒せ!」
ルパートの号令と共に、動揺して動きを止めたゴブリンはあっという間に打ち倒されることになった。
突如発生した爆炎に焦りを露わにするゴブリンたち。これは好機と見て、ライムは再び『火の大玉』を放つ。
次の目標地点は土塁の内側に入り込んだゴブリン集団だ。そいつらに着弾し、爆炎と共に吹き飛ばす。
周辺の家屋も吹き飛ばされるが、もはや気にしていられる戦況ではない。
今は一刻も早く、一匹でも多くのゴブリンを倒さなければ、やがて圧殺されてしまう。
三発目の『火の大玉』を同じように内側に居る集団に向けて放って吹き飛ばす。
それからライムは魔法陣の維持を続けたまま移動を開始する。
この家の屋根から狙える場所にいるゴブリン集団は柵に取り付いたものしか居ない。そちらに放てば流石に人々を巻き込んでしまう。
しかし柵に取り付いた集団の端は、爆炎の影響を受けるようにしたので、圧力は激減し、放置しても大丈夫そうになっている。
屋根を蹴り、隣りの家屋の屋根に飛び移ろうとした時、ライムはその寸前、動きを止めた。
飛んで来た一本の矢が、ライムの腕を掠めた。動きを止めなかったら胴体を貫いていただろう。
飛んできた方向を見ると、ゴブリンの集団の中に一匹だけ弓を構えている者が居た。他のゴブリンに弓矢を持っているモノは居ない。弓矢を持っているのはそのゴブリン一匹だけだ。
「やっぱり居るのか弓矢ゴブリン!」
ライムは魔法の行使を遅滞させる事なく、石の板を取り出すと弓矢ゴブリンへ向けて投げ放つ。
同時に発射可能になった『火の大玉』は土塁の内側にいるゴブリン集団を見つけられなかったので、再び内側に入ろうとしていた外側の集団へ向けて放っておく。
投げ放った石の板は避けられること無く、弓矢ゴブリンの胸に突き刺さって命奪う。
そして『火の大玉』は外側集団の鼻っ面に着弾し、多くのゴブリンと進撃への意欲を吹き飛ばす。
ライムは隣の家屋の屋根に飛び移り。同時にゴブリンの集団の持っている獲物を確認していく。
棍棒が多いが、剣や槍、鍬などの近接用の武器がほとんどだ。だが、よくよく見ると弓矢を持っているゴブリンも何匹か混じっている。
「弓矢を持っているゴブリンが何匹か居る! 遠距離攻撃ができるヤツは優先してそいつを倒せ!」
ライムは大声で警告を発し、移動したことで見つけた新たなゴブリン集団に『火の大玉』を叩き込む。
だがこれで『火の大玉』を叩き込める様な集団は最後だとライムは思う。
他の場所に居る集団は、近くに家屋が近すぎて延焼が怖い。
『火の大玉』の魔法陣の一部を書き換え再び、魔力を流し込む。
次に放つ魔法は『水の大玉』だ。属性部分を書き換えるだけで済む分、新たに一から魔法陣を構築するよりも時間は短い。
『火の大玉』の炎で延焼しかけている場所に、ゴブリンが集まって来ていたので消火のついでに叩き込む。
『大玉』系の魔法の中で、『水の大玉』は三番目の威力の魔法だ。威力がある順番で火、土、水、風となっている。
延焼が怖い為に『火の大玉』は使えないが、次に威力がある土の方も使えない。
消火以前に『土の大玉』は速度が一番遅い為に、この状況では使いにくい。
そして風を使わないのは、威力が低く、目立たないために脅威を見せて敵を怯ませる事には向かないからだ。
ライムは『水の大玉』を土塁の内側に入り込んだゴブリンたちに放ち続ける。
だんだんと集団として行動するゴブリンは少なくなり、一発の攻撃で巻き込める数が減ってきている。
また、土塁の切れ目に近づこうとする外側の集団には、時折『火の大玉』を見舞って数を減らす。
しかし、段々と散り散りになってきている。ライムが居ない場所から、入り込もとしているのだろう。
その事には腹が立つが、今は対処しきれない存在が分散している現状を有りがたく受け取るしか無い。
今ライムが一番有りがたく無いのが、建物の屋根にいるライムを狙って攻撃してくる弓矢ゴブリンの存在だ。
ゴブリンにとっては、ライムが一番の脅威であるため、排除しようとするのは当然の事だ。
だが、矢を射掛けられる方としては堪ったものではない。
度々、屋根の上を移動する事によって、矢を射掛けられる機会を減らしてはいる。しかし完全に無くすことはできない。
腕が言い訳でも無いので、ほとんどが見当違いの場所に突き刺さる。
だが、射掛けられた全ての矢が、ライムに当たらず逸れていったわけでない。
計三本の矢がライムには当った。場所は足と腕と腹だ。
しかしライムにとってはなんの痛痒にもならない。
致命傷になるスライムとして核は、岩石と同等の強度を持った胸郭内に収められている。胸に当たったとしても、結果は弾かれるだけだ。
そしてそれ以外の体の部位に、いくら矢が刺さろうが、一瞬で無かったことにできる。
手足に刺さった矢は手足を振るだけでポロリと振り落とせたし、腹に刺さった矢も掴んで横にズラすだけで、元通り無傷な姿に戻れる。
核以外の粘体部分であるため、切り刻まれようと一瞬で修復可能だ。
ただ、矢が刺さる事で問題なのが、村人たちに見られる事だ。幸い今のところ、人々の目からは死角になる場所での出来事だった。
執拗に狙っていくる弓矢ゴブリンには、石の板の投擲で反撃を見舞っている。それでもその対処を行えば、ゴブリン集団へ行う魔法攻撃の間隔が長くなってしまう。
その事に苛立ちながら、ライムは魔法攻撃を続ける。
土塁の内側に存在するゴブリン集団には『水の大玉』を、外側のゴブリンには『火の大玉』を叩き込んでいると、やがて、土塁の外のゴブリンは完全にこの場から逃げ散っていった。
『風の大玉』なら届く位置にいるが、集団として集まっていないのであまりに効率が悪すぎる。
内側のゴブリンを優先して倒す事にする。しかし内側の方も集団として一気に吹き飛ばせるゴブリンも少なくなってきた。
もうすでに、ゴブリンが集団としてまとまっているのは、柵を盾にしている人々へ襲撃を掛けている集団だけになっている。
それも数が減ってきているので、放置しても問題は無いだろう。
それよりも問題なのは、ほとんどのゴブリンがバラバラに行動している事だ。集団で行動しているならば『大玉』系魔法で一撃で吹っ飛ばせるが、それもできない。
ゴブリンの数自体は減らしたが、戦況が悪い方向に傾いている。その事は屋根の上から戦場全体を俯瞰していたライムにしか分からない事だった。
ゴブリン共はまとまる事なく、それぞれに村の中央を目指している。このままではいずれ浸透されてしまう。
ライムは屋根の上を移動して、柵を防衛している人々に言う。
「柵の防衛は止めて一度戦線を下げて! このままじゃ後ろから回りこんだゴブリンたちに挟み撃ちにされる!」
その警告に柵の防衛をしている者たちは一度背後を見やる。そこにゴブリンの姿が幾つかあった事に動揺が走る。
柵の防衛をしている人々に動揺が走ったことを、柵に取り付くゴブリンは鋭く見て取り攻勢を激しくする。
ライムは警告を続ける。
「とにかく! 一度戦線を下げて!
このままそこで防衛を続けたらゴブリンに囲まれて孤立する!
その前に柵から離れて! そうすれば取り付いているゴブリンは、私がまとめて吹っ飛ばせる!」
「っく、分かった! おい! 戦線を一つ下げるぞ! 次の防衛柵まで移動だ! 道の途中にいるはぐれゴブリンは私に任せろ!
合図をしたら一斉に離れるぞ! いいか!」
「は、はい!!」
「よし! 3、2、1、離れろっ!」
まとめ役を担っている騎士ルパートの合図と共に、一斉に柵から人々が離れる。必死になってかけ出す彼らを追おうとしてか、妨害の無くなった柵をゴブリンが乗り越え始める。
だが、そんなことはライムが許さない。
ある程度人々が柵から離れたのを見て、柵に集うゴブリンたちに『水の大玉』を叩き込む。
他の場所にはない密集度だったため、一気に大量のゴブリンが吹き飛ばされ殲滅される。
ライムはこれで、土塁の内側の戦場では『大玉』系の出番は無くなっただろうと判断する。
これからは散兵となったゴブリンたちの掃討が主体になる。『大玉』系は威力がありすぎる上に連射ができない。散兵となったゴブリン相手では相性が悪くなる。
ライムは『水の大玉』の魔法陣を魔力として霧散させる事なく、全面的に書き換える。
使用する魔法は『風の矢』だ。
連射速度が若干早い『小玉』系の方が相応しいかも知れないと思ったが、連射速度の差は微々たるものだ。それならば、ひたすら訓練を繰り返したこちらの方が信頼できる。
ライムは柵から離れ、戦線を下げる為に走る人々に並走するように、建物の屋根の上を移動していく。
その際に、彼らの進行方向に見つけたゴブリンに『風の矢』を放って行く。
「移動を援護します!」
「助かる!」
ライムの言葉に、ルパートは短く返礼をして、走る。
ほぼ連射している魔法の矢は、それだけではすぐに標的が無くなってしまう。なので、彼らの移動の邪魔になるゴブリン以外にも、屋根から見つけたゴブリンには矢をお見舞いする。
この戦場で一番大量にゴブリンを倒しているのはライムだが、同時に今の戦況のまずさに一番に気がついているのもライムだった。
あまりにもゴブリンの数が多い。
防衛線の外側に逃げ散ったゴブリンたちの方が数は多いが、それでも防衛線の内側へ入り込んだゴブリンの数が多い。
そして、散兵となったゴブリンたちを効率よく倒す手段が無い。
ライムがいくら『風の矢』を連射しても、次々とゴブリンが湧いて出るような感覚を覚える。『大玉』を叩き込んでいた時のように、一気に数が減るという感覚がない。
そして何よりも問題なのが、今、新たな防衛線として柵の裏に陣取る人々の数だ。その数はあまりにも少ない。
ゴブリンたちに殺されたのだ。
一番初め、土塁の切れ目に殺到するゴブリン集団を『火の大玉』で吹き飛ばした。その時、周囲には人の死体がくつも転がっていた。
ライムはその事を認識はしていたが、あえてそれもろともゴブリンたちを吹き飛ばした。防衛している人々を守る為には仕方のないことだった。
ゴブリンの数は初期に比べたら減らしたが、いまだ多く。人々の数は明らかに少ない。
このままじゃジリ貧になって、最終的にはすり潰される。
そう考え、ライムはそれは間違っていることに気がつく。
人々が陣地を構築する柵とは違い、守る者の居ない防衛柵をゴブリンたちが破壊しているのが見えた。それも一箇所だけではなく、ほぼ全域に渡ってだ。
このままではすり潰される前に、浸透してきたゴブリンによって、防衛を行う新たな陣地は孤立し、防衛自体が無意味なものになる。
村人達の防衛目的である、女子供が逃げ込んでいる教会が、新たな構築している陣地が陥落する前に襲われる事になる。
柵を破壊しようとするゴブリンを、優先的に『風の矢』で仕留めていくが、その間に別の場所の柵に取り付かれる。
どうする! とライムは焦りを露わにする。
打開策は何か無いかと周囲を見回すが、ゴブリンたちは好き勝手に行動しているだけだ。
「ええい! 好き勝手に動くんじゃない!」
ライムは思わず毒吐き、『風の矢』を柵に取り付くゴブリンに放つ。
このまま散り散りに行動されるのはマズい。
と、そこでライムはふと気がつく。
つい先ほどまで、柵の防衛線にかけられていたゴブリン集団からの圧力を減らすために、ゴブリンが散り散りに行動することは非常に都合が良かった。
けれど今は散り散りになっていることが都合が悪い。
つまり、自分はやり過ぎたのだ。




