第62話 土壁と土塁
家を土壁で覆ってしまい、ゴブリンがやって来ても家の中に入れないようにしておく。
「さ、まずは宿屋の方へと行くぞ。騎士様をおまたせしているからな」
グレンは荷物を抱えるライムとアリティアに言った。そのグレンも荷物を抱えている。
ライムが気になったのは師匠の姿の方だ。
「師匠? その格好は?」
グレンの姿は普段は動きやすそうな服で装飾品を身に着けている事が少ない。けれど今の彼はペンダントを首から下げ、手首には腕輪をし、指にはいくつかの指輪が填まっている。
「戦いになるかも知れんからな。ワシの戦装束というやつじゃよ」
苦笑するようにグレンは言って、弟子と孫を促して家を後にする。見慣れた家の外見が土の壁に囲われてしまい、見て取れない事に哀しく思う。
三人が教会へと行くまでに、すでに村人たちが知らせに走ったのだろう。慌ただしく落ち着かない空気が村中に広がっているのを感じてしまう。
宿屋までやって来て、中に入る。騎士の方達と村長は椅子に座ること無く、一つのテーブルを覗き込んで議論を交わしている。
「村長、ルパート殿。孫を連れて来ましたぞ」
グレンは二人に声をかけ、そのテーブルまでやってくる。ライムもアリティアを連れてついていって、彼らが何を見ていたのかに気がついた。
「地図……?」
テーブルの上に広がっているのは、カイロス村の全体を記した地図だ。縮尺が正確な地図というわけではないが、カイロス村の全体像を把握するには十分に役に立つ代物だ。
ライムは、この村にこのレベルの地図があるということ自体に驚いた。アリティアから借りた旅行記にも地図は記載されていたが、それは街同士の場所関係がわかるだけの絵地図がせいぜいだった。
そのつぶやきが聞こえたのだろう、ルパートが感心したようにライムを見やった。
「ほお、これが地図だとひと目で分かるとは。さすがグレン師のお弟子さんですな」
「なに、この子が優秀なだけですよ。現に孫の方は分かっておらん」
首をかしげているアリティアに、そうグレンは言う。騎士たちは連れてきたアリティアとライムを交互に見比べて、目を丸くしている。
この反応も懐かしいなとライムは思った。しかし今はその事を説明するヒマも無かったようだ。グレンが話をその地図の事へと移す。
「村の地図を見ていたということは、何処に柵を設けるかの相談ですかな?」
「ああ、そのとおりだ。休閑地予定の畑を中心に防衛線を引くつもりだが、すべてがそうとはいかん」
「防衛線の案はどのようになっていますか?」
グレンの質問にルパートは地図の上を指で線を描く。
「この宿屋がある村の中心部を守る様に、できうる限り人家を内側に引き込むように、柵を設置したいと思っています」
「うむ……。地形の関係で幾つかの場所で変更は必要になるじゃろうが、妥当な所じゃと思うが?」
と、グレンは村長に視線を向ける。
「ええ、私もそう思います。ついては防衛線の構築にグレンさまの力をお借りしたい」
「わかった。そんな所だということは分かっておったしの。弟子と孫の力も借りることにしよう」
「え? わたしも?」
アリティアはキョトンと聞き返す。グレンは頷き、驚いた様子を見せている騎士たちへと説明を続ける。
「ああ。孫の方は魔法は使えるが、戦闘に関しては全くできないものだと思ってくれ。
防衛線の構築には、おそらく穴を掘って土塁を築く事になると思うが、それらの事なら十人力になるだろう。ただ、孫の安全には配慮を願いたい」
孫には安全な場所にいてほしいという願いと共に、魔法の使い手として遊ばしておくわけにもいかないという、葛藤の末にグレンは頭を下げてお願いする。
「お孫さんの安全に配慮するということは了解しました。しかし、お弟子さんの方はいいのですか?」
「なに、弟子の方でしたら問題ありませんよ。こやつなら戦闘だろうと容易くこなすでしょうから。せいぜいこき使ってやってください」
笑って太鼓判を押すグレンに、ライムは眉をしかめる。
「師匠。前から思ってましたが、弟子の扱いが非常に雑になる事がありませんか?」
「なに、信頼の証だと思えば良い。
ああ。ただ、出来ればライムは孫と一緒に行動させてください。それなら、孫の安全は確保できるでしょう」
弟子に軽く言って、それからグレンはルパートに依頼する。彼はその師弟のやり取りに戸惑ったようだが、自分の従者をオオカミから救った実績があると思いだして、その依頼を了承する。
「わかりました。共に行動できるようにしておきましょう。ただ、子供ですからお弟子さんが戦闘に出るというのは……」
「アリティアが安全な場所にいるなら、私は戦闘に出るつもりなんですが?」
ライムの言葉に、ルパートは絶句する。何かおかしな事を言っただろうかとライムは周囲の人を見回す。騎士たちも驚いた様子を見せており、村長も似たようなものだ。全く驚いていないのはグレンとアリティアだけだ。
「い、いや、しかし。キミは子供だろう?」
ルパートのなだめる様な言葉にライムは困った顔をして、グレンに助けを求めた。
「ルパート殿。問題はありませんよ。ライムは見た目よりは大人の考えができますし。それに、戦闘ができる魔法使いは貴重でしょう?」
グレンの言葉に、ルパートは苦い顔した後に頷く。
「わかりました。お弟子さんにも戦闘に参加していただきましょう。ただし、それは部隊がカイロス村にやって来る前に、ゴブリンが襲撃してきた場合に限ります。よろしいですね?」
「それが妥当な所じゃな」
「わかりました」
念を押されて、師弟は頷いた。
騎士としても悩ましいところだろう。救援部隊がやって来るまでは、戦力になるのであれば守るべき存在である子供でも、戦力として数えねばならないのだから。
ルパートは頭が痛いと首を振ったあと、話を戻す。
「それでは村長、この計画案で防衛線を構築します。村人たちにもこちから防衛線構築の為の協力を要請します。よろしいですね?」
確認の形をとっているが、確実にただの形式だ。彼らには村長の意思を無視して命令をする権利がある。それでも配慮し、聞いてくる騎士に感謝して村長は頷く。
「はい、村を守るためですから」
「村長感謝する。よし、では行くぞ」
村長の言葉を聞いて、騎士たちは防衛線を築く為の労働力として村人逹を集めるために、宿を出て行く。
グレンたちはついていく前に、宿屋の店主でもある村長に自分たちの分の部屋を用意しておいてくれと頼んだ。
村人を集めるならば村長として、騎士たちに同行する責任がある。なので宿の事は妻に任してあるとのことだ。そちらに頼むと一部屋だけならと了承された。彼女に荷物を預けて、先に出た彼らを追いかける。
宿の外へと出ると、そこにはすでに多くの村人が集まっていた。騎士ルパートの大きな声で、説明が行われていた。
ゴブリンの集団がカイロス村付近の森にいるらしき事。部隊が六日後にやって来る事。カイロス村防衛のために防衛線の構築を行うこと、防衛線の外側の住人は内側に避難を行うこと、内側の住人は外側の住人の受け入れを行うこと、そして防衛線の構築のために労働力として村人たちを徴用する事だ。
ゴブリンの存在に不安を見せる人々は、ルパートの言葉に反発することは無かった。これから耕す畑に構築線がかかるとの声がわずかに上がったが、ゴブリンに襲われるよりはマシだとその声はすぐに消えた。
騎士たちは集めた村人逹を班に分けて、それぞれの担当とした場所へつれていく。そこから手分けして、防衛線のための土塁や柵を構築していくのだ。
グレンたちは他の村人たちと混ぜられることなく、三人だけで一つの班となった。魔法を使った作業であるため、普通の人が近くにいると危険であり、安全確保の為に逆に作業が遅くなるためだ。
現場へと向かいながら、引率者になったルパートはグレンに魔法による防衛線の構築方法のレクチャーを受けている。
それはいいのだ。けれど、何故その従者のドミニク少年がチラチラとこちらを睨んでくるのだろうかと、ライムは疑問に思った。
「ライム? 何かしたの?」
小声でアリティアは尋ねてくる。ライムは首を振った。
「いや、全く心当たりがないんだが……?」
答えると、会話が聞こえたらしいドミニクはさらに目つきをきつくして、小声で文句を言ってきた。
「心当たりが無いだと? 人が大勢いる前で人の失敗を暴露しといてよく言えたものだ?」
「失敗? って、もしかしてオオカミに追われてたって事か?」
「そうだ! あんなこと言わなくとも良かっただろう!」
「言わないと、森の異変をみんなが認識してくれなかった。それに、オオカミが始めに何処に居たのかを知っていたのはあの場でキミだけだぞ?」
「だ、だが、もっと言い方があるだろう! 人の失敗談をあんな大勢の前で……!」
「別に失敗談というわけでもないだろう? オオカミに追われてたというのは、危険な状態にあったというだけの話だ。
言い方もちゃんと考えていたぞ? 考えていなかったら、騎士サマの制止を振りきって勝手に森に入って、挙句迷子になってオオカミに襲われていました。という言い方になっていた」
「――っ!」
ライムの言葉にドミニク少年は絶句する。言い返そうとしても言葉が出なかったようだ。
そんな背後の会話が聞こえていたようで、ルパートは笑い声を上げた。
「ハッハッハッ! 諦めろドミニクよ。お前ではその嬢ちゃんには敵わんよ」
「そ、そんな事ありません! 敵わないってどういう意味ですか!ルパート様っ!」
なにやら怒鳴りまくるドミニクに、ルパートはからかうようにあしらう。
「ライム? あの人と仲、悪いの?」
「前に一度合っただけだし、それ以前の問題と思う」
「ふーん?」
そんなふうに話しをしていると、やがて道の途中で足を止めた。丁度、村の中心部として建物が多い場所から畑に差し掛かる位置だ。
ルパートが振り返り、魔法使い三人にむけて言う。
「さて、ここから左右に畑を突っ切っていく直線上に土塁を築いていってもらいます。ドミニク。お前は隣の班が居る場所まで、真っ直ぐ地面に線を描いてこい。それが防衛線の下書きだ」
「はい!」
元気よく返事をして、少年は片足で地面に線を引きながら離れていく。
グレンが質問する。
「この道からだというが、この道はすぐに塞いでしまうのか?」
「いえ、道は最低限残しておいてください。外側の住人の避難が終了しだい、道の部分も土塁にしていただきたい」
「了解した。では早速始めようか。ライム、アリティア。まずワシが見本を見せよう。
魔法による土塁の構築には『穴掘り』の応用を使う」
『穴掘り』の魔法とは、指定した土同士のつながりを一時期解き、砂のようにサラサラにした土を移動させるという魔法だ。
「通常の『穴掘り』は土全体を砂状にして土を移動させるが、砂状にする部分を箱型にすれば、土の形を維持したまま掘り出す事ができる」
グレンは魔法陣を構築し、そこから伸びる作用線で地面を一辺一.五メートルほどの正方形に指定する。
「この時、見えている部分だけではなく底の部分も、砂状にしておくように。そしてこのままそっくり移動させる」
グレンの言葉と共に、ズッ!と音を立てて、一辺一.五メートルほどの立方体の土のブロックが浮き上がった。そのままひっくり返るように回転移動し、穴の縁の線に合わせるように接地する。
「土塁作りの場合、注意することは、土のブロックを置く位置が、陣地の内側になるようにするということだな。そうすることで外側に空堀ができ、積み上げた土の分高い防壁代わりになる。
それと、穴の縁に隙間無く土のブロックを置く事だ。隙間があればそこが足場になって、空堀の意味が無くなってしまう。
あとはこの穴を繋げるように掘って、ブロックを隙間なく並べていけばいい。おぬしらが交互にやっていけばすぐにできあがるだろう」
「意外と簡単そうですね」
「そうだね、応用っていうからもっと面倒だと思った」
グレンの説明に、弟子と孫にとっては大したことがないように反応が薄い。
「じゃあ、私から始めるね」
ライムは言って、『穴掘り』の魔法陣を構築し、グレンの掘った穴に隣接させるように指定して、土のブロックを新たに掘り上げる。
「あ、これ。持ち上げる時以外は魔力量が少なくて済むから、普通の『穴掘り』より楽かもしれない」
ライムは感想を述べて、ブロックをグレンが置いたものの隣りに置く。次はアリティアの番だ。
ほんの少しだけ戸惑った様子を見せるが、同様に穴を掘ってブロックを並べる。
「確かに、楽かもしれないね。これ」
「では、後は二人で交互に続けるように」
「わかりました」
「はーい」
ライムは真面目に了承し、軽い様子で返事をした。そして交互に、子供が積み木を積み上げるかの様子で、土塁と空堀を築いていく。
傍で見ていたルパートは信じられない物を見たと呆れた様子で頭を振った。
高さ一.五メートルの土塁はゴブリンの身長よりも高い。ゴブリン相手の土塁には十分すぎるほどの高さだ。それに加えて、同じ深さの空堀がある。幅が狭いとも見えるが、その先が土塁になっていて、乗り越える事は困難だろう。
人相手でもそれなりに通用しそうな防衛線だ。
通常これほどの防衛線を作るとなると、相当の労働力を動員しても時間がかかるものだ。それが、たった二人で呆れるほどの速さで構築されていく。魔法使いという存在が畏怖されるのも分かる光景だろう。
防衛線の下書きを描き終えて戻ってきたドミニクがそんな二人の少女の行っている事を見て、ぎょっとした様子を見せた。
一方、弟子と孫たちとは道の反対へと来たグレンは、『土壁』の魔法で高さ三メートルほどの壁を築いていく。
一時的にしか存在できない防御魔法の『壁』系の魔法ではない。土属性の『壁』の魔法は『土の壁』であり別の魔法だ。
『土壁』は地面の土を直接移動させ、硬化させることによって壁とする建築用の魔法だ。似ている名称の魔法なので混同しやすいのが欠点だ。
四大魔法の中でも土の中級魔法に位置しているので、ライムはまだ覚えていない魔法でもあった。ちなみに乾燥小屋の壁を作ったのも、家で土で覆ったのもこの魔法である。
グレンは次々と土壁を伸ばしていく。
「これは……。こちらの担当はすぐに終わりそうだな」
ルパートは思わずつぶやく。ここが完成したら、別の担当場所へと彼らを派遣しなければならないだろう。ゴブリンは何時襲いかかってくるか分からない。早くに防衛線が完成するのに越したことはない。
防衛線は早くに完成できそうだと思う。しかしそれでもルパートは不安が拭えない。ゴブリンの知らせを受けてから、ずっと不安を抱き続けていた。
ゴブリンの襲撃は、大きな被害が出る事が多い。防衛線が完成したとしても、部隊が到着するまえに襲撃されれば大きな被害が出ることは免れないだろう。
周囲には決して見せていないが、ルパートはゴブリンがやってこないことを心の底から願っていた。




