第61話 召集
森の中には、食べ物を探すために地面を掘り返すイノシシが居た。歩き回り、僅かに嗅ぎつけた食べ物を食らう為に、丈夫な鼻で地面を掘る。地中の食べ物を見つけるとすぐさま食らい、次の食べ物を求めて食べ物の匂いを探す。
と、イノシシは周囲を警戒する様に動きを止めた。そして逃げ出す為に走りだそうとする寸前。
草むらの陰から高速で飛んできた白い板がその首筋に突き刺さった。
「プギィ!」
首に板を食い込ませても絶命しなかったイノシシは、悲鳴を上げてそのまま逃げようとする。
だが、追撃のガラスのように透明な矢を頭部に受けて、どうっと倒れた。
ガサガサと音と立てて、白い板と透明な矢が飛んできた場所からライムが姿を現す。
ライムはじっと倒れたイノシシを観察する。その目にはゆっくりとイノシシの体から魂が剥がれ落ちるのが見えていた。
「うん。ちゃんと仕留められたか……」
グレンの導きによって、魚の魂が天へと登っていく所を見て以来、ライムは魂が見えるようになった。
それは生き物が死んだことが、明確に分かってしまうという事だった。師匠はその事に懸念を抱いていたようだが、ライムにとってまるで問題は感じていなかった。
問題より、むしろ利点しか感じられないものだった。
狩りをするライムにとって、死んだ者の魂が天へと上っていくのが見えるということは、獲物が確実に死んだか否かの確認が取れる事でもある。
魂が見える前には、仕留めたと思った獲物が実際には死んでなかったという事が何度かあった。
一度は死んだと思って近づいたら、急に飛び起きた獲物に蹴飛ばされた。ライムでなかったら最低、骨折は免れぬ衝撃だった。その時はすぐさま止めを刺したが、それ以来、獲物の生死の確認は近づく前の必須事項になった。
生死を確認ができるようになる魂の視認は、ライムにとって利点であり、欠点とはいえない。
何故師匠はアレほどの懸念を抱いていたのだろうと、疑問に思う程だ。
ライムは天へと上っていくイノシシの魂に敬意を払いながら見送り、仕留めた肉体の方へと近づく。
イノシシの首筋には白い石の板が食い込み、頭部にはガラスに似た透明な矢が突き刺さっている。
と、その透明な矢が維持能力を失って魔力へと還元され、散っていった。
この矢は、四大魔法の『風の矢』だ。
『矢』は四大魔法の初級射撃系魔法の中で一番の射程距離と貫通力を持っている魔法だ。しかし、破壊力や複数発射能力には劣る。
ライムがとっさに使える魔法として選んだ魔法の一つが、この『風の矢』だ。
通常とっさに使える魔法には、素早く簡単に発動させる事が求められる。
それに適した魔法は『小玉』であり、その点で言えば『矢』はあまり向いてはいない。
『小玉』は複数発射能力が高く、魔法陣が単純で構築しやすいという利点がある。しかし破壊力、射程距離、貫通力それぞれのバランスは良いが、どれも他の射撃系に比べると格段に低い。
ゆえに基本ではあるが優れた射撃系魔法だとは言えない。
しかし多くの四大魔法を扱う者にとって、とっさに使える魔法は『小玉』になる。それは最初に習う射撃系魔法が『小玉』であり、長く使っていただけということの裏返しでもある。
けれど、一時期に大量に魔法を覚える事になったライムにとっては、自分に使いやすいであろう魔法をとっさに使える魔法にする事になった。
そして、遠距離への攻撃魔法として選んだのが『風の矢』だ。
射撃系の中では少々高度な『矢』を選んだのは、その射程距離と貫通力に惹かれたためだ。
『矢』以外の魔法では、石ころや石の板を投げた方が射程距離が長い。
そして貫通力に関しては、イノシシの頑丈な頭蓋でもあっさりと貫通するように、投擲よりも高い威力が欲しい時に必要となるからだ。
投擲よりも長い射程が必須事項であり、また投擲の射程内ならば、それよりも高い威力が必要とされる。ライムの二つの要求を満たすのが『矢』だったのだ。
魔法使いが投擲を基準にするのはどうなのかと、グレンには嘆かれた。
ともかく、他の射撃系では威力と射程距離に丁度良いものがなかった。『小玉』は威力と射程が足らず、『刃』は威力は高いが射程が短く、『大玉』は射程はあるが威力が高すぎる。
『矢』の中でも、適正と一番離れた風属性を選んだのにも理由がある。
とっさに使えるということは、周囲の状況に関わらず使ってしまう可能性があるということだ。
火では周辺への延焼が恐ろしく。水では濡らしていけないものがあるかもしれない。
そして土は、速度と貫通力を削いで、対象に衝撃を与える能力がある。だが、『矢』の魅力である速度と貫通力を削いでまで欲しい能力ではない。
結果として、速度と貫通力を上げる『風の矢』が選ばれることになった。
ライムだけではなく、アリティアもこの魔法を射撃系のとっさに使える魔法として選んだ。ライムと同じ魔法だということが理由の一つだが、少女の適正に合った属性であることも理由の一つだ。
ただし、射撃系以外の防御魔法と近接系の魔法では、それぞれ別な魔法を選んだ。
防御魔法ではライムが五行の土行魔法である『守護盾』、アリティアが四大魔法の水の『盾』。
さらに近接系では、ライムが四大魔法の『土の剣』、アリティアが『風の放射』だ。
防御魔法では防御力が高い事よりも、素早く確実に発動させる事が求められる。結果、適正に合う属性が選ばれた。ライムの『守護盾』は五行魔法である分、手間はかかるが、そちらの方が防御力が高いとあえて選んだ。
そして、近接系ではライムは受け太刀として防御にも使える『土の剣』を、アリティアは接近した敵を吹き飛ばす『風の放射』を選んだ。
ここしばらくは、この三つの魔法をいかなる時も素早く発動させるために、速射競技のようにひたすら発動の速さを競う訓練ばかりをしている。
石の板の直撃を受けたのに逃げ出そうとしたイノシシ相手に、とっさに『風の矢』を叩き込めたのは、その訓練の成果だろう。
ライムはイノシシに刺さる石の板の引き抜き、手早く下処理を始める。前回、オオカミを持って言った時は下処理をしていない事に文句を言われた為だ。
下処理を終了するとそれを担いで村へと戻る。
このイノシシは徴税官の歓迎の為の食材だ。前回の様な保存食作りのためでは無いため、大体的に狩りを行っているわけではない。
しかし、ライム一人が狩りを行っているわけでもない。他にも狩り自慢の村人が何人も狩りに出ている。
ライムが仕留めた分以外にも村には獲物が届けられているだろう。徴税官逹の口に入るのはその中で一番良い物だ。
このイノシシも選考に外れれば村人たちの口に入ることになるだろう。
どちらにしても、ライムにはわずかばかりの報酬が手に入るので文句はない。
村に戻ると案の定、別の人も獲物を持ち帰っていた。ライムはわずかばかりの報酬と、狩りの腕の良さへの称賛を受け取った。
その後、毛皮の方は雑貨屋に引き取って貰う話を付けると家に戻った。
誰が取った獲物が一番かということには、あまり興味が無い。そもそも、明日か明後日にやって来る徴税官たちと関わる気など全く無い。
誰が獲った獲物の肉を口にするのかなど、関心も抱けない。
彼らが村にやって来る頃には、自分は勉強に忙しくなっている。彼らと関わる事など無いのだろうなとライムは思った。
◇ ◇ ◇
しかし予想とは違い、その翌日にライムは何故かグレンと共に村長に呼び出された。至急との事だ。
「いったい何の用なんですかね?」
グレンと共に、村長の待つ宿屋へと向かう村の道を歩く。ライムは不機嫌そうにつぶやく。丁度、苦戦していたレポートの調子が、良くなってきた頃に呼び出されたのだ。おかけで、期限までにレポートの完成は怪しくなってしまった。
そんなライムにグレンは肩をすくめた。
「さてな。だが、ろくなものでは無いとは思うがな」
「師匠はどんな用事か予想がつくんですか?」
「わからんよ。だが、今まで緊急の呼び出しで、良い知らせだったことは無かった」
「まあ、良い知らせだったら、緊急なんかじゃないでしょうしね……」
ろくでもない未来を予見して、顔をしかめる。問題はどれほどの悪い知らせであるかだ。
相談役であるグレンが呼び出された事はともかく、ライムも同行を求められた。
昨日、狩りに出ていたお弟子さんも連れて来るように、というのが村長からの伝言だ。ちなみに伝言を持ってきた若者は、次の人にも伝言があると早々に立ち去った。
「まあ、行ってみるしかあるまい」
「そうですね」
ライムがグレンと共に宿屋にたどり着くと、宿屋の一階の食堂にはそれなりの人数が集まっていた。なにやら、緊張した雰囲気が漂っていた。
グレンは村長に声をかけようとしたが、村長の方に手で制される。
「すまんが、呼び出した者たちが揃ってから話す。それまでテーブルに着いてお茶を飲んでいてくれ」
「……わかった」
こわばった顔つきの村長に、それなりの大事だと認識したグレンは頷き、ライムと伴ってテーブルに付く。すぐにお茶をだされる。
その場に集まっている物を見回すと、二種類に別れるようだ。
一つは村長を始めとした緊張してはいるが困惑はしていない者たち。大多数占めるのが、徴税官の護衛である数人の騎士と兵士たちだ。
そのグルーブの中には不安そうにしているドミニク少年の姿もある。
そんな彼と目があってしまったライムは、嫌な少年がいるなと、すぐに目を外す。
そしてもう一つのグループが、困惑と緊張をないまぜにした村人たちだ。
村人の面々は呼び出された狩り自慢の男たちがほとんどだ。
他にも数人、狩り自慢以外の村人がいる。
教会のシスターセリカに、木こりギルドのおやっさんと呼ばれているドルフ、雑貨屋主人のウォーレンだ。
グレンが座ったテーブルは、彼らがまとまって座っていたテーブルだ。グレンはあまりにも自然に、断ることもなく同じテーブルについたのだ。
ライムもつられて師匠の隣りに座ることになったが、この面子は何なのだろうと、ふと疑問に思ったのは、しばし経った後だった。
彼ら三人も困惑と緊張を浮かべている。
「おぬしらもまだ話を聞いていないのか?」
グレンの質問に彼らは無言で首肯する。
「そうか、なら待つしか無いか」
お茶を飲み時間を潰していると、数人が宿屋に入ってくる。狩り自慢の村人だが、彼らも村長に問いかけ、暫し待つように言われる。
ライムがやって来てから二人程がふえ、三人目が宿屋に入ってくるとようやく、村長は話を始めた。
「さて、みんな。急な呼び出しに良く集まって来てくれた。まずは感謝する。
みんなを急遽集めたのは、見過ごせない情報が騎士様達からもたらされたからだ。
ルパート様」
村長に促された騎士ルパートが立ち上がり、言葉を続ける。
「カイロス村の諸君。諸君に集まってもらったのは、ある凶報を伝えるためだ。
ここから五日ほど離れた場所にあるモマート村が、ゴブリンの襲撃を受けたからだ」
集まっている人々に衝撃は走り、ざわめきが生まれる。
ルパートはそのざわめきを、手を上げる事によって静める。
「幸いな事に、徴税官と護衛の騎士たちが村に居合わせた為、被害は非常に少ないものになった。我らはゴブリンたちを打倒したが、いくつかの集団は取り逃がした。
そしてゴブリンの集団を追跡した所、カイロス村方面に向かっている所で痕跡を見失った」
ざわめきが再び上がる。今度は強いものだ。ルパートは強い口調で続ける。
「だが、安心せよ! カイロス村にもしばらく部隊が駐留する! ゴブリンの集団を殲滅させるためだ!
我らはそのための先遣隊も兼ねている! 部隊がカイロス村にやって来るのはおよそ六日後。それまで、我らがカイロス村の防衛を任された!」
「なんで軍隊が来るのにそんなに掛かるんだ……」
村人の中からそんな不安そうなつぶやきが聞こえた。ルパートはその言葉に一つ頷き答える。
「我らがモマート村の襲撃を知り、先遣隊としてカイロス村に防衛せよ命令を受けたのは、徴税官の護衛としてカイロス村へと向かう道中の事だ。ゆえに我らは早馬から命令を受けて、僅か一日でカイロス村に到着できた。
しかし部隊をカイロス村へと持ってくるには、部隊を編制し、領都からカイロス村へと行軍させねばならない。それにはその程度の時間がかかるということだ。
諸君らに集まってもらったのは、村周辺の森について、詳しい者たちだからだ。何か森の中で変化があれば、最初に気がつくのは諸君らだ。
ゴブリン討伐の為に森の中での変化は早めに把握しておきたい。何か、気がついたことは無いか?」
ルパートの言葉に村人達は不安と困惑で顔を見合わせる。そして誰もが話し始めることがない。支配階級の騎士相手に直接話しかけて良いのかというためらいもある。
その様子に間に入ったのは村長だ。
「支部長。木こり達から森の異変は何か聞いてはいませんか?」
村長の質問にドルフは首をふる。
「いや。ウチは週に一度は森の様子を話し合うが、そういった事は話は出てないな。
そもそもウチの今の伐採地は、モマート村の方向じゃない。モマート村方向の森に関しては狩人たちのほうがくわしいだろう」
「ではそちら方面の森に出た人たちで、何かおかしな事があったと気がついた者はいないだろうか?」
村長の促しに、集まった貰った村人達は困惑の様子で顔を見合わせる。
「何かあったか?」
「いや、普通だと思うが」
「ゴブリンの痕跡なんか一つも無かったぞ。あったら大騒ぎになっているだろう」
「無いよな……? おかしな事なんて」
「ああ、少なくとも気が付かなかった」
そんな様子に、森の中の異変は内容だと村長と騎士たちが思い始めたころ、一つの手が上がった。
手を上げたのはライムだ。
「あの、一ついいですか?」
「ライム?」
グレンも驚きの目で見るがライムは真剣な表情をしている。
他の者たちも、小さな子供であるライムが発言したことで、注目が集まる。
戸惑った様子だが村長はライムに促す。
「何かな? ライムちゃん」
「私は最近村にやってきた者ですけど、ここ最近――というか二ヶ月ほどなんですが、森の中で変化を感じています。
生き物たちが、村に近い場所で見つかることが多くなってきているんじゃないだろうか。という事です」
ライムの言葉に、狩り自慢の者たちは疑問を抱いている。
「季節の変化じゃないのか?」
「ああ、獲物の量は例年並だろう?」
「それに近くに寄って来ることも、動物である以上あるしな」
口々に疑問を言う狩り自慢の者たちだが、そのざわめきともいえる内容を聞いてライムは、森の中の異変が気のせいではないと確信した。
なぜなら、例年並みという事はあり得ないとライムだけは知っているのだ。今年は去年とは違い。週に一回は最低でも二頭もの獲物をとらえるライムの存在がある。
ライムは森を往復する時間を減らすため、できる限り村の近くで夜の狩りを行っている。それでもその距離は徐々に村の方に近づいているのだ。
だが、その事を今ここで言う訳にはいかない。その代わりにもう一つ気になった事を思い出す。
「それともう一つ、これは騎士サマの従者であるドミニク少年に確認をとってほしいのですが。
前回、騎士サマたちがこの村に来た時、私はオオカミに追われていたドミニク少年を助け出しました。その時の場所は相当、村に近い場所でした。
ですが、普段オオカミは村周辺では見かけません。少なくとも私はあの時以外に、村周辺でオオカミを見かけた事はありません。その痕跡もです。
あの時は、ドミニク少年が逃げる為に、森の奥からオオカミを連れて来てしまったのだと思っていました。ですがよくよく考えると。そんな長距離を、ドミニク少年がオオカミを引き連れたまま逃げ切れるとは到底思えないのです」
ライムの言葉にルパートはドミニクに視線を向ける。
「ドミニク。彼女はそう言っているが、あの時はどれだけ距離をオオカミから逃げていた?」
「そ、それほどでも無かったはずです……」
何故がライムの方を睨んでいたドミニク少年は答えた。
それを聞いて、ライムは続ける。
「あの時のオオカミは、森の奥からゴブリンに追いやられてやって来たんじゃなかって、今は思います」
ライムの言葉が終わると、ルパートは思案した様子で村人たちを見やる。
「あのオオカミは森の奥から獲ってきたんじゃないのか?」
「だとしたら、ゴブリンに追われてというのは本当か?」
「オオカミは普通、村には近づいてこないだろう。あいつらは頭がいい。今は獲物も豊富だし、わざわざ危険な村に近づいて来る理由がない」
「ということは、村に動物が近づいているって事も、ゴブリンに追いやられたってことか……」
狩り自慢の村人たちは、気が付かされて驚いた様子を見せている。
「わかった。では、我らはその先にゴブリンの集団がいた前提で行動を取ることにする」
ルパートはそう宣言する。
「狩人の諸君には部隊が来て後、森の中の案内を頼む可能性がある。その時は些少ながら謝礼金を渡そう。それまではできる限り森には入らぬように」
ゴブリンの事を村人たちに広めるのは良いが、軽挙妄動すること無く、落ち着いて行動するように伝えると、ルパートは集めた村人たちを解散させた。
村人たちは不安を口にしながら、宿屋を出て行く。
ただし、全員がその時点で解散となったわけでない。騎士たちと村長。そして村長に残るように言われたのがセリカにドルフ、そしてグレンだ。ライムも一緒に残っていたが師匠のオマケでしかない。
「シスターセリカ」
「は、はいっ!?」
残った者の中で、ルパートに最初に呼びかけられ、不安気な様子を必死に隠そうとしてたセリカは裏声で返事をした。
「この村で一番頑丈な建物は教会です。教会には村人たちが逃げ込んだ時の受け入れ準備をお願いします」
「わかりました、準備を行います」
「支部長。木こりギルドにはカイロス村防衛の為の協力を要請します」
騎士ルパートの言葉に、ドルフは嫌な顔をした。協力を要請とは言うが、それは命令と同義だ。
「木こり達はガタイがいいとはいえ、戦いの経験など無い者ばかりですぞ? 戦いに出したら死ぬだけです」
「そこまでは期待しておりません。木こりギルドに協力して欲しいのは、カイロス村を囲う柵を設置するための木材と労働力の提供です」
「村を囲う? 無理です。カイロス村は広い。そこまで長い柵など設置は到底不可能です。どれだけの木材が必要になるかわかったものではない」
ドルフの嘆きに似た言葉にも、ルパートは動じる様子はない。
「問題ありません。柵で囲うのはカイロス村でも中央部を含んだ人家が多く集中した部分だけです。柵の外になる家の住人には、内側の建物に避難してもらいます」
その言葉にグレンはため息を漏らし小さくつぶやいた。
「ワシらの家は確実に柵の外じゃな……」
ライムも悲しそうな顔で頷く。
ドルフはしぶしぶ頷くしか無い。
「商売上がったりだが、しかたないか……。わかりました。ウチの連中にも言っておきます」
「ルパートさま。村の中央部だけを柵で囲うという事は畑にも柵を置くのですよね? これからは秋蒔き麦の種まきが迫っています。秋蒔き麦の予定地に柵を置かれてはまともに耕耘ができません。柵の位置にはその配慮をお願いいたします」
村長の懇願に頷く。
「わかった。柵の位置には配慮する。村長、あなたには柵の外側になる村人たちの説得と避難をお願いする」
「わかりました。柵の内側になる家にも、泊めて貰えるように説得しましょう。宿屋にもいくつか空き部屋がありますからな」
「そしてグレン師。あなたには防壁の設置など、様々な事の協力を要請いたします」
「ま、仕方あるまい。村を守るためじゃ。協力は惜しまんよ」
「つきましてはお弟子さんも協力を願いたいのですが」
と、ルパートの視線がライムへと向く。
「私も問題ありません」
「ありがとう。しかし、お弟子さんの実力の程はどれほどなので? まあ、子供である以上酷使するような事はいたしませんが」
「ライムなら酷使しても大丈夫じゃろ」
「ちょ、師匠!?」
「まあ、冗談はともかく。ライムはすでに、四大は中級の始め、五行は土行だけだが初級まで習得している。あとは陰陽の方も学び始めてはいるが、そちらはまだまだと言ったところじゃ。
世間一般で、魔法使いでございと大きな顔をしている者よりは、使い物になると思う」
グレンの評価にルパートは感心した視線を向けた。
「ほお……。ではさっそくお願いしたい事があるのですが」
その言葉にグレンは一度制止する。
「ああ、その前に孫娘を迎えに行かせてくれ。ワシらの家は村外れでな、森からゴブリンが来るなら一番危険なところじゃ。先にこちらの方に連れて来たい。
それにいくつか取りにいきたい物があるのでな」
「わかりました、では早めにお願いします」
「うむ。よし、ライムいくぞ」
「え。あ、はい」
席を立つグレンを追いかけて、宿屋を出る。
「それにしてもゴブリンが、やっかいな事になったの」
家に向かって早足で歩きながら、顔をしかめてグレンはうなる。そんな師匠にライムはおずおずと質問する。
「あのー、師匠? 一つ聞いてもいいですか?」
「ん? なんじゃ?」
「私は、ゴブリンという存在にあまり詳しく無いんですけど。どういう存在なんですか?」
ライムの言葉に、グレンは目を丸くする。
「あれだけの考察を披露しておきながら、ゴブリンの存在を知らなかったのか?」
「すいません。騎士さまが言っていた事と、今まで森で狩りをしていて感じた事からで組み上げただけです。
ゴブリンという存在は詳しくは知りません」
「ああ、そうか。魔法関連ばかり教えていて、そういったことは後回しになっておったか」
ライムの教育方針に反省し、グレンはゴブリンについて説明する。
「ゴブリンというのは魔物に分類されるモンスターじゃ」
「魔物というのは死体を残さず、魔石を残すものの事で。モンスターって言うのが、動物魔物に関わらず積極的に人に害をなす存在、ですよね?」
確認のためにライムは聞く。
「ああ。モンスターの定義はほかにも色々あるが、それであっている。
ゴブリンというのは、モンスターの中でも殲滅対象に指定されているモンスターじゃ」
「殲滅対象?」
「ああ、根絶やしにしなければ危険だとされているモンスターの事だ。
ゴブリンは人型の魔物だが、そんなに大きくはない。大体今のおぬしより、拳一つ分くらい身長は低い」
「結構小さいですね」
それなのに、やたらと危険視されている事に首をかしげる。
「ああ、それに大して強いモンスターでもない。一対一で大の大人が武器を持てば、大抵の場合簡単に勝てる。
だがゴブリンの恐ろしさは、単純な身体能力ではない。
一番の恐ろしさはその繁殖能力だ。ツガイを取り逃がせば、数年で数百匹に増える事も珍しくない」
「数年で、数百匹!?」
ライムは驚愕の声を上げる。
「ああ。ゴブリンは単独で行動している内は臆病な性格をしているが、複数になるととたんに凶暴で残酷な性格をむき出しにする。
そして手当たり次第に生き物に襲いかかるようになる。
しかも狩りが下手だから、仕留める前に逃げられる事が多い。村周辺に獲物の数が増えたというのは、ゴブリンに追いやられたから、というのはおそらく正しいじゃろうな。
ゴブリンの一番大きな問題が、大きな集団となると人間の村も襲ってくる。
モマート村も大群で襲われたはずだ。だが、おそらくある程度の事前準備はできていたんじゃろうな。準備もなく、いきなり襲われたら、被害が軽微ではすまない。
あるいは、軽微というのは嘘だということも……」
最後のつぶやきにグレンは首を振って否定する。
「いや、それはあってはならんことだ。ライム、今のは聞かなかった事しておいてくれ」
「わかりました」
「ともかく、ゴブリンというのは危険なモンスターじゃ。戦う事になったら確実に止めを刺すことを忘れてはならんぞ?」
話しているうちに、家にたどり着いた。二人が心配していたような、荒らされている様子はない。
家の中に入りアリティアを探すと、自分の部屋の中で裁縫に励んでいた。
「あ、おかえりなさい。一体なんの用だったの?」
元気な少女に、グレンとライムはホッと安堵の息をついた。
「アリティア。悪いが家から離れて、教会か宿屋の方に避難してもらわねばならん」
「え?」
「ゴブリンの集団が村の近くに現れたようだ。村の防衛の為に、中心部に柵を巡らす事になったが、この家は柵の外にある。
それに森のすく隣じゃ。ゴブリンが村を襲うなら真っ先に襲われる事になる。その前に避難するんじゃ」
「え? あ……。う、うん! 分かった! ちょっと待って! すぐ準備するから!」
突然の事に、戸惑い呆然としていたが、気を取り戻したアリティアは機敏に行動を開始した。
「アリティア。持っていくのは貴重品と、着替え程度にしておきなさい」
「はーい」
「これからこの家は土壁で出入口を封印するから、ゴブリン共に荒らされる危険は少ない。余計な荷物になるから、あまりあれこれと持って行かないように。
ライムも準備をしなさい」
「はい」
グレンの言葉にライムも自分の部屋に戻る。そこで何を持っていくかとしばし悩んだ。
この部屋は貰った当初にくらべて、とても物が増えた。
当初はただガランとした空き部屋だったのが、人の生活の息づいた部屋に変わった。
本棚にはたくさんの魔法関連の書籍が並び、その空いたスペースには石細工の小物や、制作したが下手に売ることのできない皿が所せましと並ぶ。
ベッドが置かれた壁にはアリティアの作品であるキルトが飾られ、ドアの近くのハンガーにはアリティア制作のライム用の服がかけられている。
机の上には書きかけのレポートと筆記具が転がり、机の前の壁には走り書きのメモがいくつか貼り付けてある。
床は綺麗に掃除しているが、隅には石細工の材料と作りかけが無造作にまとめてある。
自分の部屋の中を見回し、ライムは困った。持って行くべき荷物がない。
一応ベッドの下からバックを取り出してはみたが、持って行くべき貴重品や荷物がこの部屋にはない。
本の類は貴重品とも言えるが、避難生活へ持っていく貴重品とは言えない。
そもそも貴重品といえる金銭は常に体の中に保存してある。それにグレンから授与された四大魔法の護符のペンダントは常に身に着けている。
着替えの方もライムには必要のないものだ。体の表面を変化させるだけで、どんな服でも着ていることにできるのだから。
何も持たずに部屋を出るかと思ったが、ある物が目に留まる。
投擲用に作った石の板の束だ。
貴重品でもない消耗品だが、ゴブリンの大群を相手にするかもれない以上、数が必要になるかもしれない。今も数枚を体内に保持しているが、さらに数枚を体内に保存し、体の動きが悪そうになる前に残った十数枚の束をバックに突っ込む。
「これくらいかな……?」
部屋を出ようとしてライムは足を止めた。
ハンガーにかけられた、アリティアに贈られた服に目が留まる。
グレンはこの家を土壁で覆い、ゴブリンたちに荒らされないようにするつもりのようだ。しかし、もしも部屋の中を荒らされてしまったら、この服も同じ運命をたどることになるだろう。
それはイヤだな。とライムは思った。
今のライムが着ている服は、かけられている服をモデルに体の表面を変化させたものだ。
一見ソックリだが、見比べてみればその差は一目瞭然だ。ハンガーにかかっている服の方が細かな刺繍が多く入っていて、明らかに手間暇がかけられている。
ライムが体の表面を変化させている方は、簡素な印象を与える服だが、こちらの方は華やかな印象を与えるいわゆる晴れ着というものだ。
この服が贈られた時のアリティアの笑顔を思い出して、ライムはこの服を持って行くかを考える。持って行っても着て過ごすわけにもいかないので、避難生活のゴタゴタで無くしてしまうかもしれない。
そもそも家の中にゴブリンが入れるだろうかとライムは考え、結局、この服は置いていく事に決めた。
ただし、もしゴブリンに入られても服に傷が付かないように、別のバックにていねい入れて、部屋の片隅に石材の奥に隠すように置いていく。
少し離れて見て、一見してそのバックが見えない事を確認する。これで大丈夫だろうとライムは頷く。
ライムは石の板を入れたバックだけを持って行く事に決めてアリティアに合流する。
すると、ライムの持つ荷物の少なさに叱られる事になった。
「うちとは違って、着替えがないとおかしいと思われるでしょ!」
実にごもっともなお叱りに、ライムは着替え一式も持っていくことになった。




