第60話 麦刈り後、宴にて
季節は秋にさしかかり始めていた。カイロス村の春播き麦は収穫の時期を迎えていた。
今回の麦刈りは前回のそれはとは違って、慌ただしくなることは無かった。グレンの天気予報で、収穫に適した期間の間、雨が降ることはないだろうと太鼓判を押されたためだ。
カイロス村の農民たちは総出で麦刈りを行う。今回は木こり達の手を借りる必要もなかった。
ライムもグレンとアリティアと共に畑の麦刈りを行った。『風の切り払い』を使用した麦刈りは、他の村人たちの手作業での麦刈りに比べたら非常に早い。
数時間で自分の畑の分を終わらせた三人は、他の人の麦刈りも手伝うことになった。
それでも前回に比べたら、雲泥の差で楽な仕事だった。
村中の麦刈りは一週間をかけて何事もなく終わり、カイロス村にはこれですべての麦が刈り取られた事になった。
これから先、休耕地を耕し秋蒔き麦の種まきが始まるのだ。
収穫量は豊作でもなく凶作でもない。平年通りの収穫量だという。
前回の麦刈りではほぼ例外なく疲れきっていて、やることもできなかったささやかな宴が開かれる事になった。
最後の麦刈りを行われた畑で、みんなで鍋釜を持ち寄って作った料理とわずかばかりの酒が振る舞われた。
「今年も、無事麦刈りが済んだ! 豊作とは言えないが、豊穣の神々が見ていてくださり、平年並には麦は実った! これから先、まだまだ作業は残ってはいるが、今は皆で祝おう。
豊穣の神々に感謝を!」
「「「感謝を!」」」
村長が宣言し、酒の入ったコップを掲げると、それに唱和してその場にいる農民たちがコッブを掲げた。
その後はただの飲み会だ。
ライムはアリティアと共に酔っぱらいに巻き込まれないように、果実水が入ったコップを手に早々に避難する。
結果として避難先となったのが、料理を担当し、具沢山のスープを大鍋からスープ皿へと配っていたセリカの元だった。
彼女はいつものシスター服ではなく、動きやすそうな服の上にエプロンを付け、頭を三角巾で覆っている。一見してシスターではなく、若奥様に見える格好だ。
「あれ? セリカさんは麦畑を持っていました?」
彼女がいることにその時始めて気がついたライムは、思わず聞いた。今この宴に集まっているのは畑を持っている農民たちだけだと思っていたのだ。
彼女は苦笑と共に首を振る。
「いいえ、持っていませんよ。教会の裏手に小さな畑はありますがそれだけです。今私がここにいるのは、みなさんの手伝いをしに来たのです」
「セリカさんは結構、手伝ってくれてるよ?」
そういったのはアリティアだ。
「そうだったのか、麦畑でセリカさんを見るのは始めての気がしたから」
「さすがにシスター服で農作業の手伝いはできませんから。ライムちゃんが気がつかないのも無理はありませんよ。
それで二人とも、スープはいかがですか?」
「あ、じゃあもらいます」
「グレンさんの分も含めて三人分かな?」
セリカの質問にライムは疲れた表情をみせて否定する。
「いえ、師匠の分はいりません。師匠はあっちで飲み会に参加しているんで、私たちは逃げて来たんです」
「おじいちゃんは、こういう機会には必ずお酒を飲むからねー」
アリティアは達観したようすでつぶやく。ライムが指差す方向へ視線を向けたセリカは困ったように苦笑する。
「じゃあ、二人分でいいかな?」
「はい」
「うん。具はたくさん入れてね?」
「お任せあれですよ」
セリカはアリティアのリクエストに応えてくれた。厚手の木のスープ皿は直接持ってもあまり熱さは感じない。
ライムとアリティアの二人は少し離れた場所へ行き、畦に腰掛けて、飲み会を行う大人たちを見やりながらスープに口を付ける。
木のスプーンでスープの中の具を口に運びながら、二人はしばし無言で食べ続ける。
「……去年の時も似たような場所で、大人たちが騒いでいるのを見ながら、ここでご飯を食べたっけ……」
アリティアはつぶやく。
「去年も?」
「うん。その時は隣にいたのはライムじゃなくて、おじいちゃんだった。お酒、飲みたくないの? って聞いたら、わたしを一人にするわけにはいかんじゃろって笑いながら言ってた」
アリティアの視線の先には他の者と酒を酌み交わしながら、笑みを浮かべるグレンの姿がある。
「だから、今年はおじいちゃんがお酒が飲めてよかったなって思う……」
「そうか……」
なんと言っていいか分からず、ライムは相槌を打つしかない。
「おじいちゃんにはたくさん心配かけさせちゃっているから、あんまりお酒を楽しめなかったみたい。だけど今年はそんな事は無いみたい。
ライムのおかけだよ?」
「ん? 私の?」
ライムは首をかしげる。
「そう。ライムがうちに来てくれたから、家の中が賑やかになった。わたしもそうだけど、おじいちゃんも楽しそうに毎日を送ってる。
前は、そんな事は少なかったんだ。
だから、ライム。ありがとう」
にっこりと笑顔で礼を言われ、ライムは思わず視線を伏せた。
「あ、う……。ど、どういたしまして……」
「恥ずかしがらないでいいのにー」
そんなライムにアリティアは笑顔と共にそう言葉をかけた。
「別に……恥ずかしがってるわけじゃない」
ライムはそう強がるが、それが嘘だという事は丸わかりだ。
アリティアはクスクスと笑っている。
何を言っても無理だと、ライムはふてくされたようすでそっぽを向いた。
しばらくして、アリティアの笑いが収まった頃に、ライムは言う。
「アリティアは私のおかけだって言うけど、そんな事はないと思う。
だって、私はさ。自分の事だけしか考えてないんだ」
「自分の事だけ?」
アリティアは不思議そうに首をかしげる。
「ああ、私は人の体に戻りたい。だからそのために、師匠にはいつも迷惑を掛けているんじゃないかって思う。
正直な所、私はかなり無茶な速度で魔法を覚えていってるんだ。当然、それを教えてる師匠にもかなり負担がかかってる。それが分かってても速度を緩めようとは私は思わないんだ。
だから、師匠が楽しそうにしてるって思うなら、その原因は私じゃなくて、アリティアのおかげだと思う」
「んー。そんな事ないと思うけどな。ライムが来てから変わったのは事実なんだしさ。
おじいちゃんが忙しそうにしてるのは事実だけど。おじいちゃんはそういう忙しいのが楽しい人みたいだから、ライムが気にする必要は無いと思うけど?
それに、ライムが自分のことしか考えてないっていうのも違うと思うよ?」
「違う? なんで?」
意外なことを聞いて理由を聞く。
「だって、自分の事だけしか考えてない人は、いつもわたしに付き合ってはくれないもの」
「え……? いや、それは……。その……、あれだ」
ライムは言葉を探すが、続きの言葉が出てこない。
アリティアは勝ち誇ったかのようなニンマリと笑顔を見せる。
「ライムは優しい人だよ。それはわたしが保証してあげる。ライム自身が自分の事をどんなに悪く言ったとしてもね?」
ライムは顔を合わせられず、顔を手で抑えて隠す。恥ずかしいのか嬉しいのか分からない感情にライムは襲われていた。
優しいのは自分じゃなくてアリティアの方だとライムは思う。じゃなかったら、こんな|魂は人間だと言い張るスライム《バケモノ》に無条件の信頼を向けて、優しい人だと断言はできない。
その言葉にどれほど救われるか、アリティアは分かっているのだろうか?
少女を見ると不思議そうにライムのことを見ていた。分かっていての言葉ではない。その事が、さらにライムの心を軽くする。思わず笑い声が出た。
「え? なんで笑うの?」
アリティアにはわけが分からないだろう。
「いや、アリティアはいい子だなって思ってさ」
「むー! それで笑うのは失礼だよ?」
「ゴメンゴメン。けどアリティア?」
「ん? なに?」
「ありがとう」
「? どういたしまして」
真剣な表情で告げた感謝の言葉を、アリティアはキョトンとした表情で受け取った。
その様子にライムは再び笑い声を上げてしまい。またアリティアに叱られるはめになった。




