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第59話 魚と魂


 日が傾き始める頃に家に戻った二人は、グレンに釣果を報告すると事になった。アリティアがあの後にさらに一匹釣り上げ、計八匹。そして、ライムは一匹も釣れなかった。


「あの魚は大きかったんだ……」


 ライムは逃がした魚の事を未練がましくつぶやく。

 何度も聞かされたアリティアは困ったように苦笑し、はじめて聞かされたグレンは笑い飛ばした。


「まあ、名誉挽回の機会がこれからいくらでもあるじゃろ。

 それより、アリティア。すまんが、一匹の魚を生かしたままもらっていいか?」

「? いいけど。おかずが少なくなっちゃうよ?」

「いやいや、料理を始める前には返すわい」


 持って帰る時に重いので、四匹ずつ分けて置いた二つの桶にグレンはむかう。

 アリティアが持っていた方の桶から三匹の魚を、もう片方のライムが持ってきた桶へと移し替えると、七匹の魚が泳いでいる方の桶をアリティアに渡す。


「さて、すまんがこれからライムに講義せねばならんことがある。アリティアは夕食の下ごしらえを頼めるか?」

「いいけどライムと一緒にいちゃダメなの?」

「難しい話をすることになるんじゃか? 聞くなら勉強を増やさせて貰って――」

「あ、わたしは夕ごはんの支度してるねー」


 速やかにアリティアは台所へと逃げ去った。


「相変わらずの勉強嫌いじゃの……」


 呆れるようにつぶやくグレンだが、ライムはその事を利用して追い払うのはどうなのだと思う。


「さて、ちょいと離れた場所にいくとするか」


 グレンは一匹の魚が泳ぐ桶を手にとって、ライムを連れて歩きだす。


「アリティアに聞かれると困るんでな」


 来た場所は、家から離れた場所の畑の隅だ。そこに小さな空き地がある。家からは丸見えだが、話を聞かれることはないだろう。

 グレンは桶をおくとそれを正面にして、地べたに直接座り込む。


「ライム、そこに座りなさい」

「はい」


 魚の入った桶を中心に二人は向かい合う。真剣は表情をしたグレンは言う。


「さてライム。これから何を話すか分かっておるな?」


 ライムは頷く。


「アリティアに聞かれたく無い講義なら、陰陽魔法に関する講義ですか? ですけど、それは夜だけで行うはずじゃ?」

「基本はそのつもりだがそうも言ってられん。

 この魚を夜まで生かすとなると、わしとこの魚の縁が、ほんわずかにでも強まってしまう。

 なぜなら夕食の為に夕方に殺されるはずの魚を、夜まで生かすという強い縁になるからの。

 これから行う事はわずかでも縁が強まれば、その分反動も大きくなる。縁が強まらぬよう、できる限り速やかに行った方がいいから、今行うんじゃ」

「一体何をするつもりなんですか?」


 ライムの疑問の声に、グレンは重々しく告げた。


「魂の観測じゃ」


「魂の観測……」

「そう、陰陽魔法では魂を扱う。

 しかし、そのためには魂の存在を一度は認識しておかねばならない。でなければ『陰』の世界で魂の存在を確認したとしても、魂だという事に気が付けない。


 ライムは魂という存在を、実際に見たことはあるかの?」


 その質問にライムは首をふる。


「いえ、ありません」

「そうじゃろうな。つまり今のライムは魂の存在には気がつけないということじゃ。

 これは『陰』の世界、『陽』の世界、どちらにもいえる事だ。


 魂というのは、すべての生き物に存在している。だが、その魂を視ることはできない。


 なぜならば魂というものは通常、肉体という殻に守られている。

 だが、肉体が破壊されてしまえば、魂というのは剥がれ落ちる。


 これが生き物の死じゃ。


 だが死と言っても、それは肉体が生命活動を行えなくなっただけで、その者の魂が破壊された事とは同じではないのだ。


 生き物は肉体を破壊されると、生命活動を行えなくなる。すると肉体から魂が剥がれ落ちる。

 剥がれ落ちた魂はその後、数秒ほど肉体周辺をさまよい、やがて己が死んだ事を理解するのか、十秒から数十秒の間に天へと上っていく。


 そして、その後の魂がどうなるかは分かってはおらん。


 神の身許に行くのか。跡形も無く消えるのか。記憶だけ消して新たな命に宿るのか。それとも新たな生命に宿る魂の材料とされてしまうのか。

 だれも確認できておらん」


 その点で言えばライムは別の生命に宿った魂といえるのかもしれない。もっとも人として一度死んだからスライムの肉体に宿ったのか、それとも人の肉体がスライムに変化したのは分からないので確定的な事は言えない。


「我ら、陰陽魔法使いが分かるのは、天へと上っていった魂はすぐに確認できなくなってしまうということだけだ。


 ライム。わしはこれからこの場に二つの結界を張る。


 一つは死んだ生き物の魂を見えやすくする結界魔法。

 もう一つが、魂がすぐさま天へと上っていかないように、地上へと引き止める結界魔法だ。


 前者の結界は魂を見えやすいように、魂専用の明かりを照らしているようなものだと思えばいい。


 そして、後者の結界が魂を地上へと引き止めるもので、最低でも二十秒は天に登らせなくする魔法だ」

「二十秒ですか?」


「短いと思うじゃろうが、かなり高度な結界じゃ。少なくともわしはこれ以上長く、地上に引き止める事が可能な例を知らん。

 ライムにはその時間内で魂の存在を知覚できる様になってもらう」


「え? 二十秒で、ですか?」

「安心せい。ライムにはそのために土行の質量感知の訓練を何度も積ませたのだ。

 それに一度、魂の存在を感知できれば、その後はイヤでも天に上っていく魂の存在を感知できるようになる。

 アリティアに話を聞かれたくないのはそのためでもある。


 さてどうする? ライム? 一度、魂を感知できるようになれば、後戻りはできなくなるぞ?

 これから先、生き物が死ねば、その魂が天に上っていくのを見てゆくことになるのだ。

 残念ながらわしは、その魂を視る能力を封じる術は知らない。

 

 どうする? それでも魂を感知できるようになりたいか?」


 グレンの問いかけは挑発というよりも、こちらを案ずる色がある。魂を視る能力を得てしまうことはこれから先のライムの生において、困難の種になってしまうおそれがあると思っているようだ。


 けれどライムにとって師匠の問いかけは、必要の無いものにすぎない。


「師匠。それは魂を感知できなくても、魂を扱えるようになるって訳じゃあないんですよね?」

「ああ……。魂を感知できなければ、魂を扱うことなどできん」


「なら私の答えは一つだけです。

 私は魂を感知できるようになりたいです。その事によって将来、辛い事が起きる事になったとしてもです」

「そうか。まあ……そうじゃろうな」


 グレンは大きなため息を一つつくと、再びライムを見据える。その目にはこちらを心配する色はなくなっていた。


「ではライム。お主には魂を感知できるようになってもらう」

「はい!」


「今からこの場にわしが二つの結界を張る。

 その後、ライムがこの魚を殺害しなさい。ナイフで頭を落とすだけでいい。そうすれば肉体から魂が剥がれ落ちる。


 後はさまよう魂を見続けるだけでいい」

「わかりました」


 ライムはうなずき、常に二本持っているナイフから小さな方のナイフを、ポケットから取り出す。そして一瞬迷った後に、投擲用の白い石の板もどこからとも無く取り出した。

 白い石の板はまな板代わりだ。魚を土の地面に直接つけるよりはマシだろう。

 その事に気がついたグレンは一瞬だけ口元に笑みを浮かべた。


「では始めるぞ」


 開始の声とともに、グレンは立て続けに二つの魔法を使用する。展開された魔法陣から両方共陰陽魔法だとはわかった。しかし構築と発動の速さに、どちらがどの魔法であるかはライムには理解できなかった。


「ライム。今じゃ、やりなさい」

「はい」


 桶の中で泳ぐ魚を片手で掴みとる。暴れる魚をまな板代わりの石の板に押さえつける。


「やります」


 ライムは一言言って、ナイフの刃を落とした。頭と胴体に別れた魚から、押さえつけていた手を離す。


 今、命を失わせた魚を、ライムはじっと見つめる。


 すると、小さな光の玉が魚の体からにじみ出た。其の光の玉は魚の上をフヨフヨと漂う。


「これが、魂……?」

「そう、それが魂じゃ」


 ライムのつぶやきをグレンが肯定する。

 しばらく魚の上を漂っていた魂だが、やがて、もうその肉体には戻れない事を悟ったのか、空へ向かって上昇を始める。

 だが、魂は戸惑った様子で上昇することを止めて、右往左往し始める。


「これが地上に魂を引き止める魔法の効果じゃよ。ライムは魂の見ることに集中しなさい」


 グレンの解説と注意が入った。

 ライムは無言で従い、魂を見続ける。


 魂はなんと言ったらいいのだろうか、生き物にあって当然の雰囲気だけが、そこに固まって存在しているようなものだった。光を放っているように感じたが、それも正しいとも思えない。

 ただ単純に、あって当たり前だなという印象しか受けなかった。


 魂は特別なものではなく、あって当然のもの。そんな感覚をライムは覚える。

 続いて、それが当たり前だな、という思いを懐き。

 最後には、なぜこれを今まで見る事ができなかったのだと、疑問が浮かび始めた。


 右往左往していた魂は、やがて逝くべき道を見つけたのかまっすぐに空へと向かって飛んで行く。

 その速度は決して早いものではない。早歩き程度の速度だろか。


 だがその魂はすぐに見えなくなってしまった。

 ライムはぽかんとした表情で魂が見えなくなってしまった空を、しばらく見上げ続けていた。


「あれが魂じゃよ。ライムはどう思った?」

「あ、えっと……。なんで今まで見えなかったんでしょう?」


 ライムのぼんやりとしたままの疑問にグレンは苦笑した。


「まあ、確かに疑問に思う事だな。まあ答えはただ単に今まで魂の見方を知らなかっただけじゃろうな。

 今まで知らなかったからできなかった。今、知ったからできるようになった。

 ただ、それだけじゃろ」

「そう、ですね」


 ライムもつられるように苦笑した。

 と、ライムは頭を落とした魚の方へと視線を落とす。


「これどうします?」

「ああ、その魚は今日の夕食行きじゃ。とりあえずワタだけはとっておきなさい。持ち運ぶ時にこぼすのも気分が悪いだろうし」

「わかりました」


 ライムはナイフで魚のワタを取る。見ている者が安心できる程度には、刃物の扱いが丁寧になった。取り除いたワタと魚の頭は地面に穴を掘って埋める。


 その後グレンはいくつかの注意事項を述べた。


「さて、今わしは二つの魂に関係する魔法を使ったわけじゃが、魂を扱う魔法にはいくつかの注意点がある。その事を守らないと痛い目にあうからな。


 さっきも少し言ったが、それは扱う術者と対象となる魂の持ち主の間に、深い縁があってはならないということじゃ。


 ここで言う強い縁とは、命のやり取りが最も大きい。命を救った救われたという関係でも強い縁となる。単純に殺した殺されたの関係でも、強い縁となる。

 わしがこの場で講義をしたのは、わしとこの魚の縁を強めぬためだ」


 後でこの講義を行なっていたら、夕食のために失われる命を数時間とはいえ救うことになる。


「命を奪う役をライムになってもらったのも、同じ理由だ。


 そしてもう一つの注意事項が、同じ種族の魂は扱ってはならないということだ。

 

 これらはべつに、倫理的な問題による禁止事項ではない。これら二つを破った時には、術者は非常に強い影響を受けるからだ。

 強い縁を持った魂や、同族の魂を扱おうとすれば、引きずられることになる」


「引きずられる……?」

「そう。それがあの世なのか。それとも死んだ者の未練や恨み、妄執なのかは分からないがな。


 ただ言えるのは死んだ方がマシだといえる状態になりかねないということじゃな。廃人になるか、それとも周囲の状況を歪んだ状態でしか認識できなくなるか、それとも死んだ時の苦痛を延々と味わうハメにあるか……。


 だから、ライム。魂を扱えるようになったとしても、この二つだけは決して犯してはならないぞ?」

「同族の魂を扱ってはならないって……。それじゃあ、自分の魂はどうなるんですか?」


 ライムの質問にグレンは一瞬キョトンとして、苦笑した。


「ああ、今言っているのは、死んだ者の魂の扱いの話じゃ。生きている者の魂とはまた別の話じゃよ。

 考えてみればわかるじゃろう? 死んでしまったら自分の魂を扱う以前の話じゃと」


「あ……」

「まあそういうことじゃ。生きている者の魂の扱いに今言ったような禁止事項は無いが、その魔法で命を奪うようなことがあれば、死んだ者の魂を扱っているのと同じになる。


 ゆえに魂を扱う際には細心の注意を払う必要がある。覚えておくようになライム」

「はい」

「ではこの講義は終了じゃ。アリティアに魚を渡しておかねばならんからな。

 ライムは夕食ができるまで、五行魔法の復習をしておくように。正確さが第一で、速さはその次じゃからな」


 グレンは魚のしっぽを摘むように持つと立ち上がる。


「わかりました」


 五行魔法の復習を行うのは夕方の講義ではいつもの事だ。ライムは魚の血に汚れたナイフと石の板を桶の水で洗い流して、グレンの後に続く。復習を行うのはいつもの家の裏庭だ。


「ああ、そう言えばライムはいくつの土行魔法を使える様になった?」


 グレンが雑談代わりに聞いてきた事に、ライムは指折り数えてみる。


「えっと、そうですね。『守護盾』『瞬間防壁』『持続防壁』『頑丈化』『防壁強化』『固定化』『撥水』『無形傘』『排水壁』『避水呪』『発芽』『お守り』『石弾』『石化呪』『重量増加』と『重量減少』『足取り』『落とし穴』『質量感知』――の全部で十九個ですね」

「四大魔法と合わせたら三桁くらいはいったかな?」

「まあ、四大魔法のバリエーションも含めれば、大体それくらいですかね」


「そうか。なら今度はとっさの時に使うモノを集中的に鍛えないといけないな」

「とっさの時に使うものですか?」

「ああ、たくさんの魔法を覚えておけば可能なことの選択肢は広がる。


 じゃがな、本当にとっさの時に反射的に使える魔法は二、三個がせいぜいだ。普通なら、最初の方に覚えた魔法がそれになるんじゃが、ライムの場合は短い期間に大量に覚えたからな。

 ライムはとっさの時に使う魔法というのは何かあるか?」

「とっさの時というと、戦いとかの時に使う魔法ってことですよね?」

「まあ、そういうことじゃ」


「それなら無いですね。狩りとかでも基本、石の板を投げつけていますから」

「それは魔法使いの弟子としてどうなのかと思うが……。


 まあよい、後で決めるとしよう。では、五行魔法の復習をしっかりとな」

「はい」


 グレンは家の中に戻り、ライムはいつもの場所で土行魔法の復習を始める。

 その場にあった、土行の魔力の変換魔法陣は完全に撤去されている。完全に変換魔法陣すら暗記してしまったライムにはもう必要の無いものだ。


「とっさの時に使う魔法ね……」


 ライムは自習を始める前につぶやく。いったいどの魔法が、とっさの時に使う魔法になるのだろう。


 とっさの時に使う事になる魔法ということは、自分が最も頼りにする魔法ということになる。自分がそういった魔法を持つと言う事に、あまり実感が沸かない。


 狩りの時に最も頼りにしている攻撃は、石ころや石の板を投げつける投擲術だ。ライムの腕力で投げれば射撃系魔法の射程に匹敵するし、魔法を使うよりも早く投げられる。それで用が足りてしまっている。

 わざわざ魔法に置き換える必要性が感じられない。


 もっとも師匠の言っている事に逆らうつもりもない。とっさに使えるようにする魔法の数が一つとは限らないからだ。


「射撃に一つ、防御に一つ。近接攻撃に一つってところかな?」


 ライムはつぶやく。その中で防御魔法の候補になると思われるのが、土行の防御魔法『守護盾』だ。土行の魔力で作られる、術者の手元に現れる盾の魔法だ。防御力が高く、攻撃を逸らす能力がある。


 だが今は、そんな事を考えているヒマは無いと、ライムは首を振った。

 土行の魔法、一九個分の魔法陣を、最低三回は正確に構築しなくてはならないのだ。ぼやぼやしていたら時間が足らなくなり、師匠に新たに無茶な課題を押し付けられることになる。


 ライムは慌てて、復習のために魔法陣の構築を行いはじめた。



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