第58話 魚釣りと木こりの斧
ライムは川に釣り糸を垂らす。
川につきだした大きな岩の上に座って、釣り竿を手にぼんやりと水面を見ていた。流れる水はキラキラと陽の光を跳ね返していた。夏の終わりの風が川を吹き抜け、涼しさをもたらす。
と、下流の川原にいるアリティアから、声がかかった。
「ライムー!」
そちらを見ると釣り竿を担いだアリティアがすぐ近くに来ていた。
「お魚、釣れた?」
アリティアは自分用に持ってきた取っ手付きの桶を置くと、ライムの傍らに置いてある桶の中を覗きこむ。
だがライムの桶には水が汲んであるのには魚の姿は無い。
「大丈夫だ。そのうち釣れる……!」
釣り竿を構えたままライムは力強く宣言する。アリティアは呆れた様子で首をかしげた。
「えっと……わたしはもう五匹釣れたんだけど……?」
「……」
絶句しライムはアリティアと見つめ合う。その後ライムは少女の持ってきた桶の中へ視線を向ける。ちゃぷん、と中の魚が水面を揺らした。
「……だ、大丈夫だ。ちゃんと釣れるから……!」
「えっと……わたしが釣った魚、何匹か分けてあげようか?」
「いや。それはいい。自分で釣るから価値があるんだ」
「夕ご飯のおかずなんだから量が釣れればそれでいいと思うんだけど……?」
「それはそれ、これはこれだ。せめて一匹は自分で釣りたい……!」
必死な様子に、アリティアは呆れた様子でため息を漏らした。
「そう? じゃあ、わたしももう少しつづけるけど……」
アリティアは呆れた様子のままいって、少し離れた場所で釣り糸を垂らした。
二人が釣りに来ていたのは、グレンが夕食は魚が食いたいなと希望したからだ。昼に丁度空き時間のあったライムは、アリティアに連れだされて、魚釣りをすることになった。
この魚釣りは食料調達という意味よりも川遊びの意味合いの方が強い。だからこそ一匹も釣れていないライムはムキになっている。
「おーい!」
と、再び声をかけられた。視線をそちらに向けると、一人の金髪の男性が近づいてくる。彼には見覚えがあった。彼は木こりのジェイクだ。この場所は木こりギルドのすぐ近くだ。二人の姿はそこから見えていたのだろう。
「ジェイクさん、こんにちは」
「やあ、ライムちゃん。釣れてるかい?」
ジェイクは笑顔で声をかけ、ガッシリとした体型を縮めるように桶の中を覗きこむ。
「おおっ。たくさん釣れてるじゃないか。すごいじゃないか。大漁だな」
笑顔で称賛する彼にライムは沈痛な面持ちで首を振る。
「そっちの桶はアリティアが釣った分だけです」
「ん? ああ。となるこっちの桶がライムちゃんの釣った分か」
もう一つの桶を覗きこむとジェイクの動きは止まる。
「あ、あー。まあ、こういう時もあるさ……」
「慰めはいりません。絶対に一匹は釣りますから……!」
決意を新たに、全く引っかかる様子の見せない竿を引き上げ、エサの状態を確認する。
とその時、アリティアの方から歓声が上がった。
「うわっ。やったっ! ライム! 六匹目が釣れたよーっ!」
「くっ……!」
ライムは一瞬悔しそうに顔を歪めるが、すぐに無表情に竿を振るう。
そんなライムにジェイクは再び慰めを口にした。
「まあ、こんなこともあるさ」
ライムは何も答えなかった。
「ライム! 釣れたよー」
アリティアが釣り糸に魚を吊るしたままやって来る。桶を運んでなかったため入れる場所が無かったからだ。
六匹目を自分の桶に入れながらでジェイクに挨拶する。
「こんにちは、ジェイクさん」
「ああ。こんにちはアリティアちゃん。相変わらずの釣り名人だな」
「名人なんかじゃないですよ。釣れない時も多いですから。それで、ジェイクさんはライムに用があるんですか?」
「いや、釣れてるかなっと思って声をかけただけさ。俺は丁度休み時間だったものでね。
にしても、ライムちゃんは獣を相手にした狩りならば腕がいいのに、魚相手の釣りじゃ全然ダメみたいだな」
苦笑を浮かべるジェイクに、アリティアは首をかしげる。
「あれ? ジェイクさんはライムの狩りの腕の事知ってるの?」
「ああ。保存食作りの時の事がうわさになってたんだ。グレンさんの弟子は魔法使いじゃなくて、狩人の弟子になったんじゃないかってな」
「狩人の弟子になった覚えはありませんけど?」
「わかってるさ、前の麦刈りの時に魔法を使って大活躍してたからな。酒の席の戯れ言さ。
ああ、そういえば、あの時オオカミも狩ったらしいじゃないか。そいつはどうしたんだ」
「毛皮の方は雑貨屋に引き取ってもらって、肉の方は一応保存食にしたらしいですよ?」
「そうなのか。俺の友人はオオカミをとった記念に毛皮は手元に置いてたから、ライムちゃんもそうだと思ったんだが」
「ええ、狩りの記念とか興味が無いですから」
「ああ、そうなのか」
ライムの言葉がそっけないのは、釣り糸に神経を集中しているからだ。
毛皮を引き取ってもらったのは、ただでさえ週一の狩りでお土産としている毛皮の処分に困りかけている。そろそろ持ち帰らなくていいとグレンに言われてしまった。
学ぶ事が多すぎて、それらをなめす加工をする時間が取れないのだ。
アリティアは再び川に釣り糸を垂らしに少し移動していった。
なんとなく、アリティアに付いていく気になれなかったジェイクは、ライムと並んでぼんやりと、川面に垂れる釣り糸を見やる。
「あ、そうだ、釣りで思ったんだが、魔法を使って魚を集めるとかすれば釣れるんじゃないか?
ああ、実際そんな事ができるかどうかは知らんのだが」
ジェイクの思いつきの言葉にライムは首を振った。
「できはしますが、やりませんよ。魔法を使ったらそれは釣りじゃなくて別の何かじゃないですか」
ライムには妙なこだわりがあるようだ。
実際、陰陽魔法を学び始めたライムには、魔法で魚を呼び寄せる事は可能だ。
獣や虫を散らしたり集めたりする呪符は、もともとは木札にインクで文字を記すモノではなく、陰陽魔法として魔力で描く魔法陣の一部分を抜き出したものだ。
持続性などを考えないなら、今ここで呪符と同じ効果を発揮させる事が可能だ。
「あー、まあそうかもしれないな」
幸い、ジェイクはそのこだわりを理解してくれたようだ。
と、そこでライムはジェイクについての、ある事を思い出した。
「ああ、そうだ。師匠が前に言っていたんですが、ジェイクさんはこの村で唯一の個別魔法の使い手なんですよね?」
「ん? ああ。そうだよ。俺は昔は迷宮探索者だったんだ。もっとも才能が無いんですぐに辞めたがね」
「頼みがあるんですが、ジェイクさんの個別魔法の見せてもらえませんか?」
ライムは釣り糸から彼へ視線を向けて頼む。
「見たいの?」
「はい。個別魔法のことは本で読んで大体のところは知っているつもりですけど、実際に見たことが無いので、どういうものなのかなって思って」
「えーっと……」
ジェイクは視線をさまよわせ、悩んだ後に結論を出す。
「まあ、いいか。大したものじゃないからな」
「ありがとうございます」
頭を下げて礼を言う。
「じゃあ、よく見ていろよ」
了承してくれた彼は、その手を横に伸ばす。と、その手に魔力が集まる。
四大魔法のように普通に空間の中からかき集めているのではない、体の中から放出された魔力がその手に集中しているのだ。
こんな魔力の流れは初めて見る。
軽い驚きのまま見ていると、ジェイクの手に集う魔力は塊となり形を取り始める。
全体は細長いが、先端にいくと太く大きな魔力の集まりになっている。一瞬だけ微かな光を放つと、魔力の姿は消え失せ、一本の大きな斧が現れた。
重い斧頭が地面に落ちる。両手持ちの斧頭が大きな片刃斧だ。鋼の輝きを持っているがその材質は鋼とは違うように思える。蔦が絡むような金色の文様が入り、それは柄の方まで伸びている。柄も一見しては木材のようにも見えるが木目が無いので、材料は木ではないのだろう。
「これがオレの個別魔法で、名前は『木こりの斧』だ」
「『木こりの斧』? ジェイクさんがこの個別魔法を覚えた時は迷宮探索者で、木こりじゃなかったんじゃ? 何でそんな名前を着けたんです?」
「まあそう思うよな」
ライムの疑問に彼は頷く。
「だが、ちょっと違うぞ? 個別魔法っていうのは初めて発動した時にはすでに名前がついているものなんだ」
「え? そうなんですか?」
「ああ、発動時に名前と能力を術者は知ることができる。
この斧の名前が『木こりの斧』で、能力が植物系モンスターに対する特攻機能並びに、樹木に対しての切れ味の増加だ。
オレがこの個別魔法が発現した時は植物系モンスターに囲まれていてな。そいつらをなんとかしたいと思っていたら、この斧が出てきたんだ。
この斧のおかげでその時はなんとか切り抜けたんだが、この斧は植物系以外のモンスターには使い勝手が悪くてな。
それ以前から俺は、迷宮探索者には向いて無いんじゃないかと思っていてな。
それで別な仕事に就こうって時に、この個別魔法が使えるんじゃないかって軽い理由で木こりになった。
今じゃこの仕事が天職だと思っているがな」
ジェイクはニッカリと笑う。
「それじゃ、この斧がジェイクさんにピッタリのお仕事に導いたんですかね?」
「かもしれんな」
ライムは彼と話しながらもじっくりと斧を観察する。今のように実体化していると材質以外では個別魔法の産物とは思えない。
実在する普通の材料で、ソックリに作り上げて隣に並べれば見分けがつかなくなるだろう。
それほど、実体化している今の斧は魔法の産物とは思えないほど、魔力の流れが普通の物質と同じだ。他の魔法が近くに存在するならば、僅かなりとも魔力の動きに乱れが生じるというのに。
「個別魔法は普通の魔法より結合が強固なのかな……?」
ライムは考察をつぶやく。マジマジと己の個別魔法を観察されるジェイクは困った表情を浮かべた。
「あー。もう仕舞っていいか? 出しっぱなしにしてる所をおやっさんに見られたらどやされちまう」
「あ、はい。もういいですよ。ありがとうございます」
ライムは礼儀正しく頭を下げる。『木こりのオノ』は一瞬で魔力へと変化し散ってしまう。
「まあ、いいって。
それより、竿。引いてないか?」
「え?」
ジェイクの指差す方向へ視線を向けると、釣り竿の先端が確かに揺れていた。そして、手元にも僅かな手応えが返ってくる。
ライムは慌てて竿を引いた。途端に水面から魚の姿が現れる。
「やったっ……!」
ライムの上げた歓声は、その一瞬の後に途切れた。
宙に舞った魚は釣り針から離れ、綺麗な弧を描いて水面に戻ってしまう。
チャポン。と水音が虚しく響く。
ライムは声もなく動きを止めた。川の流れの音だけがその場を支配する。
「あ……。あぁー……!!」
嘆きの声と共にライムは崩れ落ちる。
「あー……。まあ、こういう時もあるさ……」
ジェイクはそう慰めの言葉をかけてやることしかできなかった。
その時、離れた場所でアリティアが七匹目の魚を釣り上げていた。戻ってきた彼女は崩れて落ちたライムを見て首をかしげる事になる。
結局、その日ライムは一匹も釣果を上げることはできなかった。




