第56話 陰陽魔法の学び始め
そんな風に日々を過ごしているライムだったが、ついにその日がやって来た。
場所はグレンの書斎。時間は夜の講義でレポートの発表が終わり、ライムの精神がボロボロにされた後の事だ。
ちなみにその徹底的に叩かれる事になったレポートの題名が『五行、金行魔法それぞれについて土生金からの応用発展方法の考察』だ。
ライムはすでに五行魔法の土行に関してはほぼ全て習得できていた。もうしばらく土行の魔力変換が熟れるようになれば、次の属性である金行の修練も視野入り始める。
打ちひしがれる様子のライムは、それでも今まさに指摘された部分を本から確認している。
そんなライムにグレンは真剣な面持ちで告げた。
「ライムよ。おぬしはもう土行の魔力変換を身に着けてきている。そろそろ金行の魔力変換も手を出しても良い頃合いだと思う」
「え、じゃあ次に進むんですか?」
「うむ。おぬしの実力的に良い時期だと思う。
だが、ライムの今の体がいくら土行の魔力に影響を受けた状態であったしても、金行の魔力の影響を受けてしまえば、金生水の理から、おぬしの体に水行の影響が僅かなりとも生まれる。
そうなってしまった時。おぬしの体と魂のバランスがどうなるかは、正直未知数だ。
だからこそ、まだ金行を修練するべきでないと、思っている」
「……やっぱり危険ですか?」
「うむ。確率は低いとは思う。じゃが万が一の時、手出ししようがない状態になるのは避けたい。
そこでじゃ、陰陽魔法を先に覚えてもらう事にする」
「陰陽魔法をですか?」
「本来なら二つの属性を覚えて、個人だけで相生の修練ができるようになってからと思っていたのだがな。しかたがない。
陰陽魔法でまずライム自身の魂を保護できるようになってから、五行魔法のふたつ目の属性を修練するしか無いじゃろう。
そこでじゃ。ライムには聞かねばならないことがある」
グレンは真面目な様子で問う。ライムは思わず背筋を正した。
「これから学ぶ事になる陰陽魔法はとても危険な物である。その事はライムはすでに知っておろう?」
ライムは頷く。これまで、多くの陰陽魔法に関係する本を読んで来たが、必ずとい言っていいほど、陰陽魔法に関しての危険性を喚起する文章が載っている。
いわく、陰陽魔法とは身ひとつで崖から身を乗り出し、断崖に巣を作る海鳥の卵を取るようもの。
いわく、荒れ狂う激流の川に飛び込み、対岸へと泳いで渡り切るようなもの。
いわく、細い糸で天井から吊られた剣の下で寝るようなもの。
いわく、薄氷の張った湖を歩いて渡るようなもの。
「それでもライムは陰陽魔法を学ぶかね?」
問いかけに、ライムはすぐさまうなずく。
「はい。私にはほかに道がありませんから。
たとえ五行魔法のふたつ目の属性を学んで、何事も無く済んだとしても、私が人の体を取り戻したいと願っている以上、陰陽魔法を学ばないという選択肢はありません。
五行魔法を学んでいるのも、そのための前提だという師匠の言葉があったからです。
だから、私は陰陽魔法を学びます」
グレンと睨み合うように、ライムは真剣な表情で告げた。
やがてグレンは深々と溜息をつく。
「……まあ、そうなるとは思っておった」
「なら、なんで聞いたんですか? 私が諦めるとは師匠も思っていなかったでしょう?」
「まあな。おぬしの魔法に対しての、とくに魂に関しての熱意は伝わっているからの諦めるとは全く思っておらんかった。
だが、新たに学び始める者に陰陽魔法の危険性を問い、覚悟を求めるのは必要な事じゃ。
実際、陰陽魔法は他の魔法系統に比べると格段に危険じゃからな。軽い気持ちで学び始め、侮れば怪我では済まない。
アリティアが同席していない今の時間に、学ぶか否かの是非を問うたのは、あの子には陰陽魔法は危険過ぎるからじゃ。
あの子にはまだ早すぎる。もっと危険性を認識できるような注意深さと、それを避けることに慎重になれる落ち着きを持ってからじゃないと危なすぎる」
「私は、師匠の判断基準には合格したんですか?」
「ああ。おぬしは注意深く、勤勉だ。そしてなによりも臆病だ。陰陽魔法を学ぶには、その臆病さがもっとも必要とされる。
ライムよ。決して無茶はしてはならないぞ? 陰陽魔法において無茶をするということは自殺行為にほかならない。
そのことを決して忘れてはならない」
「わかりました」
真剣な警告にライムは頷く。
軽い気持ちで同意しているのではないかと、確認するようにグレンはしばらく観察した後、満足そうに頷く。
「……よろしい。では早速、陰陽魔法の講義を始めるとしよう。
陰陽魔法とはどういう魔法であるか。陰陽魔法の観点から見た世界とはどのようになっているか。ライム、答えてみなさい」
「はい」
講義というよりも、どれほど正確に陰陽魔法の知識を有しているかの確認のためだろう。ライムはしばし記憶を探り、口を開く。
「陰陽魔法とは世界を現実世界と、その下に隠された『情報の大海』と呼ばれる現実世界の本質を現す情報の世界に分けて認識し、世界そのものを操作する魔法系統です。
現実世界を白日の下に晒された、『陽』の世界として。
『情報の大海』世界を、現実世界の陰に隠された、『陰』の世界として、認識します」
己の言っている事に間違いないか、視線で確認するとグレンは無言で頷く。ライムは言葉を続ける。
「『陽』の世界が変化すれば、『陰』の世界も変化する。それは逆もまたしかりです。
私たちは普段、『陽』の世界のみを認識し、そこで生活をしています。
しかし、陰陽魔法においては、世界の本質は『陰』の世界にあるいう考えを元にしています。
『陰』の世界の変化は実に速やかに『陽』の世界である現実に影響をあたえます。
そして、魔力によって変化を与えやすいのは、現実世界である『陽』の世界ではなく、『陰』の世界です。
よって陰陽魔法では、基本的に『陰』の世界にて魔力を使い、『陰』の世界に変化を加える事によって、間接的に『陽』の世界――つまり現実世界に変化を及ぼします。
同じ変化を『陽』の世界から直接変化させる場合と、『陰』の世界から間接的に変化させる場合。後者の方がおよそ十倍は効率がよくなります。
ゆえに、『陰』の世界から干渉する魔法が多くなります」
「そこは少し誤解があるな。
確かに、『陰』の世界から干渉した方が効率が良くなる術式は多い。
これは『陰』の世界が、世界の本質である『情報の大海』に近い存在であるからだ。けれど、『陰』の世界というのはあくまでも、『情報の大海』の一部を構成しているものである、と言う事を勘違いしてはいけない。
そして陰陽魔法においては、『陽』の世界から干渉した方が効率が良くなる術式も多いのだ。
『陰』の世界と『陽』の世界。どちらから干渉した方が効率が良くなるかは、求める結果によって異なる。
どちらが良いかは経験を積めば自然と理解できるようになってくる。
では続いて。陰陽魔法の観点から見た魔力とは、どのようになっているか。答えてみなさい」
陰陽魔法における魔力に対する考えは、四大魔法や五行魔法とは明確に異なっている。
ライムがそれをはじめて知った時にはとても驚いた事を覚えている。魔力と一言に言っても、魔法系統毎にその本質の捉え方が違う。そしてそのどれもが明確に間違っているわけではないのだ。
「陰陽魔法における魔力とは万物の源です」
「万物の源とは?」
「ありとあらゆる、この世界を構成する全ての存在の元の姿です」
それは元素とは違う。元素は全ての物体を構成する最小の単位だ。元素は水素なら水素であり、別の元素になったりはしない。
対して魔力はというと、一時的にだが、ありとあらゆる元素に成り得る存在だ。
水を構成する元素に一時的に成り代わり、水として振る舞う。そして時間経過とともに再び魔力としての姿を取り戻す。かと思えば、岩石を構成する元素に一時的になりかわったりもする。
魔力は生命や魂といった物質ではない存在にも、一時的にだが成り代わる。そしてその成り代わる範囲は概念の世界まで及ぶ。
「魔力は混沌の力を内包したモノ。それが陰陽魔法における魔力という存在です」
「うむ。陰陽魔法においては、魔力は根源の力を有した力であり、物体である。
力にも物体にも現象にも生命にも魂にも成り得る存在だ。
陰陽魔法とはな。その根源の力より、どのように己の望むモノを取り出すが? という事が問われる魔法系統だ。
他の魔法系統ならば、魔力を望みの形に変化させる事が求められる。
しかし陰陽魔法においては、魔力を決まったカテゴリーの中から、陰と陽に選り分ける事が重要となってくる」
「決まったカテゴリー?」
初めて聞く単語にライムは首をかしげた。
「うむ。カテゴリー、もしくは種別とも言う。
これからは実践的な工程の話になる。ライムに今まで読ませた本にはそういった実践的な、読めば使えるという本は渡していなかったからな。
ここでざっと、どのように陰陽魔法が発動されるかを説明しておこう。
陰陽魔法を発動させるには五つの工程がある。
第一段階。魔力からの種別の選定
第二段階。分割。
第三段階。対消滅の防止ための維持、並びに不要部の消去。
第四段階。干渉経路の選定。
最終段階。発現と効果時間の確保
以上五つの工程だ。
魔力というは混沌の力を有している。では混沌とは何かと問えば、『この世の全て』と言い換えることが可能だ。
しかし人には全てのモノを同時に扱うことなどできない。
ゆえに、混沌の中から自分の使いたい物だけを選びとる。
ライムも五行魔法で経験したような魔力の属性変換がその時に起こり、混沌の中から使いたいモノに相応しい力へと変化していく。
それを種別もしくはカテゴリーと読んでいる。
陰陽魔法における種別とは、この世の全てから望むモノを取り出す際の指針といえるものだ」
「五行魔法の属性と似たようなものですか?」
「似てはいるが、それらの属性ほど幅広くはない。陰陽魔法の種別はとても細かく、その数もとてつもなく多い。
わかりにくいだろうから、一つの例を出そう。
陰陽魔法において、炎とは大きく二つのカテゴリーに入る存在とされている。
それは光と熱のカテゴリーだ。
炎は光を発し、熱を放つ。正確には『焼き尽くす』や『激しい変化の力』を有しているが、単純化の為に今はその事は考えない。
純粋に陰陽魔法だけで炎を作り上げるとすると、他の魔法系統よりも複雑な工程を必要とする。
混沌の力の中に存在する光のカテゴリーの中から、光と闇を選り分けて光を確保する。
それと、同時に熱というカテゴリーの中から、高温と低温を選り分けて高温を確保する。
確保した光と高温を混ぜあわせる事によって、純粋な陰陽魔法によって構成された炎を作れる。この炎は光と熱を放つだけの炎であり、焚き火などの通常の炎とは性質が異なる事は意識しておかねばならない。
陰陽魔法で物を熱したい時は、炎を作り上げるよりも、純粋な熱だけを魔力から取り出した方が楽だ。
カテゴリーとはつまり、混沌の力から、決まった二つの相反するモノを取り出す際の枠を定める代物だ。
光と闇、高温と低温、膨張と収縮、重いと軽い、等々。
あらゆる存在には常に対となるモノが存在し、その対のセットの事をカテゴリーと呼んでいる。
術者が望むモノが、どのカテゴリーに存在しているかを選びとる事。それが、陰陽魔法の第一段階、魔力からの種別の選定となる。
そしてその次の段階が、第二段階の分割となる。
混沌の力を、望むモノを含んだ対の相反するモノへと分割する。
陰陽魔法と言えば、この分割に注目が行きがちだが、ここの行程はそれほど難しいものではない。ほとんど第一段階と一緒くたにされる事が多い。
けれど基本ではあるから、おろそかにすることはできない。
これが陰陽魔法の第二段階。
つづいて第三段階の対消滅の防止ための維持、並びに不要部の消去だ。
陰陽魔法は分割するだけでは意味をなさない。
分けられたその対のセットを維持すること。もしくは片方のみを使用するために、もう片方の方は影響の出ない様に消滅、もしくは散らす必要がある。
光と闇を例にすると、光は闇を消し去り、闇は光を呑み込む。混沌の力である魔力から、二つに割れた光と闇は放置すれば、互いを打ち消し合うだけだ。
その互いを打ち消し合う事を防ぐ事が陰陽魔法の第三段階。
そして、第四段階。干渉経路の選定だ。
魔法を使用する際には必ず、対象が存在している。その対象に『陰』の世界と『陽』の世界、どちらの世界を通ってから干渉するかの決定を行う。
陰陽魔法は種別を選定し、分割し、維持している魔法は、陰か陽、どちらかの性質を必ず持っている。
ゆえに、『陰』の世界と『陽』の世界、どちらの世界が通りやすいかは、魔法の持つ性質による。
陰の性質を持っている魔法なら、『陰』の世界が通りやすいし、陽の性質を持っているなら『陽』の世界が通りやすい。
しかし、逆の性質を持っているからといって通れないというわけではない。
陽の性質を持つ魔法でも『陰』の世界を経路として使えるし、その逆もしかりだ。
そして最終段階である、発現と効果時間の確保だ。
陰陽魔法とは四大魔法や、五行魔法とは違う。魔力を魔法という形に固めているわけではない。
魔力に己の望みを書き込み、それを世界に対して実行させている。ゆえに世界からの排除の圧力が非常に強い。
『陰陽魔法とは魔力にかき込んだ術者の望みを一枚の紙として、世界という本に差し挟むようなものだ』という例えがある。よほど上手く挟めば、世界という読者は気が付かずにそのまま放置される。だが、たいていの場合は世界に気づかれ、その紙は取り除かれる。
最終段階で行う事は、魔法が望む効果を発揮し終えるまで、世界の圧力に耐えるようにすることだ。
本の例えとすると、ただ紙を差し挟むのではなく、糊付けをするようなモノだな。気が付かれても、取り除かれてるまでの時間稼ぎができる。
あまりに短い時間しか世界の圧力に耐えられないと、効果を発揮する前に消されてしまうからな。
以上が、陰陽魔法を発動させるための五つの工程だ。何か質問はあるかの?」
グレンは質問を求めるが、ライムはいきなり大量の事を説明されて処理しきれない。
「えっと……、すいません。今はまだ質問は思いつきません」
「そうか、少し駆け足がすぎたか。
ではライム、話はずれてしまったが、陰陽魔法の特徴について述べてみなさい」
促され、気を取り直してライムは返事をする。
「はい。陰陽魔法の特徴は、本来であれば知り得ない物を知るという魔法が充実していることです。一週間後の天気や、遠方の事。遠くにいる人の位置なども分かります。
また陰陽魔法は魂を扱う魔法の系統でもあります。学問系魔法系統では唯一の系統です」
「唯一というのは語弊があるな。他の魔法系統には魂を傷つける魔法は存在している。
正確に言うなら、学問系魔法系統では陰陽魔法だけが魂を傷つけずに扱かうことできる。となるな。ほかの系統では神聖魔法だけだな。
あと可能性だけを言えば個別魔法ぐらいだろうな。あれはどんな効果を持つ魔法が発現しても不思議ではないからな」
ボヤキに似たグレンのつぶやきに。ライムは前々から気にはなっていたが聞きそびれていた事を尋ねた。
「個別魔法で私が人間に戻るって事は可能ですかね?」
「ただのバクチにしかならんぞ? 個別魔法は瞬間的な強い願いにしか反応しないからな。望んだ効果を持つ個別魔法が発現したのは一万に一人、いるかどうかだという資料もあった」
「そう、ですか……」
やはり無理な話だったかとライムは半ば覚悟していた答えを返され溜息をつく。
「バクチに期待するより、陰陽魔法を極める方がよほど可能性は高い。
早速だが実演を交えて説明を続けよう」
グレンはそう言うと、ライムを外に出るように促した。




