第55話 ライムの一日
次の日にも、教会に赴いた。その時にはアリティアが同行した。ただし彼女も『乾燥』の魔法を行使する為ではない。
ライムと一緒に覚えなかった時点で、グレンはすぐに覚えさせる事は諦めていたようだ。
アリティアが共に教会に来たのは、地下倉庫からの水捨て要員という雑用係としてだ。
セリカにお茶とお菓子をいただいた事を話した為に、そのお菓子を狙ってのことでは無いと、ライムは思いたかった。
幸い、セリカはアリティアも来てくれたことに喜んでくれた。その時の会話の主役はセリカとアリティアであり、ライムはもっぱら聞き役に回っていた。会話の内容も、村の奥様方の話題が中心だ。ライムにとっては話す事が無い話題でもあった。
保存食作りの手伝いが終わると、それからは特別な用事というものが無かった。
だからこそライムは忙しい日々を送ることになった。
特別な事があれば息抜きができるが、そうでない日はひたすらに勉学と訓練の日々になるからだ。
◇ ◇ ◇
ライムの一日はまず早朝の水汲みから始まる。水瓶の中に前日の水が残ってないかを確認し、残っていれば、その水をまず捨てて、それから井戸から水を汲み上げる。
当然、その作業には釣瓶などを使うことはなく、四大魔法の『水の操作』を使用して、水瓶をいっぱいに溜める。
それが終わるとグレンについて、早朝の畑仕事だ。
夏のこの時期、畑には雑草がよく生える。日が高くなって暑くなる前に、草むしりと夏野菜の収穫を行う。
丁度良い時間になると家に戻り、朝食の準備を始める。この時間になると、アリティアも起きだし、朝食の準備を手伝う。畑仕事が長引いた時にはアリティアが一人で朝食を作って、畑に呼びに来るが、そういうことは少ない。
いつもはグレンが主体になって朝食を作る。次にアリティアが手伝い、ライムはさらにその手伝いだ。
三人揃っての朝食が終わると、家事の時間になる。掃除と洗濯だ。
掃除は箒で床の埃を外に掃き出し、仕上げに部屋の空気中を漂う細かなチリを『微風』で開けた窓から追い出す。
洗濯では汚れた服に『洗浄』をかける。『洗浄』を使うと、一抱え程の水の塊が空中で現れて、渦を巻くので、そこに洗う服を放り込む。しばし渦の中で泳がせればそれで汚れは落ちる。
『洗浄』によって生まれた水は魔力が一時的に水の姿を取ったものなので、普通の水を使った時よりも乾きは早い。それでも物干しに干せば終了だ。
ライムとアリティアの二人で流れ作業で行うので、非常に早くに終わる。
その後、先に畑に向かったグレンに合流して皆で再び畑仕事を行う。ただしこの時の畑仕事は暑くなる前には終わる。特別なにかをする必要がなければ、一日の畑仕事はこれで終了となる。
それからは昼ご飯の準備まで、基礎訓練と四大魔法の訓練が行われる。
まずは、個人で集糸化法を三回ずつ。続いては複数人で同時に集糸化法を行って、魔力の掌握能力を高めるために、魔力の奪い合いの訓練が行われる。毎回グレンに圧倒されるが、弟子と孫は必死になって食らいつく。
それが一段落すると、今度は今まで覚えた、全ての魔法陣を魔力で描く復習が課される。それが3セット。ただし、一つにつき数秒以内に正しい魔法陣を描けなかった場合は、始めからやり直し。そして完遂するまで終わることはない。
失敗すればいつまでも終わる事はないが、逆を言えば一回で成功させればそれでお終いだ。
初めの頃は魔法陣の数が少なかったので楽な訓練だったが、新しい魔法を覚える度に魔法陣の数は増えていくので、今ではかなり厳しい訓練だ。
自然と真剣になる。けれど毎回、三、四回は失敗する事になる。
上達し、失敗しないようになると、制限時間が縮まっていくのだ。なかなか成功続きになる事がない。
復習が終わると実際の四大魔法の使用訓練に移る。
今の季節は夏で、この時間になってくると暑くなる。そこで暑さ対策も兼ねて、基本的に練習対象になるのが水と風の魔法だ。火の魔法も練習するが、その後には必ずと言っていいほど、水と風の魔法を使って涼を取ることになる。
昼食の準備はライムとアリティアだ。ただし主力になるのはアリティアだ。ライムも手伝うが、あまり戦力にはならない。料理の勉強は続けていて、最近少しずつまともに料理ができるようになってきた。
三人で昼食をとると、午後は座学が基本になる。ライムとアリティアは四大魔法の理論をグレンから教授される。そして、新たな魔法を覚える為に、砂版に魔法陣をひたすら描き続けて暗記する。
座学の時間はそれほど長くはない。それが終わると、一日の四大魔法の勉強は終わりだ。ただし、これはアリティアだけに限った話だ。
ライムはまだ勉強を続ける事になる。グレンからレポートの題材を出され、それの参考となる本を数冊わたされる。
課題の内容は四大魔法、五行魔法、陰陽魔法が中心となっている。およそ、三対三対四の割合だ。まだ実技は行ってはいないが、陰陽魔法は前提とする知識が多く必要なためだ。
陰陽魔法の課題の中には魂に関する考察や、呪符に使用する文字に関するものもあり、陰陽魔法と一言に言ってもそれだけで内容は多岐に渡る。
それら以外の魔法系統に関する課題も出されることがあるが、それらはレポート文書を制作するのではなく、口頭発表だけで済ませる事になった。
課題を出されたライムは一人の時ならば己の部屋に戻って机に向かい、リビングに他の誰かがいる時はそこのテーブルで本を呼んだりレポートの作成を行ったりをしていた。
グレンがいる時は軽い講義の形となり、アリティアだけの場合は雑談をしながらのレポート作成になることが多い。
もっとも彼女は刺繍針を手にしている事が多いので、お互いの作業があまり邪魔になることは少ない。
日が傾く前に干していた洗濯物を取り込み、共に畳むことも珍しくはない。
夕方に差し掛かる頃になると、再び魔法の訓練が始まる。たたし夕方の訓練は五行魔法の実技訓練であり、アリティアは参加せずに見学していることが基本だ。
土行の魔力の感覚の覚え直しと、自力での変換を繰り返す。覚え直しをしないで済むように、自力での変換へと割合を増やしていく事が目的だ。
グレンが評するには、今のライムは大体六割ほどの完成度だという。あまり時をかけずに土行の魔力への変換を完全に習得できるだろうとのことだ。
土行の魔力の変換だけではなく、土行の魔法も実際に何度も使用し、その使用感覚を覚えていく。それにともなって、五行魔法の特徴である相生、相剋も実践する。火生土と土剋水の実践だ。
火生土の訓練は、グレンが作り出した魔法の炎に土行の魔力を干渉させ、炎を構成している火属性の魔力を糧に、更に大量の土行の魔力を生み出す。
土剋水の訓練は、グレンが作り出した魔法の水球に土行の魔力を干渉させ、水球を構成している水属性の魔力を駆逐する。
後者はともかく、前者の訓練はなかなか上手くはできなかった。しかしそれも訓練を始めた頃の話。今ではどちらもそれなりの練度でこなせるようになった。
それでも師匠であるグレンはさらなる上達を求め、ライムはそれに応えていく。
夕食の準備を行う為にグレンは途中で離れ、夕食の時間まではライム一人で自主訓練になる。その時には、夕食までに達成するようにと、新たな課題が出される事も少なくない。
三人で夕食を終えると、ようやく自由時間となる。
たいていはリビングでお話をすることが多く、その時に娯楽として遊技盤に興じることも多い。こちらの世界に元からあったものだけではなく、地球産のゲームとして将棋はリバーシなども行うこともある。それらの駒や板は、ライムが皿を作るついでに石を材料に片手間で作りだした。
グレンが気に入ったのは将棋で、アリティアが気に入ったのがリバーシの方だった。その相手をさせられることが多くなったライムは、二つのゲームを一緒に紹介するのでなく、時期をずらすべきだったと後悔した。
週に一度程度の頻度で、ライムは狩りに出る。その時間帯もこの自由時間からだった。
アリティアが睡魔に負けて、ベッドの住人になった頃。場所をグレンの書斎に移して、本日最後の講義が始まる。
だだし、この講義が行われるのは、二日に一度だ。なぜならばこの講義はレポート提出と、レポート内容の口頭での発表を行わねばならないからだ。
そして、夜の講義は役割が逆転することになる。普段、グレンが行っている教師の役割を、この夜の講義ではライムが務める。
講義内容は書いてきたレポートだ。当然、生徒役であるグレンは黙って聞いているわけではない。少しでもおかしな所や足らない所があれば鋭く指摘し、どういう事かと訪ねてくる。
それだけではなく、それらを発展させた考えも求められるのだ。当然それらの質問にもしっかりと答えていかねばならない。
もっとも、全てを完全に答える事ができた事などない。答えられなかった部分は改めてグレンから講義を受ける事になる。
夜の講義は時間自体は短いが、発表が終わる頃にはライムの精神はボロボロになっているのが常だ。
一日の講義はそれで終わりだが、ライムがやるべき事はまだ残っている。凹んでいるヒマなどない。
部屋に戻ると、『灯火』の灯りの元で、次回発表するレポートの作成を行う。本を読み、それらの魔法理論を書き写し、同時に自分なりの考えを記していかねばならない。
夜の講義がない時はレポート作成の時間に回されるのが常だ。いつも夜遅くまでそれが続く。
グレンの気遣いなのか、難しくて時間の掛かるレポートを連続して求めたりはしない。簡単で時間のかからない内容のレポート課題を出されることもある。そんな時はレポートの制作が早く終わる。
結果として一人ヒマな時間が生まれる。その時間、ライムは部屋の中に持ち込んだ、大きな白い石相手に、石細工作りに励むことになる。
石から作ったのは、皿はもちろん、手裏剣代わりの板、遊技盤の駒や盤、装飾を刻んだ腕輪など。己が手を動かす度に形を変えるのが面白いと感じていた。
今では石細工がライムの趣味だ。
物が無く、ガランとした印象だったライムの部屋は、今では大量の本とライムの作品である石細工の展示場になっている。
そして深夜がやって来る前にライムは就寝することなる。
そんな風にライムは忙しい日々を過ごしていた。




