第54話 加護と信仰
「帰還の神ティクトイシィさまの加護について知るには、人間ティクトイシィがどのようにして神へと至ったかを話した方が分かりやすいでしょう。
少し長くなりますけどいいですか?」
「ええ。お願いします。帰還の神については少し興味がありますから」
ライムの言葉にセリカ一つ頷き、お茶で口を湿らせると語り出す。
「始まりは帰還の神ティクトイシィが神ではなく、人間だったころまで遡ります。
異世界たる己の生まれ育った世界から、この世界へやって来た時、彼は気がつけば森の中に一人いたそうです」
「森の中……」
自分と同じ状況だ。
「ティクトイシィはひどく混乱し、森の中を数日間さまよい歩いたそうです。
やがて空腹に倒れ、意識を失いました。
気が付くと、近くの村の人間に助けだされていました。そこで彼は、自分が違う世界へとやって来た事に気がついたのです。
村の人たちに優しく親切にされた彼ですが、己の家に帰りたいと強く願い。それでも違う世界であり、帰る手段など無いと理解してしまった彼はひどく嘆きました。
彼は数ヶ月の間その村に世話になったそうです。
その間にこの世界の事を知り、やがて迷宮と迷宮の奥底に存在する、ありとあらゆる願いが叶う至宝の存在を知りました。
そして彼は村を飛び出し、一人の迷宮探索者となりました」
「迷宮っていうのはたくさんモンスターがいる場所なんですよね? 彼は戦う術を知っていたんですか?」
ライムの疑問にセリカは頭を振る。
「いえ、彼は全くの素人だったそうです。それどころか体力も村の者よりも劣っていたそうです。
だからこそ彼は村人たちから引き止められました。
しかし、強く家へと帰る事を望んだ彼は村を飛び出したのです。
彼はすぐに死ぬと、迷宮探索者たちは思ったそうです。
迷宮は危険な場所で、それでも多くの若者たちが成功を夢見て集まります。そして、力が足らない者は死に至る。
彼もそんな若者の一人であるとみなされていたんです。
けれど彼は死ななかった。彼と、他の無謀な若者たちとの違いは一つだけ。これ以上進むのは危険だと感じた瞬間、踵を返せるかどうかの違いだけでした。
彼は非常に弱い迷宮探索者でした。
道場で剣を学び始めたが剣の才能は無く、魔法も習い始めたが、役に立つ魔法はあまり覚える事はできませんでした。
それでも彼は迷宮探索者の中で、下の上あたりの稼ぎを出していたそうです。
本来ならば下の中辺りの強さしか無い彼が、一人で迷宮に潜っているというのに、それだけの稼ぎを出すというのは大した事らしいです。
それでもその時点までは、よくいる迷宮探索者の一人でしかありませんでした。
彼はやがて、迷宮魔法を発現するに至ります。彼の神としての権能、そのものである迷宮魔法です」
「迷宮魔法――個別魔法が、神の権能ですか?」
個別魔法というのは、神の権能と呼べる程の強い威力を発揮できるようなものだっただろうか?
「ええ。多分ライムちゃんの方が詳しいと思うけど、迷宮魔法っていうのは武器の形が多いらしいの。迷宮探索者たちはたくさんのモンスターを倒す武器を求めているから。
けれどティクトイシィは違った。彼はただ純粋に己の家に帰りたいと願い続けていた。迷宮に潜って危険なモンスターと戦っている最中もね。
だから彼に発現した迷宮魔法は、己の帰り道を指し示すものになった。
ライムちゃんは覚えているかな? ティクトイシィさまの像には、手に大きなコンパスを持っていたでしょう?」
「ええ。覚えています。妙に大きくて、ティクトイシィさまが真剣な顔で見ていたコンパスのことですよね?」
「そう。そのコンパスこそが帰還の神ティクトイシィの権能であり、帰還の神の象徴でもあるの。
名前はそのものズバリで、『帰還のコンパス』。能力は帰り道を指し示す事」
誇らしげにセリカは言うが、ライムにはその凄さがピンと来ない。
「それだけですか?」
「そうよ」
「えっと……。何がすごいのか分からないんですけど……?」
ライムの言葉にセリカは苦笑する。
「まあ、これだけの説明ならそう思うわよね。けど、このコンパスのすごい所は、コンパスの指示に従い続ければ必ず元の場所へと戻れると言う事なの」
「?」
ライムは首をかしげた。
「そうね。言い換えましょう。
絶体絶命の危機であろうとも、凶悪なモンスターが山のように存在している迷宮の最深部であろうとも、このコンパスの指示に従いつづければ必ず生きて帰る事が可能となるの」
「それは……」
すごいことじゃないだろうか? どんなに危険な場所であろうとも行くことさえできれば、必ず生きて帰れるという事だ。
「今では『帰還のコンパス』は、帰り道を指し示すだけのモノじゃなくて、帰るための運命を強制的に書き換えていくモノだとされているわ。
『帰還のコンパス』を手に入れたティクトイシィだけど、その時はそれほど強力な能力を有しているとは思わなかったの」
その言葉にライムは疑問を浮かべる。
「え? 個別魔法っていうのは発現した途端に、術者には使い方と効果が分かるって聞きましたけど?」
「ええ、そうみたいね。事実ティクトイシィもすぐにどういう能力を持っているかは分かったの。けれど、そこまで強力だとは分からなかった。
なぜなら迷宮に入れば迷宮の出口を指し示す。迷宮の外では街中を好き勝手に指し示していた。
だからこそ彼は、このコンパスは迷宮の中でしか使えないと思い込んでしまった。
この迷宮魔法は異世界の自分の家へと帰りたいという、自分のもっとも大きな帰還の道しるべにはならないと勘違いしてしまったの」
「勘違いって事は、帰還のコンパスは、異世界への道しるべにもなったって事ですよね?」
「そう。家に帰る為には最深部にある至宝を頼るしかない。だから直接には最深部への道を指し示すことない『帰還のコンパス』はそこまでの力が無いと勘違いしてしまったの。
ティクトイシィはその事で相当嘆いたそうよ。
けれど、彼は迷宮に潜る事は止めなかった。必ず帰り道を指し示す。そんな迷宮魔法を持っていると噂になって、最深部を目指す迷宮探索者たちのパーティにも多く誘われた。
やがてどんなに複雑な道でも、必ず帰還させる迷宮探索者として有名になっていきました。
それでも戦う才能の無い、ただの迷宮探索者であることには変わりはなかったの。
けれどある時、一人で迷宮を潜っていると、突然コンパスの指し示す方向が変わったの。迷宮の出口から、迷宮の奥深くへと。
彼は戸惑い。それでもコンパスに従った。それまで彼を救い続けてきた実績と信用があったから。
コンパスの指し示す方向に従って迷宮の奥に進むと、そこには一人の迷宮探索者がモンスターに囲まれて絶体絶命の危機にあった。
ティクトイシィはとても驚きました。なぜなら、コンパスが彼を救い出せと、強く指示していたからです。誰かを救い出せ、という指示をコンパスが出す事などそれまでありませんでした。
それでも己のコンパスを信頼していたティクトイシィは、襲われていた彼を救い出し、共に迷宮の外へと脱出しました。
救われた彼はお礼にある魔法道具を渡しました。煙幕の腕輪と言う迷宮内ではあまり使い道のない道具です。礼として渡したのもお金の持ちあわせが無く、偶然迷宮内で手に入れた換金可能な道具だったからです。
ティクトイシィはそんなものだろうなと、煙幕の腕輪を換金しようとしましたが、何故か『帰還のコンパス』が手放すなと指示を出しました。
ティクトイシィはそこではじめて『帰還のコンパス』に疑問を懐きました。
何故道しるべだけではなく、物を手放すなという指示を出すのかと。これまで迷宮の中ではその道具を手放すなという指示はありました。そういう道具は迷宮からの帰還に、後で必ず使用する道具でした。
けれど、迷宮の外でそういった指示を出される事ははじめてのことでした。
ならばこの指示こそが、異世界の自分の家に帰る為の道しるべではないのか。そして街中で勝手気ままに指し示される方向にも、家に帰るために必要な何かがあるのではないか、そう思い至ったんです。
それからの彼はコンパスの指示にしたがって東奔西走しました。その時の逸話は数多く残っています。
数多くの魔法道具を手に入れたティクトイシィは、やがてその時を迎えます。
『手に入れた道具全てを装備して、迷宮へと挑戦せよ』
『帰還のコンパス』はそう指示を出したのです。
迷宮の最深部へと向かう道中、手に入れた道具は最低でも一度は使う必要がありました。その道具がなければ確実に踏破は不可能だったとされているわ。
そして彼は迷宮の最深部へと到達し、至宝へと触れました。
人間ティクトイシィは神へと至り、己の故郷への帰還を果たしたのです。
これが、人間ティクトイシィが帰還の神ティクトイシィへと至ったお話し」
セリカはライムを見やった。
「ライムちゃんはどんな感想をもったかな?」
「どんなって……。『帰還のコンパス』が凄すぎるとしか思えないです」
「たしかにね」
セリカは苦笑して続ける。
「『帰還のコンパス』がないティクトイシィさまは、普通の迷宮探索者にも劣る程度の能力しか無かったらしいの。それでも神へと至ったのは『帰還のコンパス』の力が大きいわね」
『帰還のコンパス』が本体で、ティクトイシィの方はオマケではないかとライムは思った。
「それでも神と今も崇められているのは、ティクトイシィさまが多くの人々を救っていったからです。人であった頃から、そして神となった今でもね。
そうでなければこれほど多くの人々から信仰を集めはしないでしょうね。
そしてその信仰に対して授けられる加護こそが、『帰還のコンパス』と同じ力です」
「え? 神さまになれるような力を加護としてもらえるの?」
ライムの言葉に、セリカは苦笑しながらパタパタと手を振って否定する。
「いえいえ。さすがにそこまですごい力じゃありませんよ。前にもお話ししたように、帰還の神ティクトイシィさまの加護は、帰還に関する幸運をもたらす事と、望むモノへと導くという力です。
それらは『帰還のコンパス』の一端を現しているにすぎません。
帰還の神ティクトイシィへの信仰が篤いのは、やはり迷宮都市ですね。迷宮都市の帰還の神の神官は『帰還のコンパス』の力の一端を普通のコンパスに宿す事ができるそうですよ?
それは神聖魔法の一つですが、加護の一端といえるでしょう。
ああ、少し話がずれちゃったけど、帰還の神ティクトイシィさまの加護というのは、帰還とモノ探しに関する幸運を非常に強めてくれるわ。けれど、他の事に関してはあまり強い幸運は期待できないの。
けれど、始祖神クラフスさまならあらゆる事に幸運をもたらしてくれるわ。けれど、帰還とモノ探しについては、帰還の神ティクトイシィさまには到底かなわない。
あらゆる事にほんの少しだけ幸運を受けるのが始祖神クラフスさまの加護で、ある特定の事に関してだけに強い幸運を受けるのが他の神さまの加護になるのよ」
セリカの説明を聞いてライムが思った事はまるで神社のお守りのようだと思った。
あれも特定の事象、例えば交通安全のお守りだとしたら、他のご利益は期待できない。
「加護っていうのは、神さまが信者に与えてくれるご利益みたいなものと考えてもいいんですか?」
ライムの問いに、セリカは困った様に微笑む。
「まあ、そうとも言えますね……。
ただ正直な所を言うと、信仰するのに見返りを求めるのは、あまり好ましくは無いですね。
信仰とは捧げるものであって、見返りを求めるものではありませんから。たとえ加護を得ることに利益があるとしても、利益ありきで信仰をするのは、本当の信仰とは言えません。
神さまもそういった態度で信仰をする者には、あまり強い加護を与えることはありません。
神さまが加護を与えてくださるのはあくまで、地上に住まう多くの人々を救うためです。
たとえ加護を受けたとしても、個々人の個人的な欲望に対してはその加護というのは強くは働かないものなんですよ」
「そうですか……」
セリカの注意点を聞いて、ライムは残念に思った。
多くの利益がもたらされるのならば、神さまを信仰してもいいかなと思ったのだけれど、やはりそこまで上手い話はないものだ。
ライムの望みは人の体を得る事で、それは多くの人々を救うという事とはかけ離れている。ライムが人の体を得ようと得まいと、人々が救われる事もなければ、逆に苦難に陥るわけでもない。けれどその願いはあくまでも個人的な欲望にすぎないだろう。
あまり強く働かないというかどの程度、力が弱まるものだのだろうか?
「セリカさん? 個人的な事には加護が強く働かないって、どれくらい弱まるものなんですか?」
「そうですね、加護が無いのと変わらない程度というのが実際の所らしいですね。けれど人というのは、ただ自分だけの為に行動すると言う事を続けることはできない生き物です。
信仰を続けていれば、個人的な事だけではなく、他の誰かの為に行動することもあるでしょう。その時は強く加護が働くものです。
ですから、自分の為にしか行動ができないと言う方でも、信仰して加護を受ける価値はあるのですよ? 大切な人を救う一助となるかもしれないのですから」
「大切な人を救う……ですか……」
セリカの説明を聞いてみても、あまり魅力的には感じない。一人の神に熱心に信仰を捧げるという行為が受け付けない。
信仰心自体が薄いのか、あったこともない相手に信仰を捧げると言う事に抵抗感を感じている。
それに本当に神が自分を救ってくれるのかという、疑いも抱いている。神が本当にいるならば、自分をこんな体にして、異世界の森の中で記憶を失くした状態で放り出したりはしないだろうという、恨みがあった。
そんな思いを神という存在には抱いているから、セリカの言う大切な人を救う一助が神からもたらしてくれるのか、疑問があった。
神への疑いの思考を巡らせている中、ライムはあることを思い出し、思わず苦笑した。
神さまへと至ったティクトイシィも異世界の森の中へと放り出されていたのだ。その点では彼には親近感を覚える。
「ライムちゃんは何か強い願いを抱いているみたいだけど。そしてその願いは自分だけに返ってくる願いみたいだけど……。
別に個人的な願いしか無いからって理由で神さまへの信仰を諦めなくてもいいのよ?
神さまへの信仰というのは、神に祈ることによって、己の目指す在り方を日々再確認し、止まってしまった歩みを再開させるための後押しなの。
ほんの僅かに、前へと進む意思を得るための手段なのだから。
そう深く考えなくてもいいのよ」
なだめるようなセリカの言葉にライムは驚きを覚えた。
「……私は、深く考えているように見えますか?」
「ええ、見えるわ。ライムちゃんは真面目な子だから。個人的な事を抱いているなら、神さまからの加護を弱まる。それは、その神さまに失礼な事ではないか。それならいっそのこと、信仰しない方がいいんじゃないかとか思ってない?」
ライムは絶句する。言われてみればそんな風に思っていた。
「そんなに難しく考えなくてもいいの。神さま達はそんなに心は狭くはないわ。自分を慕ってくれる人を悪くは思わないもの」
「そう……ですか」
神さまだけあって器は大きいのだろう。けれど、自分の方はそうでもない事にライムは軽い自己嫌悪を感じてしまう。神というあやふやな存在がどうにも信頼できないのだ。
ライムは首を振って、セリカに断る。
「いえ、私はやめておきます」
「そう、それは残念」
あまり残念そうには見えない様子でセリカはいった。
「けど、覚えておいてね。神さま達が救おうとしているのは、自分を信仰いる者だけじゃないのよ? 信仰していない人々も救うために神さまは人々に加護の力をもたらしているの」
「信者に加護を与えているのは、多くの人々を救う為の手段と言うことですか?」
「そういう事になるわね」
神さまとその信者は今日も人々を救うのに忙しいのか。そんな皮肉な思いが浮かんでしまった。
さすがにその事は言うことはなく、ライムはそろそろお暇しようかと思った。お茶もお菓子ももう無いし、ライム自身も忙しい。
「そうですか。セリカさん。お茶ごちそうさまです。私はそろそろ帰りますね」
「あら? お茶のおかわりもあるし、もっとゆっくりしていっていいのに」
引き止めるセリカにライムは苦笑して首を振る。
「いえ。早く帰らないと、レポートを書く時間が無くなっちゃうので。一つは今日が提出期限なんですよ。それに訓練の時間を削るわけにはいなないので」
「そう? なら仕方ないわね……」
残念そうにするセリカに、罪悪感を覚えてしまう。
「明日もお肉の乾燥をしますので、また明日来ます」
「ええ、それじゃぁ、また明日ね」
別れの挨拶をかわして、ライムは教会を後にした。
教会から家に帰る道すがら。ライムは話に聞いたティクトイシィの事を考えていた。
「私と同じ森に落ちた異世界人……。彼は願いを叶える為に神へと至った。
なら私も、願いを叶える為には神へと至るしかないのかな……?」
ライムはポツリとつぶやき、いや、あり得ないことだと苦笑しながら頭を振った。
「私にはそんな大それた事を行う度胸なんて無いしね」




