第49話 村の会合
ライムには申し訳ない事をしてしまったなと、村の宿屋を目指して歩きながらグレンは思う。
本来ならば、自力での属性変換の実践までは行う予定などなかった。
これから向かう会合の時間が差し迫っていなければ、もっと直接指導をしてやれたのだが。
ライムには五行魔法の属性変換の前準備の為に、五行の魔力を感じる所までで終わりにする予定だった。
その場合、グレンが会合の為に席を外している時の予定としては、土行の魔力と通常魔力との違いがどのようなものであるかを、紙に記録を取るという課題を出すつもりだった。
けれど、ライムは長い時間が掛かるはずだった土行の魔力と通常魔力との違いを、たった二回で読み取ってしまった。
後で五行魔法を覚える事になるアリティアに対しては、ライムは才能を持った特殊な例であるとフォローを入れねばならないと、後々の課題として頭のメモに残しておく。
ライムの五行魔法に対する才能の高さに喜び、思わずその先の、自力での属性変換を行うようにと課程を進めてしまった。
会合があるとすぐに思い出したために、ほぼ実習の形になってしまったことには、ライムに申し訳なく思っている。
同時に残念だとも思った。弟子の成長していく過程をこの目で見られないのは非常に残念な事だ。
できることなら、はじめて自力で属性変換を成し遂げる時には居合わせたいものだと思う。
けれど、それは望み薄であろうとも思う。
あれほどすぐに違いを感知できたライムならば、早い時間に成功させてしまうだろう。
弟子に才能があることに残念に思うとは、師としてまだまだ未熟だなと、グレンは自嘲する。
やがて目的地である宿屋へと到着する。扉を開けて中に入る。一階の食堂部分にはこの時間、客の姿はない。けれど、そこには数人が待っていた。彼らが今日の会合の出席者だ。
「すまない。少し遅れただろうか」
「いや、大丈夫だ。俺も今来たところだしな」
答えたのは五十代の日に焼けたガッシリとした体格の男だ。彼の名はドルフ。木こりギルドのカイロス村支部の支部長を務めている。
「そうか、それは良かった」
グレンは彼らがいるテーブルの空席につく。テーブルには残り二人がいた。
「珍しいですね。グレンさんが時間ギリギリにやって来るなんて」
微笑みながら言うのは、教会のシスターであるセリカだ。
「弟子の指導に熱が入っての。時間を忘れそうになったわい」
「弟子と言うと、ライムちゃんという名前だったかな? 娘からはアリティアちゃんにソックリで、もう魔法を使えるようになったとか聞いているが?」
そう聞いて来るのは赤い髪をした四十代ほどの男だ。彼の名前はウォーレン。雑貨屋の主人でミリィの父だ。
「ああ、アリティア共々、かなり厳しく指導してきたらな。今のあやつらは見習いという文言が頭に付くが、魔法使いと名乗っても問題はない程度には成長した」
「ほお……」
グレンの言葉に、彼らは一様に感心と驚きの表情を浮かべる。
「たしかアリティアちゃんは魔法の勉強にあまり熱心じゃないと聞いていましたが? アリティアちゃんも魔法使いですか?」
そう聞いてきたのは、お茶のセットを盆に乗せて近づいてきた村長だ。彼はこの宿屋の主人でもある。ちなみに名前はテレンスというが、ほとんどの者が彼の事を村長と呼ぶ。
「ああ、ライムが熱心だからな。それにつられて逃げ出す事も少なくなった。
それに麦刈りには二人の戦力が必要だったからな。駆け足で必要な魔法を叩きこんだら、幸いにも覚えてくれた。
こんなに早く魔法使いを名乗れるようになったのは、あの長雨のおかげというか、せいというか……」
「なるほど、あの長雨も災いだけをもたらしたわけでない。という事ですかな」
「本人からしてみれば、勉強漬けじゃったから、災いそのものだと主張するじゃろうな」
からかうようなウォーレンの言葉に、グレンは苦笑交じりに答えた。
村長はお茶を注いでみんなに配ると自らもテーブルつく。
「さて、村長。会合の面子が揃ったわけだが。この面子で予定にない会合だと、次の飲み会の日時を決めるというモノでもないのだろう?」
口火を切ったのはドルフだ。
今ここに顔を合わせているのは、村の顔役とも呼べる人々だ。
村の会合は通常、村の主だった者が定期的に集まり、村の事について話し合う。
しかし、大体はそれほど重要な話をしたりはしない。飲み会の口実につかわれたりもする。
集まる場所は村長の家でもある村の宿屋、その一階の食堂部分だ。昼に行う時は食堂の営業時間外なので、経営の邪魔にもならない。夜に行う場合は、お酒も出せるのでそのまま飲み会の会場にしやすいという事情もある。
普段のあまり問題にならないような議題ならば、多くの者が議論に参加しても問題なく話はまとまる。
しかし、重要な事を話し合う時には、冷静に物事を判断できる者だけで事前に協議するのだ。解決案をいくつか用意しておけば、多くの者が参加した議論が紛糾しても、話をまとめやすくなる。
そんな時に集まるのが、今ここにいる者たちだ。
まずは村の代表である村長。彼は村全体の代表者だが、農民達の利益を擁護する立場でもある。
次に木こりギルドのカイロス村支部長であるドルフ。
彼は木こり達の利益を守りならねばならない立場にある。カイロス村では農民の次に多いのが、ギルド所属の木こり達だ。ゆえに彼は村長に次いで強い政治的権力者だ。
とは言っても彼はその権力を振るうような事はほとんど無い。問題なく村をまとめている村長を立てて波風を起こさぬようにしている。
その次にこの村で影響力が大きいのが、教会のシスターであるセリカだ。
若輩で且つ新顔だが、信仰心の拠り所である教会の者だ。直接的な権力はないが影響力は大きい。
もっとも本人は日々を過ごすのに一生懸命すぎて、己が権力を有していると気がついてはいない。気がついたとしても、本人がそれを振るうことは無いだろう。
続いて雑貨屋主人であるウォーレン。
雑貨屋という職業柄、彼は村の者たちとよく顔を合わせるが、影響力という点ではほとんど存在していない。
けれど彼は買い付けを行う為に村の外へと度々出かけているため、村以外の噂も詳しい。それに、商人としての視点を持っているために鋭い意見を出す事がある。
そして最後にグレン。
彼は魔法使いであり、知恵袋となっている。村人の中には魔法使いを敬遠したいと思っている者もいるため、影響力という点ではこの五人の中では一番低いだろう。
しかし、魔法の力と知恵には助けられる事が大きいため、会合には常に出席するようにと村長から言いつけられている。
皆から視線をむけられ、村長は一つ頷いて話を始める。
「今回皆に集まって貰ったのは、今年も徴税官がやって来ると領主様から手紙が届いたからだ」
「それはいつもの事なのでは? 納税する麦の量もいつもどおりで問題は無いと聞いていますけど?」
不思議そうに問いかけたのはセリカだ。グレンとドルフもその意見に賛同するように頷いている。
「確かにいつもどおりならば問題は無い。だが、ウォーレンが街で悪い噂を聞きつけたのでな」
村長の言葉に視線はウォーレンへと向かう。
「仕入れで街まで行ってきたんですがね。どうも今年の麦は不作だったらしい。それで、今年の麦の徴収量を増やすかもしれない、という噂を聞きつけたんです」
彼の言葉にすぐに言葉を返せる者はいなかった。その言葉の重要性を認識できるからこそだ。
麦の徴収量が普段通りならば何の問題もない。もし、僅かでも増えているというのならば、不愉快だが仕方がない。ただし、その量が許容できる範囲――つまり飢えぬ程度の量であればだ。
今回の収穫したのは秋蒔きの麦だ。初秋には春蒔きの麦の刈り取りがある。今回もしも大量に税として麦を持って行かれ、初秋の収穫が不作であった場合、村から餓死者が出かねない。
噂の事をあらかじめ知っていた村長以外で、最初に気を取り直して質問したのはグレンだった。
「確認するんじゃが、街というのはラヴァベの街でいいんじゃな?」
「ええ、そうです」
ラヴァベの街とは、カイロス村に流れる川の下流に存在している街だ。カイロス村にとって、木こりギルドの木材の卸し先という意味が大きい。
しかしそれよりも、カイロス村を含むバーナルス領を治めている領主様が住まう領都としての意味合いの方が大きい。
「ならば、領主様の動向は噂になってはいなかったか? 亡くなられたとか、病に倒れたとか、お家騒動が起きそうだとか」
声をひそめた質問にウォーレンは首をふる。
「そういった噂は全くありませんでしたね。それに今の領主様のお子さんはまだ幼い男の子が一人だけのはずです」
「それでは大丈夫ではないか? 今の領主様はできた方じゃ。不作に備えて備蓄はしているという話じゃし。これまでの収穫も特段不作というわけでもない。
前の、八年か九年まえの不作の時は、備蓄を放出したという話を聞いたことがある。不作になった時に麦の徴収量を増やすとは思えん……」
断言できないのは、やはり不安に感じての事だ。
「あの長雨に被害を受けて、麦を悪くした村は結構多いらしい。この村と付近の村は長雨が来るって伝えていたから免れたらしいが、他の村では結構ヒドイらしいぞ?」
「そちらの方じゃすぐに飢えが始まりそうな程、麦をダメにしたのか?」
質問したのはドルフだ。
「いや、そこまでじゃない。春播き麦が普通通りに収穫できれば問題無い程度らしい」
「それならひとまずは安心ですね」
セリカのホッとした言葉に村長が首を振る。
「それも今回の徴収が普段通りならば、の話なんです。だからみなさんに集まってもらったんですよ」
村長の言葉に不安げに顔を合わせる。
先に愚痴の様に口を開いたのはドルフだ。
「麦が不作というのも困るな……。麦が高くなれば、木こりギルドとしても木材が売れにくくなっちまう。そうなれば木こり達の給料もヤバくなる……」
そうなれば、飢える者が増えるという事だ。暗い未来に口が重くなる。
と、グレンがウォーレンに質問する。
「税金の方も高くする。という噂は街で流れてはおらんかったのか?」
「税金、ですか? そちらの噂は聞いていませんね。街で流れている噂は、農村からの麦の徴収量を増やすって噂ばかりです」
「……奇妙な噂じゃの。普通、不作になったなら、領主様としては餓死者を出さぬようにする責任がある。どうしようもない不作ならともかく、その程度の不作で大量に餓死者を出せば領主として責任を取らされる。
ならば、よその領から買い付けてでも飢饉は防ぐ。金が無いなら一時的にも税金を増やしてでも対処するべき事案じゃ。
今回の様な収穫時の長雨被害だといのなら、他の地域ではそれほど不作にはなってない可能性が高い。
なのに、不作じゃない場所から麦を持ってくるのではなく、不作なっている村から麦の徴収量を増やすなど……。意味が分からん……」
グレンは首をかしげつつ言う。少し明るい表情になったセリカが聞く。
「では、その噂は根拠の無いただの噂だということですか?」
「そうだとは思う。村長もウォーレンも根拠があるというわけでは無いのじゃろう?」
「まあそうですな。あまりにおかしな噂でしたから。ですが、万が一があった場合は事が事ですから、村長にお伝えしたのですよ」
「その万が一が起こってから、慌てて対策を立てても遅いかもしれないですからね」
グレンの確認に、ウォーレンと村長は苦笑しながら頷く。
「対策となると今から少しずつ備蓄を進めていくしかあるまい」
とこれはドルフだ。
「それはそうだが、村長。手紙が来たとのことだが、やって来る徴税官は前回とは変わっているのか?」
先触れの手紙には通常、代表者の名前と随行人数が記されている。徴税官を名乗り騙し取る犯罪者を出さぬ為と、宿泊する人数を伝える為だ。
「いえ、変わってはいません。前回と同じくマーヴィン様です」
「領主様も徴税官も変わっていないなら、やはりただの噂ではないか? あの方達が、村が飢える程の量を持っていくとは思えぬのだが……」
「そうであればいいんですか……」
楽観的ともいえるグレンの言葉に、村長は悲観的に同意する。
「あのっ、領主様に、手紙で確認はできないんでしょうか?」
セリカの問いに村長は首を振る。
「こちらに手紙の返事が届くより、マーヴィン様たちが村にやって来る方が早い。その時には否応なく真偽はハッキリするだろうな」
「そ、そうですか……」
「ともかく、ワシらにできる対策と言えば、ただの噂であることを祈る事と、ドルフが言った今から少しずつ備蓄をしていく程度しかあるまい」
「そうですな。それしか方法はないでしょうな」
グレンの言葉に村長が同意し、具体的な備蓄の方策を話し合う事になった。
具体的な方策として上げられたのは。森での狩りを増やす。釣りをして魚を取る量を増やす。森を切り開いて畑を広げてそこに育ちの早い野菜を植える。教会の倉庫を干し肉等の保管場所として提供する。街へ行って食料を買い付ける。などだ。
そのうち買い付け以外は、ただの噂だった場合でもムダにはならないと、行う事が決まった。
ただし、村人たちに知らせるのは真偽が判明した後にした方が良いという事も決まり、その日の会合は解散となった。




