第35話 イノシシ退治
綺麗な場所があるとのアリティアの言葉に、村の中心部を離れて、家とは別方向の村外れへ向かう。
麦畑の中を通る道を歩いていくその道中。二人は買ったお菓子を分けあって食べる。
ライムが買った中では紫色のドライフルーツはさっぱりとした甘さをした美味しいものだった。
しかし、黄色いドライフルーツは失敗だったかなと思った。甘さは強かったが、薬のような香りも強い。好きな人は好きな味だろうが、苦手な人はとことん嫌いになる味だろう。
そんな感想をライムが顔をしかめながら口にすると、アリティアは笑いながら言った。
「食べられないほど嫌な味なら、残しても大丈夫だよ。そのドライフルーツはおじいちゃんが好きだから、残るような事は無いよ」
と、食べ物を無駄にする事が嫌いな少女は教えてくれた。おすすめとして選んだのも、ライムが食べられなかった時を考えての事だったらしい。
「食べられないってほどじゃないんだけどね、うぇ……」
ライムは再びそのドライフルーツを口にして、顔を歪ませながら答えた。
小さく歪な形をしたナッツの方は味が薄い。だが塩味で煎ってあるのでおつまみとして美味しいものだった。
アリティアの買った方も分けてもらい味見をした。
赤い小さなベリーは甘さよりも酸っぱさが目立つ味で、白い果肉を小さくカットしたドライフルーツは薄い甘さだが、爽やかな香りが強い。
白くて丸いナッツは濃厚な油分の味の目立つ品物だった。
ライムが一番好きだと思ったのは、アリティアから分けて貰った赤い小さなベリーだ。
けれど、あまり沢山分けてもらうのも気が引ける。代わりにまた、黄色いドライフルーツを口に放り込んで、顔を歪ませる。
そんなライムを不思議そうな顔でアリティアは見る。
「ライム? ひょっとしてそれ気に入ったの?」
「そんな事は無い。とんでもない変な味だ。うぇ……。けど、癖になる味ではある」
ライムの言葉にアリティアは声をあげて笑った。
「ライムってば、おじいちゃんと同じことを言ってる。師弟って親子みたいに似るものなのかな?」
「似るって……。私と師匠が師弟関係になったのはつい一週間前だぞ? 似るにしても時間が短すぎるよ」
「それもそうだね。なら、はじめから似てたってことになるね?」
「だとしても、味の好みだけでしょ?」
「そ! これからドンドン似て行くんだよー?」
アリティアの冗談にライムは肩をすくめて見せる。
「ま、そうかもしれないねー」
互いに顔を見合わせ。お互いの顔に笑みがあることに気がつくと。二人は声を上げて笑いあった。
――と、道の先でざわめきが起きている事に気がついた。
「ん? なんだろ?」
「なにかあったのかな?」
複数人の人々が慌てた様子で声を上げて居るのがわかる。しかし、土手と木立の陰になっていて人影は見えない。
二人は立ち止まり、お互いに顔を合わせて首を傾げる。
と、ざわめきの聞こえる先から、男達が数人、慌てた様子で走ってきた。それそれ、道を走るだけではなく、近くの畑や木立の陰にバラバラに逃げこむ。
「な?! は、離れなさい!」
二人に気がついた一人が、声を上げた。
「イノシシが迷い込んできた! 早く逃げなさい!」
その警告につられる様に男たちが逃げてきた先から、イノシシが姿を現した。
思ったよりも近い場所から現れたイノシシは猛然と突進する。その目標は警告に反応できず棒立ちになってしまっていたアリティアとライムだ。
大きなイノシシで非常に興奮している。この速度で衝突すれば、小柄な少女であるアリティアは木の葉のように吹き飛ぶだろう。
「アリティア! 逃げ――!」
ライムは声を上げて、アリティアをイノシシの突進から避けさせようとする。けれど、その警告の声は途切れる。この近さと突進の速さからして、もう逃げる余裕などない事に気がついてしまったからだ。
衝突する寸前に横に避けさせても、イノシシというは見た目以上に機敏な動きをする。一瞬で進路修正を行い、確実に衝突してくるだろう。イノシシからすれば、子供を避けるよりも、弾き飛ばした方が後の危険が減ると判断するだろう。
ライムだけならば避ける事など簡単だ。だけどアリティアを見捨てることなどできるわけがない。
その一瞬でライムは覚悟が決まった。
「よしっ! こいっ! 私が相手だ!」
アリティアの前に飛び出し、気合の咆哮を上げる。
イノシシは怯まない。かち上げの準備に頭を下げる。口から覗く牙にかち上げで引っかかってしまえば、重傷は免れないだろう。
だがライムにはやられるつもりなど全く無い。硬質化スキルによって全身を硬化。さらに取り出した大人の握り拳ほどの大きさの石を掴んだ手を振りかぶる。
「えっ!? ライム!?」
アリティアの驚愕の声が聞こえた。ライムにそれに反応をしている余裕は無い。
石を投げつけるには、イノシシとの距離はあまりに近すぎる。だがなんの問題もない。始めから、この石を投げつけるなんて考えてはいない。
この距離は殴り付けるには、丁度良い間合いだ。
「どりゃぁぁぁっ!!」
叫び声と共に、野球の投球フォームのように、手にした石をこちらに轢こうとするイノシシの頭へ振り下ろす。
ライムの声にイノシシは一瞬だけ怯んだ。その結果、ゴズッと鈍い音を響かせ、石はイノシシの眉間に命中した。
体を投げ出すような勢いで、叩きつけたライムはそのままイノシシにぶつかり弾き飛ばされる。しかし頭に大ダメージを食らったイノシシはかち上げを行う事は出来なかった。
弾き飛ばされてライムは転び、突進の勢いのまま弾き飛ばしたもののイノシシはそのまま地面に突っ伏した。
女の子が石を片手にイノシシを殴り倒した衝撃的な光景に、アリティアとその場の男達は揃って絶句し、ぽかんと口を開けた間抜け面をさらした。
弾き飛ばされたと言っても、自分からぶつかりに行ったようなものだ。
牙に引っ掛けられなかった為に怪我をするような接触でもない。
転んだライムはすぐさま立ち上がる。
あっけに取られた者の中で一番早くに意識を取り戻したのは、アリティアだった。
「ライム! 大丈夫!!?」
悲鳴の様な声を上げながらライムに駆け寄る。
「まだ近づいちゃダメ! まだ生きてる!」
駆け寄って来たアリティアを己の背後に庇いながら、ライムは一度地面に沈んだイノシシを睨む。
イノシシはふらふらと立ち上がり、歩き去っていこうとしている。脳震盪を起こしているのだろう、千鳥足でつい先程までの興奮した様子は全く無い。
「――もう大丈夫なんじゃない?」
「野生動物を舐めちゃダメ。止めを刺さない限り油断は禁物だよ」
アリティアに言いつつ、彼女を背に庇ったまま一緒にイノシシから距離を取る。その際にイノシシから目を離すような事はしない。
「い、今だ! 止めを刺すんだ!」
その掛け声を上げたのは、逃げて来た村人の一人だ。
「お。おお! 行くぞ!」
掛け声と共に、村人達は一斉に手にしている農具で殴りかかる。脱穀用の棍棒や鍬などだ。
「くたばれ! こんちくしょう!」
「死ねや! おらぁ!」
「とりゃ! おりゃっ!」
罵声と共に、ロクに歩く事もできないイノシシに農具が振り下ろされる。
イノシシは哀れにも何の抵抗もできずに袋叩きにされた。
「うわぁ……」
喜々として行われる村人達のめった打ちに、ライムはドン引きになる。
人が団結して外敵を倒そうとする姿は恐怖を覚える。
下手をすればその矛先が向けられる立場に追いやられかねないライムにとっては、その恐怖はさらに強く感じてしまう代物だ。
傷めつける事よりもとどめを刺す事を目的とした袋叩きはすぐに終了する。
「大丈夫かい?」
男性の一人がライムに呼びかける。優しげな笑顔だが、声をかける前に頬に散った血の跡をどうにかして欲しい。
「え、ええ。大丈夫です。怪我もありませんし」
「そうか、それは良かった。
しかし無茶をする子だな。襲い掛かってくるイノシシを返り討ちにするなんて目を疑ったぞ?
怪我が無いならいいが、今度はこんな無茶はしたらいかんぞ!」
「急に出てきたから、とっさにやっただけです。そうじゃなきゃ、あんな真似やろとは思いませんよ。
それより、この村ってイノシシが普通に出るんですか?」
「いや。めったに出んぞ、ってお前さんグレンさんの所に来たっていうライムとか言う娘さんか」
「あ、はいそうです」
「なら知らんか。この村じゃあ、イノシシなんぞ滅多に出てはこない。
グレンさんの獣避けの呪符が効いとるからな。だが、たまに迷い込んで来るもんもある。だから皆、慌てておったのだ。
だがまあ、嬢ちゃんのおかげで仕留める事ができた。お手柄だぞ」
彼は笑いながら言い、ライムの頭を乱暴に撫でる。
「は、はあ……」
「今日はイノシシ肉だな。お手柄のお嬢ちゃんには一番良いところをグレンさんの家に届けてやるからな」
「ど。どうも……」
「こちらこそだ」
戸惑いながら礼を口にするライムに彼はニッカリとわらった。
その後、歓喜の声を上げて仕留めたイノシシの方へと向かう。
「さー! 今日はイノシシ肉だぞ!」
すでに他の男たちの手によって、イノシシは運び易くする為に四肢を縛り上げられて居た。
これから近くの農家の納屋で解体をするのだそうだ。
食事のメニューが豪華になる事にお互いに喜びながら、彼らはあっという間に姿を消してしまう。
「……村の人ってたくましいんだな……」
あっけにとられて、状況に取り残されたライムは思わずつぶやく。
「そう? 取れた肉は皆で分けるのは普通のことだと思うけど?」
アリティアは首を傾げる。
「それよりライム。その石どこから出したの? イノシシと遭う前は持ってなかったよね?」
「ああ、これ?」
持ったままのイノシシの血の着いた石に視線を向ける。アリティアは頷く。
ライムは周囲に他の者が居ないかを確認する。イノシシを運ぶ者たちの姿はなく、ほかの人の姿は全くない。
「この石は私の体の中に入れておいたものだよ」
ライムが石を己の胸に押し当てると、グニャリと胸の部分が液化して、そこに石が沈み込む。手を離すと石の姿は無くなり、ライムの胸は液化していた痕跡など全くなくなっていた。
アリティアは絶句する。
そう言えばアリティアにこのような事を見せるのははじめてだと気がつく。髪の色を変える程度は見せてはいたが。自分がここまで人外だという証明を見せつける事はしては居なかった。
まるで自分の異常性を見せつける様な事などするべきではなかったと、ライムは後悔を懐く。
嫌われてしまうのではないかという不安に襲われる。
けれどアリティアはライムの懸念など、気にしたようすも無かった。驚きの後に感嘆の声を上げた。
「うわ、すごい……。石を体の中で持ち歩いてるの? うわ、石が入ったはずなのに全くわかんない……」
しげしげとライムの胸に両手で触って確認する。
ライムはそんなアリティアの様子にホッとする。
アリティアは何時までライムの胸を触って確認を続けている。
ライム自身は彼女に胸を触られていてもどうとも思わない。けれどこのような光景を傍から見られたら、あらぬ誤解を受けるのではないかと思った。
ライムはそう思った途端に、今の状態がとてつもなく恥ずかしい事ではないのかと思った。
「アリティア……! そう、しつこく触るのは勘弁してくれないか……?」
「え? あっ! ご、ごめん!」
アリティアは慌ててライムから距離を取る。その顔は赤くなっている。気まずい沈黙が二人の間に降りる。アリティアは目を合わせられず、チラチラとライムの様子を伺う。
対するライムはそんな彼女の様子に苦笑する。
恥ずかしがって居るのは自分だけのようだと思ったアリティアは、誤魔化すためにコホンと小さく咳払いをした。
「い、石をどこから出したのかは分かったけど、なんで石なんて持ち歩いてるの? しかも体の中に入れた状態で?」
「私が石を持ち歩いてる理由か?」
「うん」
「この石は狩りの投石用に持ってるだけだよ」
「なら何で今、持ってたの?」
もっともな疑問だ。アリティアとのお出かけは、狩りに行くような事ではない。
「あー……」
ライムは苦笑して答える。
「大した理由じゃないんだ。ただ単に入れていた事を忘れていただけ。
前に体の中に入れた時から一度も出してなかっただけだよ」
「体の中にそんなの入れておいて、体の具合が悪くなったりしないの?」
「それはないね。私にとって石は消化していないだけの食べ物と同じ扱いだし」
腐る事の無い無機物ならば、体内に保管することに何の問題もない。
「食べ物と同じ? なら、お菓子も体の中で保存しておけるの?」
「体に保管した物の食べる食べないは、ある程度は私の自由だけど……。
石みたいな無機物だから保管ができるんだ。普通の食べ物じゃ腐っちゃうからやらないよ」
ライムにはきちんと人と同様の体温がある。食べ物をそんな温度で保管すればその結末は目に見えている。
「それにお菓子みたいな普通に消化できるものなら、忘れずにずっと保管するなんてことはできないよ。
だからお菓子とかならやりたく無いね。それは丸呑みと同じで、味を楽しむ食事じゃないから」
普通の食べ物だと保管を続ける意識を持ち続けないかぎり、自然に消化されてしまう。
スキル体内保持はあらゆる物を保管できるようだが、普通の食べ物に対してはそういった制限があるようなのだ。
「へえ、そうか、そうだね。食事はちゃんと楽しまないといけないよね」
ライムの食事に対する姿勢にうんうんと、アリティアは同意する。
「けど、体の中で石を持っていられるって事は、すごいこと……なんだろうか? 変な感じだね?」
評価を付けにくい能力に、アリティアは首をひねる。
「まあ、私以外にこんな事ができる存在なんて無いと思うしね。変に思うのは当然だと思うよ。
けど、コレができたからイノシシを撃退できたんだ。体の中に保管した石は出そうとすれば一瞬で出せるからね」
イノシシが襲いかかって来た時、ライムは己の腰から体内の石を取り出したのだ。
地面に転がっている石を拾い上げる様な行動をとっていたら、返り討ちにすることは時間的に不可能だっただろう。
アリティアは大きな声を上げた。
「あ、そうだよ! ビックリしたよ!」
「石を体の中にしまった事?」
「違うよ。そっちじゃなくて、ライムがイノシシに向かっていった事だよ!
いきなりイノシシに向かって石で殴りかかるなんて! それだけでもビックリしたのに、弾き飛ばされちゃったから、わたしはライムが死んじゃったんじゃないかと思ったんだからね?!」
「あーごめん。けど、大丈夫だよ。
イノシシ程度の相手なら、怪我をしないで済むくらいに私の体は頑丈なんだ。
私としてはあのイノシシがアリティアの方に向かわずに済んで良かった。アリティアの体は私の体とは違って大切なものだからね」
微笑みながら言ったライムの言葉にアリティアは不満気な表情を浮かべた。
何かおかしな事を言っただろうかとライムは疑問に思う。
アリティアはライムに指を突きつけて、厳しい口調で説教する。
「ライム、そう言う事は言わないで! そんなんじゃライムが自分の事をないがしろにしているようにしか聞こえないじゃない。
わたしの事を大切に思ってくれるのは嬉しいけど、わたしはライムが自分の事をないがしろにするのは全然嬉しくない!」
ライムは戸惑う。
「えっと、そんなつもりは無かったんだけど……。
そう聞こえた?」
「聞こえた。そういう悪い言葉を使ってたら本当に悪い事が起きちゃうんだから。ライムが自分をないがしろにする言葉を使ってたら、そんなつもりは無くても本当にないがしろにしちゃう。
だから、これからは絶対に使っちゃダメだからね?!」
「わ、分かった」
アリティアの強い念押しに気圧されたライムは頷いた。
「よろしい」
ニッコリとアリティアは満足気に笑った。
ああ、やっぱりアリティアはそんな風に笑っているのが一番良いな、とライムは思った。
同時に、その笑顔を守れた事に安堵した。




