第33話 帰還の神
セリカは満足そうに頬を紅潮させている。
ライムとしては興味深い話だったが、アリティアは飽きているようだ。早めに話を切り上げようと質問する。
「えっと、神さまって、この教会に祀られているだけで他に何人いるんですか?」
「そうですね。始祖神クラフスさまに、創世の四神、四大属性の四神、冥府の門番である生死の二神、月神六姉妹の内の一柱、授与の六神、そして元人間だった昇格の三神で……。
合わせて一五柱になりますね。」
ずいぶんと多い。全ての神について話を聞いていたら、アリティアの不満が爆発するかもしれない。
「えっと、あまり長居をするものあれだし、あと一人位で終えたいんですけど……」
「そうですか? それならそうですねぇ……」
セリカは首をかしげ、退屈しているアリティアに視線を向ける。
「アリティアちゃん。アリティアちゃんはどの神様を紹介した方がいいと思う?」
「え? わたしが選ぶの?」
「ライムちゃんは神さまのことには詳しく無いみたいだし、ライムちゃんの事は私よりアリティアちゃんのほうが詳しいでしょ? それならライムちゃんに一番相応しい神さまが誰だかを選びやすいでしょう?」
「そうですね。それなら……」
壁に並ぶ神像を見回し、アリティアは思案するそして、ひとつの神像に視線が止まる。
「それならティクトイシィさまかな?」
「え? ティクトイシィさまですか?」
セリカは意外な神さまの名前を聞いて驚きの声を上げる。
「グレンさんの弟子として魔法を学んでいるときいたので、グレンさんと同じく知識の神さまだと思っていましたけど。何か理由があるのですか?」
「うん。ティクトイシィさまにはモノ探しの加護があるでしょ? だからライムにはそちらの方が一番いいかなって思って」
「そう……ですか」
セリカはライムが何を探しているのか気になったようだが、視線を送っただけで特に追求はしなかった。アリティアの視線の先にある神像へと向かう。
教会のクラフス神像から最も離れた端っこの凹所に安置されたその神像は、創世の四神の神像とは印象が異なった。
神像の作風が違うというわけではない。
その神像は若い男だ。地面に直接腰を卸し、傍らには大きな背嚢を置いてある。腰には剣をつけ、手には大きなコンパスを真剣な面持ちで見つめている。
創世の四神の神像と異なる印象を与えているのは服装が原因だろう。
創世の四神の服装はまさに神話の登場人物という印象を与える服装だ。
しかしその神像の服装は、カイロス村の村人とさほど変わらない。厚手のズボンと長袖のシャツだ。その上に革鎧をつけているのが村人の服装と違う点だろう。
「こちらの神さまは帰還の神ティクトイシィです。
人間から神へと至った方のお一人です。
ティクトイシィさまは人間で在った時は探索者として迷宮を踏破し、迷宮の最奥に存在する至宝に触れました。
至宝の力により、彼は人より神へと成り上がり、そして、彼は己の望みであった己の故郷へと帰還する力を得たのです。
後に人としての彼は故郷へと帰還し、神としての彼は旅人と迷宮探索者の守護神として崇められるようになったのです」
「神としての彼と人として神? それじゃあ、二人居るみたいだけど?」
「本来は一人ですよ。けれど彼の望みは故郷に帰る事だった。故郷への帰還を叶える為の力は神としてのものでしたが、同時に神の力を宿した彼はその場から遠く離れる事はできなくなった。
そこで彼は、帰りたいと渇望する人としての存在と、その場にとどまりたいという未練の感情に神の力を押し付ける事によって、己を二つに分離させたのです。
故郷へと帰ったのは人としてのティクトイシィさまだけであり、この地に残った神の力を宿したティクトイシィさまは神として崇められるようになったのです」
人としての願いを叶えるために、神としての自分を切り捨てたのだろう。神話らしい話だと思う。
セリカは続ける。
「ティクトイシィさまは『帰る』という行為に対して多大な幸運をもたらす神さまです。
ゆえに旅人が旅先にて帰郷の旅路の安全を願う神さまとして広い地域で信仰されています」
「帰りの旅路の安全? 行きの安全はどうなっているんです?」
ライムの質問にセリカは苦笑して答える。
「ティクトイシィさまは行きに関しては己の才覚でなんとかしろと突き放します。
ただ旅立つ者も当人以外が無事の帰還を祈願するのならば、行きに関してもわずかばかりの加護を与えるとされています。
またティクトイシィさまの加護にはもう一つ、祈願する者の望むモノへと導くという力があります」
「それが、モノ探しの加護?」
「ええそうです。けれど、単純に失せ物探しの力というわけではなく、人生という長い旅路の中で本当に望むモノを見つけ出す、あるいは手に入れるための手助けをする力の事ですね。
ティクトイシィさまが人で在った頃から故郷への帰還を願いつづけ、そのための力を得たという逸話から生まれた加護です。
ティクトイシィさま本人が願った故郷への帰還とは少々異なる力の為にあまり強い加護ではないのですがね。
この加護を望む信者は、ほとんどが切実な願いを抱える者たちです。
ライムちゃんはどのような願いを抱えているのですか?」
セリカはライムの視線の高さを合わせて、心配そうに問いかけた。
「それは……、ヒミツです」
アリティアがライムに相応しい神さまとしてこの神を選んだのは、ライムが人の肉体を取り戻したいと願っている為だろう。
今はグレンの弟子として魔法を学んでいるが、それは人へと戻るための手段でしかない。それは困難な道であると理解はしている。他の簡単な方法が有るならばそちらの方が良い。
知識の神ならば、魔法の深奥への知識へと導いてくれるかもしれないが、他の方法からの人へと戻る道は導いてはくれない。
けれど、ティクトイシィならば魔法を深く学ばずとも、人へと戻る道へと導いてくれるかもしれない。
アリティアはその様な事を考えていたのだろうか。
少女に視線を向けても、微笑みを返されるだけで真意は分からない。
ライムがセリカに内緒にすると告げると、彼女は残念そうな顔をした。
「そう……、ですか。ですけど、私はいつでも相談に乗りますからね? 困ったことがあったら気軽に声をかけてください」
「ありがとうございます。セリカさん」
彼女に礼を言い、ライムは再び、ティクトイシィの神像に視線を向けた。
「今、ちょっと気になったんですけど、人から神へとなったってどういう事ですか?」
「人から神へと成るという事は珍しい事ではないのですよ。もっとも神話での話ですがね。
人が神になるのは様々な方法があるとされています。
上位の神さまに見出され神へと引き上げられた者。
神に見初められ神に引き上げられた者。
多大な功罪により、人々から神へと祭り上げられた者。
神を殺し、その力を奪い獲ったがために結果として神になった者。
絶大な力を持つが為にいつの間にか神になっていた者。
願いを叶える為に、迷宮の最奥に存在するという至宝に触れた為に神になった者。
ティクトイシィさまも今言った最後の方法でおよそ二百年前に神になったとされる神さまです」
「迷宮の最奥に存在するという至宝っていうのは何なんです?」
「さあ?」
「え」
勢い込んでした質問に首をかしげられて、ライムは肩透かしをくらった。
「その至宝がどういった由来があるものもわかっていないのです。神話にも迷宮と至宝に関しては記述がありません。
迷宮の最奥に存在して、それに触れる事のできた者の願いを叶えるといわれています。
金銀財宝、名誉、力、果ては死者の復活など、叶わぬ願いなど無いとか。
クラフス教会でも至宝の存在については議論の対象です。
ただ、実際に神へと成った方がティクトイシィさま以外にも複数存在していますので、クラフスさまの力の結晶であるというのが今の主流らしいです」
「至宝に触れれば願いを叶える事ができるんですか?」
ライムの質問にセリカは困った表情を見せる。
「おすすめはしませんよ。至宝に触れるということは迷宮の奥底へとたどり着くと言うことですから。迷宮とは、中に入る事だけでも危険な行為です。そして奥進むほどに危険度は増していきます。
至宝に触れようと挑む者は絶えませんが、実際それを成し遂げた方は数百年で両手の指で数えられるほどしか居ません。
困難さに諦める事のできた者は幸運です。他の者は命を散らしてしまったのですから。ライムちゃん。迷宮に入ろうなどとは考えてはいけませんよ?」
セリカの注意にライムはちょっと困った。
今正に、迷宮に入って至宝を目指す事を考えていたからだ。
ティクトイシィという男は願いを叶えるために人から神へとなったという。ならば、自分もスライムから人へとなれるのではないか?
そうライムは思ったからだ。しかし、あまりにリスクの高さに考え直さざるをえない。
ライムは人の姿に戻りたいと願ってはいるが、そこまで高いリスクを背負う気にもなれない。死にたくないという願いも当然のように強いのだ。
それに今は、自力で人の姿を手に入れるために魔法を勉強中だ。迷宮に挑むのは魔法による人化に挫折した後でも遅くはないだろう。
「そこまで危ない事はしませんよ」
「そう? それならいいけど」
心配げな彼女の様子にライムは誤魔化すようにティクトイシィの神像に視線を向ける。
「にしても帰還の神か……。神さまにならないと帰れなかった故郷ってどういう所だったんですかね?」
それはタダの雑談のつもりだった。しかし返された言葉にライムは驚愕することになる。
「ティクトイシィさまは迷い人だったとされています。故郷への道のりがわからなかったらしいのです。それだけならば人づてに根気よく聞いてゆけば、故郷への道のりは分かったでしょう。
ですがティクトイシィさまには、神になるしか帰る術が無かった。
その理由はティクトイシィさまの故郷が、異世界だったからと言われています」
「え、異世界!?」
ライムは驚きの声を上げる。アリティアはこの事を知っていたから自分にこの神さまを紹介したのかと軽い納得を覚える。
だがアリティアを見ると、彼女も驚きの表情を浮かべていた。
「アリティアは知っていたんじゃないの?」
「し、知らないよ。ティクトイシィさまが異世界の人だったなんて」
ブンブンと首を振る。
セリカは不思議そうな慌てる二人を見ている。
「えっと、どうしたの? 二人共」
「あ……」
自分の出自を言うわけにはいかない。今のライムはアリティアのハコトの女の子だ。異世界からやって来ましたなどと言えば、芋づる式に嘘がバレるだろう。
「あ、その! 異世界の事に興味があったから、この神さまが異世界の人だったなんて思わなかったから」
「そ、そうそう。ライムは異世界の人とお話してみたいって言ってたもんね?」
「うんうん。それで驚いただけ」
アリティアと一緒になって誤魔化す。
セリカは不審な者を見る目で二人を見た。だが、彼女が追求することは無かった。
「それではもっと詳しくお話しましょうか?」
代わりにセリカはそう嬉しそうに提案してくる。
セリカの話が長くなりそうだとライムは思う。それと同時に、このまま話を続けたら、今度は誤魔化しが利かないようなボロをこぼしそうな気がした。
「あ、いや、今はいいです。他の場所も見て回らないといけないから。お話はまた今度来た時に!」
「え? わ、ライム?!」
ライムは一時撤退を選択した。アリティアの手を引いて教会を出る。幸い、ティクトイシィの神像が祀られているのは出入り口に一番違い場所だ。撤退するのに障害はない。
「あら? そう、残念。またいつでも来てくださいね?」
「わ、わかりました」
「セリカさん、また来るからね」
戸惑った様子だったがセリカは笑顔で見送ってくれる。ライムは一度頭を下げて、アリティアは手をふりながら教会を後にした。
教会から離れて、セリカが追ってこない事を確認して、ライムはため息を付いた。
「……びっくりした。まさか、こんな所で異世界に関わりのある人がいたなんて……」
呪符の文字といい意外に異世界と関わりのあるモノは多いのかも知れない。
早足を止めたライムにからかうようにアリティアは問いかける。
「驚いたから逃げて来ちゃったの?」
「まあ、そうだね」
否定をしたかったが、できなかったので頷くしかない。
「けど、あんな逃げ方をしたらセリカさんも変に思うよ」
正論だ。ライムは対策に頭を悩ませる。けれど、上手い解決方法など思い浮かばない。
「まあ、なんとかなるでしょ。……たぶん」
「いい加減だなぁ」
アリティアは笑う。笑っていられるもの、分かっているからだろう。あれだけでは大した問題にはならない。ライムの正体がバレるという事にはつながらないだろう。
アリティアが笑っているのは過敏に反応をしてしまったライムの事がおかしかったからだろう。セリカから離れて冷静に成ってみればそれがわかる。
異世界の事を話題になった途端逃げ出した子供が、人で無いと分かる者が、どれほどいるというのか。
ライムは恥ずかしくなって、アリティアを促す。
「っさ、アリティア。次の場所に案内を頼むよ!」
「ふふふ。うん。次の場所に行こうか」
アリティアはライムを先導するように、先に歩き出した。




