第32話 始祖神と創世の四神
「アリティアちゃんはライムちゃんに村の紹介をしているんですよね?」
セリカはアリティアに確認をとる。
「うん。ライムはこの村に来てから一週間ずっと家にいたからね」
「一応、外に出てたんだけど?」
「ウチの畑と村長に挨拶をしただけでしょ」
「う……」
ライムの抗議にアリティアは一蹴する。事実なだけにライムは反論ができない。
そんな二人のやり取りを微笑ましく見ながら、セリカはパンと小さく手を合わせる。
「では、教会の紹介は私に任せてください。それが私のお仕事ですから」
「そうですね。それじゃあ、セリカさんお願いします」
「はい。おまかせを」
アリティアに任されて、セリカは頷く。
「ライムちゃん。ライムちゃんは教会の神さま達についてどれほどご存知ですか?」
「いや、私は神さまについては詳しくは無いんだ。あまり教会に来たことは無いし……」
本当のところはこれが始めてだ。けれど、一度も来たことがないという本当の事を言うのも問題がある。
異世界の者であり、かつ、人間の肉体を失っている者であり、エピソード記憶を失っている。などと本当の事など言えない。
それにこの世界の者であったとしても、一度も教会に行かなかった者など異教徒か不信心者だ。それらの者がどのような扱いを受けるか分からない以上、迂闊な事は言えない。
幸い、セリカには嘘だとはバレず、またそのような者だとは思われなかったようだ。
「そうですか。では一からお教えした方がよろしいですね」
セリカは一つ頷き、祭壇の向こうにある等身大の石像に二人の視線を誘導する。
「こちらの神像が始祖神クラフスさまの神像です」
神像は彩色などはされていないので、白い石で作られている事が分かる。
始祖神クラフスは壮年の男性の姿をしており、王笏を手にし、もう片方の手には大きな本を抱えている服装は豪奢な飾りを施されたゆったりとしたローブ姿だ。絶世のとは言えないが美形と言える顔立ちで、厳しい表情を浮かべている。特徴としては両の目を閉じていることだろう。
「始祖神クラフスさまは創造神であり、この世界の全ての創造主であります。
人間を含む生命の創造主であり、数々の神々を作り上げたお方でもあります。
クラフスさまは全ての生命を見守り、加護を与えてくださるお方でもあります。
目を閉じているのは、目を開けは目に入る近くの者たちしか見守る事が出来ぬからと言われています。神ゆえに、世界全てを見守る力をあるのです。
クラフスさまの持つ王笏は世界全てへと己の力を届けさせる導きの力を持つとされ、抱えている本には世界に生きる者すべての功罪が記されているとされています。
善き行いをするものには祝福を与え、悪き行いをするものには罰を与える。
嘆き悲しむものには救済の手がかりを与え、日々を幸せに生きるものには、さらにより善く生きるための指針を与えてくださるお方です。
クラフスさまは言っておられます。
『人がより善く生きるためには先に進むことが必要である。けれど、己の力だけでは先に進めぬ者も居るであろう。
人々はそのような者を責めてはならない。先に進めぬ事に苦しんでいる者もいるからだ。力の無さゆえに、傷病を負ってしまったがゆえに、環境に恵まれぬゆえに、心が折れてしまったがゆえに。
人々はそのような者が先に進むようになる、助力を惜しんではならない。人を助ける生き方こそが、人がより善く生きてゆける唯一の方策なのだから』
――と」
厳かな語り口調のセリカに、ライムとアリティアの二人は引き込まれる。
とても年若い女の人には思えないほどの堂に入った説法だ。
けれどそこで彼女は言葉を止めて、二人に微笑む。
「本当ならこれからクラフスさまの魅力をもっとお伝えしたいのですが。それでは時間がいくらあっても足らないので、他の神さま達もご紹介いたしましょう」
言ってセリカはついてくるように促し、礼拝堂の側面の壁に向かって歩き出す。そちらの壁にはいくつもの凹所があり、一体づつ石像が祀られていた。
始祖神クラフスの神像に一番近い凹所に鎮座していたのは、筋骨隆々の中年の男だ。上半身は裸で、見事な筋肉を見せつけている。岩にあぐらをかくように腰掛け、巨大な槌を担いでいる。その顔は彫りが深く、いかつい面相だ。
「これが、大地の神ゾルバゾンさまの神像です。豊穣の三神と呼ばれる神の一柱であり、大地の恵みをもたらす神です」
「え、豊穣の神?」
厳ついその風貌からはとてもそうは見えない。思わず漏れたライムの感想に、セリカは苦笑する。
「まあ、見た目だけではそうは見えませんよね。持っているものも大槌で、農作業とかに関係なさそうですからね。
けれど農民達にはもっとも信仰される神でもあります。そして森と山の神でもあるので、木こりギルドのあるカイロス村では一番に信仰される神さまであると言っていいでしょうね。
我が教会の主神であるクラフスさまより、人気のある神さまです」
そう付け加えるセリカは少し悲しげだ。
「その手に持った大槌により、針山の如く荒れ果てた地しかなかった原初の世界を、平地と山に作り変えたお方でもあります。今でも時折起こる地震は今なお世界を作り変え続けている為だと言われています。
では次に同じく、豊穣の三神の一柱である太陽の神レートリュイさまを見ていただきましょう」
と、その隣に凹所に案内する。
「子供?」
そこに安置されている像を見てライムは声を上げる。
「ええ、太陽の神レートリュイさまは子供の姿を持った神です」
小さな子供の姿をもち、しかし、あまりに巨大な杖を抱えている。杖の先には太陽の姿を模した飾りがついていた。豪奢な飾りがついたローブの裾を引きずるように着込んでいる。その顔は美少年と言える顔立ちだが、どこか神経質である様相をみせている。
「豊穣の三神であり、人々に太陽の日差しの恵みと、裁きをもたらす神さまです。
作物の実りを与えるための太陽の日差しを司る神ですが、苛烈で生真面目な性格をしているがために、麦を作るために休まずに日差しを与え続け、枯らしてしまったという逸話をもっています。
レートリュイさまは麦か枯れた事に嘆き悲しみ、そこにクラフス様より毎日必ず休まねばならないと命令を受けて、毎日決まった時間だけに日差しを世界に与える事を誓ったのです。
規則正しく日が昇り、沈んでいくのは、今でも生真面目にその誓いを守り続けているからです。
また、裁きの神としての一面も持っています。罪人を決して許さず裁きを与えたという逸話もあります
では最後の豊穣の三神をご紹介しましょう。こちらです」
その隣かと思いきや、セリカは長椅子の間を通り、反対側の壁へと案内する。
「ここの神さま達の像はどういう順番で並んでいるんですか?」
セリカの後をついていきながら、ライムは質問する。
「クラフスさまが作ったとされている順に、クラフスさまの像に近い場所においてあります。もっとも全ての神さまの神像をここに安置しているわけではないのですがね。
あまりに神さまの数が多いので有名な神さまの像だけしか置けないのですよ」
言っている間に反対側の壁にたどり着く。
「彼女が天候の神アラスさま。豊穣の三神の最後の一柱です」
その凹所に安置されているのは女性の神像だ。長い髪の壮年の女性だ。手には如雨露を持ち、刺繍されたローブを纏い、周囲には羽衣が風に舞っている。
「慈雨と嵐の女神で気まぐれな神さまだと言われています。普段は大地へと恵みの雨をもたらす慈悲深い神ですが、ひとたび怒りにとらわれてしまえば辺りを荒れ地へと変える嵐をもたらす神です。
怖れられてもいる女神さまですか、その恩恵を受けていない者はいない神さまですね。
また恋愛の神としても有名な神さまです。
先の大地の神ゾルバゾン、太陽の神レートリュイと合わせて三柱で豊穣の三神として、主に農民達に信仰されていますね。
カイロス村の方々も、豊穣の三神を主に信仰する方々が多いですね。
けれど最後にもう一柱を加えて、豊穣の四神と呼ぶ方もいます」
言いつつ、セリカは移動する。そこはクラフスの神像に近い方にはもう一つ凹所に安置された神像だ。
小舟に乗った老人であり、長い髪と髭に覆われた顔は分からない。みすぼらしい服装だが、その手に握られた三叉の鉾だけは豪奢な代物であった。もう一つの特徴としては鉾を水面につけ、そこから水に大きな波紋を作っていた。
「それがこちらの、海の神ネーメルーカさまです。航海の安全と豊漁をもたらす神で、沿岸地域では絶大な信仰を受けています。
ネーメルーカさまの神像は老人の姿をしていますが、実際の姿は色々あるとされています。
なんでも港町に人に紛れて過ごす事を好む神で、老人をはじめとして子供、女性、男性と様々な姿を取るそうです。ですが金銭に困らぬ者の姿を取ることはなく、浮浪者や孤児、果ては不具者の姿を取る事が多く、それらの姿で人々の営みを社会の陰から見つめているそうです。
逸話には損をした商人が腹いせに浮浪者を殴りつけたら、その浮浪者がネーメルーカさまであり、怒りを買った商人は後に破産したとか。
逆に、商機を読み間違い、損をした行商人が売れ残った干し果実を一人の乞食に押し付けたら、その乞食がネーメルーカさまであり、感謝の印としてその行商人は後に大商人へと成り上がったとか。
ネーメルーカさまが信仰される港町の多くでは、商人たちの縁起担ぎとして、社会的弱者の救済が行われる事が多いのです。
これら四柱の神々をまとめて、豊穣の四神と呼ばれています。
また別名として創世の四神とも呼ばれています。
大地の神ゾルバゾンと海の神ネーメルーカが、海と大地が入り混じった原初の世界を、今のしっかりとした海と大地へと作り変えました。けれど大地は泥沼のように柔らかく、海は指先ほどの深さしかありませんでした。
そこで太陽の神レートリュイが大地を焼き固めてゆきました。けれど、大地から抜け出た水が大地そのものを押し流し、再び原初の世界に戻してしまいます。
それを助けたのが天候の神アラスです。焼き固める大地より漏れでた水を風の力で海へと運んでいったのです。
大地は固く盤石なものとなり、海は大量の水たたえた深い存在となったのです。
始祖神クラフスは彼らの仕事に大いに喜び、大地と海に多くの生命を解き放ったのです。
これが創世の神話ですね」
語り終えるとセリカはニッコリと微笑んだ。