第31話 クラフス教会
アリティアに連れられて、ライムは村の中心部へと向かう。
木こりギルドからは近い位置にある中心部には、宿屋、雑貨屋、酒場、パン屋があるのだとアリティアは言う。けれど、最初に行くのはそとではないとの事だ。
「まずは教会に行ってみようか。ここから近いし、セリカさんにも挨拶しておきたいし」
「教会?」
「うん。クラフス教会。この村にあるのはシスターが一人だけの小さな教会だけど、街の方だととてつもなく大きな教会なんだって。セリカさんはそこから派遣されたシスターさん。若い女の人なんだけどね」
「クラフス教会……。始祖神クラフスを祀っている教会かな?」
首をかしげたライムの疑問に、アリティアは首をふる。
「基本はそうだけど、クラフス様だけじゃないよ。他の神さま達もたくさん祀っているし。豊穣の四神を中心に四大の神の像も祀ってあるし、他の神さま達もいる」
「神の像? そんなに大きいのがたくさん祀ってあるの?」
ライムが想像した像の大きさは等身大だ。だがアリティアはその言葉に不思議そうな顔をした。
「そんなに大きくないよ。街の方の教会じゃもっと大きな像もたくさんあるらしいけど、村の教会にあるのはほとんどが全身でこの程度だし」
アリティアは両手で像の大きさを表現する。高さ五十センチメートルほどだろう。ライムが思っていたよりもだいぶ小さい。
「まあ、ライムが思っていたのも間違いじゃないよ。クラフスさまの像だけは等身大の像だしね」
「ふーん」
等身大の大きさの始祖神クラフスの像。そして小さい方の像が、豊穣の四神と四大の神でまず八体。それに他の神さま達の像があるという。
ライムは頭の中で数えて、疑問に思う。
「一つの村に十体を超える数の神像が祀られているって、規模がおおきすぎないか?」
たとえ等身大ではなくとも、像を作り出すには相当の金額がかかるはずだ。開拓村であるカイロス村でそれほどの金額はどこから出たのだろうか?
そんなライムの疑問だが、アリティアは不思議には思わなかったようだ。
「そう? 教会は大きいけど、そんなもんだとおもうけど?」
この世界の人々がそれだけ信仰に厚いのなら、アリティアの感じている事が普通なのだろう。この世界は地球の日本とは違い、神が身近な存在なのだろう。
「そうか、そんなものなのか……」
ライムは信仰に関して自分の常識とのズレに気付かされた。これからはその事にも気をつけねばならないと思った。地球でも信仰はデリケートな問題だ。この世界でも注意を払わねば、何時地雷を踏むか分からないと言う事だろう。
「あ、ほら、あれがクラフス教会だよ」
近くの建物の陰になっていて見えなかった教会が姿を現す。アリティアの指をたどると周囲の大きめの建物に比べて、さらに大きい石作りの建物が見えた。
屋根のてっぺんには円環を組み合わせたシンボルが掲げられている。
グレンの家から村の中心に向かうときにも見えていた建物だ。
「教会だけは他の建物とは違って石造りなんだな」
周囲の他の建物は木造の建築物がほとんどだ。その中で教会だけが石作りで、どこか浮いた感じがある。
「教会は石作りが基本なんだって。
それに、いざというときの避難場所にもなっているから」
「いざというとき?」
「盗賊とかモンスターの襲撃の時」
アリティアはまゆをしかめて答える。そして付けたす。
「もっともそんな時にここまで逃げられるとは思えないけどね」
たしかに、カイロス村はけっこう広い場所に散らばって住んでいる。襲撃時の緊急時にこの教会まで逃げ込めるのは村の中心部に住んでいる住人くらいだろう。
アリティアの住んでいる家は離れすぎているから到底ムリだ。
不安に思ってライムは尋ねる。
「この村の防衛体制ってどうなっているの?」
「防衛体制? この村を守ってるのは木の柵くらいしかないよ。実際襲ってきたら、武器を手にとって戦う事になるけど、木こりさんが多いから他の村よりは安全だって言ってたけど……。
あとは森の中の異常があったら、すぐに村人全員に知らせるって事くらいかな。前はそれも出来なかったし……」
小さなつぶやきをアリティアはもらす。
「アリティア?」
「ううん、何でもないよ。さっ教会に入るよ」
教会の中に入っていく。正面の両開きの扉は重厚な木に細かな装飾が施されている。随分とお金がかかっているなとライムは思った。
子供であるアリティアの力でも、扉は軽く開いた。
クラフス教会の中は地球の教会の礼拝堂ととても良く似ていた。参拝者のための長椅子が中央部を開けて整然と並び、その先に祭壇ある。天井は高く吹き抜けになっていた。一階部分の高さには窓は存在せず、二階分に開けられた窓から光が差し込んでいた。
地球の礼拝堂との違いは祭壇の向こうに等身大の石像が鎮座していることだろう。そして一階部分の壁には、窓の代わりにいくつもの凹所が存在し、アリティアの言っていた通りの大きさの石像が立ち並んでいる。
不思議な空間だと思いながら中に入ろうとして、ライムは足が止まった。
無数の種類の圧力が存在するような、混沌したモノを感じたのだ。それは危険というわけではなく、不快なモノでもない。ただ、そう、畏敬の念を抱かせる力を複数感じたのだ。
しかしライムがそれを感じたのは一瞬だけの事。今は厳粛な空気が存在しているだけの空間であるとしか思えなくなっていた。
そんな戸惑いを覚えているライムには気づかず、アリティアは声を上げながら先に進む。
「セリカさーん! 居るー?」
「ちょ、アリティア!?」
「? どうしたの? ライム」
大声を上げるアリティアに慌てるライムだが、等の本人は不思議そうに振り返るだけだ。
「あ、いや、えっと……!」
己が感じた事をアリティアは何も感じていないことに気がつき、なんと言って良いのかわらずライムは戸惑う。
そんなライムにアリティアは不思議そうに見ているだけだ。
「はーい、すこし待ってくださーい」
と、奥のほうから女の声が返って来た。
それほど間を置かずに奥の扉から出てきたのは、モノトーンのシスター服に身を包んだ若い女性だった。
「あら、アリティアちゃん。足を怪我したって聞いたけど、もう大丈夫なの?」
「ええ、もう大丈夫ですよ。包帯を巻いているのも念のためだけから」
「そう、良かったわ。3、4日前にお見舞いに行った時は歩けないって聞いたから心配していたけど、魔法ってすごいのね。もう歩いて教会まで来られるんだもの」
「あ、そうだ。お見舞いありがとうございました」
アリティアは丁寧に一礼する。
「いえいえ、どういたしまして。こちらこそ、グレンさんには見舞いの花の礼だとか言ってお野菜を頂いてしまっているから」
彼女は恐縮した様子で礼を返す。
彼女はアリティアへお見舞いに来ていたのかと、ライムは初めて知った。けれど、ライムは彼女と顔を合わせた事はない。
黒いベールから溢れる金髪に青い瞳を持った二十歳程の美人だ。シスター服を着ていなくとも、ひと目みれば気がつくだろう。
いや、そもそもグレンの家に客など来ていたのかとライムは首を傾げる。
「ライムはセリカさんに遭うのは初めてだよね?」
「ああ、アリティアのお見舞いに来てたんですよね? ならなんで私は知らないんです?」
ちょうど家を開けている畑仕事をしている時間にすれ違ったのだろうかと思う。
「ライムはその時間は部屋でレポートを必死になって書いてたじゃない。一応お客さんが来たって後で教えたよ? おざなりに返事してたから覚えてないみたいだけど」
「後で教えてもらっても会えないだろうに」
「だっておじいちゃんが、集中している時は静かにして邪魔しないようにって、会わせてくれなかったんだもの」
アリティアは口を尖らせて不満気だ。
「あー、そうなのか。そんなに集中していたかな……?」
気がつかない程集中しているのだろうが? 自分自身ではよくわからなかった。
「それでは、はじめましてですね。ライムちゃん。
私はここカイロス村の教会を預かっている、派遣シスターのシスターセリカと申します。
何か困ったことがあったら気軽に相談に来てね。私は若輩者だけど、粉骨砕身の思いで頑張っていくからね」
腰をかがめて、ライムの視線の高さに合わせてから、ニコリと笑って自己紹介をする。
この笑顔を若い男が受けたら、速攻で撃沈しそうだとライムは思った。そして、本人は自分の笑顔の魅力に気がついていないように思える。
幸いと言って良いのか、ライムはその笑顔を向けられても、若い男の様に感じることは無かった。自分の性別が女だったらともかく、男だとしたら、何も感じないのは問題だなと思いながら自己紹介を返す。
「私はライムです。一週間ほど前にカイロス村にやって来て、今は師匠の――グレンさんの家で魔法使いの弟子として生活してます。アリティアとはハトコの関係にあるらしいです。
こちらこそよろしくお願いします。シスターセリカ」
「セリカさんって呼んでもいいのよ? シスターセリカって敬称呼びは堅苦しい場所だけに必要な呼び方だから」
「えっと、じゃあ、セリカさん?」
「はい。よろしくお願いしますね。ライムちゃん」
一応教会の責任者であるのに、そんなフランクで良いのだろうだろうか? その不安が疑問符付きの呼び掛けになった。
「セリカさんは一人でここを任されているんですか?」
「ええそうよ。私みたいな綺麗な若い女の人が任されてるって事におどろいた?」
「え、ええ。教会って普通、年配の男の人が任さるんじゃないかと思って」
自分で綺麗と評するのはどうかとライムは思う。
「普通はそうね。カイロス村の教会も本来なら私じゃなくて、ちゃんと年配の経験豊富な男の人が来るはずだったの。
けどねぇ……」
セリカは一度憂いのため息をもらす。
「その方が出発の直前に引っ越しの荷物を持ち上げようとして、腰をやっちゃったのよ」
「腰をやった?」
「ええ、ギックリ腰。しかもその方、以前から癖になっていたらしいのよ。けど今回は特にヒドイらしくて。絶対安静、長距離の移動はもちろん、一人で色々こなす必要がある地方教会の責任者なんて論外だって事で、その方の派遣は取りやめになったの。
村の方でまたギックリ腰になったら、村人を助けるどころか、村人達に迷惑をかけることに成るってことでね。
けどねぇ、問題はここからで、その方はギリギリまで自分が行くつもりだったせいいで、他に代わりになる人が皆いなくなっていたの。すでに地方教会の任地へ出発してたり、役職が決定していたりでね。
カイロス村の前任者も、次の任地が決まっていたから続けさせるってわけにも行かなかったの。
それで短い期間だけでも暫定的に責任者が必要だって事で、白羽の矢が立ったのが私なのよ。
ちょうどその時、立場が決まってなかったのが私だけだったから」
「じゃあ、セリカさんもこの村にきたばかりなんですか?」
ライムの質問に、セリカは力無く笑った。
「私は今年で二年目ですよ」
「え?」
「どうも中央でゴタゴタがあったらしくて、後任者が決まらなかったらしいんです。
それで大過なく過ごしている私なら、通常の任期どおり務めてもらっても問題はなかろうって事になったらしいんです。
私は今年、二十歳になったばかりなんですが。こんな小娘に任せて大丈夫なんでしょうか?」
いや、私に聞かれても困る。ライムは返答に詰まった。というかなんで相談を受ける形になっているのだろうか? セリカは相談を持ちかける側ではなく相談を受ける立場の人間だろうに。
「セリカさんなら大丈夫だよ。頑張ってるし、皆助けてくれるから」
「そうですか? それなら良いのですが……」
アリティアの言葉にセリカはまだ不安げだ。しかしすぐに考えを振り払う。
「いけません。不安に思えば思うほど、悪い事を呼び寄せるのです。考えを改めましよう。
えっと、それで、アリティアちゃんとライムちゃんは、どのようなご用件で当教会へ?」
「ライムに村の案内をするために色々回ってるの。セリカさんは前に会えなかったから会わせておこうと思って」
「私は村の中をあんまり見てなかったんですよ。アリティアの足の怪我がよくなったからちょうど良かったと思って」
「そうですか。ライムちゃん。カイロス村はいかがですか?」
「いい村だと思います。ただ、よく知らないから本当にいい村なのかは分かりません」
「では、この村の良い所をたくさん見つけてくださいね。そして悪い所を見つけたら一緒に良くしていきましょう。私は助力を惜しみませんから」
セリカは微笑みながら何のてらいもなく言う。
初めてあった相手でもそう言える彼女の事を羨ましく思う。どうしても自分の事を優先してしまうライムには、到底、彼女のような事を言うことはできない。
ライムはただ頷くことしかできなかった。