第27話 呪符
「御札作り? えっとあんまり好きじゃないんだけどなー」
アリティアは不満気につぶやきながら、刺繍の布をテーブルに置いた。
「御札作りは嫌いなの?」
「嫌いってわけじゃないよ。ウチのお仕事の一つだし、嫌うようなことでもないし。
ただ、同じ文字を延々と書き続けないといけないから面倒だなって思ってるだけで」
アリティアは裁縫道具を片付け、ライムに向かって手を伸ばす。
「さ、ライム。わたしをはこんでちょうだい」
ライムは苦笑する。
「抱っことオンブ、どっちが良い?」
「んー、そうね。じゃあ、今日はオンブで」
「はいはい」
ライムはアリティアの前で背中を向けてしゃがみ込む。アリティアはその背に飛び乗り、ライムは少女の重さを感じさせないように立ち上がる。
「わ。前も思ったけど、ライムは力が強いよね?」
「そうか? まあ、普通の人に比べたら力は強いだろうな」
アリティアの基準は自分と同じ人間の子供だろうが、ライムにとっての基準は直径2メートルのスライムの体だ。子供程度の重さならば大した重さではない。
アリティアの部屋を出て、リビングに向かう。ライムは少女の包帯に包まれている足を見やって言う。
「足の調子はどうだ? まだ痛む?」
「大丈夫。ちょっと力を入れたりすると痛いけど、なにもしてないなら痛くないよ。
おじいちゃんがちゃんと治療の魔法をかけてくれているから。治りは良い方だって」
「そうか、ソレなら良かった」
安心したように微笑むライムに、アリティアはキョトンとした表情を見せた。
「ライムって……赤ちゃんなのに、たまにお母さんみたいな顔するよね?」
そう言いながら、ライムの頭を撫でる。言動が一致していない気がする。
「赤ちゃんはやめて欲しいんだが。この世界では大して生きてないけど、その前にはソレなりに生きてるんだ。多分」
「たぶんでしょー? それにしてもライムの髪、真っ黒だね。元の色に戻したりしないの?」
「しませんよー。この髪の色が弟子入りの条件なんだから仕方ないでしょ」
「おじいちゃんが条件にしたのは、元の髪の色を他の人に見られない為でしょ? 家の中だけなら問題ないじゃない」
「そういう訳にもいかないでしょ? さ、降りて」
リビングにつき、アリティアを椅子へと下ろす。
「えーそっちの髪の色の方が好きなんだけどな。おじいちゃんにライムが普段は緑の髪にしていいか聞いてみるし。
あ。もう、木札の切り出しは終わってるんだ」
アリティアはテーブルの上の切り出した薄い板――木札の整理を始める。
乾燥させた木のブロックから同じ厚みに切り出したので、端だった木札には凹凸がある。アリティアはそれら形の悪い木札をより分け、綺麗な木札は一定の枚数ごとに重ねて並べる。その動きには迷いが無く、手馴れている様子が見て取れる。
ライムも椅子について、それを手伝う。
「呪符って一体どう作るのか知ってる?」
「知らないの?」
信じられないものを見る目でライムを見る。
「聞いてない。私が呪符について知ってるのは、アーフィスの樹の木材が材料で虫よけと獣避けが作れるってことくらい?」
「そ――」
「おお、来とったかアリティア」
アリティアが勢い込んで口を開こうとした時、リビングに戻ってきたグレン声をかけた。振り返るとその腕にいくつもの道具の入った箱を抱えたグレンがいた。
「おじいちゃん! なんでライムに呪符のことを教えてないの? お仕事なんだから作る前に教えてないとダメでしょ!」
アリティアがグレンを責め、ライムは慌てて少女をなだめる。
「ま、待って落ち着いて。私が別のことを聞いてたから話すヒマが無かっただけだから」
「そうなの?」
「そうなの」
アリティアの確認にライムが頷いて、少女はしぶしぶと怒りの矛を収める。
「それなら良いけど……」
グレンは孫の怒りが収まった事にため息を一つつき、箱をテーブルに載せる。箱の中身は蓋のついた幾つかの瓶に、筆が数本とハケ、水差しに小皿だ。瓶には黒、赤、青の三色が記されている。絵画用品のようだ。
もう一つグレンは脇に抱えていた本をライムの前に置く。本の題名は『呪符。獣蟲集散符録』とある。
「これは?」
「ライムの手本として持ってきた。アリティアはもう必要無かろう?」
「普通の呪符は覚えているけど、特殊なのは見本を見ながらじゃないと無理だよ。
今日はなんの呪符を作るの?」
「雑貨屋と木こりギルドの在庫が無くなりそうだという話だからな。一般の獣避けと虫よけだ。それぞれ百枚もあればいいじゃろ。足らなければ言ってくるし、余ったら行商人に売ってしまえばいい」
「いつもどおりだね」
アリティアは頷き、箱から道具を取り出して並べる。
グレンはライムの肩越しに、本の特定のページを開いて行く。
「ああ、これから作る呪符の見本はコレだ」
グレンは開いたページを指さす。本の内容にライムは驚きを覚えていたが、話が脱線しないように、その前に根本的な質問をする。
「えっと、色々聞きたい事はあるんですが、そもそも呪符っていうのはどういうモノなんですか?」
椅子に腰掛けたグレンは答える。
「呪符というのは、陰陽魔法の一部に当たる。ただ、陰陽魔法全体に比べたら圧倒的に難易度が低いく、扱いやすい部分になる」
「え? 呪符って陰陽魔法なの?」
驚きの声を上げたのはアリティアだ。
グレンは呆れた視線を孫娘へと向けた。
「呪符をなんだと思っておったのだ?」
「魔法道具の一種かと思ってたし。あ、ほらわたしは四大と、五行の少ししか教わってないし」
「ああ、確かにアリティアにはまだ早いと思って陰陽魔法については詳しくは講義しておらんかったが……」
グレンはつぶやくように漏らし、一度、首をふる。
「まあ、よい。アリティア、ライムへ講義をするから、おぬしもちゃんと聞いていなさい」
「はーい」
アリティアは返事をしながら、呪符作りの準備を続ける。瓶から塊となった絵の具を匙で小皿に移し、別の瓶の中に入った液体でそれを溶く。
グレンは説明を続ける。
「アリティアが勘違いをしていたように、呪符は魔法道具に似ている。だが、呪符は陰陽魔法の一部であり、魔法道具のように魔法系統から外さてるわけでない。
四大魔法や五行魔法の魔法陣を使ってはいるが、魔法道具の製作には魔力の操作が必要無いからだ。
逆に、呪符の制作には魔力の操作が必要になる。ゆえに魔法系統の中に入っている。
そして、使用に関しては製作と逆の関係がある。
魔法道具の使用には最低限、魔力の扱いが要求をされる。だが、呪符の使用には魔力の扱いに詳しくなくとも構わないのだ。
呪符の使用方法は、使用前の呪符に貼り付けてある封呪を剥がすだけ。それだけで、呪符の効果が発動する。
正しくは、効果を発動させないための封印を解除しているだけだ」
呪符は込められた魔力が無くなると使用不可能になる、使い捨ての道具。
魔法道具は、魔力の補充、操作をする事で何度でも繰り返し使用が可能な道具だ。
魔法道具を作る魔法道具職人たちは、試運転のために魔力の操作ができる者も多いと、グレンは付け足す。
「だから、呪符の製作には封呪の製作から始まる。呪符は完成した瞬間からその効果を発動させるからな。封呪を貼り付けるまで、完全に効果を発動させないようにするには魔力操作が必須になる。
もっとも。獣避け、虫よけ程度なら、少々発動したところで問題は無いのだ。
問題になるのが、攻撃用の呪符を作る時だな。未熟者が作れば暴走するのは確実だ」
「封呪の方は前に大量に作ったから、いっぱい余ってるよ?」
と、アリティアが細長い紙の束を見せてくれる。その紙には文様が記されている。
「封呪にも色々種類があってな。呪符と同じ大きさの紙や板を貼り付けるもの、呪符の入れ物自体を封呪にするものなどだ。
ウチで使っているのは、呪符を一枚ずつ包む紙帯式だ。使用の際は紙帯を破るだけで、再封印というのをできなくしている。解除と封印を繰り返すと効果時間が減るのでな」
「効果時間ってどれくらいになるんですか?」
「種類によって違うが、虫よけ獣避けは一月ほどだな。限界にやって来ると呪符の端から炭化していくからすぐにわかる。
全体が黒くなったら木材に浸透した魔力を使いきった証だ。効果が落ちるから、そうなる前に取り替えるのが一番いい」
「はい、これが虫よけの呪符だよ」
とアリティアに、今まで筆を動かしていた木札を渡される。
「まだインクが乾いてないから気をつけてね」
黒で筆書きされたその表面を見て、ライムは微妙な表情をした。開かれた本のページを見てそのことに気がついてはいた。大きな疑問が渦巻いていたが、あえて別なことを聞く。
「これで完成?」
「いや、この後に周囲に赤で書いて、魔力を込めながら封呪の紙帯を付ければ完成だ」
「そうですか……」
もう一つの方の疑問に意識が行っているせいで、返事が御座なりなものになってしまう。
困惑した様子のライムは本と、手元の呪符を見比べる。書き手が違う為に完全に一致はしていないが、同じ模様をしていることが分かる。
「ライム、一体どうしたのだ?」
「あの……なんで漢字なんですか?」
作りかけの呪符と本の見本に描かれている文様はどう見ても、『蟲避』と書かれた漢字だ。形が崩れているため、まさかとは思ったが意味すら一致するならば漢字であると断定せざるを得ない。
「カンジ?」
「地球で使っている文字の一種のことです。コレが虫、こちらが避けるって意味のある字のことです」
ライムは文字を指さしつつ、説明する。
開いたページには呪符の見本と効果や効果範囲効果時間、そのほか注意点や解説がこちらの世界の文字で記されているが、呪符に書かれた文字について直接は説明されてはいない。
この本のこのページでは呪符に書かれた文字の意味を知ることはできない。
その事をグレンは認識しているのだろう。グレンは黙りこむ。アリティアも驚いた様子で手を止めてライムを見る。
「……ふむ」
グレンはライムの前の本を取り、ページをめくる。そして呪符の見本部分以外を隠してライムに見せる。
「この呪符に書かれた文字は分かるか?」
見せられた文字は『蜂集』。
「ハチを集めるという意味です」
「うむ。ではこれは?」
次の見せられた文字は『狼退』。
「オオカミを退ける」
「ではこれ」
『獣避』
「獣避けですか?」
「うむ、どうやら、本当に読めているようだな。
しかし、この呪符の文字がライムの世界の文字と同じ? 陰陽文字は五百年近い昔からあるのだが……」
「地球での漢字の歴史は二千年位はあります」
「ん、そうか」
ライムの補足にグレンはうなる。
「呪符に使っているこの字はこの世界で独自に発展していったものですか?」
「いや、呪符の発展の為に唐突に取り入れられたと聞いている。と言う事はその時にライムと同郷の者がこの世界にやって来ていたという事になるかもしれんな」
「その人の名前は分かりますか?」
「ん、いや。確か名前は残していなかった気がする。わしが知らんだけかもしれんが」
「そう……ですか」
残念だ。地球からこの世界にやって来た人がどのように生きたのか知りたかったのだが。けれど、魔法系統の一部に功績を残した人物がいると知ってライムは嬉しくなった。
「私以外にも、この世界へやって来た人がいるんですね」
「ライムは、その人に会いたかったって思ってるの?」
「え?」
アリティアの質問にライムは戸惑う。
「えっと、どうだろう? かなりの昔の人だろうし、話は合わさなさそう。
けど、どんなふうにこの世界で生きたのかは知ってみたい気がするね」
「じゃあ、昔の人じゃなくて、今の元の世界からやって来た人とならお喋りとかしたいの?」
「んー。それもどうだろう。人、として来ていたならきっと、羨ましいって思っちゃいそうだ。なんでお前は人の体を持ったままなんだってね」
おどけたようにライムは言う。けれどそれは本心に近い言葉だ。
「もし、その人が人の体じゃなかったら……どうだろうな。あってみないと分からないな」
アリティアは勢い込んで質問する。
「それじゃあさ、ライムは元の世界に帰りたいって思ってる?」
「この体じゃ、帰れないよ」
ライムは悲しげに苦笑する。
「あ、ごめん。なら人の体に戻れたら?」
「そう……だね」
言葉が止まる。人の体に戻りたいとは強く思う。人の姿から離れるたびに強い違和感を覚えるようになってしまった今ではなおの事だ。しかし、地球に帰りたいと強く思ったことはあっただろうか?
「分からないって言うのが本当のところかな。
そもそも、帰る場所がどこだが私は覚えてないんだ。
けど多分……、帰る場所は無いんじゃないかな?」
根拠は無いが漠然と、そう思ってしまう。
「よかった……」
ホッとしたようにアリティアは表情を緩める。
良い事じゃない気がするのだが、とライムが思う。だが、その考えは少女の言葉を聞いてすぐに霧散した。
「それなら、ライムが帰ってくるのはこの家になるでしょ? それならずっと一緒にいられるね?」
アリティアの笑顔の言葉にライムはとっさに言葉を返すことができなかった。
「……あ。う、うん。そうだね」
恥ずかしくて直接アリティアの顔が見られない。ライムはうつむいてそうとだけ答えた。
そんなライムにアリティアはにこにこと嬉しそうに見ていた。