第26話 五行の属性
家の居間にやって来た。呪符作りはここで行うという。
グレンの座る椅子の隣にはアーフィスの木のブロックが山になって積まれ、テーブルの上には一枚の板があった。
真ん中の両端に一対の金具がついた板だ。その金具には板の表面に描かれた魔法陣から複数の線が接続されている。
この板が魔法道具の一種だということは分かるが、それ以上のことは分からない。
ライムに分かるのは描かれた魔法陣が、四大魔法のそれとは違う代物だということだけだ。
「この板はなんなんですか?」
テーブルの正面に座ったライムが、グレンに質問する。
「こいつは木材専用のスライサーだよ」
「スライサー?」
野菜などを薄切りにする調理道具が脳裏に浮かぶ。けれど、それと目の前の板では大きさ以外に明らかに違う点がある。
「けど、これ。刃がありませんよ?」
「刃はこれから生成するんじゃよ。
これがどんな魔法道具がライムには分かるか?」
「えっと、ちょっと分かりません」
「ふむそうか。この魔法陣はな、五行魔法の金行の力を持つ魔法陣だ。
魔法の効果は金行の刃を生成するという、まあごく基本的な魔法だな」
言いつつ、グレンは魔法陣に魔力を流し込む。すると、板の両端についた金具をつなぐ様に、金色の帯が現れる。板に並行に五ミリメートルほどの高さに位置している。
「木行を刻する剋する金行の刃だと、木行の塊である木材は簡単に切れるのだ」
言いつつ、木のブロックを板の上で滑らせ、金行の刃を通過させる。
音もなく木のブロックは薄切りにされる。次々とブロックを刃に通し、厚さ五ミリほどの長方形の木の板を量産していく。
ライムはその一つを手に取り、薄切りにされた木の表面に触れてみる。
「うわ……」
仕上げ加工を施されたかのようになめらかな感触に、感嘆の声を上げた。そして、その滑らかさを生み出す魔法の刃の鋭さに僅かな恐怖を懐く。
「こんなに切れて危なくないんですか?」
「そうでもない。これほど切れ味が良いのは木に対してだけだ。
五行魔法はそれぞれの属性に対して、得手不得手が顕著だからな。これは金行の刃だから木材を軽く切っているが、金行の刃では、金属や石や土に対しては普通のナイフ程度の切れ味しかない。火属性の物体ならその硬さに関係なく全く切れない事もある。
金行の刃はあくまでも木を切る事に特化した刃だということだ。
もし、金属を切りたいなら、火行の刃が必要になるし、岩や石などの土行の属性を持つ物を切りたいならば木行の刃が必要になる」
「木行の刃?」
いまいちピンと来ない。木製の刃が岩や石を容易く切り裂くと言う事に、感情的に納得がいかない。木製の刃を使うならば、金行の刃――金属製の刃を使った方が強力だと思える。
そんな納得のいかない様子のライムにグレンは苦笑する。
「わしも習い始めた頃は納得がいかなかった。
木で出来た鍬より、刃が金属製の鍬の方がよほど土を耕しやすいではないか、とな。
考え方が違うのだ。五行魔法における木行とは、乾燥させた木材のような死んだ木ではなく、水を吸い、太陽の光を浴びて成長する、生きている木が持つような力の事を指すのだ。
生きた木はどんな硬い土だろうと根を伸ばし、しっかりとその巨体を支えるようになる。巨大な岩だろうが僅かな割れ目に根を張り、やがては岩を割る。
木行とはそういった生きる木の力の事だ」
「なるほど、つまり、『木行の刃』と『木製の刃』は全く違う物だという事ですか?」
「その通り。そこのところは混同してはいけない。
木行の刃というのは木製の刃とは危険性は雲泥の差がある。ライムが木行の刃を使えるようになったら、扱いには十分に気を付けるように。
人間は生き物の中では土行に分類される。木行の刃に触ろうものなら、一切の抵抗なく切れるからな。木行の刃で自分の手足を切り落とす事故もいくつか例があるくらいだ」
「え。そんなに切れるんですか……」
驚愕の後、ふと思いつく事があってライムはちょっと困った表情を浮かべた。
「あ、けど……。今の私の場合はどうなるんでしょう?」
「ん?」
グレンは動きをとめて、ライムを見た。
「今の私の体はスライムですよ? 人ではなくて。木行の刃との関係ってどうなるんでしょう?」
「あー、そうだったの。たしか、スライムの属性は水に分類されていたな。
となると、ライムが気を付けるべきは、土行の刃と言う事になる。
土剋水――土は水を濁し、吸い取り、また水をせき止めるという力があるからな。
いや、だがまてよ……」
グレンはしばし考えこむ。やがて、難しい顔をしてライムを見て口を開く。
「ライムの魂は人間のモノだから、土行の性質を持っている。
けれど同時にスライムの肉体は、水行の性質を持っている。
土行と水行の関係は土剋水。土が水に勝つという関係だ。
となると、ライムは普通の人間と同様に、木行の刃だけに弱いという事もありうる」
「あ、えっと、それから、私は今まで大量の石を食べて岩石の硬質化スキルを手に入れたんです。
それで、核を守る為に普段からそれを使って、体の一部を岩石状態にしているんですけど……。その場合もやっぱり土行の性質を持っていると言う事になりますかね?」
「……そのスキルを使って骨格を成形しているのかもしれんな……。
同じ属性が重なるならば、属性の性質は強くなるからな。尚更、木行の刃はライムにとって危険なモノだということになるな。
もし、わしの考えが正しいとなると、ライムが気を付けるべきは木行の刃だけとなり、普通の人間と変わらなくなる」
無難な答えに収まりそうだとグレンはホッとしかける。けれど、それにライムが待ったをかけた。
「私はその……、岩石を食べてきたから硬質化のスキルを手に入れたわけです」
「ん? まあ、そうじゃな。もう人の食事を心がけるべきじゃぞ?」
「あ、まあ、そうなんですけど……」
ライムは言い難そうに口ごもり、視線をさまよわす。
「なんじゃ? 言ってみなさい」
「えっと……。私は硬質化スキルを手に入れて体を頑丈にする事で、森の中の生活で襲われても、体は傷つかないという安心を得る事ができたんです」
「まあ、そうだろうな」
「だから私は、自分の体を頑丈にする機会を逃したくはないんです。
だから私はきっと……、金属を食べるようになると思うんです。金属の硬質化スキルを手に入れて、岩石よりも頑丈な、金属と同じ強度の体を得る為にです。
もし私が金属の硬質化スキルを得たら、金行の属性を持つ事になりますよね?
そうなったら、五行魔法の刃との関係はどうなりますかね?」
「むう……」
グレンは唸った。死なない為に、体を頑丈にする為に金属を喰らう事に成るということは、人の考えではない。けれど、ライムは岩石を食らってきた事で今まで生き延びてきたのだ。
何も考えずに否定するべきではないとグレンは思った。
「そうじゃな。金属を食らうという事に関しては異論はあるが、今は置いておこう。
もし、ライムが金属の硬質化スキルを得たならばどうなるかという質問だが……」
そこで、沈思黙考を行い。出てきた結論にまゆをしかめた。
「かなりの問題が生じる危険製がある。正直オススメでできん」
「え?」
聞こうとしたのは、どの属性の刃に弱くなるかという事だけだ。しかし、危険が生じるとの言葉にライムは戸惑う。
「おぬしの言う通り、金行の属性を持つかもしれない。その時気をつけねばならないのは火行の刃になる。
それだけならば大した問題ではない。ここで問題になるのは、土生金がおぬしの中で起きるかもしれないという事だ」
「土生金?」
「そう、金属は土の中より生じるという意味だ。土行は金行の力を強める。
それだけならまだ良いのだ。最も大きな問題なのは次の点。
金生水が起きてしまうかもしれない点だ。
金生水は、水は金属の表面に凝結して生じるという事で、金行は水行の力を強めてしまう」
深刻な表情で告げるグレンだが、告げられるライムはどういう意味かは分からず困惑の表情を浮かべる。
「えっと、なにが問題なんですか?」
「ライム、おぬしの体はスライムの体なのだぞ? スライムは水行の存在だ。
そして、人間は土行の存在だ。
ライムが金属の硬質化スキルを得れば、それは金行の属性を持つ事になる。
それは、土生金、金生水と、金行を経由して、水行の属性を圧倒的に強化することになる。
本来、土行と水行の関係は土剋水。つまり、土が水に勝つ関係だ。
だがあまりに水行が強くなり過ぎれば、その関係は逆転する。
多すぎる水が土の堤防を決壊させるように、水が土に勝つ関係へと変化する。
そうなれば、水行であるスライムの肉体が、土行である人間の魂を押し潰しかねん」
「いっ!?」
ライムの顔が引きつった。
安全を確保するために行おうとした事が、己の魂を危険にするかもしれない行為だと聞かされ、氷結魔法の直撃を受けたかのような恐怖に襲われた。
「い、今の私の魂は大丈夫ですよね?!」
「今のおぬしは、土剋水の正しい関係にあるからな。人間の魂がスライムの体を従えているだろう。
そう考えると、岩石の硬質化スキルを得た事は幸運な事だった。土行を強化し、水行のスライムの肉体への支配を強めているのだからな。
だが、金属の硬質化スキルを得てしまえば、結果として水行が強化され、スライムの肉体への支配が弱まる事になる」
「わ、私は、金属を食べることはやめておきます……」
「それがいい。金属を食うなど人のする行為ではない。
もっとも、今言った事はあくまで、五行魔法の見地からすれば、そういった危険性があるという話だ。全てが正しいという確証はない。
五行魔法におけるライムの属性はまだ調べていないのだからな」
「調べる方法は無いんですか?」
「あるにはあるが、安全な方法ではないからオススメはできない。なにせ五行それぞれの刃で自分の体を傷つけることだからな」
「え」
腕や足をあっという間に切り落としかねない刃で、自傷行為をするのかとライムは驚愕した。
唸りを上げるチェーンソーの刃に触れるようなものだ。
グレンは続ける。
「自分の持つ属性より強い属性の刃に触れれば、抵抗なく傷を負う事になるがな。
そうではない属性の刃なら、普通のナイフの刃程度の鋭さしかないのだ。慎重に触れば傷を負う事もない。
逆に、自分の持つ属性より弱い属性の刃の場合、刃の方が術式を保てずに崩壊する。
例えばわしならば、金行の刃に触れても、ゆっくりならば怪我をすることもない」
と、実際にグレンはスライサーの金行の刃に指を触れてみせる。そして、怪我を負う事の無かった指をライムに見せる。
「これはわしが土行属性を持つ人間であるからだ。
もし、木行の刃だったら怪我をしているし、水行の刃だったら刃の方が崩壊する。
土行の刃だったら、金行の刃と同様に怪我はしなかっただろう。
火行の刃でも属性間の関係から言えば、金行と同様だ。しかし、火行の場合はヤケドの問題があるから怪我はする。しかし刃の切断とは異なる。切断力自体は金行と同じだ。
ライムの場合はどうなるかの予想だが、土行が顕著になるのなら、純粋な人間であるわしと同じ反応が出る。
スライムの肉体の方が主体となり、水行の方が顕著になるのなら、土行によって傷つけられ、火行を崩壊させる。他の三属性は特に影響は出ない。
そして、木行と水行が顕著である場合――つまり、わしの考えが正しい場合は、木行によって傷つけられるのは確実だろうが、土行によって傷つけられるかは分からない。そして火行の崩壊は確実だが、水行はどのような反応が出るかは分からない、と言った所か。
残った金行は、特に影響の出ない属性だという事だ」
「師匠。今、試させてもらう事はできますか?」
ライムの真剣な頼みに、グレンはしばし考えた後、頭を振る。
「いや、やめておいた方が良いだろう。
判別方法で重要なのが、自分で作った五行の刃を使う事だ。
他者の作った五行の刃では効果が顕著に出る事があるから、危険だということで禁止されている。
ライムの場合はあまりに大きな影響が出たら、絶妙なバランスで成り立っているもしれない、人の魂とスライムの肉体のバランスが崩れるかもしれない。
――それでもわしの作った五行の刃で己の身を傷つけてみるか?」
「い、いえやめておきます」
グレンの脅かしの質問にライムは首を振るしか無い。グレンはホッとしたように頷く。
「ま、そうじゃな。必要の無い危険など犯さなくともよいのだ。
いずれライムにも五行魔法を覚えてもらう。己の属性がどれであるかを知るのはそれからでも遅くはあるまい」
「そうですけど……。それまで、私は大丈夫なんでしょうか? 何か、些細なきっかけで魂と肉体のバランスが崩れたりしたら……」
ライムは不安が拭えない。
「さて、前例が無い以上なんとも言えないのが本当の所だが……。
そこまで不安に思う必要はないじゃろう。わしが見る限り、おぬしの魂は安定している。
おぬし自身によほどの変化がない限り、現状を維持するだろう。
今、言えるのは、水行と金行を強めるような行為はするな。つまり、金属を食ったりはするなということだ」
グレンの注意にライムは力無く苦笑した。
「そうですね、体を頑丈にすることは諦めることにします。そもそも、食べて良い金属が無い以上意味の無い話でした……」
「そうじゃな、うちにはおぬしに食わせる金属を買う金は無いからな」
「いや、流石にそれは頼れませんよ」
グレンの笑いながらの冗談に、ライムはすぐさま否定した。
「さて、色々話しているうちに木札の切り出しが終わってしまったな」
ライムが気が付くと、木のブロックは全てが薄い板に加工が終わっていた。
グレンはスライサーへの魔力供給を止め、金行の刃を消す。
「ライム。アリティアを連れて来てくれ。御札作りを手伝わせる。
わしはスライサーを部屋に戻して、御札作りの道具を持ってくるからな」
「あ、はい。わかりました」
頷き、アリティアの部屋へと向かうライムはふと思った。
マズい、しっかりと手伝わないと。今まで呪符作りの手伝いができていないではないか。