第15話 グレンの悩み、スライムというモンスター
魔法の明かりが、夜の書斎を照らしだしている。
書斎にはそれほど広い部屋ではない。窓は小さなものが一つだけ、それ以外の壁面は本棚が造り付けられており、大量の書籍が本棚だけでは収まりきらず、床面にも侵食していた。
本以外で目立つものは造り付けの机と椅子。それと本棚の間から伸びる吊具に掛かった、魔法の明かりを灯すランタンだ。
淡い明かりの中、書斎の椅子に座っているグレンは、どうしたものかと思案する。
考えねばならない事はたくさんある。自分のような引退をした老人に、このような多くの悩みをもたらすとは人生とはままならないものだという思いもある。
年を取れば悠々自適の生活を送るものだと、若いころは勘違いをしていたものだ。
今の悩みの中で一番大きなものは、やはりライムと名乗った人の魂を持ちながらも、スライムの体を持った存在の事だろう。
アリティアの怪我の事も心痛のタネだが、あまり心配はしては居ない。先ほども寝ているアリティアの様子を見てきたが、熱が出ていたり、患部が大きく腫れていたりする事も無かった。これから、定期的に治療魔法をかけていけば、そう時間もかからずに完治していくだろう。
グレンは立ち上がり、本棚から一冊の本を取り出す。その本はスライムに関する情報をまとめた書籍だ。
机へ向かいページをめくる。
魔物や動物には人間に対する危険度ランクというものが、認定されている。認定しているのは国の軍組織だ。脅威度の高い順からSABCDEFGと8段階に分かれている。
その中でスライムの危険度というのは、下から2番目のFランクである。
Fランクは人を殺害する能力を最低限持ち合わせている魔物、動物に与えられるランクだ。ちなみに、どう頑張っても人を殺害することは無理だとされると最低ランクのGランクとなる。
通常のスライムがFランクに認定された最大の理由は、運動性能が高くない事だろう。
知能がなく、動きがのろまで、警戒心が非常に薄い。また、体は非常に柔らかく、木の棒でも簡単にスライムの核まで到達する。核自体もそれほど丈夫では無いため、人間の子供でも退治は可能だ。
なおかつスライム自体が積極的に人に敵対しない。
ほどんどのスライムが草、もしくは土を食べ、死骸などを綺麗に掃除していく存在にすぎない。
スライムが動物を襲う時もあるが、狩りをする事自体が珍しい。
狩りの行動は、待ち伏せが基本だ。木の上で待ち伏せし、下を通りかかった生き物の上に落ちる。もしくは己の体がすっぽり入る穴を掘り、そこに入って地面そっくりに擬態し、足を踏み入れた獲物を引きずりこむ、という行動だ。
人がスライムに襲われるという事態は、たまたまそれらに引っかかる事だ。
しかしスライムに襲われたとしても、死ぬ人は滅多に居ない。
スライムは力が弱く、人間でも元気な大人であれば簡単に振り払える程度の力しか出せない。
これはスライムがそれ以上の力を出そうにも、スライムの肉体の強度をすぐに上まってしまい、ちぎれてしまう為だ。
そんな弱い存在であるスライムは世界中に多く生息している。
他の生き物に駆逐されてはいない理由は、いくども復活する核と、他の生き物には消化吸収ができない体が理由だ。スライムの体は食べてもお腹をこわすためにどのような猛獣も積極的に襲うことはしない。
スライムは死んでもすぐに復活する、また他の猛獣に襲われにくいという性質は持って入るものの、あまりにも弱い存在だ。
だがこれは通常のスライムでの話だ。
スライムはそれだけで、収まる存在でもない。
この本には例外となるスライムの事例が記載されている。
その一つで最も有名なスライムが過去に存在していた。
〈国喰らい〉と呼ばれた、体の大きさが直径5キロメートルにも及ぶ超巨大スライムだ。
〈国喰らい〉は発生した森を食い潰し、文字通りあらゆるものを喰らい尽くしていった。
そいつが通った後にはどんな豊かな畑だろうと、そこに育つ作物はもとより、豊かな土壌から根こそ食らっていった。また人里を獲物が多く存在する場所と認識し、多くの街や村に襲いかかった。
〈国喰らい〉が食った人里は、記録に残ってるだけで村は100以上、街は23都市。その内、都市国家が6つ。それ以外の首都が2つ。討伐の際の出費に耐えられずに滅んだ大国が一つ。
合計で9つの国を〈国喰らい〉は滅ぼしたのだ。
危険度ランクはSSランクという、本来の認定ランクを超えた『放置すれば世界が滅びる存在』と新たに設定されたランクに認定された。
この〈国喰らい〉の本当に恐ろしい所は、大きさ以外は通常のスライムと全く同じ性質を持っていたと言う事だ。つまり、通常のスライムであっても、成長を続けば〈国喰らい〉へと成ってしまうかもしれないという事だ。
幸いな事に〈国喰らい〉が討伐されてから200年間、新たな超巨大スライムが現れた事は無い。
またもう一つの規格外のスライムの例は〈虚空穴〉と呼ばれているスライムだ。
グラヅルド平原に三百年ほど前から確認されている、未だに討伐が成功していないスライムだ。
姿は直径2メートルほどの真っ黒なスライムだ。跳ねて移動することもあるが、人が走れば逃げることのできる程度の移動能力しか持ち合わせていない。
危険度ランクはEランク。Eランクは『戦いの心得がなければ、大人でも危険』というランクだ。
通常のスライムより一つ上がっただけだが、〈虚空穴〉がこのランクになったのは、速やかに逃げ出せば簡単に逃げられる上、〈虚空穴〉は逃げる人を積極的に追いかけないという習性があるためだ。
ただし、〈虚空穴〉を討伐しようとする際には、EランクからSランク『国家の力を総動員しても危険』へと変更される。
グラヅルド平原は豊かで広大な平原である。昔から開発の手が伸びていたが、その開発が実現したことはない。グラヅルド平原を縄張りとする〈虚空穴〉の存在のためだ。〈虚空穴〉討伐の為に周辺国家は多大な賞金を懸け、なおかつ何度も軍隊を動員した。
けれど、三百年前から確認されて、幾度も討伐隊が出されたにもかかわらず、今まで討伐されていない。
理由はそのあまりにも異常すぎる耐久性からだ。
戦略級大魔法の直撃を受けても全く意に介さず、物理攻撃は接触した瞬間に溶かしつくす。
ありとあらゆる種類の戦略級大魔法が〈虚空穴〉に放たれ、平原を火の海に変えたとしても、〈虚空穴〉にはなんの影響も与えることは出来なかったという。
光を全く跳ね返さないその姿からも相まって、虚空に開いた地獄へ繋がる穴とされていた。〈虚空穴〉の名前はそこからついた。
残された痕跡からスライムだと証明されるまで、自然災害の一種だと思われていたほどだ。
規格外ではないにしても、通常とは異なる性質をもったスライムは存在している。
その一つがミミックスライムだ。倒れた人に擬態して、助けに来た相手にすがりつき、拘束するための粘液を掛ける。その粘液はすぐに固まり、動きを封じたうえで捕食する。
力の弱さを硬化する粘液を出す事で補っているのだ。
ライムがアリティアの骨折の応急処置に使っていた粘液がそれだ。ミミックスライムの事を知っていたからこそ、初めてライムを見た時に、彼女がスライムだと疑う事が出来た。
ミミックスライムの危険度ランクはDランク。Dランク『戦いの心得がある個人でも危険』というランクだ。戦いの心得があるあるにもかかわらず、油断して不用意にミミックスライムに近づき、被害に遭う者が多い為だ。
正体がバレた際には、通常のスライムと変わらない行動しかとらないため、ランク自体は高いが、油断しなければ通常のスライムとたいして変わりが無い。
ライムはミミックスライムに近しいスライムだろう。しかし、一つライムとミミックスライムは、魂云々の話とは関係なく違う点がある。
それは直立二足歩行をしているという点だ。ミミックスライムは人の形をとったとしても直立歩行などできない。
それは体の重さを支える骨が無いからだ。人の姿を真似たとしても、グニャグニャと軟体動物のように地面を這いずる事しかできない。
しかしこの話はライムには当てはまらない。
ライムはしっかりと二本の足で歩いていた。
これは人と同じ体の骨格を真似て、体重を支えることのできる強度があるということを示している。
そして、体重を支えることのできる強度があるという事は、力を出しても体がちぎれるような事態は起きないということでもある。
力が弱いという事はないだろう。重さ的には軽いとはいえ、子供一人を背負って歩き、水を汲んだオケを手に持って運ぶこともできた。
二足歩行が可能な力の強いミミックスライム。
危険度ランクの認定では、通常より外れた行動をするモンスターは、危険度ランクが上昇する。
グレンの懸念事項はそれだけにはとどまらない。
ライムというモンスターの危険度ランクが上昇する理由はもう一つある。
それはライムが知性を持ち合わせている事だ。
知性を獲得したモンスターは、人間に敵対的になる事が多い。
そんなモンスターはその知性を人という種を滅ぼす為に駆使する。狡猾かつ、邪悪な存在へと堕ちるのだ。
高位モンスターが知性を獲得したと認知されれば、国が緊急で騎士団を派遣し、国が滅びる事も覚悟するほどだ。
低位モンスターであろうとも、知性のないモンスターが知性を獲得すると言うことは、危険度ランクが上昇するという事だ。
魂が人間のものだとしても、知性を獲得したモンスターを放置して良いのかという問題にグレンは悩む。
しかし、見てきた限りではライムの人格は善良なものだ。孫娘を救ってくれたという恩もある。
今回だけ見逃すということならばこれほどには悩まなかっただろう。しかし、その悩みの種から弟子入りを希望されては悩まざるをえない。
ライムがタダの人間だったとしたならば、これほど悩まない。
恩もあるし、弟子入りも前向きに考えただろう。
正直に言えば、ライムが人間として生きていた世界への興味がある。
それに、人の魂がスライムの肉体に宿ったことへの学術的興味も存在している。
しかし……。
グレンがライムに魔法を教えるならば、力を与えた責任が生じる。
ライムは今でさえ危険度ランクDを超える可能性のある存在だ。
魔法という力を与えてしまえば、危険度ランクCへと到達することになるだろう。ランクC『戦いの心得がある集団でも危険』とされる存在を自ら育ててしまうのだ。
人に敵対する存在にならなければそれでいい。しかし、もしもそうなってしまったら、という懸念が頭を離れない。
グレンが悩んでいると、遠くから小さな声が聞こえた。
席を立ち、書斎を出る。目を覚ましたアリティアがグレンを呼んでいた。
「おじいちゃーん……」
「入るぞアリティア」
ノックをしてからアリティアの部屋へと入る。持ってきた魔法の明かりが部屋の中を照らし、ベッドの上で体を起こしたアリティアは眩しそうに目を細めた。
「目を覚ましたのか。どうした、アリティア?」
「おじいちゃん……。おトイレ行きたいんだけど、足が痛くて歩けない……」
「ああ。そうだな。後で杖をこさえないといけないな。おぶってやるから、ホラ」
「ん、ありがと。おじいちゃん」
背を向けてしゃがむグレンにおぶさるアリティア。幸いな事に、トイレが家の外にあるわけではない。少々苦労はしたが無事に用を済ませ、ベッドへと運ぶ。
長い時間寝ていただろうに怪我の影響からか、アリティアはまだ眠たそうだ。
ベッドで横になるアリティアに、グレンはふとライムの事について聞いた。
「のう、アリティア。アリティアはライムの事をどう思う?」
自分だけで悩むのも限界だと思い、つい孫娘に問いかけてしまった。
アリティアは眠たげにぼうっとしたまま、ぽつりぽつりと答える。
「ライムは優しい人だよ? 人って言っていいのかな? あ、これ言っていいのかな?」
アリティアは自分の口を手で抑えるが、動きは緩慢だ。
「ライムから直接聴いておるよ。それで?」
そのまま眠りに落ちそうなアリティアに、グレンは話を促す。
「そうなの? ならいいかな。
ライムはね、始めはグニグニした丸い珠だったの。けど、すぐに私とそっくりになったんだ。オオカミからたすけてくれたし、ちゃんと治療もしてくれたんだ」
「それは分かっているが……。その……、どうしてアリティアはそこまでライムの事を好きになったのだ?」
グレンには疑問だった。助けたということで気を許すことはあるだろうが、それでもそこまで親しく接するのは不思議だった。
「えっとね。ライムはね、迷子なんだよ?
帰り道も自分の名前もわからなくなっちゃって……。途方に暮れてるんだ。
だから、初めてあった私にもあんなに親切にしてくれた。
おじいちゃんの事だって、とっても怖がってたけど、私の事を何とかしなきゃって必死に頑張ってたし。
だから私はライムにはちゃんとお礼がしたいなって思って。何がお礼になるだろうって考えてたら、友達になりたいなって思ったのよ。
きっと友達になれたら、ライムはあんなに寂しがったりはしないと思うの……」
「そ、そうか……」
「ねえ、おじいちゃん……? 私、ライムとお友達になれるかなぁ?」
「そうだな……。うん。なれるとよいな……。
さあ、もう寝なさい。おやすみアリティア」
「うん。おやすみ、おじいちゃん」
前髪をそっと撫でて、少女に眠りを促す。アリティアは目をとじると、すぐに寝息を立て始める。
音を立てぬようそっと、明かりと共に部屋を後にする。
グレンは書斎に戻り、椅子に座るとため息を漏らした。
「友達になれるかなぁ……、か。アリティアが友達を望むなんて何時ぶりだろうか?」
あの時、アリティアがそれまでの友達を失った以来だろうか。
「しかしだなぁ。アリティアよ。
なにもそんな、厄ネタまみれの相手を友達に望まんでもよいだろうに……」
ため息をもう一度つき、椅子から立ち上がり、本棚に向かう。
魔法の初等教育のテキストはどこに仕舞っただろうかと思いながら。