第12話 神話の話
その神話はよくある創世神話の後の出来事だ。
複数の神々が喧嘩をし、結果として大地が生まれ、海が生まれ、空が生まれた。
世界が生まれた後のお話。
神々は作られた世界の美しさに、これ以上喧嘩を続ければこの美しい芸術品を壊すだけだと、喧嘩を辞めていった。
喧嘩を辞められぬ神々も多くいたが、この世界を壊す事は嫌がり、次々とこの世界から去っていった。
やがて、神々の数が少なくなった世界において、神の一柱がある一人遊びを始めた。
大地の土と、大海の水と、大空の空気を練り込み、形を作る遊びだ
数々のそれらの形に、戯れに力を吹き込んで見たところ、一つの生命が生まれた。
神は喜び、次々と命を吹き込んでいった。
命は、大地に、大海に、大空へと満ちていった。
多くの命を創りだした神は、生命が世界に広がるのを見届けると満足して、世界を去った。
一柱目の神が去った後、命を作り出すことをまねした神がいた。
しかし、その二柱目の神は命の形を作ることは下手くそだった。
だが逆にその生命の形に吹き込む力は膨大な量だった。
つくられた命はありえないほどの強さを誇った。
形としては不格好で強大すぎる力を持ったその生命は、しかし生き物としては欠陥品だった。
自らの強大すぎる力よって、すぐさま命を失い。その体と力の欠片は、大地に大海に大空にと飛び散った。
二柱目の神はその欠陥品の命を、一つ作っただけで自分には向かぬと生命を作る事を止めた。なので、二柱目の神が再び生命を作ることはなかった。
二柱目の神も世界を去った。
けれど、強大すぎる生命に吹き込んだ力と、その体のかけらは世界中に飛び散り、世界を力で満たした。
その力がいわゆる魔の力、魔力と俗に言われるものである。
二柱の神の行動を見ていた三柱目の神も、この世界で同じ様に命の形を作った。
しかし一柱目の神とは違い、力のある方が良いだろうと、その世界中に飛び散っていた魔の力をかき集めて命を作った。
その命がいわゆる魔物である。魔物をある程度作ると、三柱目の神は飽きてしまい、世界を去ったという。
残された世界には一柱目の神につくられた力の弱い動物が、三柱目の神に作られた力の強い魔物に滅ぼされようとしていた。
そこに戻ってきた一柱目の神は、世界の在りように驚き、そして嘆いた。
せっかく作った動物たちが滅ぼされようとしている、と。
魔物に対抗するための力を、一柱目の神は動物たちに与えた。
それは魔の力を操る術であり、力を与えられた動物たちは何とか魔物と対抗できるようになった。
だが、一柱目の神は対抗するだけでは満足せずに、魔物の存在を何とかしたかった。
しかし、命を吹き込む事はできても、魔物を命直接奪う事はできなかった。
一柱目の神にできる事は命を吹き込み、その生命によって魔物と対抗させることだけだった。しかしあらゆる物に命を吹き込んでいたため、他に命の元となるものを、見つけることはできなかったという。
悩んだ神は、それでも世界中を探しまわった。そしてあるものを見つけた。
それは地を這う一匹のスライムだったという。
スライムは、動物でもなく魔物でもない。
動物は一柱目の神が、魔物は三柱目の神がそれぞれ作ったものだった。
しかしスライムは二柱目の神がつくった命、その体のかけらが、神の手に干渉されることなく命を宿したものだった。
神の手によって作られた命ではないからこそ、スライムにはとある特徴があったという。
その特徴とは、スライムは器であるということだ。
一柱目の神はスライムのその特徴に大いに驚き、そして大いに喜んだ。
一柱目の神は、己の魂の一部を砕き、そのかけらを一匹のスライムへ埋め込んだ。
するとスライムは神と同じ姿を形作った。そして動物たちを率いて、魔物たちを撃退したという。
そして、神の魂のかけらを宿したスライムは、人の始まりとなったという。
だが、そのまま人の世の栄華とはならなかった。
魔物を撃退し、もう少しで滅ぼせるかもしれぬという時に、三柱目の神が帰ってきたのだ。
三柱目の神は世界の様子を見て激怒した。せっかく作った魔物たちが一柱目の神の主導によって滅ぼされようとしたからだ。
三柱目の神は報復に人や動物を逆に滅ぼしてくれると決意した。
しかし、直接に動物や人を滅ぼす事は一柱目の神と同様にできなかった。
そのため三柱目の神も、己の魂のかけらをスライムに埋め込み、神と同じ姿を形作らせ、魔物を率いさせた。
それが魔族の始まりになったという。
人が動物を率い、魔族が魔物を率いる戦がその時に始まった。
これが今の世に続く人と魔族の戦いの歴史の始まりだという。