第10話 模倣
ライムはすぐさまに逃げられるようにと警戒して身構える。
どうする? と自問した。
そこで問題になるのは、背負っているアリティアの存在だ。
少女を投げつけて、グレンが支えている隙に逃げだそうかと思う。だが、子供を老人に投げつけるという行為はやりたくはない。
そもそもアリティアはけが人だ。路傍の扱いなどをできるはずがない。
背負ったものに逃げることを考えるが、そんなことをすれば確実に追いかけられる。
ゆっくり下すことしかができないが、果たしてグレンはそんなすきを見逃してくれるだろうか?
ぐるぐると回る思考の中にいるこちらと、緊張状態になったグレンを、不思議そうな表情で見やってくるアリティアが恨めしい。
君がこんな状態になった人だということが分かっているんだろうか?
わかっていないんだろうな。
そんな現実逃避にライムにグレンはため息を一つ付いていった。
「ま、おぬしが何者であろうとも、孫を救ってくれた相手であることには変わらない。
わしは恩には恩を返すべしと思っている。そう警戒しないでもよろしい。今案内しますよ。ついてきなさい」
そう言ってグレンはこちらを追い越すと、そのまま警戒した様子もなく背を向けて歩く。
ライムはあっけにとられる。恩には恩をという言葉には、仇には仇をという意味でもあるのだろう。
グレンにはライムの正体が、少なくとも人ではないということはバレているのだろう。
そんな存在をそう簡単に信用できるものなのだろうか ?
それともこの対応がこの世界における人間と人外の交流の基本なのだろうか ?
「どうしたの? ライム? おじいちゃん先にいっちゃうよ ?」
「あ、ああ……」
背負ったアリティアの声に押されて、ライムは悩みはともかくとしてグレンの後を追って、止めてた足を進める。
ライムの警戒した様子に、アリティアは不思議そうに首をかしげつつも黙っている。
グレンも時折こちらを確認するように振り返るが、無言で歩いている。
やがてその奇妙な沈黙を破ったのはグレンの方だった。
歩きながら後ろを歩くこちらを確認し、口を開く。
「おぬしが普通の人から外れたものであることはわかっている。けれど少なくともおぬしの魂は人間のものであると確認はできた。体がどうなのかは分からないのがな」
「ライムはスライムなんだって」
そう言ったのはアリティアだ。
何故言ってしまう!? とライムは焦る。
が、グレンは面白そうに「ほう……」と声を上げた。
「通常、スライムは知性もなければ声もあげることもできない存在だ。
やはり人の魂の影響か?」
そこでライムは気がつく。まるで魂が見えているかのような口ぶりだ。
「あなたは、私が人間だったことが分かっているのですか?」
「さて」
グレンは首をかしげる。
「わしは見たままを言っているだけだ。おぬしは善人の、人間の魂をもった存在である。としか分からなかった。
まあ、それ以上詳しい話はアリティアを家で寝かせてからしようかの」
それからグレンを先導に足早に森を抜ける。五分もかからない距離だった。たどりついたそこには柵で囲われた一つの村があった。
まっすぐに村へと向かったわけではなく回り込むように、村の中へと入った。
「こっちの方向に私の家があるんだよ」
とのアリティアの言葉通りに、森が途切れた先には柵に囲まれた畑とその向こうに一つの家があった。
「わしらの家は村外れにあるからな。村の門を通ってから村の中を突っ切って行くより、こちらの方が近道なのだ」
あまり、人に姿を見られたくないライムとってありがたい話しだ。
家は木の柱に、土で塗りたくって作った壁でできた家だ。
屋根は日本のかやぶき屋根に似た。麦だろうか、植物の茎を束ねた素材で吹いてある。
ドアと両開きの窓によって、西洋風の田舎の家という印象を作っている。
「ああ、この粘液を溶かすのには水が必要だったか?」
「え、ええ。結構すぐ溶けますけど」
グレンに問われ、ライムは答える。
「ならワシは水を汲んでくる。おぬしは先にアリティアを自分の部屋のベッドに座らせておいておくれ」
「え、あ。うんわかった」
グレンは、家の裏手に向かう。
「さあ、家の中に入って」
アリティア促しに、家の中に入る。ドアには鍵はかかっては居なかった。
不用心だなとライムは思う。
間取りは入って廊下があり、右手のドアは一つで、逆側が複数のドアがある。
「右手側がダイニングキッチンになっていてね。反対側が個室なんだ。
私の部屋はソコだよ」
そのうちの一つをアリティアが指差し、中に入る。
「ようこそライム。私のお部屋に」
「お招きどうも」
芝居がかったアリティアの声に応じ、少女をベッドにおろす。
「この部屋、暗いな」
「あ、じゃあ悪いけど窓開けてくれる?」
アリティアの言葉に頷き、指差された部屋の窓を開く。室内に差し込む光によって、部屋の様子が明らかになった。
その部屋は可愛らしい小物がところどころに飾られていた。小さなぬいぐるみがいくつも飾られ、暖色系が多く使われた飾り布で作られた幾何学模様のパッチワークキルトが寝具に使われている。見るからに女の子の部屋だ。
「このキルトとかはね、私が自分で作ったんだよ? すごいでしょう?」
「そうなのか? すごい綺麗だな」
「でしょう? 結構苦労したんだからね」
自慢気な笑顔を浮かべる。
と、アリティアの視線が粘液で固められた自分の足に向いた。明るい表情を曇らせる。俯いたものに変えて、ライムに質問する。
「あの、さ……。固めたの、もう溶かしちゃうの?」
「ああ、まともな薬があるのなら、そちらの方がいいだろうしな」
「けど、これをとったらまた痛くなるんじゃない?」
不安げに顔をゆがませる少女にライムは困ったような表情を浮かべた。
「しばらくは大丈夫だよ。そんなに怖がらなくても。おじいちゃんが付いているんだから。な?」
「う、うん……」
アリティアの頭をなでながらなだめると、少女はおずおずと頷く。
そんな様子を見て、痛みを与えないようにするために、粘液のギプスを付け続けるかライムは悩んだ。
そこに薬箱と水を汲んだ桶、それに盥を持ってきたグレンが部屋に入ってくる。
「あのグレンさん痛みを抑える薬がありますか?」
「ん? ああ、あるぞ。村での生活は打ち身や小さな怪我がしょっちゅうだからな。
安心しなさいアリティア。あまり痛い思いはせんで済む」
「うん良かった」
安堵の表情に頬をほころばせるアリティアに、ライムもほっと溜息を洩らした。
それはしぐさだけにすぎない代物だけど、グレンはそのことに一度注目し、ことさらに気にすることでもないとした。
グレンは手ぬぐいに水を含ませ、アリティアの額に張り付いて固まっている粘液をぬぐい取る。
「……本当に水で簡単に溶けるのだな」
グレンのつぶやき。額の傷を露わにさせ、きれいにすると、薬箱から取り出した軟膏を塗りたくり、その上から包帯を巻く。
同じように硬化した粘液に覆われた足は、量が多いために直接水桶に足を突っ込ませる。するとすぐに水に溶けて添え木の枝もポロリとこぼれ落ちた。
靴の上から固めていたため、靴を脱がせると腫れ上がり膨れた足が現れる。
「うぐぅ……」
「ふむ。確かに折れているな」
患部に軽く触れグレンはつぶやく。アリティアのうめき声にライムはおろおろと見ているしかない。
と、そこでグレンの変化に気がついた。彼の周囲に魔力が渦巻いている。
グレンの手元に魔力が集中し、渦巻いていた魔力が魔法陣を形づくる。そして足の患部に魔法陣を通した魔力の粒子が流れ込む。
するど、かすかな光とともに足の腫れが引いて行った。
「まあ、こんなもんじゃろう」
「回復魔法?」
ライムのつぶやきにグレンはうなずいた。
「ああ、完全には治らんがな。治りも早くなるし、痛みも少しは楽になるはずだ」
「足の骨折にしか回復魔法は効かないんですか ?」
額の傷には魔法をかけなかったことに疑問に思い、そう問いかける。
「けがの種類は問わんよ。だが、ワシの使う回復魔法はケガの大小に関わらず、かけられた当人の体力を大きく消耗させる。小さなけがを治すことには向いておらん。
それに傷跡も残りやすいからの。大きなけがを治りやすくすることしかできん。
それにあまり魔法に頼りすぎるとかえって悪化することもある。この程度が人の扱う魔法の限界だよ」
言いつつ、薬を塗り付けた後、そえ木で固定した足に包帯を巻いていく。
彼の言う通りアリティアは疲れた様子を見せている。
重くなったまぶたを押し上げることに懸命になっている。
「あとは背中の方じゃな」
「うきゃあ!」
グレンは無遠慮に上着をめくり上げ、少女は悲鳴を上げる。
「おじちゃんのスケベ!」
「何を言っておる。もっと成長してから言わんかい。
背中の怪我は大したこともなさそうだな」
少女の抗議も無視して治療を続けた。
「他に痛い所は無いのか?」
「ん、大丈夫」
「ライム、すまんが水を取り換えてきてくれんか?」
「あ、はい」
グレンに頼まれて、ライムは汚れた水が入った桶を手に取る。
「井戸は家の裏手にあるからすぐにわかるはずだ。」
「わかりました」
元気のいい返事を上げて、家を出る。汚れた水は適当な地面に撒いておく。
家の裏手にまわると、滑車のついた井戸を見つける。釣瓶を落して水をくみ上げる。深井戸ではなく浅井戸だったので簡単に汲み上げることができた。
なみなみと水をたたえた桶を抱えて小走りでアリティア部屋に戻る。
部屋の戸をあけると上半身裸なアリティアがいた。
「うひゃぁ!?」
悲鳴を上げたのは見られたアリティアではなく、見る事になったライムの方だった。
見られた方はきょとんと不思議そうな顔をしており、その祖父はあきれた表情をしている。
「なにをしているんじゃ? おぬしは」
「え、あ。いえ、何でもないです……」
幸い、抱えた桶から水をこぼすような事はなかった。内心、恥ずかしいのをごまかして桶をグレンに届ける。
彼はその水に浸した手ぬぐいを今度は固く絞る。
「いつまでも泥だらけではまずかろう。女の子なのだからな」
「おじいちゃんは女の子だと思っているのならもっと丁寧に扱うべきですよ」
「口ばかり達者になりおって」
「んぐ」
グレンは、アリティアの顔から拭っていく。
続いて上半身も拭いていく。
その間、ライムは居心地の悪い思いをしていた。この場から離れるべきか、目のやり場所にも困る。アリティアの体をまじまじと見てよいものではないだろう。
それにしても、どうしてアリティアの裸を見て動揺したのだろう。
確かにきれいな体だと思う。
けれども、それであんなにも驚くのもおかしい。
ひょっとして、私は人間であった頃は男性だったのだろうか?
それにしては、今アリティアの裸を見ても情欲というものが湧いてこない。きれいな絵画を見ているような印象しか持てない。
小さな子供でもあるアリティアに対して、情欲を懐く方が問題だろう。それなら自分は変態なのかと苦悩した。
結局のところ、アリティアが服を脱いでいたことが、意外なことだったから驚いた、というだけの話しなのだろう。
たとえ自分の人間のころの性別が女性だったとしても、同性の裸に驚くこともあるだろうと思い直す。
そんなことを考えていたら、図らずもアリティアの体を観察することになってしまっていた。
アリティアの体型を模写――模倣して、今の自分の体を形作っているが、所々違いがあった。ぺたんこだと思っていた胸にはわずかに膨らみはあったし、ウエストも細かった。
アリティアは着痩せするタイプなのかと思う。
自分の体も観察したアリティアの体型に合わせて変化させていく。服の下の変化なので傍からはわからないだろう。もっとも今着ている服も肉体を変化させた代物であるわけだが。
と、気がつくと、アリティアの清拭は終わったようだ。少女の表情は今にも眠りに落ちそうだ。
「ほれ、ちゃんと腕をのばしなさい」
「ふぁーい……」
大きめのパジャマに着替えているが、緩慢な動きで今にも寝落ちしそうだ。見かねたグレンがそれを手伝い着替えさせる。
グレンは一つ吐息をもらし、アリティアをベッドに横たわらせる。
「もう寝ていなさい。おやすみ、アリティア」
「ふぁい……。おじいちゃん……」
眠たげな声で応じ、ついっとアリティアの視線がこちらに向いた。
「ライムもまたね……」
微笑みながら少女は言い、そのまま穏やかな寝息を立てる。
ライムは驚いていた。反応ができずに、返事をすることが出来なかった。
またねということは、また会いたいということだろうか? 私はもう、これきりだと思っていた。人の姿をとっているとはいえ、人間ではない存在とまた会おうと望んでくれているとは思わなかった。
本当に大丈夫なのだろうか?
そんな存在を身内に受け入れて。今の私は人の姿を得る為に、アリティアの姿を写し盗ったばかりというのに、そんな親しげな笑みを向けてられていいのだろうか。
不安になる。何かを間違えた気がするのは何故だろう。
そんな事を考えていると。グレンは窓を閉じて部屋を暗くし、こちらに声をかけてきた。
「お茶を出しましょう。リビングの方へどうぞ」
「え、ああそうだな」
曖昧に頷き、グレンにつづいて部屋をでる。その前に振り返り、アリティアの姿を見やった。
少女は穏やかな寝息を立てている。ケガを癒すための眠りだろうが、微笑みのまま寝入ったアリティアは幸せに見えた。
その少女と同じ姿をとっている今の自分はどうだろうか? あんな笑顔を作ることができるだろうか?
そんな事を考えても仕方がない。今の私はスライムなのだから。