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第01話 始まりのその時

 ゆっくりと意識が覚醒していく。


 ぼんやりと、白いモヤがかった意識は、周囲の緑色の光を知覚し始めていく。


 意識を取り戻した時には、緑の鮮やかな草叢の中に埋もれるように居た。


「え? え?」


 戸惑う。


 青々とした緑の生い茂る森の中。草叢の中から唯一望める空は、天を覆う木々の枝に覆われている。


 どうしてこんな所にいるのか理解できない。


 先を見通す事の出来ない藪の中。

 到底、人の手が入っているとは思えない鬱蒼した森。


 気が付けばそこに彼はいた。


 あまりに激しい混乱の為に、微動だにしないままに周囲を認識する。


 木々が青々と生い茂っている。寒いとも感じられない事から、冬ではないという事くらいしか理解できない。


 そんな最中。ふと違和感に気が付く。

 目線を見回す事なく、周囲の様子を確認できているのかと。


 いやそれ以前に、自分の体に――


 目が――無い。


 凍りついた水に叩きこまれたかのような悪寒が走る。手で顔を押さえようとして気がつく。


 手も――腕も存在しない。


「え……? あ……!? あ……!?」


 恐怖と戸惑いに全身が震える。恐怖の感情が濁流のように心の中をかき乱す。


 なぜ? どうして? なんで?


 疑問ばかりが心を支配する。

 一欠片だけ残った冷静な思考が、この状況に至った経緯を思い出そうとする。けれど、荒波の中の木の葉のように思考は乱れるばかり。


 感情の奔流のままに叫び声上げ、駆けまわりたい衝動に襲われる。だが同時に、そんな事をすればボロリ……と全身が崩れ落ちそうな恐怖の予感に縛り付けられ、動くことなどできなかった。


 必死で息を殺す。叫び声を上げぬように。


 必死で駆け出すことなどしないように、ただただ、うち震える。


 どれほどの時間、恐怖に身を縮めていたのか。

 そんな些細な疑問に答えは出なくとも、時が激しい感情の波を穏やかにしてゆく。


 今の自分の体どうなっているのか、恐る恐る確認していく。


 今の自分に目は存在しない。けれど、視線と同じように見たいと思ったものを中心に鮮明な認識が出来た。それは自分の体も例外ではなかった。


 今の自分は、ゼリー状の物体だった。

 まんじゅう形をしていて、当然、腕も無ければ脚もない。

 大きさはバスケットボールより一回り大きい位。淡い緑の透明色なゲル状の物体で体を構成し、体内の中央には、黄色いピンポン玉大の丸い石透かし見える。

 一見すると宝石のようにも見える綺麗な物体だ。


 自分の体だと明確に認識できる。けれど違う。自分はこんな存在ではなかった。


 自分は人間だった。

 こんな、スライムなんかじゃない。


 そのスライムという単語がトリガーとなった。


 スライムとしての自分の体を本能で理解したのだ。


 言葉に出来ない本能的な知識の奔流に、意識が呑み込まれそうになる。

 必要だからと、鉄の塊を脳みそに強引に詰め込まれるような感覚。拒否することも目を逸らす事もできずに、強制的に理解させられる。

 

 ゲル状の体そのものが目であり、耳であり、手足だ。だからこそ360度周囲の光景が分かる。

 『見えている』のとは少し違う。光だけではなく他の何かでも感知しているらしい。光の強さも理解できるが、日の光が差し込んで居ない藪の下も、強く光の場所と同じように感知できる。そして、草叢の中で先を見通すことができないはずなのに、周囲が木々が生い茂る森の中だということも感知できていた。


 体内に浮かぶ黄色い宝石のようなものが核だ。

 自分にとっての心臓であり、脳であり、魂そのもの。

 核が破壊されてしまえば、スライムとしての自分はもとより、魂そのものが死に至る。


 このことが分かる。


 死という言葉に、再び恐怖が全身に広がる。

 前回の恐怖は、分からなかったからこその恐怖だった。

 だが今の恐怖は、分かったからこその恐怖だ。


 この核が破壊されたら、自分は完膚なきまでに死に至る。そのことを理解出来てきてしまったからだ。


 この森にどんな生き物がいるのか分からない。

 スライムである自分を襲う生き物が居るとしたら? もし、スライムという生き物の天敵に遭遇したら? あっという間に殺されてしまう。


 恐怖に任せて走り出したいのを我慢して、身を伏せジッとする。幸いな事に気がついた時から居る草叢の中は周囲からの視線が遮られている。

 前回の己の状態に気がついた時、恐怖に震えて動かなったことは外敵を呼び込まないということで、結果的には正しかったのだろう。


 走り出せばこの場からは逃げられるが、逃げた先も安全とは限らない。

 走れば音が立ち、周囲に気配を撒き散らしてしまう。外敵に見つかる事のリスクを冒す方が危険だ。


 草叢の隙間から僅かに見える周囲の警戒し、同時に微かな物音も捉えようと耳を澄ます。


 遠くからは無数の鳥獣の鳴き声、遠吠えがかすかに聞こえてくる。聞いた覚えの無い声だ。

 木々の梢が風に揺れ、ザアザアとざわめく。


 近くには大きな生き物の気配は無い。音を立てない小さな生き物の気配まではわからない。


 どれほど警戒を行い続けていただろうか。どうやら今は、この周囲には近付く者も含めて危険な存在はいないようだと確信する。

 ひとまず安心した。肺があったのならばホッと一息ついていただろう。


 これからどうするべきかと考えて、先ずやるべき事は安全確保だ思い当たる。


 とは言うものの、今いる藪の下が一番安全ではないだろうか? 草叢の隙間から周辺を見たかぎりでは他に身を隠せそうな所は無い。

 かといって、ずっとこんな所に居たくは無い。


 今現在のスライムとしての自分の能力は、基本的な事だけだろうが理解できている。


 食べ物に関して、スライムはなんでも食べる事ができる。肉や野菜など人間の食べ物は当然として、大抵の毒物、木材、果ては無機物すらも食べ物として消化することが出来る。


 そして重要なのが、スライムは食べた物によって体の性質を変えていくということだ。

 

 今、一番大切なことは身を守ること。

 具体的には2つ。外敵に遭遇しない事。遭遇し逃げられない場合に備えて、核の防御力を上げることだ。核さえ無事ならば、ゼリー状の粘体部分はいくらでも取り返しがつく。


 その2つを簡単にかつ確実に両立させる方法は存在する。


 この場に穴を掘り、そこに身を隠す事だ。


 穴を掘ると言っても単純に土を押し退けるわけではない。

 その際に出る土を食らうのだ。土に含まれる砂や石などの硬い鉱物を喰らえば、粘体部分の強度を物理的に増す事が出来る。


 その上、残土も出ずに穴も目立たない。


 地面は柔らかな土で、ある程度までは掘る事に支障はなさそうだ。

 音を立てないよう少し体を動かしてみる。

 ゲル状の体を変形させるのは、ごく当たり前のようにできた。

 そして、体の硬さもある程度、自由に変化できる事もわかる。硬さの範囲は、水に近いゲルから、軟らかめの木材ほどの硬さだ。

 

 早速穴を掘る。幸い、力はかなり強い。音が出ないように慎重に掘り、雑草が混じる土をゲル状の体に取り込む。


 この状態で『溶かす』と軽く念じてみると、じゅわりと土が解けて無くなった。


 同時に、何かが満たされる感覚が体をめぐる。

 

 感覚的な話だが、人間の時の感覚に例えると、食べ物を口の中に入れる事がスライムの体の中に取り込む事に。食べ物を飲み込む行為が、消化する事に。それぞれ対応しているようだ。


 土を食べる事を続ける。味は感じられるが、不味いという不快感はない。

 人が物を持った時に、物の表面のざらつき具合は意識しなければ気にならないような感覚だ。


 あっというまに自分が入るだけの穴は完成した。

 穴に入り、体の一部を触手の様に伸ばして、あえて余らせておいた土を自分の体にかぶせる。


 これで一安心だろう。


 藪の下の土の中がどれほどの安全性を持っているかは定かではないが、とりあえずは落ち着ける。


 ホッと息をつき、これからどうするべきかを考える。


 そもそも何故、スライムなのか?

 自分は人間だったはずだ。そう、そのはずだ。

 確か自分は――……。


 どんな人間だと考え、そこで思考が止まった。


 自分がどんな人間だったか……、わからない。

 

 学生だった? 社会人だった? それとも老人だった? いや、そもそも自分は男だった? それとも女? 子供……では無かったはず。


 では親は? 友人は? 確か居たはずだ。けれど、顔も名前も思い浮かばない。ぼんやりとした、親しかったという感慨しか沸かない。


 大切な人はいたのか? 居たような気がするし、居なかったような気もする。どっちだったかも分からない。


 自分は人間だった。

 それは確かだ。日本という国に生まれ育ち、言葉も文化も覚えている。


 けれど、自分がどう言う人間だったのかと思い出そうとしても、何も、思い浮かばない。


 落ち着けと、自分に言い聞かす。

 そんなにガタガタ震えていては土の中に隠れていようとも、天敵に見つかってしまうぞと。


 深呼吸をするように体を膨らまし、しぼませる。

 スライムの体に呼吸は必要ないようだが、それでも少しは落ち着ける効果はあったようだ。


 自分の記憶に関しては後回しにして、今は現状のことを考える。


 気が付いたらスライムになっているなんてファンタジーな状況で、ここは森の中。時刻は正確にはわからない。陽の光が森の中に差し込んでいることから、昼間であることは確実だ。

 季節は冬ではなく、また木々が紅葉していない事から冬へと向かう季節でもなさそうだ。春か初夏。その辺りの季節だろう。しかしそれも日本のように明確な四季が存在していることが前提だ。


 周囲の状況が正しくわからない中、明確に分かってしまうのが、自らのスライムとしての能力と体の動かし方だ。


 スライムである自分は雑食性――と言うより食べられないものが無いようだということは理解できる。


 しかし、食物連鎖の中でどの位置にいるのかはわからない。スライムを捕食する者がいるのか、それとも逆にスライムが捕食する側なのかもわからない。


 食物連鎖の中で、スライムが上位の捕食者ならば比較的安全だろうが、そうでないならば危険すぎる。

 雑食性であるスライムは、どの位置にいる生物でもおかしくない。


 今、考えても答えは出ないと、次はどうするかを考える。


 穴を掘り土を食らっている時に、奇妙な感覚がしていた事を思い出す。

 その感覚を意識しながら、体の横にある穴の壁の土を少量だけ取り込み、食べる。

 じゅわりと解けて、満たされる感覚を覚える。

 それだけではなく、やはり奇妙な感覚も知覚する。


 もう一度、少し大目に土を食べてみる。

 奇妙な感覚が再び起こり、『硬質化』そんな単語が脳裏に浮かんだ。同時にその単語が何を意味しているのかも理解する。


 スライムの体に発現した特殊な能力だ。本来ならば非言語的な感覚のみで理解することのできる能力を、無理やり言語化された結果だ。歪んだレンズを覗きこんだような気分の悪さを覚える。


 得た能力。『硬質化』は自分の体を、食べた物質の硬さに変化させる。


 自分が、体の硬質化を自由に変化させる事が可能だと、誂えた入れ物にピッタリと収まるように、すとんと心の底から理解してしまう。


 妙な感覚だ。体を自由に動かせるように、今まで全く出来なかったはずの事が、当たり前のように出来ると理解するのは。


 同時にこの能力には先があると、理解できる事も気持ちが悪い。

 この能力を得たのは土に含まれた砂を食べたからだ。石だけを食べればもっと硬く出来ると確信がある。

 もう一度、混じっていた小石だけを食べる。


 ・硬質化(岩石) 自分の体を岩石のように硬く頑丈に変化させる。


 確信の通りに、脳裏にそんな説明文が浮かんだ。

 まるでゲームだ。ファンタジーだ。スライムになっている以上、今更の話だが。

 

 諦めの感情と共に、わかりやすくていいと考え直す。無理やりにでも前向きに考えないと精神が持たない。


 なかばヤケになりながら、能力に関して検証を試みる。


 はじめに硬質化の能力を使用する。自らの体が硬く頑丈になる事をイメージする。


 ゆっくりとだが、全身が硬くなる事がわかった。次に体の一部分だけを硬質化することもできた。

 硬質化の能力を手にする前にできた、体の硬さを変える事と大差はない。硬くしたところは動かしにくい。自由に動かすには、柔らかい所と組み合わせる必要があるだろう。


 岩石のようにとあるが、今のところは大したことが無い。精々、人の爪でボロボロと削れる軽石ほどの硬度しか得られない。


 この能力を伸ばすには、何度も使うか、もしくは大量の岩石を食う必要がある。


 そんな事もなぜか分かる。

 正直気持ち悪いが、このスライムの体はそういうものだと無理やり納得させるしかない。


 ともかく土は重要な食料候補というわけだ。能力の成長をみこんで、石を多く食べる事にしよう。体が頑丈になればそれだけ死ににくいという事なのだから。


 考えるべきことは他にもある。


 ここは一体どこなのか? という事。

 森の中という小さな範囲ではない。ここは日本なのか、そもそも地球なのか? という問題がある。


 少なくともスライムのような生物が地球に生息しているなどとは聞いた事が無い。

 スライムという存在が自分だけなのか、それとも他にもスライムという生物が存在するのかで話は変わってくる。


 スライムなのが自分だけならば、ここはまだ地球である可能性が残る。

 しかし自分以外にスライムが存在するとなると、ここはもはや地球ではない。

 前者ならば、もう人間ではない事に救いは無いし、後者であってもスライムがどのような生物であるかによって、今後どのような扱いを受けるかが決まる。


 ――望みは薄そうだ。


 今は警戒を続ける事を決意する。

 この森の事を知れば、地球か否かはそのうち分かるようになるだろうと期待する。


 触手を可能な限り細くし、紐のようになったそれを、一番周囲を見通すことが出来る藪の上へと枝に這わせるように伸ばす。


 スライムの体は、伸ばした触手の全体も、目としてしっかりと機能する。


 警戒の姿勢はこれでいいだろう。一見して、スライムの体とは分からないはずだ。

 少し視界が広くなったとはいえ、周囲の状況は相変わらず鬱蒼とした木々しか見えない。


 生き物は居ないかと視線を動かしていると、緑色の芋虫を見つけた。


 ただし、その体長は1メートルを超えていた。


 芋虫はもぞもぞと地面を歩いていく。人が歩くよりも若干遅い速度だ。此方に気が付いた様子もない。


 あまりの大きさにあっけにとられ、芋虫の姿が草むらの陰に隠れて見えなくなるまで見送ってしまう。


 図らずも、ここが地球ではない事が、あっさりと判明してしまった。

 芋虫があんなに大きいという事は、蜂などの危険な虫も相当大きいのかと絶望的な気分に陥る。


 自分が巨大なスズメバチに食い荒らされて死ぬ光景しか浮かばない。


 いや、色々有りすぎて精神的に疲れているだけだ。もう寝よう。とりあえず今はゆっくり休もう。寝ている間に殺されたとしてもそれはそれで、もう構わないとヤケになっていた。


 触手を引っ込めて、自分の体が完全に土に埋もれるように土をかぶせる。

 外からの光が一切無くなった事で気が付く。暗闇を見通す力もあるようだ。穴の外壁が良く分かる。

 そして目を瞑ろうにも、全身が目でもあるため、目蓋などない。


 コレは眠れるのか? と疑問が浮かぶ。

 そもそも、スライムの体が眠りを必要とするかも分からない。


 とりあえず体を休めよう。

 眠れるかどうかを検証することも、また必要なのだから。


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