妖精はどこまでも高く飛ぶらしい。
扉が開かれると、そこは10人ほどが平気で着替えられる程の広さの板の間だった。
つきあたりの引き戸からほんのりと湯気の気配がするから、あそこが風呂場なのだろう。
とすると、ここは脱衣所か。篭とかロッカーとかはないけど。
左手奥の扉にトイレですと導かれたので入る。ここも便座にも青いガラスのドームがついてる。
このトイレは一人用で扉にも隙間はないので、メリルちゃんには退出いただく。
ようやくスッキリできる。
用を足し脱衣所へ戻ると、部屋の中央でメイドさんが待ち構えている。
これはもしや。
仕方ないのでポロシャツを脱ぐとメイドさんがサッと受けとる。
パンツの紐を解き、屈みながら脚を抜く。
これもまたメイドさんがサッと拾う。
………
屈んだ身体を起こしながら辺りを伺う。
トランクス一枚で半身になって辺りを伺う。
後ろではメイドさんが俺の脱いだポロシャツとパンツを片腕に掛けて待ち構えている。
………
………
………
「すいませんが、タオルとか無いでしょうか」
「はぁー」
温めの湯につかり、ホッとひといき。
タオルがあって本当に良かった。
へちまタワシみたいのしかなかったらどうしようかと思ったぜ。
俺は全裸でメイドさんに脱ぎたてのトランクスを手渡すという羞恥プレイに耐え、手にしたスポンジタワシで俺の全身を洗おうとするメイドさんとしばしの攻防の末、なんとか髪と背中だけで了承いただき、ようやくゆっくりと湯に浸かることができた。
桧風呂を彷彿とさせるガッシリとした木材で組まれた浴槽は、5人一緒に手足を伸ばして入れるほどの大きさがある。
さらに壁一面に大きく開いた窓のおかげで露天ブロ気分も味わえる。
そういえばと、召喚直前には近所の温泉施設に行こうと思っていたことを思い出した。
この異世界、サウナはありそうだけど、炭酸湯とか岩盤浴とか無いものだろうか。
なければ作りたいな。岩盤浴くらいは。
そんなある種現実逃避気味なことを思いつくまま、ぼんやりと肩まで湯につかる。
メリルちゃんは湯気がおきに召さないらしく、大きく開いた窓辺の外に浮かんでいる。
月明かりに羽がキラキラと輝く様は、まさにこの世のモノとも思えない美しさだ。中身残念だけど。
メイドさんからは前半身を見られるのを防いだが、メリルちゃんには見られてしまった。
「メリルちゃんは女の子ですか?」
「ようせいにはせいべつがありませぬ」
妖精は性別がないの? メリルちゃんは女の子じゃないの? メリルちゃん、マジ天使ってこと?
「性別がないと、妖精はどうやって増えますか?」
「まりょくのたまりがこくなり、はもんがしょうじるとうまれます」
うーん。なんか良くわからんが、自然発生するのか。ホントに魔法生物なんだな。
あれ? もしかしてさっきのメイドさんも女性じゃないとか? 人型してるから女性だとばかり思ってたけど、雄だったり雌雄同体だったり、ホムンクルスだったり?
メリルちゃんだってサイズこそ小さいけれど、人型だし美人さんだしでてっきり女の子だと思い込んでたけど違うらしいし。
もしかして侯女ちゃんも見ためとは違うのかも。思いっきりロリババアだったり、腹に袋がついてたりして!
こういうのなんて言ったっけ。オーストラリアの有袋類とは見ためが似てるけど違う種だってやつ。似たような環境に適応しようと進化すると種が違っても形が似るって。収斂進化?
あれれ? もしかしたら、猫から進化した猫耳ちゃんとかケモ耳とか居るかも!
まあでも、もし別種の生き物だとしても、見ため女の子にスッ裸見られて平気ではいられないけどな!
侯女ちゃんがロリババアだったとしても、ノータッチ!
ダメだ。疲れてるのか、テンションがおかしい。自重自重。
ぶくぶくと口元まで湯船に沈み心を落ち着ける。
「そうだ」
ぼんやりと夜空にひときわ大きく輝く月らしきものを見上げているうちに、俺は大事なことを思い出した。
「メリルちゃん。先生の言った月が三度巡るっていうのは何日ですか?」
「つきはよごとかたちをかえ、ひがさんじゅうとろくどかななどでもとにもどります。つきがかたちをもどすまでをひとめぐりといいます。さんどめぐるにはひゃくとようかくらいかかります」
メリルちゃんは夜空に輝く大きな星を指し示して説明してくれる。やはりあの細長いのが月か。
で、大体百日で簡単な言葉と魔法を覚えなきゃ行けないのか。あるようでないな、時間。
「ひと月は36日ですか。月の形で見分けるのは太陰暦ですね」
おれは月を眺める。こちらの月は楕円だ。少なくとも今日はそう見える。形を変えるのはあれのどこかが日の陰になるからだろうか。それとも楕円形の見え方が変わるのかどっちだろう。
「月は欠けますか? 丸くなりますか?」
「ひがじゅうはちどめぐるたび、つきはほそながいだえんからまるいえんにかわり、つぎのじゅうはちどでもとのかたちにもどります。ひとはひがくどめぐるをいっしゅうとしてよんしゅうでひとつきとします」
週9日。4週で一ヶ月か。まあわかりやすいか。
「きょうはまんげつです。つきあかりはまほうにちからをあたえます。だからちいさなしょうかんによういちさんがよばれてしまったのでしょう」
なるほど。今日が満月?なのは偶然じゃないのか。
「星振る季節ってゆうのは?」
「つきがじゅうにどめぐるといちねんとします。これはだいたいそのくらいのにっすうでおなじようなきせつになるからです。ほしふるきせつはよんばんめのつきからごばんめのつきに、よぞらにおおくのほしがながれることからよばれています。このほしがひをめぐるみちにちいさなほしのたまりばをとおるためといわれています」
え? 星が日を回る? 地動説なの?
「一年でこの星が太陽を巡りますか?」
「よんひゃくさんじゅうごどひがめぐるうちに、このほしはひをめぐるみちをいっしゅうします」
天文学のレベルが高いな。天動説に固執してた中世ヨーロッパとは違う。宗教観が自然信仰の多神教だから柔軟性があったのかも。
「この星は板ではなく、球ですか」
「まるいですな。おさなきころみなとたいきのせいれいがおよばぬたかさにのぼり、みたことがあります」
なにそれ。大気圏外まで昇っちゃうの? それも幼きころ皆でって、小学生が隣町へ冒険しちゃう感じ? それとも遠足で大気圏の外へ行っちゃうの? どっちにしても妖精さん半端無いな。
「メリルちゃんは大気圏外まで上がっちゃいますか。凄いですな」
「としおいたがっけんのとのなかには、つきまでいたったものもあるとききます」
月まで行ってるの? 凄い凄い! なにこの魔法生物。
「メリルちゃんは月には行かないんですか?」
「いきません。つきはとおくじかんがかかるわりに、たださむくこうりょうとしたちだとききおよびますゆえ」
まあ、子供の冒険感覚でスーと大気圏外まで行かれるなら、月面にロマンを感じるほどもないかもね。




