第6話
さて、今自分が置かれている状況を整理したいと思う。
どこかのお屋敷の部屋の中だと、思う。
ただ、普段は使ってないね。ちょっと埃っぽい。
窓はなし。扉には鍵。
大声を出しても誰も来ない…。
私、見事に誘拐されたみたい。
イース様と婚約してから早数か月、結構平穏に日々は過ぎていた。
うん、愛称で呼ぶようになったんだけどね、その時はいろいろあったものだよ。
キースとイースって、似すぎてて、さ。
イース様が若干、ね。
こっちとしても呼びにくいことこの上なかったよね、もう慣れたけど。
ともあれ、お茶に呼ばれたり、行儀作法を教わるためにお城に行ったり、パーティに出席したり。
たまにカナリヤ様ともお茶をしたり、思った以上に何もなく過ぎていた。
だから、油断したんだと思う。
漫画の時間軸になるまで何も起こらないだろうってどこかで思ってたのもあるんだと思う。
今日は行儀作法の日だった。いつものように叱られまくったよ。
その後、普段ならイース様とお茶して帰るのだけど、今日は忙しいそうなので、そのまま帰ることになった。
いつもよりもずっと早い時間なので馬車が来るのには時間がかかるだろうと思っていたのだけど、すぐに来たことにびっくりした。
「あら? ザックさんは?」
だけど、御者が専属のザックさんではなかった。と言っても彼はすでに76歳なのでこういうことはたまにある。平均寿命が60ほどのこの世界では相当の高齢なのだ。
「腰痛です。今日は私が代わりに。」
急な呼び出しにびっくりして腰を痛めてしまったのだろうか。あとでお見舞いに行こう。
周りはみんな引退するように言っているのだけど、私の嫁入りの時、自分の手で送り出すまでは現役でいるのだと聞かないのだ。運転中にぽっくりいかないか、ちょっとひやひやだ。
婿を取るからって言ってたんだけどね。でも今となっては説得することができなくなってしまった。
ちなみにイース様にもその話をしたら、ちょっと顔が引きつっていた。レアである。
まあ、そんな事情もあって、知らない人が御者でも疑わずに馬車に乗ってしまったのだ。
ちゃんと家紋がついていたしね。
だけど、それが間違いだった。
気づいたときにはこの部屋にいた。
多分、馬車の中に何か仕込んであったんだと思う。
乗った後の記憶がほとんどない。
迂闊だったとしか言いようがないよ。
気づいて、くれるだろうか。
イース様は私が帰ったと思っている。帰った後に報告なんてしてないから、まさか家に帰りついてないなんて思いもしないだろう。
両親は、どうだろう。無断で帰らなければ当然すぐに気づくだろう。
だけど、犯人が王城からの使いと偽って私はお城に泊まると伝えてしまったら信じると思う。今までにも何度かあったからだ。
かなり、まずい。
なんとか脱出しないといけない。だけど、出口は扉だけだ。
蹴っても殴っても体当たりしてもびくともしなかった。と、言うか手はちょっと怪我した。慣れないことしたら、ダメだね。
犯人に開けてもらって、その隙をついて、と思ったのだけどいくら待っても誰も来ない。
あれ? まさか完全放置?
いやいや、見張りとか、いるでしょう。こうさ、私の前に現れて、目的とかしゃべっちゃったりとかさ。
……え、本当に誰もいない?
全力で叫んでみるも、誰も来ない。恥を捨てて、トイレを訴えてみても誰も来ない。
詰んだ? というか本気でトイレに行きたくなったらどうしてくれるんだ!
体感的に1時間くらい待っても、誰も来なかった。
これは困った。
多分、誘拐犯の目的はイース様との婚約を破棄させること。というかそれ以外私に価値ないし。
だから誰かに私を襲わせるのだと思ったのだけど、違うみたいだ。
事実はなくても一晩見知らぬところにいたってだけで十分な醜聞になるとふんだのだろう。人の想像力はすごいからね。
助かったけど、困った。
もはや緊張感も薄れて、むしろ暇で困った。
ここに来るときに眠らされたからか、まったく眠くないし、脱出したくても私にできる事なんてない。
さすがにテーブルとか持ち上げたりできないしね。
部屋の中を見渡すと本棚が目に入った。
…いやいや、さすがにそれは緊張感がなさすぎる。誘拐されて、監禁…いや軟禁? …どっちでもいいか! されてるんだよ、私は!
朝になったら解放してくれる気なのだろうか。
でも、このタイミングで婚約破棄はまずいよ。もうあと一か月もしないうちに高等学校への入学なのに。
ん? 婚約者なしでヒロインと出会っても、問題ない? ちょっと障害が減るから想いを募らせにくいかもだけど…。
あれ? 私もしかしていらない子?
…いやいやいや! きっと必要だし!
というか、ぶっちゃけ婚約破棄される気が全くしない。
むしろ責任取るとかいうんじゃないだろうか。
それはそれで困る。
…。
……。
………暇だ。
ちょっと、どんな本があるのかだけ…それくらいならいいよね?
そう自分に言い訳をして、本棚の前に立って、中を物色する。
数冊しか入ってないけれど、どれも物語だった。
『騎士物語 上巻』『英雄伝説 第一巻』『とある少女の物語』
前者二つは絶対読んだら駄目だね。続き物は…!
消去法で最後の一冊を手に取った。ふわっとしたタイトルだけど、恋物語のようだ。
ちょっとだけと思いつつも、私はそこに立ったまま本に没頭していくのであった。
悲恋だった。
私は流れる涙をぬぐいながら、本をもとの位置に戻した。
悲しすぎる…!
恋焦がれて、たくさんすれ違って、やっと想いが実ったかと思えば、戦争が二人を引き裂く。
帰ってきたのは少女が贈ったお守りのペンダントのみ…。
よくある話だけど、泣ける…!
心理描写がうまいから感情移入してしまった。
ちょっと作者の名前をチェック…。
「………ア!!」
はっ!
「イース様!?」
少し遠くから聞こえてきた声に思わず反応した後、我に返った。
この状況はまずい!
そ、そうだよ、誘拐中だったよ! なに本一冊読み終わっちゃってるの、私!
まずい、まずい、今絶対に目が赤い!
何かあったと思われる! 心細くて泣いたことにする!?
考えが纏まらないうちに、部屋の扉が勢いよく開かれてしまった。
私が扉の前にいたらどうするの! 聞いてからあけて!
その勢いのよさに思わず突っ込む。
「ウルレシア!!」
だけど、部屋に入ってきたイース様の顔を見た瞬間にそんなことはどうでもよくなった。
「イース様…。」
息を切らせ、焦りを隠すこともないその表情にどれだけ心配をかけたのかが見て取れた。
「ウルレシア…!」
私の姿を確認したイース様はほっと息を吐いた後に、ざっと私の全身をチェックした。大丈夫、何にもありませんとも。
私は、無事なことを伝えるためにも小走りでイース様に駆け寄った。
イース様はそんな私に何か言おうとして、だけど、私の顔を見て、息をのんだ。
思いっきり泣いた後だったよ! 忘れてた! というか化粧は大丈夫!?
「ごめん…遅くなった…。」
私の目元に手をやりつつ、イース様はそう謝罪した。
私の胸中は罪悪感でいっぱいだ。
ともかく何か言わなくては…!
そう思って口を開いたのだけれど、次に入ってきた人物に阻止されてしまった。
「シア!」
その人物は、目の前のイース様を押しのけて、私を思いっきり抱きしめてきた。
なんということを…!
心配をかけたのはわかる。わかるけど、その人を誰だと思ってんの!?
「コーディック!」
思わず責めるような口調になってしまったのは仕方がないと思う。
「この馬鹿! 心配かけさせてんじゃねーよ!」
だけど、本気で心配してくれたのが分かるその声に二の句が継げなくなった。
「…ごめん。」
だけど、この体勢はよろしくない。離してもらわねば。
そう思って、コーディックの腕を軽くたたく。
するとなぜかその手を取られた。
立ち位置的にイース様しかありえない。
「イース様?」
その様子に気づいたのか、コーディックも体を離してくれた。
「怪我してるじゃないか!」
…怪我? 扉を半分やけで殴った時にできたあれか! ちょっとすりむいただけだよ!
「どこだ!?」
コーディックもそんなに焦らなくていいから! 後、その人この国の第一王子だってば!
「ちょ、ちょっとすりむいただけですよ。大したものじゃないです。」
だから落ち着こう?
「シア、帰るぞ。こんなところにいつまでもいる必要はない。すぐに医者の手配もする。」
ここがどこか知らないけど、ちょっと待った! イース様無視して帰るとか無理だから! あと医者はいらないから!
「待て。ウルレシアは城に連れて帰る。」
怪我をしていないほうの手を取って歩き出そうとしたコーディックを、イース様がそう言って引き留めた。
「必要ない。自分の婚約者も守れないようなやつのところにシアをやるつもりはない。」
ちょ…!!
「コーディック!!」
不敬にもほどがある!
「それには返す言葉もない。だが、それでも一番ウルレシアを守れるのは俺だ。伯爵家ではできないことが多すぎる。」
ここに来るまでに何があったんだろう。
いや、それよりも、どっちに行くのが正解!?
「お前の婚約者だから、こんな目にあってんだろうが。」
ともかく二人を引き離さないとまずい! エンドリック家の危機!
「コーディックはちょっと黙って! イース様、ご心配おかけして、申し訳ありません。私がうかつだったのです。」
コーディックがなおも何か言おうとしたけど、視線で黙らせる。
「私は一度家に帰ります。詳しいお話は明日、お城でさせていただきたく思います。」
「ウルレシア、だが、」
「私は、何事もなく、家に帰ったのです。そうでしょう?」
言いたいことが伝わったのか、イース様は押し黙った。
「婚約を継続してくださる気持ちがあるのなら、そうさせてくださいませ。」
ここに来るまでに広まってしまっていたら、無駄なのだけど、どうだろう。
「…わかった。」
了承してもらえたことにホッとする。
「だが、ウルレシアは家から出るな。明日は俺がエンドリック家に行く。」
う、そう来たか。
しかも私のほうじゃなくて、コーディックのほうを見て言うあたりもう決定事項だね。
「かしこまりました。お待ちしております。」
「俺はここで後始末をする。…ウルレシアのことは任せたぞ。」
「言われるまでもない。」
だから! 不敬にもほどがあるってば!
ここに来るまでに何があったの!? なんとなく仲がいいようにも見えるんですけど!
ぜひ聞かねば、と気合を入れていた私だけど、馬車に乗せられた瞬間に始まったコーディックの説教に辟易し、家に帰るとすぐに部屋に入って寝てしまったのだった。