第3話
「背筋が曲がっております! しっかり伸ばして!」
「音を立ててはなりません! やり直しです。」
ビシバシ飛んでくる叱責に泣きそうだ。叱られるの、慣れてないのに…。
「感情が顔に出てますよ! 笑顔を保って!」
誰か助けて…!
イースリュード様の新たな誤解により、しばらく王城に滞在することになった私。
両親はよっぽど気に入られたのだ、と純粋に喜んでいたけど違うんだよ…。
もちろん、本当のことなんて言えるはずもなく、建前の理由である王宮での作法を学ぶためだと説明した。
そう言うと、自ら教育の手配をしてくださるなんて…! と感動して、さらに私を手放す気がないのだと興奮していた。
はたから見たらそう見えるよね。
なんだか突っ込み損ねてたけど、使用人も下がらせて二人きりでお茶している時点で距離感おかしいよね。
本音を聞くためだったのはわかるけど周りにはそう見えなかったと思うよ。
まあ、そこは今はいい。婚約者だしね、一応。
問題は準備を整えて王城にやってきた私にイースリュード様が言った言葉だ。
「一週間後に婚約披露パーティがある。と言っても大した規模ではないけどな。それまでにある程度のマナーを叩き込むぞ。」
建前じゃなかった!
お披露目があるのはわかってたからいいけど、礼儀作法の練習はいやーー!
「そ、それなら家で…。」
「伯爵家の家庭教師では教えれないことも多いだろ? せっかくの機会だ、しっかり覚えろ。」
言い返せない!
私が身に着けている礼儀作法程度では王家の人間の相手は務まらない。
これからは何かあるたびに第一王子のパートナーとしてでなければならないのだから覚えなくてはならないこともわかる。
だけど、あと二年くらいで無駄になるのに!
もちろん、そんなことは言えずに頷くしかなかった。
「今日はここまでにしましょう。いいですか? 普段から意識するのですよ?」
や、やっと終わった…!
「はい、先生。」
にっこりと、自分的に満点の笑顔で答える。
ここで感情を見せたらやり直しを食らうことはこの数日で身に染みている。
「その調子です。では、また明日参ります。」
もう来ないで、と言いたい。
言えるはずがないけど。
礼儀作法の先生が間違いなく帰ったことを確認して、私は倒れこむように椅子に座った。
できるならばベッドに倒れこみたかったけど、他に人がいるので、最低限の見栄は張っておかないとまずい。
「お疲れ様でした。何かお飲みになられますか?」
そう、滞在中私付きとしてお世話をしてくれている侍女のクリミアが寝るとき以外はそばにいるのだ。
常に気を張っていなくてはならないので疲労がたまっていっている気がする。
「そうね、いただこうかしら。」
「すぐにご用意いたします。」
せめて侍女は家の子を連れてきたかったのだけど、我が家の侍女では王城で働くのは無理なので諦めた。一日くらいなら大丈夫なんだけどね。
「ウルレシア様。」
お茶の用意をしに出て行ったはずのクリミアだが、なぜか何も持たずにすぐに戻ってきた。
「殿下がお呼びです。共にお茶をしたいと仰せです。お召替えをいたしましょう。」
断るという選択肢は当然ない。
私は疲れた体をおして急いで着替えさせてもらった。
クリミアに先導されながらイースリュード様の部屋に向かう。
自分の監視下に~と言っておきながら、来た日以来会っていなかったりする。
普通に忙しいようだ。
私もお城の中をうろつくわけにはいかないから部屋の中で刺繍とかして過ごしてたしね。これくらいは嗜みだからできる。
なんとなく、こうして歩いているだけでも見られている気がする。
多分気のせいではない。
来た日とは違って、今日は衣装も化粧もクリミアがやってくれたから完璧だ。あとは私がぼろを出さないようにすればいいだけ。
習ったことを必死に思い返しながら歩く。
部屋が遠い!
もっと大股で歩きたい。お淑やか系じゃなくて、凛々しい系がよかった。それならきびきび動ける。…私には無理か。
「おや、もしやウルレシア嬢かな?」
え、なに!?
話しかけてくる人がいるとは思わず、私は驚きを顔に出して声のした方向を見てしまった。
「おやおや、そんな驚いた顔をされて…。」
「オーレン公爵様…。」
嘲るようにそう言ってきたのは、ケルディン・オーレン公爵だ。本来ならば婚約者に選ばれるのは彼の娘だったはずなのだから、私に対していい感情を抱いてはいないだろう。
最悪の人物と会ってしまった。しかもよりにもよってイースリュード様がいないときに。
「大変失礼いたしました。私ごときの名を知っていただけているとは思わず。」
しかし、どんなに嫌でも私では会話を拒むことはできない。
オーレン公爵が立ち去るまで付き合うしかないのだ。
イースリュード様に呼ばれているので、それを断る理由にはできるが、少しならいいだろうと言われてしまえば終わりだ。
少し会話をしてから、そろそろ…と言ったほうがいいだろう。
「はっはっは! 殿下が選ばれた婚約者を知らぬはずがないでしょう。」
「光栄です。」
ちくちく刺さる。言葉に込められた棘がちくちく刺さってる!
とっくに身辺調査は終わってるってことですね!
「いやはや、皆驚きましたよ。殿下が婚約者にあなたを指名した時にはね。」
ですよねー。選択肢として想定してなかったってことですね、ハイ。わかります。私も驚きましたから。
「まあ、殿下もまだ子供。そういうこともあるでしょう。」
つまり、今だけの気紛れだから調子の乗るなよってことかな。大丈夫、振られることはわかってますので。
「エンドリック家は伯爵家の中でも下位の貴族。殿下の後ろ盾にはなれませんからな。」
ごもっとも! その点オーレン家ならばっちりだってことですね!
でも、イースリュード様って一人っ子だったよね? ああ、従兄弟とかはいたかな。王位を争う可能性もないわけではないか。
「殿下を想うならば辞退されることも考えた方がよかったのでは?」
まだお披露目もしてないし、今からでも断れ、と。
「私は殿下に従いますわ。」
一応こっちにもいろいろあるんですー。
「まあ、よいでしょう。それでは、またお会いしましょう。」
言いたいことだけ言ってオーレン公爵は去っていった。
始終丁寧な話し方をしていたけど、完全に馬鹿にしてたよね。自分の娘を選ばずにこんな娘を選ぶなんてって顔してた。
絶対わざとだ。
こういうことが起きるのはわかっていたけど、これはなかなかにしんどい。
「ウルレシア様、殿下がお待ちですよ。」
クリミアがそう言って私を促した。
そうだった。まだ疲れることが残ってたね…。
「遅かったな。」
「イースリュード様、お待たせして申し訳ありません。」
着替えにも時間かかったのに、さらに足止め食らったしね。
「何かあったか?」
イースリュード様の視線はクリミアのほうを向いていた。
いや、私に聞こうよ。それとも、そういうものなのかな…。
「オーレン公爵様と少しお話をされました。」
「そうか。わかった、下がってよい。」
また二人きり。これが常識な気がしてきてしまう。
「何を言われた?」
お茶を飲みながら、そう聞かれる。
「特に報告するようなことは…。」
「それは俺が判断する。」
ちょっと怒られた。それはそうだよね。周りがどう思っているのかは知っておかないといけないことだ。
「まあ、その、簡単に言えば、私はイースリュード様にふさわしくないってことです。」
「地位的な意味なら、確かにそうだろうな。ほかには?」
と聞かれても、言葉の裏に隠された意味があってるか自信ないしな…。
「おそらくは俺の気紛れだとでも言ってきたのだろう?」
おお、さすが。伊達に王子してないね。
「一部のものは、王妃となるべき相手を選びきれなかったから側室候補としてお前を選んだと言ってるしな。」
へー。なるほど。
「ある意味間違いではないですよね。」
選ぶ相手がいなかったから選ばれたんだしね。
「まあ、今でもほとんどの奴はカナリヤを選ぶと思ってるしな。」
「なぜカナリヤ様を選ばなかったのですか?」
これは聞いておきたかった。漫画ではカナリヤ様を選んだはずなのだ。
「あー…。」
イースリュード様は気まずそうに目をそらした。聞いてはいけなかっただろうか。
「カナリヤを選んだら、もう後戻りはできないと思ったから、だな。」
どういう意味だろう?
「もう少し、猶予がほしかったんだ。考えるための。お前なら、その、俺に興味ないみたいだったし、婚約破棄も簡単かな、と。」
なかなかに打算まみれだった!
同情と消去法だけじゃなかったんだ!
さっきも思ったけど伊達に王子してないよ、この人!
確かに、公爵家の人間であるカナリヤ様を婚約者にしたら破棄なんてそうそうできないだろう。漫画ではしたけど。
何の猶予がほしいのかは話してくれる気はないんだろう。
ここまでぶっちゃけてくれただけでも破格の扱いだけどね。
「最初に言った理由も嘘ではないからな。」
勘違いと思い込みで突っ走っただけじゃなくて、むしろ安心したよ、私は。
この人が次期国王で大丈夫か? と思ってたのは内緒だ。墓までもっていこう。
「構いませんよ。ところで、何か御用だったのですか?」
わざわざお茶に呼んだのだから何か用があったのではないだろうか。
「ああ、いや。城に滞在させておいて侍女に任せっきりだったからな。様子を見たいと思って呼んだんだ。調子はどうだ? 今見てる限りでは、全然身についてないみたいだけどな。」
うぐ!
「た、大変失礼いたしました。」
そういえば完全に素で接していた。
「俺の前くらいでは構わないけどな。無理させているのはこっちだし。」
いや、ほんと大変だよ。伯爵令嬢でこの大変さなんだから、庶民のヒロインはもっと大変なんだろうなぁ。
しっかし、イースリュード様やけに私に優しいよね。
まあうぬぼれる私ではないよ!
多分、傷ついた小動物を見守ってる感じ。治るまで優しく世話してくれてるの。
「本音で話してくれた方がこちらとしてはうれしい。」
それはヒロインの役目なので断る! 私がしてしまったらヒロインの魅力の一部が減るじゃないか。
「善処いたします。」
やんわりと断ったことに気づいたのだろう。
一瞬眉をひそめたが、イースリュード様は何も言わなかった。
なぜだろう。何か誤解が深まった気もする。勘だけど。
「まあ、ゆっくりでいいさ。」
気のせいかな。
今まで会うたびに勘違いをされていたからちょっと気を張りすぎてたのかも。
もうさすがに勘違いもネタ切れだよね。
その後も多少雑談を続けたけど、特にツッコミが必要な話題もなく、初めてイースリュード様と会話ができたような気がしたのだった。




