接近
「来ないならこっちから行っちゃうよ」
球の中から数えきれないほどの黒いカラスが顔を出す。その姿は卵から孵化するカマキリの子供のよう。生まれ出る光景に奇妙にも私は魅せられた。
「ソラ!」
ソラは私の呼び声に対してその巨体を急旋回させた。追いかけてくるカラスの大群はざわざわと木の葉が揺れるような音を轟かせた。どこまで飛んでも闇は終わらない。少女の声がすぐ隣にいるように聞える。
「お姉ちゃん、もう終わりにしようよ。お姉ちゃんが望んでた死に方だよ。痛くなんかないから」
カラスの一羽が私とソラの隣を並走する。
それは近くで見るとまるで影のように薄く、表面は滑らかだった。次の瞬間カラスが私めがけて突っ込んできた。しかし瞬時にソラの身体から青い銛が突き出てカラスを私の一歩手前で突き刺した。カラスは途端に黒い粒子になって風に溶けた。
「ソラ、身体の形を変えられるんだね。何か尖ったもの出せる?」
私が言うとソラの背中からさっきカラスを突いたものと同じような銛がゆっくり生えてきた。
掴んでみると銛はソラの背中から離れて独立したものになり、ソラの身体が気持ち小さくなった。
「あ、やっぱり身体の一部なんだね。これじゃ私漁師だな。まあいっか」
再び私達に追いついてきたカラスを今度は私が銛で突いてみた。まるで豆腐を突いたような感触、少しも実感がない。カラスは砂になって消えた。でもこれではきりがない、銛の先もカラスを突き刺す程に青から濃い藍色へと変貌している。黒が混ざったんだ。
「ソラ、一か八か」
ソラは滑空しながら少女の声が響く黒い球の下までぐんぐんと高度を下げた。カラスたちが追いかけてくる。
「ソラ、全速力!」
背鰭をポンと叩くとソラは空中で弾丸のように体を直線に伸ばして地面めがけて突っ込んだ。私は力いっぱいソラの身体に抱きつく。苦しい、息ができない。
地面がどんどん迫ってくる。もう少し、もう少し、今だ。
ソラが伸ばしていた身体の力を抜いて地面すれすれで直角に向きを変える。耳鼓膜が揺れる、目が回りそう。地面と平行になるとそのまま再び直進してスピードに乗る。
私たちを追ってきていたカラスたちは空中から地面にことごとくぶつかり、そのほとんどが消滅した。寸止めのジェットコースターみたい。ああいう乗り物はしっかり掴まっていないとやっぱり大変なんだなって思う。
黒い球に近づくほど闇は濃くなっていく。
真下を流れるアスファルトの地面、銛で触れると青い火花が散った。この光がなければもはや正面には何も見えない。固いものが擦れる音が闇に溶けていく。
音によって少女にはこちらの場所がバレてしまうだろう、いや、恐らくこの闇自体が彼女の神経の一部となっていて、既に私の位置は把握されている感覚があった。
黒という色には限界があるように思えるがそれは大きな間違いだったことに気付く。本当の闇の中では自分が死んでいるような錯覚に陥る。数秒もしないうちに耳も目も鼻も機能を失う。ソラの青色と、銛から発する火花がなければ私もとっくに黒に飲み込まれている。