7、凍りつく悲鳴
アパートの通路に夕焼けが差し込む。トリノとソラは、黙ったまま扉を睨んでいる。遠くのスピーカーから『蛍の光』鳴り始めた。音割れが酷く、耳が痛くなりそうだった。しかし彼女達は、曲が終わるまで身動きせずに聞いていた。
「先輩……居るんですよね?」
扉に向かって、トリノが弱々しく言った。返事は帰ってこなかった。トリノは拳を握ると、コンコンと扉を叩いた。
「先輩、意地悪しないでください……」
すがるような声を出す。合い鍵は持っている。しかしこの扉を開けてはいけないという予感があった。
「……先輩……」
捨てられた子犬のように、不安げな声。どうすれば良いのか分からない。ソラに目を向けると、怯えるように首を左右に振る。その時だった。
——ドン!!
内側から扉が強い力で叩かれる。衝撃で扉が大きく動いた。
「っひ」
二人は肩を跳ねさせ、互いに互いの背中へ逃げこもうとした。音は1度きりだった。しかし二人はぴたりと体をくっつけたまま、動けなかった。
「な、なんですか……今のは?」
哀れむほど、声が震えていた。
「私に、聞かないで……」
トリノは拳を握りしめて、合い鍵を突き出した。
「ま、待ってよ!」
ソラはトリノの肩を掴んだ。小さく震えていた。
「キサラギさんが来るまで待とうよ……。扉の向こうに何がいるか、わかんないんだよ?」
「と、止めないでください。先輩が、この中で私の助けを待っているんです!」
ソラを振り切って、ノブに鍵を差し込んだ。腕をひねると、がちゃりと確かな手応えが返ってきた。深呼吸して、ノブを回した。扉がわずかに開く。トリノはゆっくりと内を覗きこんだ。背後で、ソラが息を飲む音がした。
夕焼けに満ちた部屋に、座卓がおいてある。部屋には誰もいなかった。トリノは眉をひそめた。
「……ト、トリノ……!」
震えきったソラの声が聞こえる。
「誰も居ないみたいです」
トリノは答え、再び部屋を見回す。玄関にはヒオウの靴があった。しかし誰も居ない。トリノはそのまま思考にふけった。
「……トリ、ノ……! トリノ……!」
ソラの声は先ほどより、さらに怯えているように思えた。
「安心してください、誰も居ませんでしたから」
体を少し傾けて、瞳を背後に向ける。ソラは蒼白な顔、何かを見ていた。半開きに鳴った口から、カチカチ、と奥歯が鳴っている。
「……トリノ……上、上だよ……」
「——上?」
トリノは再び隙間をのぞき込み、そのまま視界を持ち上げる。だが、途中で止めた。何かが見えた訳ではなかった。ただトリノの鼻を何かがくすぐった。その感覚に覚えがあった。髪の毛である。瞳をぎゅっとしぼると、上から下にむかって幾本の線が降りているのが見えた。
このまま瞳を上げれば何が見えるか分かった。体が震えた。歯の根がかみ合わなかった。
そこにいるのだ。ソラも始めは気がつかなかった。しかし降りてきた。ゆっくりと、時間をかけて、夕闇に染まる扉の隙間から。
トリノが中を覗くように、青白い死人の顔が外を覗いていた。ソラを見下ろし、ずるずると降りてきた。
——バシン
途端、勢いよく扉が閉められた。
二人は金縛りから解放されたように、っば、と扉から離れた。
扉に手を着いて、一人の男が立っていた。
「……遅くなった」
振り返った男が言う。すらりと高い身長に、鋭い目つき。かつてトリノの憧れた、如月だった。
「キサラギさん!」
「キサラギ先輩!」
二人の少女が同時に声を出した。昔と変わらず、つまらなそうな目でキサラギは二人を見た。
「あれは何だ?」
キサラギが訪ねる。トリノが説明しようと口を開くと、前触れもなくノブが周り、内側から扉が開いた。
赤い少女が立っていた。前髪が長く、俯いており顔が見えない。両腕は力なく垂れ下がっていた。
少女は体をゆらして一歩踏み出した。
キサラギが扉を蹴り飛ばす。勢いよく閉まった。べちん! と扉と何かが、正面衝突した音がした。
「今のは何だ……?」
振り返り、キサラギは無表情で再び二人を見た。
「……先輩……相変わらず怖いものなしですね……」
少女達は疲れたように笑った。
3人が扉を開けようとすると、内側から鍵が閉められていた。合鍵で開けてみると、
チェーンがかけられていて、入ることが出来なかった。