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5,闇に向かう道

 表札が見えた。しかし次の瞬間には消えて、同じ場所にオンボロの病院が現れる。

 ——しかしそれさえも、瞬き1つの時間で違う景色へと変わってしまう。やがて景色は無くなり、黒一色で塗りつぶされる。

 闇の中にはっきりした輪郭を持った少女の顔が2つ浮かび上がった。

 1つはトリノ。せっぱ詰まった表情をしている。そしてもう1つはソラで、闇に浮かぶソラの目は、はっきりとこちらを見ていた。

「心配なのは分かるけどね。トリノ。焦ったところで電車は早くならないよ?」

 トンネルに入り、明度の差から鏡のようになった窓から目をはずし、ソラへ振り返る。特急電車に乗っている二人は、窓側をトリノにして二人並んで座っていた。

「分かってますよ……そんなこと……ですが……」

 トリノは俯いた。

「……うーん……トリノのお母さまも言ってたけど、気にしすぎだと思うよ? トリノはヒオウ先輩と連絡が着かないから、変な固定観念に捕らわれて悪夢を見ちゃってるだけだと思うけど——」

「——逆です! それは逆ですから!!」

 控えめに諭そうとするソラに、勢いよく顔を上げて遮った。

「そうじゃないんですよ……。悪夢を見て! ヒオウ先輩の安否を確認しようとしたら電話が繋がらなくなっちゃったんです!」

 ソラは面食らった様子だったが、すぐに冷静さを取り戻して会話を続けた。

「……んー……。でも悪夢で出てきたのって私だったんだよね? 血塗れの私の生き霊が『……トリノォー。迎えに来たよー。うらめしやー……』って言ったら驚いて、頭を打って脳震盪になった。みたいなことさっきまで言ってなかった?」

 一部声色を変え、手首から力を抜いて所謂お化けの真似をしながらソラが言った。そして続ける。

「私のお化けとヒオウ先輩を繋げるのは飛躍しすぎだと思うんだよね。ましてや心配でヒオウ先輩の家に今から乗り込もうだなんて……。私、二人の愛の巣に入るのは気が引けるんだけど……私を誘い込んで、何するつもりなのかな……?」

 両手をもじもじとさせて、ソラは頬を紅葉させながら俯く。トリノはソラと合流してから、何度も悪夢や恐怖体験を訴えたのだが……。

「——うぅー!! 違うんですよー!! というかソラちゃんは、私の話しを信じたから、ここまで着いてきてくれたんじゃないんですか?」

 瞳に涙を貯めてトリノ。ソラはキョトンとした表情を浮かべて、

「ん? 夏休みになってから会ってなかったら、久しぶりにヒオウ先輩とトリノ。私とキサラギさんで飲みに行こうかなって思ってね。キサラギさんには私から連絡したから、現地の駅で待ち合わせの予定だよ?」

 ソラは何一つ信じていなかった。

 トリノはがっくりと肩を落とした。しかしソラの他にキサラギの協力が得られるのかと思うと、心強いものだった。彼はかつてトリノの憧れであり、人間として肝心なモノがいろいろ抜けているということを除けば、運動にしろ学力にしろ最高水準のスペックを持っている。ちなみに学力と頭の良さは比例せず、彼は一般的に見て理解しがたい行動を取ることも多かった。

「まぁいいですよ……それにしてもソラちゃん……」

「何かな?」

「何で生きてるんですか?」

 ペットボトルのお茶をちょうど口に運んでいたソラが、ぶっと吹き出し、激しくむせる。しばらく苦しそう咳を繰り返したが落ち着いてくると、恨みがましそうな目を向けてきた。

「失礼な娘だね。そんなに私に死んでほしかったのかな? ちょっとショックかも……」

 ソラの周囲だけ重力が増したように、彼女はズーンと落ち込んだ。

「あ……いえ。そいういう訳じゃないんですよ? むしろ私はソラちゃんが生きていて嬉しいです。ですが、その——」

 トリノは言いよどんだ。信じていないソラに『貴女の形をした霊が、旅行先で事故に遭遇した。と言ってたから事故死したのかと思いました』などと言えば、笑われるのは目に見えていた。

「まぁ確かに、少し前に旅行先で結構大きな事故に巻き込まれちゃってねー、我ながらよく生きてたものだって思うよ」

 あっけらかんと言うソラ。トリノは飛びつくように彼女の両肩を掴み、まっすぐに視線を合わせた。

「それは本当ですか? 詳しく教えてください!」

「あんまり面白くないよ? 今月の頭くらいかな? 友達と山に遊びに行ったんだよ。そうしたら山道でバスが横転してね。運転手は道ばたに子供が飛び出してきたって言ってるんだけど、道は反対側が崖でさ……。最寄りの村も何キロも先で……子供がいるはずないんだよ。たぶん寝ぼけてたんだろうね。今でも思い出すと少しぞっとするよ。もし運転手が逆側にハンドルを切っていたら、バスごと崖の下だからね」

 眉をひそめながらソラは笑った。聞いているトリノのほうが、背筋が冷たくなるのを感じた。確かに最近のニュースで聞いたことがある内容だった。

「怪我とか無かったんですか?」

「私はちょっとすりむいた程度だったよ。まぁ、事故が起きる直前に私はトリノにメールを打ってたから、事故の間に手放しちゃって、携帯電話がどこかいっちゃったんだよね……だからフトコロは痛かったかな?」

「携帯電話なんて買い直せば良いですよ。それだけですんでソラちゃんはラッキーだったと胸を張るべきです」

 トリノは安堵の溜息をついた。

「おっしゃる通りだね。そうだった。これを機会にスマートフォンに変えたんだ」

 ソラを持っていた鞄をがさがさ音を鳴らしながら探り始める。

「あれ? どこに入れたんだっけな?」

「……自慢ですか? 少し前なら珍しかったですが、今は折りたたみ式ケータイのほうが珍しいですよ」

 トリノは呆れながら窓の外へ視線を戻した。

 未だにトンネルの中にいるようで、窓ガラスは鏡のように二つの顔を映しだしていた。1つはトリノ。もう1つはソラで、闇に浮かぶソラの目は、はっきりとこちらを見ていた。

「見つかりましたか?」

 背後のソラに訪ねる。ごそごそと鞄を探る音が聞こえた。

「えーっと、あれ? こっちの鞄に入れたんだっけな?」

 トリノが振り返る。ソラはトリノのことなど見向きもせず、背骨を丸めて足下の鞄の中を必死に確認している最中だった。

 再び、トリノは窓に視線を移した。

 窓には2つの顔が浮かんでおり、再びソラと目があった。

 背後では、未だに見つからないようで、ゴソゴソと探る音が聞こえ続け、

「こっちかな? それともこっち?」

 と、困惑したソラの声も聞こえた。彼女の声は忙しそうだが、さきほどから顔だけはずっとトリノへ向けられていた。

「もう少しまじめに探したらどうですか?」

「これでも結構本気で焦ってるんだよ? もし家に忘れてきたってなると深刻な事態だからね。あ! あった!」

 振り向く。

 ソラは上の荷物おきの鞄を見ていたらしい。しかも荷物入れから鞄を降ろさずに探していたようだ。つま先立ちになり、鞄のファスナーを戻していた。

 完全に鞄の口を閉めると、「ほら、見て」と真新しいスマートフォンをトリノに渡した。

 そのとき、背後から視線を感じた。振り返ると、鏡のような窓があるだけだった。

 窓には少女の顔が2つ写り、1つはトリノ。もう1つはソラである。ソラは困惑した表情を浮かべて、トリノの後頭部を見ていることが、ガラスに反射して分かった。

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