第2話(その2)
どこをどう歩いてつれてこられたのかは分からないが、次に6人が蛸山と向かい合ったのは、汗のにおいが充満する牢獄のような小部屋の中だった。
どうやら選手専用の控室のようである。
「お前らは、相変わらずやのお」
蛸山が全員を見渡しながらボソリと言う。
身長190センチ、体重110キロ。すっかり大型レスラーと化した蛸山は現役(総合格闘部在籍時)の頃よりもさらに威圧感を増している。
蛸山がギャパというプロレス団体に参加したのは大学4回生の秋。
その頃蛸山自身はある製薬会社から内定をもらっていた。
なので、ギャパではただ単にリング設営のバイトとして働くつもりだったのだ。
が、いつのまにか若手レスラーのコーチをやらされ、経営者からリングに立つことを強く要請されるようになった。
蛸山はまんざらでもない表情を見せつつも、まだ時期が早いですから……
というわけの分からない言い訳で彼らの誘いをうまくかわしていた。
そんなある日、蛸山は現役レスラーのスパーリングパートナーを勤めている際、軽く入れた膝蹴りで相手のあごを粉々に砕いてしまう。
もちろん控えの選手やリングに立てるほど完成された新人もいなかったギャパは、ここぞとばかりに蛸山に参加を要求し、蛸山も一応悪いと思ったのか、条件付でこれを承諾した。
その条件というのが、外人レスラーという設定で覆面をかぶることと、いきなりメインで看板レスラーである富士山秋吉と真剣勝負をすることだった。
その日のメインは富士山を中心とした2対2のタッグマッチがすでに決まっていたので、経営陣(といっても富士山を入れて3人だったらしいが……)はさすがに悩んだ。
そこで蛸山は乱入することを提案。ま、悪いようにはしませんよ。と妙な自信を見せるこの若者に経営陣はなぜか納得し、全てを蛸山の手にまかせてしまった。
レスラーである富士山までもがそうしたのだから、彼らが蛸山にかけた期待の大きさがどれほどであったのかは想像に難くない。
その後いつものように会場前でただ同然でチケットをさばき、なんとか客を50人近く集めたところでいよいよ試合開始。選手不足で少ししか試合を組めないギャパでは、すぐにメインの時間が来る。蛸山デビューの瞬間だ……。
「お前ら、オレがここでプロレスラーしてること知ってたか?」
物思いにふけっているとばかり思っていた蛸山の口が突然開いた。
蛸山の真正面に立たされていた博が不意をつかれ、思わず正直に答える。
「いえ、全然知りませんでした!!」
言った途端に博の顔が青ざめる。他の部員たちの視線が痛い。
適当に話を合わせて蛸山の機嫌を直さなくては、と感じた志摩犬健が弱々しく言う。
「あの、ボク、一度テレビで拝見しましたぁ」
「……テレビには一度も出てない」
さらに厳しくなった部員たちの視線が健に集中する。
余計なこと言いやがって!という思いが健にささった。
蛸山はあまり気にせず続けた。
「今日はオレに変な気は使うな。望、お前大学でプロレスしてたやろ?」
「ハイ、でもプロレス界についてはまるで勉強不足でした。ギャパのことも名前ぐらいしか……」
「ま、雑誌にもたまにしか載らんしな」
「……」
6人は蛸山の顔色をうかがった。機嫌が悪くなった様子はない。
「オレがここのリングに初めて立ったとき、客は100人ちょっとしか入ってなかった。
今は組むカードによっては府立体育館のメインアリーナも使えるようになった」
「……あ、マスク・怒・オクトパス!!」
突然何かを思い出したように、青空が叫んだ。
その声の大きさに全員が青空を注目する。
マスク・怒・オクトパス(つまり蛸山なのだが)はプロレスファンにとってはなかなかの有名人である。
技の切れ、スタミナ、体つき、どれをとってもトップクラスで、マスコミからギャパにいるのはもったいないと評価される一線級のレスラーである。
「あれ、せ、先輩やったんですか?」
「……知ってたか?」
「(オクトパスのことは)もちろんですよ!ギャパで有名なんあの人だけじゃないですか
……し、失礼しました。でも外人じゃなかったんですか?確か金髪で……」
「そう、そういう設定にしてたんや……」
ギャパでのデビュー戦、蛸山は金髪の後ろ髪のついたマスクをかぶり目にはカラーコンタクトを装着し、完全な外人レスラーとしてリングに現れた。
タッグ・マッチが始まろうとしていたときだった。
蛸山、いやマスク・怒・オクトパスは一方的に富士山に対戦要求を突きつけた。
富士山たちは蛸山が試合終了後に乱入してくるとばかり思っていたので、本当に面食らってしまい対処に困った。
その一瞬の隙に蛸山は下手な英語で奇声を発し、富士山を除く残りの3人のレスラーをチョップだけでケーオーした。
観客は一瞬あっけに取られた後、異常な興奮状態に陥った。
それだけ蛸山の単純なチョップが説得力十分の強力なものに見えたのだろう。
その重み故に、だまされるのが大好きなプロレス・ファンは蛸山を外人マスクマンとして受け入れた。
それどころか富士山との対戦をあおったのだ。
富士山も久しぶりの熱気のある会場に刺激されたのか、蛸山に全盛期の勢いで襲いかかった。
観客のボルテージがいっそう高まった。
乱入劇は成功だ。―蛸山は富士山のパンチを大げさに浴びながら満足げに笑った。
「……ま、外人レスラーを演じるのは面白かったけどな」
蛸山の静かな声が控え室に響く。
真剣な顔で耳を傾ける部員たち。
「最初は適当にギャパを盛り上げて、本国に戻ったということでプロレスはやめるつもりやったんや。それがなぁ……」
富士山と向かい合った蛸山は最初は彼の打撃技を受けていたが、きいていないと客にアピールし富士山に重いチョップをひとつお見舞いした。
悶絶する富士山。弱小団体に突如として現れたパワー・レスラーに観客はさらに喜んだ。
蛸山としては、この後にしばらく攻め込んで、グロッキーになった富士山に一瞬の切り返し技で関節を決められて敗北するというつもりだった。
つまり富士山をあくまでギャパの頂点に据え、それを狙う外人レスラーの役をしばらくやるつもりでいたのだ。
しかし彼のもくろみはもろくも崩れた。
チョップを食らった富士山が立ちあがってこなかったのだ。
間がもたなくなり、仕方なしにリング上でマッスル・ポージングを決める蛸山。
観客はニュー・ヒーロー誕生を認めた。ギャパの会場としては異様な歓声が沸き起こり、蛸山は一気に看板レスラーの名を背負うことになったのである。
以来、蛸山は本人の意志とは関係なく、ギャパの枠にとらわれず様々な団体の選手と戦いその強さを見せつけなければならなくなった。蛸山のチョップで看板レスラーだった富士山が半年も戦線離脱を強いられたためである。
「……ま、色々あって今までやってきたんや。その実績が認められて来春からアメリカの大きな団体で戦うように要請された。早い話がスカウトやな」
「お、おめでとうございます」
「ま、俺にはやりたいこともあるからずっとプロレスをするつもりはないけど、なんだかんだ言いながらこの世界は魅力的や」
なんと相づちを打てばよいのか分からずに固まる部員たち。蛸山は続ける。
「アメリカに行って、稼ごうと思ってる」
「が、頑張ってください!!」
「問題はここからや」
「……??」
「向こうでは日本人として戦うように要請されたし、オレもそうしたい。ただここでマスク・怒・オクトパスがギャパからすんなりいなくなるとギャパはつぶれると思う。……
そこでお前らに俺の後釜を引き受けて欲しいんや」
「……」
「……いやか?」
「いえ、喜んで!!」
反射的に答えてしまう一同。言ってから悔やんでいるようだ。
「幸い、富士山さんがレフェリーに転向するのが今夜だ。
要するに今日は富士山さんの引退興業なわけだ。
……お前らは富士山さんの最後の弟子たちということで乱入して、オレを6人がかりでめちゃくちゃにしてマスクを剥いでくれ」
「めちゃくちゃに、ですか?」
不安と期待が入り混じった顔で蛸山をうかがう6人。
「お前らオリジナル・ホールド最低一つはあるやろ」ふいに訊ねる蛸山。
「はい、引退稽古で後輩にかけたやつなら……」
「おう、それを俺に思いっきりかけろ!
客の度肝を抜いてからオレのマスクを剥ぎ取れ。
そんで俺のことをうそつき呼ばわりするんや。
それからお前らが新しい時代が来たってなことを客にアピールして一応終わりや」
「ア、アピール……ですか?」
「ああ、まあ適当に考えろ。……それから俺はしばらく再起不能となりリングを遠ざかるという設定、ま、その隙にこそっとアメリカ行って契約済ませてくるつもりや。で、その間にお前らには6人で色々戦ってもらう」
「えっ、プロレスをやるんですか?」
と、プロレスをあまり知らない平木基樹が心配げに言う。
「まあ、普段やってきたガチスパ(色々な格闘技の要素を織り交ぜた実戦スタイルのスパーリング、総合格闘部名物の一つ)見せるつもりでええわ。オレが帰国するまで、まだ何回か会場おさえてるからな、オレが帰ってきたときに戦う相手決めといてくれ。要するに俺の日本での引退試合の相手や」
蛸山の説明を真顔で聞いている面々。それなりに興味津津のようだ。
「決め方は色々や。ファン投票とか、トーナメントとか…設定としてはチャンピオンベルトを持ったままリングを離れた俺を引き戻すための戦いやな。それで俺は俺で、最後のプライドをかけてお前らの挑戦を受けて戦うが、新しい力に敗れベルトを手放して日本を離れるという予定や」蛸山が続けて言う。
話を黙って聞いていた沢下博が驚いたように言う。
「八百長で蛸山さんに勝つわけですか?」
「結果的にはそうやが、それやとお前らやる気出さんかも知らんからなあ…」
と言って、蛸山朋美は一同をじろりと見まわした。
ゴクリ。と唾を飲み込む6名。
蛸山は十分意味のある沈黙の後、口を開いた。
「優勝者には俺と真剣勝負ができる特典付きや。本気で今のお前らとサシで勝負したる。……どや?」
その言葉『真剣勝負』が空気振動となり、各々の鼓膜を震わせた刹那である。
―6人の顔つきが変わった。―
今度は恐怖や怯えているといったものではない。挑戦者の顔になっているのだ。
全員の表情が珍しく引き締まっている。
ということは、彼らは皆、あれほど恐れていたにも関わらず蛸山との真剣勝負を望んでいるのだろうか。
誰もが不遜なまでの自信をその瞳にみなぎらせ、蛸山の目を一直線に見つめている。
『先輩と戦うのは自分しかいません!』
言葉には出さないまでも彼らの顔はそう言っていた。
「不満か?」見透かしたように蛸山がつぶやく。
「ぜ、ぜひ!やらせてください!」
誰からともなく口を開いた。その言葉は重たく控え室に響き、場の雰囲気がより一層張り詰めたものとなった。
ま、最後は俺がベルト奪われなあかんけど、寸前までは本気で相手したる。
せいぜい、死ぬなよ。と蛸山は笑って付け足した。
6人の目は一切笑わない。
そんな彼らを見て、蛸山はますますおかしくなり大声で笑い出した。
「お前ら、ほんまに相変らずやのう・・・」
蛸山は満足げな表情で、自分を睨みつける野獣の目をした後輩たちを、じっと見詰めていた。